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阪神間で暮らす-4

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

「まるで戦時下の報道だ」広陵高校の暴力問題→甲子園主催の朝日新聞は沈黙…見て見ぬふりをした新聞社の責任とは

2025-08-20 | いろいろ



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「まるで戦時下の報道だ」広陵高校の暴力問題→甲子園主催の朝日新聞は沈黙…見て見ぬふりをした新聞社の責任とは






 今回は広陵高校(広島)問題についての読み比べです。注目は「朝日新聞はどう報じたか?」。

 夏の全国高校野球選手権大会に出場していた広陵が初戦に勝利した後、出場を辞退した。1月に起きた部員間の暴力事案が発端だ。それをきっかけにSNSで中傷が相次いだことなどが理由、という。


  



朝日新聞は「熱中症の発症」を報じなかった

 さてこうなると主催の朝日新聞が読みたくなる。高校野球を汗と涙と青春の美談祭りで報道してきたからだ。ビジネスにも利用してきた。

 美談は行き過ぎると偽善になる。具体例として朝日新聞の偽善を挙げると、当コラムでは2018年に『高校野球「熱中症で力尽きたエース」記事が朝日新聞に見当たらない、という問題』を書いた。

 西東京大会決勝で投げた投手が試合後に脱水症状を伴う熱中症を発症した。9回途中まで154球を投じたが試合後に全身に痛みを訴え、救急車が神宮球場のグラウンド内まで入り都内の病院に搬送された。当然ながら新聞ではこの件は大きく扱われた。サンスポは「力尽きたエース…熱中症で救急搬送 」。日刊スポーツは「154球……熱中症 救急車で搬送」。一般紙も毎日、読売、東京新聞が伝えた。しかし、朝日新聞はこの事実を報じなかったのである。

 東京版では決勝戦を2ページにわたって大々的に報じていたがどこを探しても「エースが熱中症で搬送」は書かれていなかった。その代わりに「『壮絶な試合』両校たたえる 閉会式で都高野連会長」という記事や、「ご協力に感謝します」という東京都高野連と朝日新聞社連名の感謝のことばを載せていた。

《猛烈な暑さが続く中での大会でしたが、各チームとも温かい声援を励みに、激戦である東京の大会にふさわしい好プレー、好試合を見せてくれました。》



どこか朝日新聞の書き方には冷たさを感じた

 不適切にもほどがある。まるで戦時下の報道だ。先の戦争では新聞による翼賛報道も軍部の片棒を担いでいた。高校野球に依然として漂う軍隊のような古い規律に精神主義、暴力、美談報道は似たような構図を思い出させる。そして今回だ。朝日は商売的にも押し切りたかったろうがSNSがある今、どうすることもできなかった。朝日はまた敗れたのである。

 広陵の辞退発表の翌日、朝日新聞は1面下、社会面、スポーツ面で報じた。

 社会面では暴行発覚後の経緯について、

《学校は県高野連を通じて日本高野連に報告し、日本高野連は3月に「厳重注意」をした。厳重注意は、学生憲章に基づく規則で原則公表しないと定められているため、当時は高野連や学校からの発表はなかった。》

 高野連と学校側は正しい対処をしたもんね。という行間を感じたのは私だけだろうか。ポイントはそこではなく、被害者側の声をろくに聞かずに対処したことがここまで大きな問題になったのではないか? どこか朝日新聞の書き方には冷たさを感じた。

 スポーツ面の「見えづらい寮生活 改革のとき」では、朝日新聞と日本高野連が加盟校を対象に5年ごとに実態調査をしていることを強調していた。寮生活の改革に成功した学校の話にも触れていた。強気だが、記事が小さいのが気になった。

 では他紙はどうか? 読売新聞と産経新聞は広陵の辞退発表から3日後に社説で取り上げた。読売社説は、被害者の生徒は転校を余儀なくされたとし、いじめ防止対策推進法に言及していた。いじめで子供の生命や心身、財産に深刻な被害が生じた疑いがある場合を「重大事態」と位置づけ、調査組織の設置を義務づけているからだ。そう、今回は重大事態なのである。朝日新聞は書いていない重要な視点だ。

 そのうえで、

《高野連の判断にも疑問が残る。被害者が転校せざるを得なかった暴力行為への処分は「厳重注意」が妥当なのか。被害者側の声も聞かず、広陵側の言い分だけで処分を決めていいのか。審査方法の見直しを検討する必要がある。》

 朝日新聞のあっさりした経緯とは異なり具体的だった。また、「閉ざされた寮生活の中で、暴力が蔓延していたのではないかと疑いたくなる」ともあり、「見えづらい寮生活」と書いた朝日よりも踏み込んでいる。



沈黙が続いた朝日だが、ようやく社説で…

 産経新聞の社説は広陵の校長が事実の隠蔽や矮小化などは「一切ない」とも断言したことについて「それなら大会を辞退する必要はなかったはずだ。被害生徒側が不満を残した初動調査の不徹底こそ、大いに反省すべきである」と書く。読売も産経もライバルの朝日が高校野球の主催だから社説でもさっそく書いたのかもしれないが、指摘はその通りではないか。


  


 この時点(8月13日)で朝日新聞は広陵問題に社説では触れていなかった。もしかしてこのままスルーなのか、そう思える沈黙が続いた。すると17日にようやく社説で取り上げた。『広陵高校辞退 暴力を根絶するために』というタイトルだった。面白かったのは次だ。

「高野連と、夏の甲子園大会を共催する朝日新聞社は、対応を考えねばならない。」

 のんきだなぁ、今さらか。まるで他人事である。そして次。

「より透明性の高い仕組みを目指してどんな手を打てるか。高野連とともに責任と役割を積極的に担っていきたい。」

 何か言ってるようで何も言っていない、社説のお手本のような書き方だ。それなら記者を何人も広陵に送り込み、「見えづらい寮生活」などと寝ぼけたことを書いてお茶を濁さず、実態のスクープを連発したらどうか。それが主催の新聞社としての責任だろう。

