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鈴ブロぐ ~勧善懲悪します~

以前…きゅうくつでしかなかった信州の山々が、今は神々しくさえ思える。この風景に感謝。

梅が咲いてます。上田城跡公園。

2019年02月15日 | お散歩
先週、つい足を伸ばして散歩しました。



児童遊園地に一か月も早いという「梅」です。



こぶりですが、なかなか。



全体のお姿も、厳しき冬に立ち向かってます。



この白い梅は「白加賀」という名前だそうです。



北陸の豊穣の地名ですね。

じっくり城跡公園を堪能…。



戦国無双粋ですなぁ。



この厳しい階段を登っている人の多いことに、びっくり。

みんな健脚〜とかんしんしてたら…

ぎくっっと、腰と脚が固まり…

その後、2日も会社休んだのでした
( ´ •̥  ̫ •̥ ` )

やっと来れた「玄蕃山公園」

2019年02月01日 | お散歩
上田市のお花見スポット!!と、知ってはいました。

ですが行く機会もなく、一度向かったけれどナビが

どうにも違う所を案内してくださって…迷う。

高速道路下の狭いトンネルを通り、着いた先はお墓行き止まり。

先日、やっ〜と辿り着きました。

まず「住吉北」の信号の、ちょっと先を入ります。



急な坂道、そして細い…。

こんなところでいいんかい?と登った先には。



わー上田市が一望出来る〜。



気持ちいい景色が広がっています。



こんないい所だけど、車なら運転上手くないと怖いようです。

ちなみに人の運転だから、行けました。



今度は、お花見の頃来たいです。

がんばってます、しなの鉄道田中駅。

2018年12月05日 | お散歩
昨晩の忘年会の帰り、上田駅からしなの鉄道に乗りました。

そういえば、12月1日〈土〉にしなの鉄道田中駅で全国の

田中さん募集イベントがあった記事読んだばかり。

明治21年12月1日、直江津線(上田駅〜軽井沢間)開業。

田中駅が営業開始。しなの鉄道130周年記念なのだそうです。

すごいもう、明治21年にあったとは!

記念のラッピング電車でした。

一番前車両に、東御市が誇る「巨ん太くん」



次には、上田市真田の「パパまるくん」



またまたお次は、坂城町「ねずこん」



千曲市キャラクター「あん姫」



キャラクター大集合車両でした。

わぁ面白かったと田中駅に降り立つと。



台湾の田中駅と同じ名前で垂れ幕が。



全国の田中さん募集の垂れ幕もありました。



鉄道の歴史も知ることが出来ました。

11時過ぎの田中駅構内は、とても静か。



駅員さんはいなくて、切符は箱に投入します。



ひっそりした駅前ですが、思わずがんばってるねと…

応援しています。( ˶˙º˙˶ )୨


浅間縄文ミュージアムへ行ってみた。

2018年12月02日 | お散歩
以前から気になっていた所があります。

長野県御代田町にある「浅間縄文ミュージアム」です。



町役場の道をはさんで、斜め隣にあります。



原始芸術の頂点「縄文」!

4500年前の縄文時代中期の焼町(やきまち)土器がありました。



観覧券は500円です。



ミュージアムのHPに紹介文がありました⬇️

【信州では、従来八ヶ岳の豊かな縄文文化が脚光を浴びてきた。

しかし、近年の相次ぐ調査によって、八ヶ岳山麓とは

異なった浅間縄文文化がそのベールを脱いだ】

確かに、茅野市の国宝「縄文のビーナス」は 超有名。

他の土偶が体の一部を破壊されているものが大半なのに、

この縄文のビーナスは、ほぼ完全な形で見つかったことも

珍しいそうなのです。



縄文時代の衣食住をテーマにしただけあって、学べます。

耳にはめ込む耳飾り、特徴的な紋様の服など…。

火焔型土器、水煙土器にも興味出てきました。

ただ…一番勉強になったことは、竪穴式住居とは言わない?

