止まらず一歩

何かをさがして
舞台を増やしたり変えたりしながら
それを残していこうと思います

ヤマモモの効

2011-06-25 16:20:55 | Weblog
  ヤマモモの実が色づきだした。
  球形で暗赤色の実は甘酸っぱい。 美味くはないが、木に行き当たるつど誰かに
  誘われて手を出しているうち、今日も10粒くらいは口に入れた。
  「体にいいというから、去年ヤマモモ酒を作ったよ」  という人がいた。
     ヤマモモ適当量(500g~1Kg)に焼酎1.8リットル。 好みにより砂糖を入れ、
     三ヶ月くらい寝かせると、滋養強壮、冷え性、胃弱にいいらしい。
  場所を移って、また手を出そうとすると
  「それはダメ。春先に消毒していた」
  別の一人がすかさず
  「一歩さんには、その方が効き目がありそうだけどね」
  「 ・ ・ ・ 」
  歩いていると、公園や街路にヤマモモの木はたくさんある。

93の年輪

2011-06-23 09:47:19 | Weblog
  岩手のバアチャンから
  玉葱、ニンニクなど畑で育った作物が届いた。
  梅雨の前は日照りが続き、ジョウロで運ぶ水やりも大変だったという
  「手伝おうか」 と声をかけるが
  滅多に人の手を借りない。畑はバアチャンの聖域なのだ。
  そんな元気なバアチャンも、この間白内障の手術をした
  93才にして久しぶりに病院の厄介になった。
  どう?
  「よく見えすぎて」
  ゲートボールも前より楽しくなったというが
  「おらぁ、こんな顔だったべか」
  鏡に映る皺の深さを気にするようになった。

                <写真=ぐみ>
                 塀ごしのグミの実がなつかしく
                 ついつい手が伸びてしまいました。

蚊蚊蚊 ・ ・ ・

2011-06-21 17:17:17 | Weblog
  今朝の広場は、重い空気が立ちこめ、蚊の羽音がそこにある。
  やがて、 「ピシャッ」 「パチン」 叩く音が聞こえる。
  虫除けスプレーを忘れたこの日、O型の私は絶好のターゲットなって
  体操もなにもあったものではなかった。
  いったい、蚊はどこからきたんだろう
         ある男が鬼を退治したあと、祟られないように焼いた。
         そのとき、つむじ風が吹いて
         灰が飛び、これが蚊になり人に祟って血を吸うようになった。
         日本では、鬼を焼いた灰から蚊が生まれた話が多い。
  
  魚がボウフラを餌にし、トンボやクモが蚊を捕食しているから
  全く無益ともいえない
  生き残った分がその辺にいて人を噛むものだから
  虫除けグッズ・蚊取り線香・蚊帳・痒み止めなどが登場した。
  もし蚊がいなかったら、これを造っている会社は上がったりになる。
         中国には "蚊の目玉スープ" という料理があってかなりの珍味
         だという。
         「一匹ずつ捕まえて目を~」 そんなことはしてない
         蚊を常食にするコウモリが洞窟をねぐらにしているので、
         そこから糞を集める。
         蚊の目玉は未消化のまま糞の中にあるので、
         糞を濾して目玉を集めスープにするのだそうだ。
  嫌われものの蚊でも、何かのためになっている。
  地球規模でみたとき
  「人は何かのためになっているのか」 と問われる方が深刻だ。

         <写真=今日は万博で田植えをしてきました>


滝道の石子詰

2011-06-20 10:56:14 | Weblog
 6/19 雨が上がったので、万歩計のカウントかせぎに箕面にでかけた。
  何十回も行き来しながら、気にとめずやり過ごしてきたものは多い。
  滝道から三国峠の上り口にある道標もその一つだった
  「石子詰って ・ ・ ・ ?」
  ガイドに訊ねたのは、前々回のオープンハイキングのときだった。
  説明によれば、血を見ることを嫌った寺が行った私刑で、
 箕面川の川原に穴を掘り、首から上を地上に出し周囲に石を詰めたという。
 ほとんど圧死するが、稀に生き抜き水嵩が適当に増えて石を流し助かること
 があるのだという。
  しかし、
 ここで石子詰が行われた記録もないことから、大きな石が多かったこの辺を
 特徴づけるための呼び方であったという説もある。
 前に聞いたことがあるヨソの石子詰とは少し違うと思いながら歩いた。
      <奈良の石子詰伝説>
      五代将軍・徳川綱吉のころ、奈良では鹿が神鹿として人より大切に
      されていた。
      興福寺の菩提院大御堂の横にあった寺子屋では
      寺の和尚が子供たちに読み書きを教えていた。
      13才の三作(みのさく)はその中の一人だった。
      ある日、三作が習字をしていると
      一頭の鹿が現れて草紙をくわえて行こうとした。
      三作が「コラッ」と叫んで文鎮を投げたところ、当たり所が悪く鹿は
      その場に倒れ死んでしまった。
      奈良の鹿は、神の使いとされていたので 「鹿を殺せば石子詰」 
      といい、死んだ鹿と一緒に生き埋めにされることになっていた。
      三作も、この罪から逃れられず、大御堂の前の庭に大きな穴が掘ら
      れ、鹿と抱き合わせにして石を詰め込まれ生き埋めにされた。
      寺では、三作を供養するため、明け七つ(午前四時)と暮れ六つ(午
      後六時)に鐘をならした。 合わせて十三は三作の年齢にちなんでの
      ことであった。
 箕面の山はまだまだ深い