 朝日新聞にとって高校野球は「大事なお客様」という点でジャニーズ問題とも似ている。あれも見て見ぬふりをし、それまでの偽善と欺瞞がバレた案件だった。反省したはずだが今回と何が違うのか。

 8月13日の朝日夕刊のコラム「素粒子」は、

《「南京事件はなかった」という国会議員。気に入らぬ雇用統計を出した局長をクビにする米大統領。「なかったと100回言えば、なかったことになってしまう」。731部隊の元隊員が、本紙に。》

 と憂えていた。それなら朝日新聞さん、高校野球の暗部にもどうぞ踏み込んでください。期待しています。


◆◆◆

 文春オンラインで好評連載のプチ鹿島さんの政治コラムが一冊の本になりました。タイトルは『お笑い公文書2025 裏ガネ地獄変 プチ鹿島政治コラム集2』。

  




  1970年生まれ。長野県出身。
  時事ネタと見立てを得意とする芸風で、新聞、雑誌などにコラムを多数寄稿。TBSラジオ『東京ポッド許可局』『荒川強啓 デイ・キャッチ!』出演ほか、『教養としてのプロレス』(双葉文庫)、『芸人式 新聞の読み方』(幻冬舎文庫)などの著書がある。
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「日航機墜落事故」40年後に湧いた真相への疑問 時間の経過により見えてきた真実とは?

2025-08-19 | いろいろ



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「日航機墜落事故」40年後に湧いた真相への疑問 時間の経過により見えてきた真実とは?


木村 良一
: ジャーナリスト、作家


  


  



当時の技術部長による手記

 航空史上最悪の「日航ジャンボ機墜落事故」のあるファイルを手に入れた。入手のいきさつは後で説明するが、「手に入れた」というよりも「託された」のだと思っている。もちろん、このファイルが外部に出るのは初めてのことである。

 ファイルは1985(昭和60)年8月12日の墜落事故の発生時、日航取締役の整備本部副本部長で、日航社内で事故原因の調査を担当した最高責任者の松尾芳郎によって書かれ、まとめ上げられた。松尾は事故当時54歳だった。

 墜落事故の機体(型式B‐747SR‐100、国籍・登録記号JA8119)が7年前に大阪国際空港(伊丹空港)で起こした「しりもち事故」のときには松尾は技術部長という要職にあり、後部圧力隔壁の修復を含めた機体の修理をアメリカの航空機メーカー、ボーイング社に「すべて任せるべきだ」と進言した人物である。後にこの圧力隔壁の修理ミスが墜落事故の原因に結び付くことになる。

 ファイルには松尾が警察と検察に受けた事情聴取の内容が克明に記されている。松尾は群馬県警察特別捜査本部の取り調べが終わると、取り調べの内容やその様子をノートに書き上げ、その日のうちに宿泊先の前橋市内のホテルからファクシミリで東京・丸の内の日本航空の本社に送った。いまと違いパソコンや携帯電話はなく、ファックス、固定電話、郵便が伝達手段だった時代である。

 日航ジャンボ機墜落事故の取材でも、新聞社やテレビ局は墜落現場の山中から原稿や写真、映像、音声を送るのにかなり苦労した。無線機を使って送稿、送信しようとしても電波の届きが悪かった。中継の電送車やヘリコプターを配置したが、それでも思うようには送れなかった。

 ファイルには墜落事故に関する日航の資料はもちろんのこと、墜落事故に対する松尾自身の意見や考え方、見解も書かれている。日航の内部文書であると同時に松尾の個人的資料でもある。ファイルの大半は松尾の手書きである。


  


 松尾は慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業して1954(昭和29)年4月に日航整備会社(1963年に日本航空に吸収合併される)に入社し、入社の翌年にはアメリカのカリフォルニア大学バークレイ校工学部に留学し、復職後は一貫して技術・整備畑を歩んだ日航生え抜きの航空技術者(航空エンジニア)である。

 1930(昭和5)年9月30日生まれだから卒寿の90歳を軽く超えている。だが、そんな高齢とはとても思えない活躍ぶりで、IT(情報技術)の知識を駆使して運営するWebサイト(TOKYO EXPRESS)に自らの航空論文を掲載し、時間を見つけては好きなゴルフに打ち込む日々を送っている。

 松尾に対する本格的な取材は2022年の春から始めた。新型コロナウイルス感染症が流行を繰り返すなかで、通常だったら高齢の松尾に対する取材は難しいだろう。だが、幸いなことに松尾はパソコンを使う能力にも長けていた。ファイルを繰り返し読みながら、メールで何度もやり取りすることができた。筆者は基本的にメールでの取材は避けているが、今回はメールという現代のツールがとても役に立った。


  



警察や検察による苛烈な取り調べ

 ファイルを読み込むと、任意の事情聴取にもかかわらず、警察や検察が松尾の刑事責任を厳しく追及する様子がよく伝わってくる。群馬県警の取り調べでは「お前」「あんた」と呼ばれ、まるで殺人事件の容疑者のように何度も怒鳴られ、日航の刑事責任を容認するよう強要された。群馬県警の取調官に刑事責任があることを認める供述調書を強引に取られそうになったこともあった。

 松尾に対する群馬県警の取り調べは、事故原因を特定した運輸省(現・国土交通省)航空事故調査委員会の事故調査報告書が公表された4カ月後の1987(昭和62)年10月29日から始まった。ファイルにはたとえば、こんなくだりがある。


  




 人権を無視した取り調べ、事情聴取である。松尾に対する事情聴取が始まる前の1987年3月には、群馬県警の取り調べを受けていた元運輸省職員が自殺している。群馬県警の事情聴取は聴取相手を自殺に追い込むほど過酷なものだった。それでも松尾は自分や日航に過失のないことを群馬県警の取調官に繰り返し説明し、決して自らの主張を曲げなかった。