表記に「式」が無いので、変わる歴史かと思いきや…

調べると決定では、ない。う〜む。

御代田町には、心底お気に入りのお店があります。



「八ヶ倉」です。

亡くなった熊谷の友と 2回お食事しました。



この小道から入ります。



増築を繰り返した建物の傍を、小川が流れています。



トマトソースたっっぷり(∩˃o˂∩)♡



コーヒーとデザートが付いたランチが1080円。



数年前よりリーズナブル??

とても大満足の八ヶ倉でした。


一緒の人のパスタも、いい。









農民美術とこっぱ人形

2018年12月01日 | お散歩
森鷗外について調べていたら、上田に関わる事発見!



明治15年生まれの山本鼎、版画家・洋画家として活躍。

子ども達や地方の農民達一人ひとりが本来持ち合わせている

美的感性を引き出すために、児童自由画教育運動、

農民美術運動を始めた人です。

鼎の父一郎が、鷗外の父森静男の医院で修行を積んで、

1898年上田市大屋に、山本医院を開院したそうです。

しなの鉄道大屋駅に近い、国道18号線沿いの所です。

よく通っている、ここにあったとは。(今は何もなし)

山本医院の横には、日本農民美術研究所があったそう。



「大人の休日倶楽部」に木っ端人形が紹介されました。

ほっこりと無造作な手作り感あふれる人形の記事が人気。

ずいぶん訪ねてくる方が増えました。



私もぜひ見たいと「コゲラの里工房」にお邪魔しました。



農民美術の指導30年の徳武先生の工房です。



まず、これがいい!入院してお世話になった看護師さん。



太ってて可愛い(*¯ω¯*)



