
手のひらにすっぽり収まるサイズで和綴じ。
表紙の題字は「史的二上田」巻数は墨で手書きです。
なんと∑(๑º口º๑)!! この本30巻まであるのです。

21年間の集大成、この豆本の編集長はM田さん。
上田市本町の歴史女傑さんです。
昨日、記念誌作成のための写真を借りに訪ねました。

31巻目は目録、実に様々な内容です。
久々に目を通して…私、頭がさがりました。

私のもっているのは、これだけ。

今さらながら、本づくり情熱の根気に脱帽です。
(´>△<`)...
先日の(2018.6.15)文学ゼミは、革新でした
現在「加舎白雄顕彰保存会」の会長として、上田地域の俳諧文化を
発展させることに、日々がんばっていらっしゃる
「窪田英治」先生の「一茶の生涯」の講義でした。
2015年俳句の最高賞「前山賞」を受賞した時の言葉が
「俳人と言わず俳句作家と名乗ることで、自分自身を追い込み活動してきた。
同人以外にも視野を広げ、俳句愛好者の発展に貢献したい」と語っています。
プロフィールがまた…納得…
【上田千曲高建築科卒。建築の企業に就職したが、文学への情熱は断ちがたく、
働きながら、夜間大学の文学部で学んだ。
24才で高校教師になり、35才で俳句を始めた。】
人の気を外らせない、力強い講義に90分があっという間でした。
以前、田辺聖子の『ひねくれ一茶』を熟読。
流れるような人間一茶のものがたり展開に魅せられ、3回は読み返しました。
この講義で驚いたことが、上田藩士の二男(じなん)「加舎白雄」の評価です。
上田城跡公園正面左手に、白雄の碑があります。
「ひと恋し 火とぼしころを 桜ちる」
「飛登恋し 火東本し故呂を 桜地流」
江戸時代「天明中興の五傑の一人」だった加舎白雄です。
なのに…なぜ?白雄はこんなにも 世に知られていないのか?
窪田先生が、こぼすように語ります。
方法論として「正岡子規」が否定した為、なのだそうです。
調べてみると、矢島渚男『白雄の秀句』講談社文芸文庫に
【白雄は不当に閑却されてきた俳人】
【評価は、多くの認識力に欠ける俳諧史家たちに決定的に作用し、
ほとんど無批判に盲従するという結果をもたらしたのであった】
と、正岡子規に続き高浜虚子も、白雄に対し否定的評価をしたとあります。
確かに!知りませんでした。上田市に住むまでは…。
いえ…この頃です、しっかり覚えてきたのは。
窪田先生は、加舎白雄顕彰保存会は、地域の人たちに白雄の存在を
よく知っていただく為に、地道な努力を続けていますと、熱弁
白雄の指導によって今まで低迷を続いていた信州の俳壇は大きく転換。
白雄の実生活を支えたのは東北信の門人たち。
当地の地方にあって、俳諧は単なる趣味の枠を、越え
初等学問としての重要な一面があったそうです。
勉強になりました〜
(о´∀`о)
1948年、作家太宰治は玉川上水に身を投げて亡くなりました。
没後70年太宰治をしのぶ「桜桃忌」が三鷹市禅林寺であり、
早朝から多くのファンが集った、というネットニュースを見ました。
何十年か前、禅林寺「桜桃忌」に行ったことがあります。
親友を無理やり誘って、迷いながらたどりつきました。
太宰のお墓の前には「森林太郎」「森鴎外」のお墓が有ります。
参加人数、30人〜ぐらいだったでしょうか?
酒一升瓶をわめいて、太宰の墓石で叩き割った人がいました。
酔っ払いです。片付けもせずに、立ち去りました(おバカ)。
この時ごろの太宰ファンは、自分が一番太宰を解っていると思っている
カンチガイタイプが多かったようです。
自分も含めてですが。
禅林寺で法要があり、お金も無い貧乏学生なのに参加しました。
急遽の申し込みで席がなく、なぜか重要そうなお席に案内されます。
なんと私達の前には「森茉莉」が座っていました。
下を向く私達に、優しく話しかけてくれたのは忘れられません。
