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ヤルタ密約・・・そして北方領土は不法占拠された!

2016-12-14 13:05:32 | 日記
 ヤルタ密約に疑念 英秘密文書で判明 ロシアの北方四島不法占拠が濃厚に

「北方四島は第二次大戦の結果、ロシア領になった」。

 ロシアが領有権を主張する最大の根拠である「ヤルタ密約」(ヤルタ協定のうち極東密約)を交わした3カ国のうち、ソ連(当時)の領土占有に法的根拠がないとの立場を1950年代に鮮明にした米国に続き、英国が密約の有効性に疑念を示したことが英外交公電で明らかになり、ロシアによる「不法占拠」が一層色濃く浮かび上がった。(ロンドン 岡部伸)
 ヤルタ密約は、連合国首脳が交わした軍事協定にすぎず、条約ではなく国際法としての根拠を持っていない。当事国が関与しない領土の移転は無効という国際法にも違反している。日本政府は「当時の連合国の首脳間で戦後の処理方針を述べたもので、領土問題の最終処理を決定したものではなく、当事国として参加していない日本は拘束されない」(平成18年2月8日、国会答弁)との立場だ。
 米国は戦後、日本の立場を支持し、ソ連の法的根拠を認めない姿勢を示してきた。米上院は1951年にサンフランシスコ講和条約を批准承認する際、ソ連に有利となるヤルタ密約の項目を「含めない」との決議をし、アイゼンハワー政権も56年に「無効」を発表。2005年には当時のブッシュ大統領がラトビアのリガで「ヤルタ会談は史上最大の過ちの一つ」と批判した。
ところが、ロシアはソ連時代からヤルタ密約を最大の根拠に領有権主張を繰り返し、日本の外務省は「ソ連政府は『ヤルタ協定』により、択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島を含むクリール諸島のソ連への引き渡しの法的確認が得られたとの立場を取ってきた」(同国会答弁)と説明してきた。
 露外務省は11年2月、北方領土に対するロシアの主権は「合法」であるとの声明を発表。その根拠を「第二次大戦の結果」とし、ヤルタ協定▽ポツダム宣言▽サンフランシスコ講和条約▽国連憲章107条(旧敵国条項)-で認証されたと強調した。
 プーチン大統領は15年9月の国連総会で「ヤルタ合意こそ世界に平和をもたらした」と語り、戦後の国際秩序の出発点と評価した。
 もう一つの当事国である英国は密約が米ソ主導で結ばれたこともあり、立場を明らかにしてこなかった。日本の外務省は英国の立場について、平成18年2月の国会答弁で「わが国の認識を否定するものではない」とのみ答えていた。
 ヤルタ密約に署名した3カ国のうち、ソ連以外の米英両国が「(密約は)法的な根拠に乏しく拘束力を持たない」との立場を取るとなると、密約を根拠に北方四島の領有を主張するロシアの正当性が一層薄れることになる。

日本の戦争 何が真実なのか』

2016-12-04 12:49:01 | 日記
 ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

 田中英道『日本の戦争 何が真実なのか』(育鵬社)

在日・反日勢力は、占領軍に協力し利権を得た敗戦利得者であった。

 ネット環境ができて、ネット住人はその事実を知った。

 つまり戦後の論壇を壟断していたのは、言論界・メディアを支配してきた在日・反日勢力、つまり『考えない草』たち、似非知識人だった。

ーー

 在日・反日勢力は自由主義者(リベラル、左翼)に成りすまし、日本の伝統や文化、男女差までも攻撃対象にしてきた。

 つまり、彼らは、日本や日本人に対して悪意を隠し持った、学者、政治家、報道記者(ジャーナリスト)だったのだ。

こうして、日本の知的空間は絶望的ともいえるほどに荒廃した。

ーー

歴史学会の知の荒廃も凄まじい。

自称史家、作家が日本の歴史を、悪意を持ってひたすら貶(けな)し続けたのだ。

ーー

 しかし先人が書き残した記録を謙虚に読めば在日・反日勢力が宣伝していた「歴史」とは別の史実が見えてくる。

 日本は神武以来、一度も外国を侵略してはいないのだ。秀吉の朝鮮征伐も、台湾への出兵も史実を丹念に読めば、侵略ではない。

 朝鮮合邦は朝鮮人の要望を渋々受け入れた結果であり、満州の建国は五族共栄の理念によった。

 大東亜戦争は米欧に仕掛けられて、致し方なく、立ち上がったことが読み取れる。

ーー

 戦争の真実はどこにあるのか?

 田中氏は古代から近・現代までの日本の対外戦争史を辿ってる。

それは、これまで、在日・反日勢力が、主張してきた侵略を謬説だと退けるものである。

 これまでの日本の対外戦争は、徹頭徹尾、防衛的なものであった。

 日本は『専守防衛』に徹していた。それを記録を用いて描き尽くしている。

ーー

白村江から「刀伊の入寇」。

(刀伊の入寇(といのにゅうこう)は、寛仁3(1019)年に、女真族(高麗人は女真を刀伊と呼称した)を主体にした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件)

そして元寇、秀吉の朝鮮征伐。

 薩英戦争、下関戦争は英国の侵略に対して立ち上がり、事実上は日本の勝ちであった。

なぜ教科書では負けたことになっているのか?

ーー

 日清・日露は「嘘つき」の司馬遼太郎でも防衛戦争であることを認めざるをえなかった。第一次大戦は日英同盟の結果であり、第二次世界大戦は欧米の理不尽な侵略にやむにやまれずたちあがったものだった。

 その精神はとても崇高なものであったと、著者は書いている。



 「キリスト教を布教され、植民地化されるひどい状況に置かれるということを(宣教師の言い分や遣り方をみていて)信長も秀吉もよく知っていた」キリシタンバテレンにそまった大友藩などでは神社仏閣を破壊し、異教徒の女性を拉致して外国へ売った。バテレンたちは、やがて侵略に備える下準備、その工作のために派遣されてきたスパイでもあった。

 信長も秀吉も、そうした認識が出来ていた。

ーー

したがって朝鮮をたすけるために進出しても、

「侵略をしないというのは『刀伊の入寇』、『元寇』の後の日本の動きからも明らかである。

賠償を求めたり、土地を奪ったり、攻めて支配するということは一切しなかった。

対馬から向うへ追い返したら、それ以上は何もしなかったのである。

西洋人が戦争に勝ったときのように、相手に対して多額の賠償を要求し、さらに占領して搾取しようとするこというはなかった。

植民地化し、略奪・収奪して利益を得るといった西洋の方法はとらなかったのである。

こうした日本人の態度は、西洋的な侵略とは異なる態度だ」

ーー

 第一次大戦中、マルタに送られた日本軍は日英同盟によって艦船の護衛に当たった。

 ドイツのUボートの潜水艦攻撃を受け、59名の日本軍人が犠牲となった。その慰霊碑はマルタの英国海軍墓地の中央部にある。日英同盟の結果、介入せざるを得なかったからだ。

ーー

 ドイツが濡れ手に粟で占領していた山東半島から南太平洋の島々を、日本軍はつぎつぎと落としていった。

「アジアにおけるドイツの権益を合法的に奪った。これを単なる漁夫の利だという人もいるが、日清・日露戦争を利用してドイツがアジア周辺で占領していったものを日本が粉砕した」のである。

ーー

 読了後の精神作用は爽快そのもの。

 漠然と抱いてきた日本人の直感、その信念を、『嗚呼、やはりそうだったんだ』と、より強固にさせる読み物となった。