 日航、運輸省、ボーイング社の関係者とともに業務上過失致死傷容疑で前橋地方検察庁に書類送検されたが、結果は全員が不起訴で終わっている。群馬県警の取り調べがいかに理不尽だったかがよくわかる。

 それにしてもどうして群馬県警はここまで刑事立件にこだわり、やっきになったのか。検察(検察は前橋地検と東京地検の合同捜査)の事情聴取も甘くはなく、厳しいものだった。



修理ミスを認めたボーイング社

 警察や検察が松尾の取り調べを始める前にボーイング社は「事故の原因は自社の修理ミスにある」と認めた。ところが、警察と検察は「日航が修理中及び修理終了直後の領収検査で修理ミスを見逃した」「その後の定期検査でも修理ミスによって発生する亀裂(クラック)を見落とした」と判断し、非情な取り調べを続けた。なぜだろうか。捜査の土台となった航空事故調査委員会の調査は的確だったのか。ファイルを読んで感じる大きな疑問である。

 1978(昭和53)年6月2日のしりもち事故の後、日本航空はJA8119号機に仮の修理を施し、大阪・伊丹空港から東京・羽田空港に飛ばした。圧力隔壁などが壊れていたので与圧せずに通常より低い高度で飛んだ。

 羽田空港に着陸すると、機体を日航のハンガー(格納庫)に運び込み、ボーイング社の修理チームを待った。この空輸には当時、整備本部の技術部長だった松尾もコックピット(操縦室)のオブザーバー・シート(補助席)に座って同乗している。



 航空史上最悪の「日航ジャンボ機墜落事故」のあるファイルを手に入れた。入手のいきさつは後で説明するが、「手に入れた」というよりも「託された」のだと思っている。もちろん、このファイルが外部に出るのは初めてのことである。

 ファイルは1985(昭和60)年8月12日の墜落事故の発生時、日航取締役の整備本部副本部長で、日航社内で事故原因の調査を担当した最高責任者の松尾芳郎によって書かれ、まとめ上げられた。松尾は事故当時54歳だった。

 墜落事故の機体(型式B‐747SR‐100、国籍・登録記号JA8119)が7年前に大阪国際空港(伊丹空港)で起こした「しりもち事故」のときには松尾は技術部長という要職にあり、後部圧力隔壁の修復を含めた機体の修理をアメリカの航空機メーカー、ボーイング社に「すべて任せるべきだ」と進言した人物である。後にこの圧力隔壁の修理ミスが墜落事故の原因に結び付くことになる。

 ファイルには松尾が警察と検察に受けた事情聴取の内容が克明に記されている。松尾は群馬県警察特別捜査本部の取り調べが終わると、取り調べの内容やその様子をノートに書き上げ、その日のうちに宿泊先の前橋市内のホテルからファクシミリで東京・丸の内の日本航空の本社に送った。いまと違いパソコンや携帯電話はなく、ファックス、固定電話、郵便が伝達手段だった時代である。

 日航ジャンボ機墜落事故の取材でも、新聞社やテレビ局は墜落現場の山中から原稿や写真、映像、音声を送るのにかなり苦労した。無線機を使って送稿、送信しようとしても電波の届きが悪かった。中継の電送車やヘリコプターを配置したが、それでも思うようには送れなかった。

 ファイルには墜落事故に関する日航の資料はもちろんのこと、墜落事故に対する松尾自身の意見や考え方、見解も書かれている。日航の内部文書であると同時に松尾の個人的資料でもある。ファイルの大半は松尾の手書きである。


 松尾の進言によって日航はボーイング社の航空技術を信頼し、機体の修理をすべて任せた。ボーイング社の航空技術は世界最高の水準にあると言われていたし、機体はボーイング社が製造したものだった。日航が修理を委託するのは当然だった。



初歩的で単純な修理ミス

 しかし、ボーイング社は後部圧力隔壁の修理で、1枚の中継ぎ板を2枚に切断して上部半分と下部半分の接続部の一部にそれぞれ差し込み、結果的にリベットが1列打ちと同じ状態となり、隔壁の強度が落ちた。初歩的で単純なミスだった。

 何度も飛行を繰り返す間に金属疲労から多数の亀裂が生じ、隔壁は7年後の飛行で破れた。それが1985(昭和60)年8月12 日に起きた、520人の命を奪った航空史上最悪の日航ジャンボ機墜落事故である。

 墜落事故の概要をもう少し説明してみよう。乗客乗員524人を乗せた日航123便(JA8119号機)は、羽田空港を離陸して12分後に「ドーン」という異常音とともに客室内の与圧空気が圧力隔壁の裂け目から一気に吹き出した。

 旅客機は地上とほぼ同じ気圧を保って飛行するために客室内は与圧されている。つまり、航空機は風船のように膨らんだ状態で飛ぶ。客室と機体尾部の非与圧空間とを仕切っているのが、大きなお椀の形をした後部圧力隔壁(直径4.56メートル、深さ1.39メートル)だ。

 圧力隔壁の裂け目から機体尾部の非与圧空間に吹き出した与圧空気は、上部の垂直尾翼を吹き飛ばすとともに機体をコントロールする4系統すべての油圧装置(ハイドロリック・システム)を破壊した。

 機体は操縦不能となった。ドーンという異常音で始まる隔壁の破断から機体尾部の破壊まで1秒もかかっていない。破断、破壊は瞬間的に起きていた。それだけ与圧空気の力は強く、すさまじかった。

 コックピットの機長や副操縦士たちは何が起きたかわからず、32分間、機体を激しく上下左右に揺さぶられながら迷走飛行を強いられた末、午後6時56分過ぎ、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。

 なぜ世界最高の高度な技術を持つボーイング社の修理チームが初歩的な修理ミスを犯したのだろうか。圧力隔壁の修理はしりもち事故で壊れた下半分を新品と交換して既存の上半分に接合するもので、ボーイング社の修理チームにとっては簡単な作業だった。板金加工並みの単純な仕事である。