力作節目を流れに見立てた鮎。

上田の旧北国街道柳町に木のサインボードも作ってます。







お店に飾って販売もしていました。



とにかく素朴で愛おしい。




今も山本鼎の意思は継がれています。

サントミューゼで毎年、こっぱ人形を作りたいという生徒さんを

集めて教室が開かれているのです。



東京下町文学散歩②

2018年11月30日 | お散歩
文学散歩先を東京に決めた時から、行きたい所がありました。

3年前、北陸新幹線が金沢まで開業した秋に 訪ねた金沢三文豪。



生誕の地に建つ「室生犀星記念館」で知った「田端文士村」です。

明治22年、上野に東京美術学校が開校され、台地続きで便が

良かった田端に、芸術家たちが続々住むようになりました。

大正3年、当時帝国大学の学生だった芥川龍之介が転入。

大正5年には、田端の緑あふれる風景に魅了された犀星が

農家の離れに部屋を借り 移り住んだそうです。



【ふたりを中心に、菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎、土屋文明も

居を構え、大正から昭和初期にかけて田端は〈文士村〉となった】

文士村のチラシを手にした時から、訪ねてみたかった所でした。



田端駅より徒歩1分「田端文士村記念館」です。

芥川が住んでいた頃はなかった、切り通しが見えます。

記念館の入り口に「のらくろ」が。



「のらくろ」の作者 田河水泡は、疎開で上田市丸子に来たようです。



龍顔寺に「のらくろの部屋」があり、疎開当時の写真があるそう。

テレ東の池の水を抜くにも出演の龍顔寺。

まだ山門くぐってない…行かなくては…。

数十年前に来た時とかなりの様変わり、田端駅前。



開館20周年記念誌には、

【家屋は戦災で家屋はことごとく焼き尽くされ、

街を歩いても当時の様子をしのべるものは何もの

こっていません。また、文学館、博物館としていく

ための収蔵品も数は少なく、希少価値の高いものも

ほとんどありませでした】

確かに収蔵品や展示が少なく、少し拍子抜けの私たちは

オリジナル映像コーナーで「田端文士芸術家村」「室生犀星」

「芥川龍之介」各13分の映像を食い入るように観るのでした。

芥川が死ぬ数ヶ月前に撮られた映像…

スルスルと自宅の木に登って得意そうな顔を見てしている。

姉ヒサの嫁ぎ先で火災が発生。、家に火災保険がかけられて

いたことから、姉の夫西川豊に放火の容疑がかけられ

鉄道自殺、借金を残す。姉の一家を経済的に支えなければという

プレッシャーと残された借金後始末が重荷になっていた芥川。

色々悩んでるいただろうが、こんなおどけた時間も過ごせて

いたんだと、嬉しくホッとしました。

3日後、長野県の信毎新聞に「久米正雄」の記事特集が。

そこには【久米は映像を撮るのが趣味で、芥川が木に登った

映像が残されている】とあり、ビックリ⊙ ⊙

上田市出身の久米がこの映像をと…感慨深しです。




東京下町文学散歩①

2018年11月29日 | お散歩
明治の文豪といえば 森鷗外と夏目漱石。

漱石の小説は、文学科ゼミで何度か取り上げられ 学んで来ました。

しかし不思議と鷗外の小説は、いちども学習した事がありませんでした。

今、千駄木団子坂が文豪アルケミストで人気。

文芸作品に描かれた団子坂では、

◻️江戸川乱歩『D坂殺人事件』1924(大正13)年

【以前菊人形の名所だった所で】と始まります。

◻️二葉亭四迷「浮雲」 ◻️夏目漱石「三四郎」。

◻️正岡子規【自雷也も がまも枯れたり 団子坂 】

団子坂といえば菊人形と言われた 隆盛の歴史を詠んでいます。

◻️鷗外「青年」は、上京した青年が「東京方眼図」

という地図を見ながら歩く という内容。

【それぢゃあ、少し散歩してから、又来るよ】

アルケミスト「青年の散歩道」として、人気なのだそうです。

「東京方眼図」(明治44年)は鷗外立案のもの。

団子坂上に鷗外が一軒家を建てたのは明治25年。

自ら「観潮楼」と名付けています。

30才から没する60才まで暮らした 観潮楼2階書斎からは

品川の海が見渡せたそうで、この展望から火事があった記事を

展望と照らし合わせて確認し、方眼図を作成したようです。



上田社会教育大学はもうすぐ創立40周年を迎えます。

この20期は、文学散歩原点に行こうとの意見(無理やり誘導)で

東京団子坂を訪ねることに決定!です。



観潮楼跡には「文京区立森鷗外記念館」が建てられています。



陶器二三夫設計。ドイツの建物を彷彿させるように

レンガを貼ってわざわざ削った、手作りの風格を出しています。

秀悦なのは、MORI OgAI に+髭 のマークです。



1階がカフェ「モリキネ」とMUSEUMショップ。



ドイツ風のモリキネプレートを頂きました。

千駄木の人気店「コシヅカハム」のドライソーセージとコンビーフ。

ドイツパンの店「タンネ」のブレッツェル美味し!Ψ( 'ч'♡ ))