一緒に行った友達は…亡くなりました。
太宰が玉川上水で発見された日は、奇しくも39才の誕生日。
「桜桃忌」の名は、同郷今官一が付けたそうです。
亡くなる前月の短編「桜桃」と太宰の好物サクランボにちなんだ名です。
晩年の延べ7年強を三鷹で暮らした太宰。
東京都知事で評判を落とした猪瀬直樹ですが、太宰の本、好きです。
まるで映画を観ているように、太宰治の生き方が描かれてます。
山岸外史の太宰本も身近な太宰が書かれていました。
何十年前の資料は捨てられません。
高校時代の夏休み『螢雪時代』の特集太宰治『津軽』でとらわれました。
未だ、金木の『斜陽館』に行っていません。
高校の頃の憧れを実現しなくては!
一緒に行ってくれる友達は亡くなって…淋しい限りですが…。
\(//∇//)\
お散歩ばかりアップしていると、観光協会の回し者 パンフレット読めば
いいし状態に なりつつあることを自覚。
本日は、さっさと取り掛かればいいのに…まだ3日ある、2日あると逃げていた締切。
6月15日まで出さなければなのに、本当~にギリギリになってしまった…
月報「近頃読んだ本」の原稿を紹介します。
ただ素直に、『弧宿の人』
幼い子に対する親のむごい仕打ちのニュースを聞くたびに、心が痛くなる。
誰かの悪意で生きる事がつらく、すべての希望が無くなってしまう。
人生に楽しみというものが有ることさえ気付かず、存在すら否定される。
弧宿―この時代小説は親に見捨てられ、常に大人の思惑に翻弄される、
少し頭が鈍い「ほう」が主人公だ。
ほうは阿呆の「呆」、いつも理不尽な扱いを受ける。
うさぎが跳ねる海を持つ四国の小藩・丸海藩(架空)を舞台に、
幕府と藩の陰謀や我執、それに惑わされる領民のいたずらな恐怖、
欲や憎しみが各章ごとに交差し描かれる。
時代小説では、宇江佐真理の髪結い伊三次シリーズを親戚のおばちゃん
の眼で見守り、親愛している私。
様々なジャンルをそつなく書きこなし、時間を忘れ熱中する小説も多い宮部みゆき
なのだが、時代小説は奇譚・怪奇に逃げているようで今一つのめり込めなかった。
しかしこの作は違う。
特に下巻の「ほう」に泣かされた。
この小説を作者は「一番苦労した作品、何回も連載をやめさせてくださいと言って
しまった」と語っている。
BS放送「深読み読書会」の番組で『弧宿の人』が取り上げられた。
評論家達は天災小説、反家族小説、新しく家族をつくる小説、失われた家族の構築の物語、
家族をつくれという作者のメッセージであると語っていた。
そうなのだろうか、私はほうの「成長小説」だと読んだ。
鬼だ悪霊だと怖れられる加賀様が、やむなく殺されるほうを救う。
ほうの挨拶口上を申し上げることから加賀様の教えが始まる。
五日目で間違、狼狽なく喋れたほうに次は意味を聞く。
「段取りは全てのものにある。段取りを覚えたおまえは哀れで愚かな下女ではない」
筆の持ち方から字を学び書を習うほう。「もう何処へ行くのか知っている」
加賀様は「方」の名前を付ける。
近年とみに事務処理能力、記憶力衰退になげく私にほうの一歩一歩が、
知識を得ていく姿が嬉しい。
ほうの無心と無垢にじわじわと感情移入する。
物語は勧善懲悪、太陽のような琴絵様を殺した、悪意で我を通しものには
見返りの罰。それぞれが蠢き絡み、竜巻き如く昇りつめ火事混乱が起こる。
丸海の民は恐怖で逃げ惑う、救ったのは涸滝加賀様、雷獣と戦い神と祀られる。
終盤に加賀様から託されたほうの命名が明かされる「宝」。
この世の大切なもの尊いものである。
近頃は、読む本がかなり減少しました。
「ラインマンガ」をすごく見ているからです。
似通った絵柄と心に残らないストーリーのなか、たま~に名作があります。
読む、読む かなりの読み込み度なので、時間足りません。
東御市図書館通えていない、、、です。