 羽田空港の作業現場でアメリカ連邦航空局(Federal Aviation Administration=FAA)の認定資格を持つ、ボーイング社の技術者(エンジニア)が作業員(メカニック)に出した作業指示・記録書(Field Rework Record=FRR)は間違ってはいなかった。だが、作業員は指示通りに修理をしなかった。なぜ指示通りに作業をしなかったのだろうか。



修理ミスを犯した背景の説明はなし

 日本航空はボーイング社を信頼して契約を結んで修理を依頼した。ボーイング社にとって日航は顧客である。日航は大切なお得意さまだ。それにもかかわらず、日航は裏切られた。もちろん日航に安全運航上の義務や責任はあるが、日航・松尾ファイルを読み進むと、ジャンボ機墜落事故の責任は全面的にボーイング社にあることがわかってくる。

 日航は本当に加害者なのか。被害者ではないのか。どうして日航はボーイング社に対し、訴訟を起こさなかったのだろうか。

 ボーイング社はジャンボ機墜落事故の1カ月後にしりもち事故の修理ミスが事故原因であることを認めた。JA8119号機だけの固有の問題にとどめたかったからだろう。ただし、修理ミスが事故原因だと認めてもボーイング社はその修理ミスがどうして起きたかについて背景を含めこの40年近く、何も明らかにしていない。


  


 問題の修理ミスは修理作業の過程でどのように起きたのだろうか。後部圧力隔壁の上半分と下半分をつなぎ合わせる際、接合面の一部分が不足して1枚の中継ぎ板を使う指示が出された。だが、作業員はこの中継ぎ板を2つに切り分けて使用した。そのために強度不足が生じた。なぜそんな作業をしたのか。ボーイング社は当然、修理ミスが起きた原因を究明・検証したと思うが、どうしてその内容をつぶさに日本側に伝えなかったのか。

 ボーイング社だけではない。アメリカの司法当局も日本の警察や検察の国際捜査共助の求めに応じなかった。元首相の田中角栄を逮捕したロッキード事件のときには、アメリカは日本の求めに応じて嘱託尋問まで行った。それなのになぜ、日航ジャンボ機墜落事故では日本側の捜査共助の要請を断ったのだろうか。政治・外交レベルでの日本とアメリカの関係はどのようなものだったのかも考える必要がある。

 ここまでざっと考えただけでも疑問が次々と湧いてくる。



木村 良一 (きむら りょういち)
  ジャーナリスト、作家
  1956年10月18日生まれ。慶應義塾大学卒。慶大新聞研究所修了。ジャーナリスト・作家。日本医学ジャーナリスト協会理事。日本記者クラブ会員。日本臓器移植ネットワーク倫理委員会委員。三田文学会会員。元産経新聞論説委員・編集委員。元慶大非常勤講師。2002年7月にファルマシア医学記事賞を、2006年9月にファイザー医学記事賞を受賞している。産経新聞社には1983年に入社。社会部記者として警視庁、運輸省、国税庁、厚生省を担当し、主にリクルート事件、金丸脱税事件、薬害エイズ事件、脳死移植問題、感染症問題を取材した。航空事故の取材は運輸省記者クラブ詰め時代(1989年~1991年)に経験し、日航ジャンボ機墜落事故の刑事処理(不起訴処分)などを取材した。社会部次長(デスク)、編集委員などを経て社説やコラムを書く論説委員を10年間担当し、2018年10月に退社してフリーとなる。
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眞子さん、悠仁さまの成年式を欠席か いまなお秋篠宮家との断絶は根深く、連絡を取るのは佳子さまのみ

2025-08-18 | いろいろ



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眞子さん、悠仁さまの成年式を欠席か いまなお秋篠宮家との断絶は根深く、連絡を取るのは佳子さまのみ “晴れの日に水を差す事態”への懸念も


  


 本来ならば「家族総出」で祝うはずの場に、長女の姿はなさそうだ。皇室にとって久しぶりの一大行事より、渡米から約4年をかけて軌道に乗った家族3人での暮らしの平穏の方が、眞子さんにとっては重要なのかもしれない──。

 日本の皇室において、40年ぶりに行われる男性皇族の「成年式」の全貌が、7月29日に明らかになった。

「秋篠宮家の長男・悠仁さまの19才の誕生日である9月6日から、5日間にわたって関連する儀式や行事が営まれます。6日は天皇陛下から冠を賜る儀式や、その冠を着用する『加冠の儀』などが行われ、陛下から日本の最高位の勲章である大勲位菊花大綬章を授与されます。

 8日には三重県の伊勢神宮と奈良県の神武天皇陵への参拝、10日には皇族方や三権の長を招いた昼食会が予定されており、多忙なスケジュールでさまざまな式典が進行されます」(宮内庁関係者)

 モーニングコートや成年の装束、冠に燕尾服など、成年皇族にふさわしい装いを披露される予定の悠仁さま。男性皇族の成年式が行われるのは1985年の秋篠宮さま以来で、今回の成年式は皇室にとって誕生、結婚とならぶ「重要な行事」だ。

「成年式とは、国内外に対し、皇位継承権を持つ男性皇族が、成年を迎えたと知らしめる重要な儀式です。天皇陛下や秋篠宮さまの成年式では、当時、“世界でもこれほどまでに厳粛な儀式はほかにない”といわれるほど厳かな雰囲気のなか執り行われました。

 悠仁さまは現在、皇嗣である秋篠宮さまに次いで皇位継承順位第2位のお立場にあります。“将来の天皇”が迎える成年式とあって、秋篠宮家にとっても皇室にとっても非常に大きな節目になります」(前出・宮内庁関係者)



アメリカで幸せな暮らし

 それほど大切な儀式だけに、多くの「親族」がお祝いに駆け付ける。

「天皇陛下の成年式には、昭和天皇と香淳皇后、上皇ご夫妻、常陸宮ご夫妻など、風邪で不参加だった三笠宮さまを除く成年皇族が全員参加されました。昭和天皇の四女で、結婚を機に皇籍離脱された池田厚子さんと、その夫も招待を受けています」(前出・宮内庁関係者)