カフェから見える庭園には、ゆかりの大銀杏が今も葉を茂らせて。






地下が展示室、階段室がコンクリート打ちっぱなしで粋。



「出世を争う官僚」「論争する文学者」「闘う家長」



下調べ学習で、様々な事が今頃…解ってきました。

鷗外はただの神童、大エリートだけではない側面多々なのです。



観潮楼では、再婚したしげと母ミネの折り合いが悪く口もきかない。

敷地320坪 建坪101坪の大きな屋敷は、斜め半分で区切られ

父母、鷗外家族とそれぞれ分かれて、暮らしていたそうです。

ただ、鷗外はかなりの家族思い。

パッパと呼ばれ、どの子もよく散歩に連れていくし

勉強を教えたり、不忍池から亀をマントに隠して持って帰ったり。

家庭に向ける眼差し、ここが漱石との違いのようです。

松本清張の芥川賞受賞作『ある「小倉日記」伝』は、

小倉の小さな印刷所で見習いをしていた清張が、鷗外の小倉時代の

日記についての小説を書いたものです。

清張は【鷗外が漱石より はるかに大人です】と言い切っています。



正式な玄関口は団子坂でなく、藪坂に面していました。



近くには「汐見小学校」。別名「汐見坂」の地名が残っています。



交通手段は、地下鉄千駄木駅より徒歩で5分、都バスで徒歩1分。

乗り換えなど考慮し、都バスを利用しました。

散歩前日までの心配は交通、迷わず帰れてホッでした。
(´▽`)ホッ

上田市真田町の公園に慄く

2018年11月28日 | お散歩

上田市真田町の傍陽地区に、公園があると地元商店の方から聞きました。

「真田丸」でにぎわった真田の郷も、ずいぶんさみしく…

もう一度勉強のためにも、真田に行こうと出発。

国道144号線から入る時、迷ってしまう直売所「うえだ食彩館」に立ち寄り。



お隣には、まだ新しい「上野が丘公民館」があります。



以前の建物の時、毎月古文書講座に通っていました((▭-▭)✧)

伊勢山の信号から入って、砥石米山の入り口をみます。



見るだけです、無理しないです、登りません。



「なめんなよ」とあります…



やはり真田町に来たら、ここです(๑´∀`)σ



ラーメンともつ煮です。



駅も無いのに「駅前食堂」

昭和47年2月19日まで、真田→上田間を電車が走っていたそうです。

お店の方に「ずいぶん大きな切符だったんですね」

と聞いてたら、記念切符なのだそうです(恥)



本城跡に到着〜。



木のベンチにも六文銭!



山々が清々しいです。



ここから見回すと、砥石米山城の役目がよく分かります。

入り口が狭くて、見張りにぴったりな地形なのですね。



石舟地区の御堂も見学。

ここから傍陽の公園を目指しました。

これが…すごい山道です。

2キロぐらいの道のようですが、細い、狭し、崖。

途中には「熊注意⚠」の立て看板が。

(((n;‘Д‘))ηそうだここなら熊が出ても不思議じゃない。

引き返そうにも回れる所なし、汗💦かいて到着です。



マレットゴルフ場があるけど、こんな山のてっぺんに登る??