      富士の山んばさんに
      モリアオガエルは、池などの溜まり水の上に突き出した木の枝に卵
      を産みつけます。
      箕面川の流れは早く、才ケ原池にはブラックバスなどが沢山いて、
      どちらもカエルが育つ環境ではないようです。

生活保護打ち切りは当然

2011-06-18 12:32:53 | Weblog
  震災や原発事故で家や職場を失った人が、着の身着のままで避難所暮ら
 しを続けている今、
 そこにいる生活保護者の扱いが問題になっている。
      もらった補償金や義援金が資産になり、住宅の家賃も浮いている
      ことから最低生活を上回ると判断して生活保護費の支給を打ち切
      った自治体がある。
  テレビを視ていると、
 コメンテーターたちが物知り顔で自治体の決定を批判し
 国会では、公明党の議員が税法論を持ち出し「補償金や義援金は所得では
 ないから、生活保護打ち切りの対象にすべきでない」と厚労大臣に迫った。
  だけど
 ここにいる「生活保護者」と「そうでない人」との違いはなんだろう
 生活保護者が資産をもてないのに対し
 農業者や酪農家には不動産という資産があった。
 しかし、海水に浸かり、あるいは放射能が降り注いだ土地の評価は無価値
 に等しく、そこから収入を得ていた人は本業も奪われ、借金だけが残った勘
 定で生活保護者より悲惨である。 勤め先がなくなったサラリーマンも似た
 ようなもので、手元には補償金や義援金しかない。
  法の下の平等から「被災地に生活保護の適用を広げよ」というなら、まだ理
 解できるが、かっての受給者だけをとらえて 「生活保護費の給付は続ける
 べきだ」 というからおかしな人たちだ。
     
     この間から、わが家ではいろんな料金の負担が起きている
     国民健康保険、介護保険、地方税、固定資産税、その前に払った所
     得税を合わせると60万円近くになる。年金からこの分を引いたら
     月あたり20万円しか残らない。
      一方、生活保護費は高齢夫婦所帯で121,940円に住宅扶助が
     55,000円まで加算される。 国民健康保険も税もなくNHK受信料の負
     担も免除されている。病院に掛かっても負担はないし、死んだら葬式
     も出してもらえる。
     この対象者がついに200万人を超えた。
 日ごろから、頭にきているところへ、この問題だ。
 公明党、お前もか!

田植え

2011-06-17 12:57:15 | Weblog
  農家に生まれ、子供のころから家の仕事を見て育った。
  学校に上がるようになってからは「田植え休み」と「稲刈り休み」があって
 小学も高学年になると役に立ちたいと思うようになるのだが
 兄や姉たちに比べ不器用に生まれつき
 (私は)家の役には立っていなかった。
 それでも、使い走りの合間には見よう見真似で土を触ってきたから、町の子
 よりは農家の仕事を知っている。
     あれから50年くらい経って
     万博の田んぼに、遅い田植え時期を迎えた。
     農業体験として、子供の応募を受け入れたり障害者の自立支援にも
     協力している。
     細いロープには30センチ間隔で赤いテープが巻かれている。
     足元のロープを前にして横一列にお客さん(体験者)が並び、合図と
     ともに苗を植える。
     「苗の一番下のところに、人差し指と中指を添えて親指で反対側を支
      え、赤いテープの手前に差し込んでください」 何度も手本を見せた。
     私たちは、お客さんの後ろに立ち、苗の束から3~4本づつを取って
     お客さんに手渡す。植わり状態の悪いものも直してやる。