 そこで注目されるのが、秋篠宮家の長女・眞子さん(33才)の動向だ。

「宮内庁は、一連の儀式や行事は“先例”を踏まえて行うと発表しており、悠仁さまの実の姉で元皇族である眞子さんが成年式に参加するのは当然の流れです。しかし、現在アメリカで暮らす眞子さんが日本に帰国する予定は、現時点ではないといわれています」(前出・宮内庁関係者)

 2021年秋に小室圭さん(33才)と結婚して渡米してから約4年──眞子さんは今年春頃、待望の第1子を出産した。

「小室さんは、2022年に3度目の挑戦で弁護士試験に合格した後、大手法律事務所『ローウェンスタイン・サンドラー』で弁護士として働いています。仕事はすこぶる順調で、出産と前後してニューヨーク近郊に一戸建てのマイホームを購入しました。一家3人、幸せな暮らしを続けているといいます」(前出・宮内庁関係者)

 そんな眞子さんは渡米後、一度も帰国していない。

「成年式は久しぶりに家族と顔を合わせることができる絶好の機会です。ご両親である秋篠宮ご夫妻と孫を対面させるという大義名分もあるので、わだかまりがあるとはいえども出席するのではないかといわれていました。4年ぶりの感動の再会に期待が高まっていたのですが……」(前出・宮内庁関係者)


  



連絡を取るのは佳子さまのみ

 一連の結婚騒動で生じた小室夫妻と秋篠宮家の断絶は、いまなお根深く修復が難しいという。

「秋篠宮家で眞子さんと直接連絡を取っているのは、次女の佳子さまだけです。出産についても眞子さんは秋篠宮ご夫妻に直接報告することはなかったと聞いています。そもそも圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが発覚した後、秋篠宮さまは会見で小室さんのことを『夫の方』『娘の夫』と表現して名前すら呼ばなくなりました。眞子さんの結婚についても『皇室として類例を見ない結婚』と断じられたほどです。

 一方の眞子さんも皇室と“縁を切る覚悟”で家を飛び出してアメリカに渡り、一度も帰国していない。成年式への招待があったとしても、“簡単には帰国できない!”という思いなのでしょう」(皇室記者)

 現実的な面からも、眞子さん家族を成年式に招待し、日本に迎えるには障壁が待ち構える。

「世間もマスコミも注目している眞子さんが帰国するとなると、宮内庁や秋篠宮家からの要請がなくても要人警護がつくことになるはずです。そうすると、一大イベントでただでさえ厳重な警備がさらに煩雑になり、混乱を招くことになりかねません。

 ましてや小室さんや生後半年に満たない赤ちゃんまで一緒に帰国ということになれば、世間やマスコミの目は小室一家に釘付けです。出産やアメリカでの生活に加え、過去の金銭トラブルの話まで蒸し返されれば、悠仁さまの晴れの日に水を差しかねません。そうした事態を秋篠宮ご夫妻も懸念しているはずです」(前出・皇室記者)

 もつれにもつれた両親との関係だけでなく、今回の儀式の主役である悠仁さまとの間にも、わだかまりがある。

「悠仁さまがまだ小さい頃、秋篠宮ご夫妻がご公務で国内外を飛び回られている間は、眞子さんが母親代わりになってよく面倒を見ていました。ただ、かつては姉の眞子さんを“よからぬあだ名”で呼んだこともあったそうです。直接眞子さんの耳に入ることもあり、年の離れた姉弟の間にも小さなトゲが刺さってしまった」(前出・宮内庁関係者)

 今年3月、成年を迎えられた記者会見で、悠仁さまは遠く離れた地で暮らす姉に、思いを馳せるようにこう語った。

「家族は一人ひとりが、大切な存在であると考えています」

 その言葉は、眞子さんの耳にどう届いたのか。返事を伝える機会は、ずいぶん先かもしれない。



※女性セブン2025年8月21・28日号
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石破自民党は去年の衆議院選挙でも今年の参議院選挙でも負けていないのに「自民大敗」と叫ぶ日本人の頓珍漢 (抄)

2025-08-17 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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石破自民党は去年の衆議院選挙でも今年の参議院選挙でも負けていないのに「自民大敗」と叫ぶ日本人の頓珍漢


  


 自民党は8日、両院議員総会を開いて石破総理に対する退陣要求を強め、石破総理は日米関税交渉などを理由に続投への理解を求めた。メディアは相変わらず「石破おろし」をする側に立ち、参議院選挙で与党の議席が目標より3つ足りなかっただけなのに、「自民大敗、自民惨敗」と大げさに報道し、石破総理の責任の重さを際立たせている。

 与党が過半数に達しなかったことを騒ぐ人たちはまるで現行の選挙制度を「小選挙区制」と考えているようだ。しかし小選挙区比例代表並立制は頭に「小選挙区制」とついてはいるが、内実は「比例代表制」の比重が重い。それを証明するように多党化が進行している。

 小選挙区制は1つの選挙区から1人しか選ばれないので二大政党のどちらかに所属していないと当選は難しくなる。そのため小選挙区制では二大政党になり、二大政党の間で政権交代が起こる。過半数を獲得すれば権力を握れるので選挙は過半数確保が至上命題となる。政治は安定するが、落選した候補者の票が多いほど死票が多くなる。

 一方の比例代表制では民意を反映しやすくするため政党が作りやすく、多党化が起こって小政党が乱立する。選挙で過半数を獲得することは難しくなり、政党の中で最も議席の多い比較第一党が選挙での目標になる。政治を安定させるためには比較第一党を軸に連立工作が行われる。死票は少なくなるが政治は安定しない。比較第一党が連立で過半数の議席を得るため連立の相手から意見の異なる政策を吞まされることもあり、有権者が望んだ政策とは違う政策が実現することがある。