誰がこんな山まで来るんだ?すれ違い出来ないよー。



いつからあるのか不思議な公園でした。



苦労して上がっただけあって、景色は素晴らしい。



山並みがすっきりして綺麗です。



石が積んであり、ここも山城だったのでしょうか。

熊でビビリ…松ぼっくりが落ちた音で、ひゃーε٩( > <)۶з



逃げ帰るように後にした「傍陽ふるさと公園」でした。


小諸なる古城の紅葉

2018年11月18日 | お散歩
パソコンのハードディスクが壊れ、富士通から修理完了して届くも…

なぜかまた、動かない。

やっと落ち着いて、作業が出来るようになりました。

先週、日本100名城、日本さくら名所100選の

小諸城址「懐古園」の紅葉まつりに行って来ました。



この頃お気に入りの小諸駅隣の「停車場ガーデン」近くから

地下道をくぐって1765年に再建された「三の門」へ。

正面に徳川家達の理筆「懐古園」の大額がありました。







とっても古い建物…徴古館にあった100名城スタンプ。

真ん中が鮮明でないスタンプで残念です。

しかし安い!動物園も見れて300円なのです。

とても紅葉が綺麗🍁でした。





小諸といえば、私はやはり島崎藤村。

【小諸なる古城のほとり

雲白く遊子かなしむ】

旅人が小諸にある古城のあたりにただずみ、白い雲を見上ていると

たびの愁いが一層つのり悲しみが増すのである。



詩碑の先「水の手展望台」からは、とうとうとながれる千曲川が一望できます。



今回楽しみにしていたのが、ペンギンのお散歩。





歩いてます、風に負けて止まってる子もいます。





飼育員さんが柔らかい風情の方で、エサあげて良いですよ

と勧めてくださいます。



ほのぼのタイムか過ごせます。

フンボルトペンギン可愛かった。(•ө•)♡



祝日あれこれ

2018年09月17日 | お散歩
本日は「敬老の日」祝日です。

以前は、旗日などと言う言葉も(昭和のみ?)ありました。



これです、これ。

各家々で 必ず国旗を立てて、いましたねー

岩手の実家も、祝日は旗を立てることから始まりました。


少しでも遅くなると…

おじいさんが真っ赤になって怒ってました。

連休の昨日、上田城跡公園は大賑わい。



流鏑馬の行われた日です。

結構な迫力ありと好評でした。

来週、上田城跡公園のイベントは



右下の力強い叩き手。



上田のおもてなし武将隊⁉︎



観光に 最適な季節が 到来〜です。

ゆるキャラ「パパ丸」くんも応援求めてました。



今、LINEマンガ「真田太平記」読んでます。

小説より面白いです。


がんばれ〜湯の丸高原

2018年09月15日 | お散歩
先週、フードファイター木下ゆうかさんが食事した

東御市「アトリエ・ド・フロマージュ」

ちょうど1年ぶりに立ち寄りました。







県外ナンバーの車が多く、さながら東御の軽井沢です。

この先に東御だけで話題の?高地トレーニングがあります。

東御嬬恋線には、祢津の新張(1番)から約12キロの間に

百体の観音様が祀られています。









峠越えの険しい山道「湯道」を観音様をおがみながら、

そのお力にすがり、さらにお湯に入って体を丈夫にしようと

作られたものだそうです。

しかも1町ごとに置いてあるので「道しるべ」にも。

こんなに素晴らしいのに…盗んで無くなっているものも…。

信心は無いのかい〜とびっくりです。

そんな立派な湯の丸高原は…お店が寂しい😞



それでもソフトクリームの店が2店。



地元名産 巨峰とブルーベリーのミックスです。



中央分水嶺にある「ロッジ花紋」さんでいただきました。

うぅ〜〜ん。もう少し頑張れと小声で言いたい。



全天候型400メートルトラックが出来て、合宿の予約も

かなり入ってる情報ですが…

食べる処や、もう少し楽しめる所が欲しいです。

がんばれ〜いいものはあるんだから!と応援です。

やはり身ぶるい…文殊堂

2018年09月13日 | お散歩
前回来た時に、ここにはもう来る事は無いと踏んだ文殊堂。

独鈷山の宮沢口のひまわり観に来て、鹿教湯温泉♨️に

寄らないわけにはと考えなおして、寄りました。



鹿教湯交流センターの足湯で、ほっっ〜

宮沢口のひまわり畑を歩き回ったので沁みます。



今が見頃でした。



名作『ひまわり』のソフイアが思い浮かびます。

鹿教湯の古い建物を観て回ってたら、つい文殊堂付近に。



もう川に向かうだけで…ぞくっ〜



この川に引き寄せられる、覗きたくないのに…

ここまで来たからには、お参りせんといかんと

「頭クリアお願いします」と祈る。

もう気が溜まった、何かがいるぞぞ〜〜

なのに、一緒に行った人がトイレに入ってしまったのです。

途端に一人…ここ…絶対怖い、恐い…。

このただならぬ空間だけでも耐え難いのに、

そう言えば、ここクマが出たんだった。

熊ですよー。急に霧が立ち昇ったような…

さっさか、一直線に戻りました。


帰って、借りたままの本読みだす。

長野県出身の「内藤了」シリーズ3作目です。



また、また怖いよー




「サマーウォーズ」の里 信州上田観光会館

2018年07月30日 | お散歩
夏と言えば、信州上田は「サマーウォーズ」
(一部のみ…)

7月28日に「第47回上田わっしょい」で盛り上がって

30日の日曜日午前10時上田映劇で「サマーウォーズ」無料上映会!