  昔は、田仕事が好きではなかったが、
  今は、アルバムを振り返るように懐かしく
  足にからむ泥さえも心地よい ・ ・ ・ 
  苗が一直線にならずウロウロしている。

犬死を恐れる菅

2011-06-15 13:29:08 | Weblog
  昨日、菅直人が側近に
  「俺は、犬死はしない」 と漏らした。
  誰かが聞いたら
  「国難の解決に一定の道筋をつけるまで辞めない。と言う意味だ」 と答え
 るだろうが
 そんな言い逃れは聞き飽きたので、違う犬死を探すと
  「生きている犬は、死んだ獅子に勝る」 という言葉を見つけた。 
      生きていれば犬 (大して価値のないもの) でも、獅子より価値は
      あるけど、死んだ犬は、元々大した価値が無いのだから全く無価値
      だ ・ ・ ・ という意味らしい。
  ひょっとして菅さんの心裡には、辞めたあと(犬の死に方になぞらえ)人々か
 ら見捨てられ廃れていく自分の様を恐れているのではなかろうか
  そう思って見れば、あの人の表情から作り笑いが消え、嘘つきのオドオドし
 た暗さが目立つようになった。
  市川房枝を踏み台にし(2011,01,05)政治の世界に入り、自分を首相にして
 くれた鳩山・小沢も裏切っている。
  それはまだいい
  日本人拉致の主犯だった辛光洙(しんがんす)やその共犯者、そして北朝
 鮮スパイの釈放を求める要望書に署名し、平成11年に成立した国旗国歌法
 には反対してきた。
 そのことを衆院代表質問で問われると
  「国歌は、もう少し元気があってもいいと思っている」 と答えている。
        
        ミッキー安川氏が在世中のRF持ち番組に、午前零時になると起
        立して国歌斉唱するものがあった。
        この番組に出演した佐藤優氏はミッキー安川氏から次のような話
        を聞いている。
        「菅さんに、この番組に来てもらったんだが『君が代』は歌いたく
        ない。と言うんだ」
        結局、菅は起立したものの斉唱には加わらなかったという。
        心底”君が代”を嫌っていた。と伝えている。
  辛光洙の釈放署名に加わり、国歌は歌わない。
  こんな、日本嫌いな政治家を総理大臣の椅子に座らせている民主党や国会
 が国民から信頼されるわけがない。
  裏切る者は裏切られる。
  この間まで、菅のよき理解者だった黄門様や影の総理といわれた重鎮たち
 も最近は菅に背を向けはじめた。

                <モリアオガエル>白い泡の中に卵が生みつけら
                         れています

箕面の愛宕

2011-06-13 13:05:11 | Weblog
  6/12 朝から雲に覆われた空は、午後から雨に変わるとの予報だった。
  それでも箕面の駅前には50人くらいが集まっていた。
  待っていたように
  「ねえねえ、こないだ聞いたブログがみつからないのよ」 ヤマガ(ール)の
  オバチャンに捕まった。
  「なんで検索した」
  「<休まず一歩>と紙に書いてくれたじゃない」
  「ん ・ ・ ・?」 このごろ自分を信じられなくなってきた。

  この日、箕面オープンハイキングは
 才ケ原池から如意谷愛宕に寄って白鳥に帰る7Kmコース。
  ルミナスの北から如意谷を越えたあたりか、
 ボランティアの代表が 「愛宕の祠」 のいわれを説明してくれた。
     昔から箕面の村々の代表者は、愛宕講という講を組んで京都の愛宕
    山にお参りして、「阿多古社祀符火廼要慎」と書かれたお札を授かり、
    村の祠に納めた。祠は今も13箇所残っている。
     村を見守ってもらうため、祠を村が見渡せる山の尾根の先端におき、
    地元の人は、そこを「愛宕山」と呼んできた。
         京都の愛宕神社は、火之迦具土神を祀っているというほか 
         ①塞の神(道祖神) ②地蔵菩薩 ③勝軍地蔵 ④太郎坊
         天狗(山伏のイメージ)の性格を持っている