 90年代初頭の「平成の政治改革」の結果、93年に誕生した細川総理が丸呑みした小選挙区比例代表並立制は、共産党も公明党も生き残ったことから分かるように、二大政党制にならず、現状をみれば多党化を促す比例代表制そのものである。それを「平成の政治改革」が「政権交代」を目標にすると国民に思い込ませたものだから、国民は錯覚し、選挙は過半数確保が至上命題であるかのように考えている。

 従ってその錯覚を取り払い、現在の選挙制度を比例代表制と考えれば、選挙の目標は過半数獲得ではなく、政党の中で最も多くの議席を獲得すること、すなわち比較第一党になることである。石破自民党は昨年の衆議院選挙でも、今回の参議院選挙でも比較第一党になった。だから野党に政権交代せず自民党が政権運営を担っている。つまり石破自民党は2度とも選挙に勝利したことになる。

 それを「自民大敗、自民惨敗」と騒ぐのは、過去の「政治改革」のキャッチフレーズに躍らされ、現実の政治を見ていないだけの話である。その不明を恥じることなく、「石破おろし」を正義であるかのように言う日本人は頓珍漢そのものだ。

 しかしフーテンも実は長いことそのことに気付かなかった。それは09年に民主党政権が選挙で自民党に勝利し、政権交代を果たしたからである。国民は一時期は自民党と民主党が二大政党制を担うと思わされた。ところが民主党は二大政党の一翼を担うには余りにも未熟すぎた。政権運営の経験がない旧社会党系の政治家や市民運動出身の政治家は官僚機構を使いこなすことができず、3年間で自民党に政権を奪われた。

 しかしその自民党政権もかつての自民党の面影はない。公明党との選挙協力がなければ政権を維持できない。つまり「平成の政治改革」は政権交代の幻想を振りまいたが、現実の政治はすでに90年代の終わりから「連立の時代」を迎えていたのである。

 そのうえ民主党政権が野党に転落した後、民主党が1つにまとまる道は閉ざされた。民主党の中には旧社会党系の勢力と自民党を離党した保守系の勢力が混在していたが、17年に小池百合子東京都知事が立ち上げた「希望の党」が失敗した時、排除の論理に対する反発から生まれた立憲民主党の誕生で亀裂は決定的になった。

 立憲民主党と国民民主党や日本維新の会が1つになることはもはや絶対的と言って良いほどあり得ない。立憲民主党に協力するのは日本共産党だけだ。それがまたこの3つの政党がまとまるのを難しくし、「多弱体制」を生んだ。

 そして民主党から権力を奪った安倍自民党は解散・総選挙を頻繁に繰り返すことで投票率を下げ、そこに旧統一教会というカルト教団の宗教票をぶつけることで「一強体制」を確立した。

 「安倍一強他弱」は12年間続いた。それは野党無視の強権政治と「モリ・カケ・サクラ」に代表される権力の私物化を招き、あってはならない財務省職員の自殺と公文書改ざんをもたらす。さらに「一強他弱」は検察トップの人事にも介入し、検察はそれに対する反発から長年見逃してきた旧安倍派の裏金事件を摘発した。

 こうして「安倍一強他弱」が生み出した政治の歪みを是正することが、現在の政治過程である。そのために日本ではかつて経験のない少数与党体制が生み出された。それは現行の選挙制度が小選挙区制よりも比例代表制に近いことを利用したものだ。

 昨年の石破自民党の衆議院選挙過半数割れと、その後の総理指名選挙で石破総理が指名されたことによって、フーテンは現行の選挙制度が小選挙区制より比例代表制を反映したものであることに気づいた。

 つまり過半数割れなら政権交代になるはずだがならなかった。なぜか。国会の総理指名選挙で、野党第一党の野田佳彦代表に投票したのが立憲民主党と日本共産党の議員だけだったからだ。野党がまとまることは絶対にないことが分かった。だから自民党は比較第一党になれば政見運営ができるのである。ただし野党の協力を得なければならない。これは比例代表制の政治そのもので「一強他弱」の政治の歪みを是正する。

 今回の参議院選挙でメディアは「事実上の政権選択選挙」と言い、与党が過半数を割れば石破総理は退陣すると報道した。しかしフーテンが過半数割れを起こしても退陣しないと予想したのは、比較第一党になれば政見運営を担うことが可能だったからである。

 案の定、石破総理は選挙後に「比較第一党の責任として続投する」と言った。石破総理は比例代表制を理解している。しかしフーテンの見るところ他の政治家やメディアは理解が及んでいない。最初から過半数割れだけに注目し、石破退陣の一点だけを見ていた。

 しかし8日に興味深い展開があった。「石破おろし」の代表格である青山繁晴参議院議員が「自民党議員で内閣不信任案を提出する」と言ったのである。と言うことは自民党総裁選挙をやる前、石破総理の在任中に自民党の衆議院議員が内閣不信任案を提出するという意味だ。

 内閣不信任案提出は自分が所属する政党の総裁と敵対するわけだから、賛成した議員は常識的には自民党を離党して新党を作ることになる。自民党分裂だ。これは面白いことになる。フーテンは自民党が選挙に負け続けたのは石破総理が駄目だったからではなく①旧統一教会との癒着②旧安倍派の裏金問題の2つだと考えている。

 この2つにそれに関係した議員たちが自分から自民党を離党すると言い出したわけだ。韓国の捜査当局から犯罪容疑をかけられ、日本でも解散命令を出されている旧統一教会と関係ある議員や、裏金議員がいなくなれば、自民党再生の道は開かれる。それを「石破おろし」の議員たちが言い出したのである。

 ・・・・・。



       この記事は有料記事のため抄録です。
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「石破辞めるなコール」に便乗して「維新」が連立政権入りを画策か 石破首相を続投させる大義名分は“副首都構想”