…の、流れが、、台風接近の為…中止‼️

上田の夏ガンガン踊ろうが、残念な結果になりました。

東御市は、前日早々に「雷電まつり」の中止発表。

逆に潔いなぁ〜と感心しました。

上田観光会館は8月31日まで、



「サマーウォーズ」です。



大きなマップもありました。



細田守監督の最新作「未来のミライ」予告もたくさんあり。

果たして、この作品が面白いのかはともかく…

私的には、「ペンギンハイウエイ」が観たいかなぁです。

小型ポンプ操法訓練の映像見ました。

2018年07月27日 | お散歩

先日の会議で、地元消防団の大切さや大変さを、やっと認識。

でも、どんな訓練をするものなのか⁇ 分かりません。

やっぱり火事を想定したものか?ポンプねぇ〜見たいわ

と思った2日後、地元UCV(上田ケーブルビジョン)テレビ

「とうみチャンネル」に小型ポンプ操法訓練が放送されたのです。

「指」「1」「2」のゼッケンを付け、ビシッと敬礼、くるりとターン、

力一杯走り、ポンプにつなげる。全てキビキビ❗️

なんと❗️これは、自衛隊ですか?とビックリでした。

えっ、一般人ですよね、消防署でなく消防団。

これだけ整えるためには、何回も練習重ねないと出来ない。

「大会頑張って来ます」とも、言っていました。

こんなにすごいことだとは…「一見は百聞に如かず」です。

また2日後、日曜日の帰り、上田市役所前は人だかり。



消防のポンプ車も何台か駐車場にいます。



上田市は「小型ポンプ操法」の大会でいつも活躍。

上小大会を勝ち抜いた、上田第16分団が長野県大会で優勝。

上田市選抜チームのラッパ吹奏も2位になり、その報告会が行われていたのです。



テレビであれだけピシッ!と見えた東御市のチームが 残念な結果。

優勝の上田市16分団は、どれだけの訓練を重ねたのでしょう。

普通の会社員の人も多いでしょうに…早朝練習とか…。

地域を守る崇高な精神は、とても素晴らしく頭が下がります、が…。

市民会議で聞いた、消防団に入る人が減った原因。

少し実感した 出来事でした。

(*´ω`*)







東御市民会議で知ったこと。

2018年07月26日 | お散歩
7月18日(水)第2回総合計画推進市民会議がありました。

今期の市民会議は【提言と評価だけでなく、行政と手を組み、

提言を具体化の方向に持ってゆく】との案内文があり。

正直…期待しておりました、、が…。

平成29年度の施策内部評価の低い項目について、各課長の説明があり、

その次に…まさかの「アイスブレイク」⁉️

【アイスブレイク」の目的とは(wikipediaより)

見知らぬ者同士の集団に投げ込まれたとき、人の心と体は

「アイス(氷)」のように 張りつめて凍てついた状態になっている。

その「アイス」を「ブレイクする(打ち破る)」こと。

問題点を広く浅く湧出するためらしいのですが。

今さら⁉の感…多々。

そんな中、産業経済部門のテーマとは違うのではの声が上がった

「安心安全に暮らせるまちづくり」のテーマに、

地元の消防団に入っている委員が、訴えました。

「東御市の消防団員は年々減り続け、分団も統合されて来ている。

この原因は‼️



4・5・6月に毎週のように行われるポンプ操法訓練、ラッパ合奏。

何よりも飲み会の強制!と声を高めます。



地元の守り人である消防団。

ありがたいことだなぁ、と感謝していました。

しかしそんな大変なことだったとは…知りませんでした。

市民会議会長が「ポンプ操法とラッパの訓練は、おらっちの時から始まっただよ。

今は、会員少なくなるばっかりだから、若者だけでなく

中高年、老年の消防団も考えているだ」と話しました。

そうですよ、昔とったきねづかパワーです。

自分の町村は自分たちで守る志…素晴らしいです。

(*´꒳`*)