     箕面の多くの村落で行われた「マンドロ」(万灯籠)と呼ぶ民俗行事は、
    修験山伏が行う "愛宕火" と呼ばれる火祭と地蔵が習合しているため、
    地蔵盆の要素が加わり、さらに、盂蘭盆会の迎え火・送り火の要素も加
    わっている。
     行事が行われるのは8月14日・15日と24日。
     この日、男の子(小学校2~6年)たちは朝から各集落の裏山にある
    愛宕の祠の前に集まる。 昼間は青葉をくすべて煙を出し、夕刻になる
    と、麦藁などを燃やして大きい焚火をする。そして、それぞれが手に持
    った松明に火を移し、大声を揃えて
    「マンドロとぼせ、マンドロ燃やせ、マンドロ消やせ ・ ・ ・ 」
    と歌いながら、一列になって山を下りていった。
     ところが、昭和40年ころマンドロの火が元で山火事になったため、各
    村落ともこの行事を廃止した。 しかし、昭和55年から、白島と萱野で
    8月14日の一日に限って簡略化された形で復活されている。
 要約すると
      ★8月14日と15日は、盂蘭盆会の迎え火・送り火としての性格で
       24日の行事は、愛宕・地蔵の縁日、あるいは、愛宕の火祭りとし
       ての性格をもつ。
      ★山の上で焚く柴火は、五山の送り火と同様に盂蘭盆の迎え火・送
       り火の性格をもつ。
      ★子供たちが主役である点は、地蔵盆の性格である。
      ★松明をかかげて一列に山を下るのは愛宕の火祭りの性格である。

  富士山の山開きを待って、
  日本一の山に登頂するというヤマガのオバチャン(2人)は
  上りにさしかかるつど 「富士のリハーサルよ」 と張り切る
  そこで 「どう?」
  「ヘッチャラよ」 というが、急に無口になっている。

金は天下のまわりもの

2011-06-11 17:25:21 | Weblog
  麻生内閣のとき定額給付金の話が起きた。
  調べてみると、わが家は(12000×2)で24,000円もらっている。
  そのころ私は、
  ちまちませず 「10倍くらい配って」 ほかのことも合わせて、
  その財源は「造幣局の人に一生懸命働いてもらったらいい」
  とバカと言われることを承知で公言していた。
  そういうことをすると 
  「米ドルやユーロに対し信頼を失い円は紙くずになる」とみんなが言った。
  しかし、
  世界中はリーマンショックのあおりを受け、同時に大量の紙幣を印刷して
  おり、これをしなかった日本の円に対し、世界は歩調を合わせるように通
  貨安になった。

  今、震災復興で物入りなことは誰もが知っている。学校を卒業しても職に
  ありつけない人がいて、若年層の生活保護者も増えている。
  いろんな不幸を救うため
  政府が国債を発行して、日銀がそれを引き受けるため円を増刷する。
  遅ればせながら、日本もそういう事態に陥っている。
  少しくらい、円が安くなって物価が上がることは覚悟しなければならない
  アメリカや大金持ちは怒るかもしれないが、国民の飢えを救う方が先決で
  はあるまいか
  「どうやって借金を返すか」 だって?
        仮に、私が親に頼まれて金を用意してあげたとしよう
        親の台所を知れば、金利の請求なんかできるはずがない
        時が移り「あのときの金」と言ってきても
        「いいんだ。いいんだ」と言うような気がする。

ビワの不思議

2011-06-10 14:53:11 | Weblog
  公園や団地の空き地で見かける枇杷(ビワ)の木は、晩秋に花をつけ、今
 頃から実が黄熟する。
  甘いだけでなく、適当に酸味もあって、店頭で売られているものより、
 昔覚えたビワの味が残っている。
  その、ビワの木は根の先から花や木のテッペンまで全部薬になるという。
      昔、中国ではすべての病気をビワの葉に頼っていた時代があった。
      だから、ビワの木があると、病人たちが
      「その葉をください」
      「私にもください」  と集まってきて、長い行列ができたという。
      そんなことから、ビワの木があると  
      「ろくでもない病人ばかり集まって縁起が悪い」 と言って、庭木とし
      て嫌われた。 
  岩手に住む93才になるバアチャンは、
 ゲートボールが生きがいで、畑作りにも精を出し季節ごとの収穫物を届けて
 くれる。
  その、元気なバアチャンも
 十年以上前は、癌の診断を受け 「長くはないらしい」 と言われていた。
 ところが、誰かに勧められビワの葉風呂を使いはじめてから元気になって、
 今は全く病院に通っていない。
      根は肉や野菜と一緒に鍋に入れコトコト煮ると薬効があり、
      幹は皮を剥いでチューチュー吸うと良く、
      種には、それらの成分が凝縮されているという。
      万病に効くという不思議な植物である。
 インドのお釈迦様は、このビワの木を「大薬王樹」、そしてビワの葉を「無憂
 扇」と言った。という