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中山知子 取材備忘録 「タイパ重視の時代に」自民党内で広がる石破おろし、長期化で「国民に響くのかな」懸念も

7月の参院選大敗を受け、自民党内で石破茂首相(自民党総裁)退陣論が拡大していることをめぐり、「石破おろし」派が「重大局面」と見すえる両院議員総会が、8月8日に党本部で開かれる。先月28日に行われた、意見交換的な位置づけの両院議員「懇談会」と違い、党運営など重要事項に関する議決権を持つ。党則では、第三章「議決機関」の中で党大会の次に記載がある。招集には「党所属の国会議員の3分の1以上から要求があったとき」に7日以内に招集すべきと記載されているが、今回は、招集を求める署名が提出される前に、党側が総会の開催を決めた。
ただ、この日程をめぐって、自民党内で「なんで8月8日?」という声を複数、耳にした。
1日に開会した臨時国会は、参院選を受けたもので、通常は数日間で閉会する。今回は衆参予算委員会で石破首相や閣僚が出席した質疑が行われるが、これは異例なこと。それでも5日午前の参院予算会開催後に閉会し、永田町は実質的な「お盆休み期間」に入る。この期間、各国会議員は地元に戻り、地元での活動に精を出す。昨年の衆院選、今年6月の東京都議選、そして参院選で負けた自民党の議員には、「私たちへの風当たりは強く、ひたすらおわびをしていくしかない」時間になる見通しだ。
そんな中での自民党両院議員総会開催。日程が決まる前には「8月7日」が有力では、と話す関係者もいた。戦後80年の今年は、原爆が投下された広島で6日に平和記念式典、長崎では9日に平和祈念式典が行われ、15日は全国戦没者追悼式が開かれる。その合間を縫って開かれる「総会」が行われる8日は、金曜日。国会議員の多くの行動パターンは「金帰火来(きんきからい)」といわれ、平日の金曜日に地元に戻り、週末から月曜日に地元で活動し、火曜日に永田町に戻るといわれる。つまり金曜日は地元に戻る日。しかも、今月5日以降は国会閉会中で、前倒しで地元に戻れる期間。それにもかかわらず、わざわざ金曜日、しかも総会の開始は午後に設定された。
5日に国会が終われば地元に戻る議員も少なくないとみられる中、もし戻った場合、総会に出るなら8日にわざわざ上京してこなければならない議員がいることも想定される。両院議員総会で議事を決めるには、「出席者の過半数の同意が必要」と、党則にある。石破首相の続投に否定的な自民議員の関係者は「なぜ金曜の午後なのか。前日の7日でよかった。地元に戻る議員もいるだろうし、総会への出席者を減らす狙いでもあるのかと疑いの目を向けてしまうくらい」と、いぶかしげに見ていた。
「8月8日の午後といえば、議員は地元に戻り、永田町は閑散とする時期。自民党さんもご苦労なことだ」と、野党関係者からは皮肉めいた声も。石破首相が続投の意思を明言する中、自民党内の多くの議員が退陣を求めることになる両院議員総会。日程設定も、1つの権力闘争の要素になっているのかもしれない。
自民党の衆参議員が集まっての「総会」は、臨時国会召集日の8月1日にも国会内で開かれた。国会召集日恒例で特別感はないが、この場は、紛糾した両院議員懇談会後初めて、石破首相と所属議員が顔を合わせた。首相は参院選の大敗をあらためて陳謝し、臨時国会に臨む心境を「何を果たすべきかという議論を真剣に行い、改めるべきを改め、国家のために尽くしまいりたい」と訴えた。「新しい方をお迎えしての臨時国会、私どもとして一致団結し日本国、世界のため、ともに働いていきたい」と述べ、石破おろしに屈するような雰囲気はなかった。多くの議員が出席していたが、その後に紹介された新人議員への拍手に比べ、石破首相への拍手は弱かった。
この後に、参院選総括後の引責辞任の見通しもある森山裕幹事長もあいさつ。「当選されなかった多くの同僚の方の気持ちを思うと、幹事長として大変申し訳なく思っている」と、あらためて謝罪した上で「ただ…今の状況を考えますと、経済の面でも安全保障の面でも極めて大事な課題を抱えている。そのことをお互いに理解しながら、我が国の将来に間違いない政治を進めていくことが大事なのではないか」と呼びかけた。今の党内をいさめるようなトーンにも聞こえた。
両院議員総会後、お盆の期間中に地元で受ける厳しい声を、お盆休み後、あらためて執行部側に突きつけると意気込む議員もいると耳にした。一方、「石破おろし」が長引けば長引くほど自民党のイメージがさらに悪くなり、石破首相の「粘り腰」につながるのではと懸念する議員も。「昔の自民党は『〇〇日抗争』なんてのもあったが、タイパ、コスパ重視の今の時代、石破おろしが長引いて、国民に響くのかな」(関係者)。それでも自民党にとって、苦難の夏はまだ続くことになる。
【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)
◆中山知子(なかやま・ともこ)
1992年に日本新党が結成され、自民党政権→非自民の細川連立政権へ最初の政権交代が起きたころから、永田町を中心に取材を始める。1人で各党や政治家を回り「ひとり政治部」とも。小泉純一郎首相の北朝鮮訪問に2度同行取材。文化社会部記者&デスク、日刊スポーツNEWSデジタル編集部デスクを経て、社会/地域情報部記者。福岡県出身。青学大卒。
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