2025-08-16 | いろいろ



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「石破辞めるなコール」に便乗して「維新」が連立政権入りを画策か 石破首相を続投させる大義名分は“副首都構想”

政官財の罪と罰


 古賀茂明




 7月23日に毎日新聞と読売新聞が「石破茂首相退陣」というニュースを流した。石破首相には、これまでの自民党政治家とは違い、地位に恋々とすることはなく自らの責任を潔く認めるタイプの政治家だというイメージがあったため、そういう決断をしてもおかしくない、というより、石破氏らしい見事な引き際だと思った人もいただろう。

 しかし、石破首相が辞任報道を強く否定したことで、一転して辞任報道は「誤報」ではないかということになった。それについては、7月29日配信の本コラム「立憲・共産党支持者が『石破辞めるな!』と叫ぶ異常事態…参院選の自民党大敗の原因は『裏金議員』と『アベノミクスの失敗』である」でもお伝えしたとおりだ。

 その辞任報道から約3週間が経ったが、石破氏の去就をめぐる状況は複雑さを増している。自民党内の石破おろしの波は、依然として非常に高い。一方、旧安倍派などの裏金議員や旧統一教会がらみの「薄汚い政治家」たちがその中心にいることがあからさまになると、自民党支持者はもちろん、立憲民主党や共産党などの野党支持者でさえ、「石破首相は辞任するな」という声を上げ始めた。予想外の石破応援団の登場だ。

 7月28日の自民党両院議員懇談会では、石破首相の責任を厳しく追及する声が多数だったが、懇談会には決定権がないので、石破首相はそのまま続投となった。その後開かれた8月8日の両院議員総会でも石破批判が吹き荒れたようだが、総裁選を前倒しするかどうかを党総裁選挙管理委員会で意思確認することが決まっただけで、この先は見通せない。

 裏金議員たちが、石破おろしの動きを露骨にやると、国民から批判の声が上がり、自民党の支持率がさらに下がり、来たるべき総選挙で反石破議員の当選が危うくなるかもしれないという懸念があるために、石破下ろしの署名をする議員はそれほど多くないという見方もできる。

 次の節目は、8月20日からのTICAD(アフリカ開発会議)という大きな外交舞台を終えた後、29日までに行われる参院選大敗を検証する自民党の総括委員会の報告書取りまとめである。この機に、森山裕幹事長が辞意を表明し、それを慰留できなければ、石破首相自ら辞任するか、辞任しなくても、総裁選前倒しの勢力が勢いを増して、総裁選前倒しになり、結局石破氏は引きずりおろされるという見方もある。

 一方、石破おろしへの国民の批判が高まれば、総裁選前倒し論は勢いを失い、仮に森山氏は辞任しても副総裁に就任し、引き続き党内の差配を行う体制が維持され、石破首相が続投するという話も聞こえてくる。

 もちろん、石破続投でも自公政権は、衆参両院で過半数を割り、野党の要求をのまなければ、いつ内閣不信任案を出されてもおかしくない状況で、石破氏は、党内外で綱渡りを続けなければならない。


【写真】「よくやった」の声多数? 平和記念式典で株を上げた政治家がこちら

  


日本国民は完全に自民党を見放した

 その困難さを考えれば、ここで政権を投げ出さないことの方が難しいという人さえいる。クリスチャンの石破氏が、これを神が与えた試練だと受け止め歯を食いしばって「国民のために」命懸けで政権運営にあたるというのは、石破氏自身の主観としては正しいかもしれないが、客観的に見れば、自分のやりたいことはほとんどできず、ただ首相の座にしがみついているだけということになる可能性も高い。

 万一8月末で辞任となれば、結果的には毎日と読売の報道は大スクープだったということになるわけだ。

 石破氏のことはひとまず置いておいて、自民党・公明党の凋落と国民民主党・参政党の大躍進という今回の参院選の結果は、何を意味しているのかを考えてみよう。

 2009年の民主党政権誕生で自民と民主の二大政党制が定着しそうだったが、野田佳彦首相(当時)の大失態で、これが幻で終わったのが13年前の2012年だ。その後は、自民1強を公明がさらに補強して安定政権が続いたが、失われた30年とアベノミクスの失敗、さらには旧安倍派を中心とした裏金や旧統一教会のスキャンダルで、国民は完全に自民を見放した。自民の生き残り議員たちは、自民復活劇を夢見ているかもしれないが、党内は、野党支持者に期待される石破首相と国民から完全に見放された旧安倍派などの残党の寄せ集めという状況だ。こんな政党が国民の支持を集めるはずがない。「自民はオワコン」という言葉は、非常に説得力がある。ついでに言えば、自民に小判鮫の如くくっついておこぼれをもらっていた公明もまた完全な「オワコン」である。

 二大政党制の失敗に続き、昨年の衆院選と今回の参院選で、自民中心の日本政治という構造は終わったように見える。これからは、多党による連立、連携政治に移行することになったと見るべきではないだろうか。石破政権はその転換を決定づける役割を果たしたところで終焉を迎えたと見る人も多いだろう。

 しかし、ここへきて、石破氏には非常に強い味方が現れた。日本維新の会である。

 こちらも、先の参院選で議席数はわずかに一つ増やしたものの、比例の得票が3年前の前回参院選の半分強まで落ち込み、お先真っ暗という状況だ。その責任をとって、前原誠司共同代表ら執行部が辞任した。前原氏の後任としては藤田文武前幹事長が選出されたが、藤田氏は馬場伸幸衆院議員が代表時代に幹事長を務めた。藤田共同代表なら、馬場氏が裏で国会での動きを仕切るということになるのだろう。



選挙で勝てる見込みがない立憲民主党

 だが、いくら執行部人事を変えてみても、展望は開けない。

 そこで、苦し紛れに出てきたのが、自公との連立でなんとか存在感を演出しようという作戦だ。しかし、単に連立入りというのでは、自公の補完勢力に成り下がったという批判を受け、次の衆院選でさらに負ける可能性が高くなるので、何か大義名分が必要だ。そこで使われることになったのが副首都構想だ。大阪を副首都にという公約でなんとか目先を変えて「やってる感」と新たな夢を演出する。これに石破自民が協力すれば、公約実現のための連立入りだという言い訳ができる。

 維新内には、石破氏ではダメだとして、新たな自民党総裁が選ばれてから連立入りすべきという意見も強いが、石破氏が粘って首相の座にとどまれば、そうも言っていられなくなる。自力で党勢拡大を図る力はないからだ。そこで、なんとか副首都構想の実現可能性が出てきたように見せかけて、次の衆院選に臨みたいということで、石破氏のままでも自公との連立を組むか、少なくとも、なんらかの形での部分連合のようなものが成立する可能性は十分にある。

 ただし、維新が自公との連立に動くのを見れば、他の野党からは、自公を助けるのかという強い批判がなされる。したがって、衆院選がいつあるかわからないという状況では、安易に連立入りするのはためらわれる。

 そこで、注目されるのが、立憲民主党の動きだ。

 立憲の野田代表は、選挙直後は、自民を強く批判していたが、4日の衆院予算委員会では、一転して、石破氏に政策協議を呼びかけ、石破氏がこれに応じるという場面を作った。同じ安保タカ派、財政規律重視派同士で気脈を通じるという面もあるが、野田氏には、もっと別の事情がある。

 それは、解散しても立憲が選挙で勝てる見込みがないということだ。参院選でこれだけ自公の票が落ち込んだのに、立憲の比例の得票は伸び悩み、国民民主や参政にも及ばなかった。屈辱的な「敗北」である。この結果に、同党の両院議員総会では、野田代表への批判が吹き荒れた。江田憲司元同党代表代行のホームページのコラムによれば、「野田代表のリーダーシップには期待していない」「SNSの視聴が野田代表は数百、玉木(雄一郎・国民民主)、神谷(宗幣・参政)両代表は数十万」「執行部として参院選敗北の責任を取るべきだ」、立憲は「オワコン」「増税派」「左派」「事故物件」とまで言われ「有権者から相手にされていない」「若者世代は立憲スルー」「党は解散した方が良い」「大企業病ではないか」等々の批判が出たという。



自民党も立憲民主党もお互い「オワコン」同士

 自民党同様「オワコン」だと立憲の議員が自認するというまさに終わった状況だ。こんな政党が選挙をやっても勝てるはずがない。野田氏の窮状を察知した石破首相は、あわよくば立憲を抱き込もうと誘いをかける。

 これから先、何が起きるのかわからないが、見えてくるのは、自民内の石破おろしが国民の総スカンを食らって勢いを失う一方、立憲の野田代表がNACO(NODA ALWAYS CHICKENS OUT/野田はいつもビビって後退する)と揶揄されるとおり、不信任案を出せないので、石破氏はそれを利用して、野田氏の顔を立てながら、とりあえず補正予算の成立を図る。

 立憲が不信任案を出せないとわかっている維新も、安心して石破政権との連立入りの交渉ができる。石破氏が立憲との天秤にかけるふりをすれば、維新は見捨てられることを恐れて連立入りを急ぐだろう。

 自公維政権なら、衆参で過半数を確保できるので、維新との関係さえうまくやれば、これから3年間選挙をしなくて済むかもしれない。意外な長期政権への望みが出てきたと石破氏は捉えているのではないか。

 一方、維新が連立に入った途端、立憲の野田代表は自民と維新への批判を強め、与党過半数で否決されるのを分かった上で、安心して内閣不信任案を提出するということになるのだろう。闘ったふりをするわけだが、そんなことでは立憲の党勢回復はできない。前述の江田氏のコラムで、同氏は、「今回の敗因は、率直に言って、『党首力』『政策の訴求力』『SNSの発信力』等において、国民民主や参政党の後塵を拝したことだと考えています。このままでは我が党は『じり貧』で、政治の大きな流れからも取り残され、とても次期衆院選では選挙を戦えないでしょう」と悲観論を展開している。

 自民も立憲もお互いオワコン同士。実は、今回の参院選前の7月5日、インターネット番組「選挙ドットコムちゃんねる」で、野田氏が隣に座った石破首相に「売れない演歌歌手みたいなのが2人並んでしまった」と発言したのだが、その時点では、立憲はかなり議席を伸ばすと予想されていた。この言葉は冗談のつもりだったのだろうが、蓋を開けてみれば、真実だったことが判明したわけだ。

 3年間選挙なしの自公維連立シナリオは、石破氏辞任で小泉進次郎農林水産相に首相が交代しても実現可能だ。一方、高市早苗前経済安全保障相の場合は、先週配信の本コラムで書いたとおり、とりあえず国民民主と参政との連携(連立ではない)で進み、衆議院選挙の後に本格的な自公国参連立になる可能性が高い。維新も入る可能性があるが、いずれにしても相当右傾化を強めた政権になるだろう。



ポピュリズム政治がはびこる最悪のシナリオ

 ただし、参政については、同党議員のスキャンダルがこれからかなり出てくるという週刊誌情報もある。それが本当なら、参政の勢いは意外と短期間で衰える可能性がある。

 様々なシナリオがあって、ほとんど予測不可能な状況だが、それでも主要なシナリオを比較検討すると、石破続投の可能性は、一般に言われるよりもかなり高そうに思えてくる。

 ただし、その場合も、自民大復活ということは起きず、自民、立憲の縮小と少数政党の勢力拡大で、本格的な多数政党の合従連衡による政治構造に変化していく可能性が高い。その結果、単なるポピュリズム政治がはびこるだけという悲惨なことになるのだろうか。

 そのようなシナリオを変える力のある政治家は出てこないのかと頭を捻ってみたが、どうしても思い浮かばない……。



古賀茂明 (こが・しげあき)
  古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。
  1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。近著は『分断と凋落の日本』(日刊現代)など
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