特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

開通したばかりの柏14と柏03の行路表の想い出

2020年02月16日 02時03分26秒 | 旅行

先日川崎麻世がカイヤさんと離婚成立したとかいう芸能ニュースをやってました。
わたくしが乗りバスにかまけるようになる少し前、「ナッキーはつむじ風」という榊原郁恵主演のTVドラマがやってて、学ラン姿の川崎麻世が郁恵ちゃんに「姉貴~」って呼びかけてたシーンが懐かしく思い出されます。そのドラマの直前の時間にやってたのがガンダムとかラブライブ!で名高い日本サンライズ製作のアニメ「ザ・ウルトラマン」でむしろそっちのほうを熱心に見てましたが、当時のテレビ機はリモコンなんかないのでチャンネル変えようとすると本体に近づいてダイヤルを力学的にガチャリガチャリと手回ししなければならなかった。ダイヤルの強度設計がこれまたズサンで早く回そうとするとボロっと取れちゃったりするんです。それでいったん点けたチャンネルは他局に相当こだわりのある番組がない限りは面倒くさいのでそのまんまにしてたのです。そういう事情なのでザ・ウルトラマンのささきいさおのOP曲と同じくらい川崎麻世の学ラン姿をよく覚えてるんですなあ、
などと、若い人が見ても何の話をしているのかちんぷんかんぷんなほどに古い古い遠い昔に見かけた柏03のバス行路表の記憶をお話ししたいと思います。

 

 

 

思えばバス路線の運転士さんというのもその日はどこどこ線担当となったら一日中その路線内を往ったり来たりして一日を過ごすものでしょう。
昭和時代のバスの行路表がどういうものだったか検索しようとしてもなかなか見つかりません。
今わたくしは試みに、残る記憶を振り絞って小学5、6年生頃よく盗み見していたバスの行路表を回想復元してみました。
これはA4ですがB5判だったと思います。紙質は当時よく個人経営のスーパーの新聞折込みチラシに使われていたような中低質紙のように見えました。小学校の小テストに出てくる安っぽいザラ判紙よりはよっぽど上質だが今日の行路表よりは遥かに質は低い。その一枚紙が現代のクリアケースより弾性の大きいしなやかな透明体にパウチされており、スプリングのずいぶん強そうなクリップボードにパチッと挟まれていました。このボードは黒色してますが実際には学校の職員室などでよく見かけたひどくやぼったいネズミ色で触ると表面がちょっとフニャとした感じのするボードでした。
そんなボードが右ピラーあたりに立てかけてあったのです。
今日のにぎやかな行路表と比べると非常にあっさりしており、休憩時間とか「行路表」という標題とか東武鉄道なんちゃらかんちゃらとかいろいろ書いてあったのではないか?と訝しむ若い方がいるかもしれません。しかしそんな「余計なもの」はありませんでした。だからこそ見やすかったのです。
ダイヤを識別していたであろう番号は下線が付いて右肩にあるものと左肩にあるものの2種がありましたがこれは左肩につけました。何をもって左右に分けていたのか未だにわかりませんが平日・休日で分けていたのかもしれません。休日だからといって赤色紙なんか使っていませんでした。なおこの「21」という番号はわたくしが適当に付けたものです。
野田の東武バスのこの番号で3桁以上のものは記憶にありません。今日のようにアルファベットと数字の混ぜ書きで何桁もあるような番号など見たことがありません。行先表示の系統番号では一桁数字は03とか07のように「0」を付けて無理やり二桁にしますが、当時見たダイヤ番号では一桁なら本当に一個の数字しかスタンプが押されていません。「1」は見たことありませんが「5」だったか「9」だったかを野田市駅~境車庫間のバスで見たことがあります。

トップの停留所名はなんらかの商業書体であらかじめ印刷されており、無地白紙へ黒の単色刷りでそこへ紫色ぽい色したスタンプ印があちらこちらに押されていました。これはわたくしの職場の備品の回転印を黙って持ってきて押してみたものですが途中で所要時刻の見当が間違ってるのに気づいて押すの途中で止めました。
この時刻をスタンプ印をもって個々に表記しているのは当時乗ったバスの全てに共通していて、本数が多かった豊四季団地循環線でも、あるいは祖母に連れられて行った群馬県渋川の伊香保温泉行でもそうでした。伊香保温泉行は野田でも柏でも見たことがないほどのけたたましい勢いで運賃が上がっていくので「これは本当に東武バスなのか?東武のフリしてるいかがわしいローカル会社のバスに乗り間違えたのではないか?」と疑心暗鬼になったのを覚えています。
余計なこと思い出して話がずれましたが、時と分の間はダブルコロンではなくこのインチキ行路表のようにただのピリオドだったと思います。
時刻そのものは「こんな感じだったよなぁー」とかなり適当ですが、柏03で見た行路のほとんどは本当にこの形のもの、すなわち東急柏ビレジとか柏市立高校とかを何度か往復してから野田へ帰ってくるというものでした。
実走とそれ以外とは線の太い細いで識別するようになっていて、細い回送線のところに「回 送」というスタンプが押されている親切なものもあれば全く無いものもありました。なお「廻」送ではありません。
現代の路線バスの行路表では、実走中の各停留所の通過時刻は停留所欄の下に縦の点線が下端までテンテンテンと引かれ実走を示す横軸との交点に時刻を記して通過時刻を見やすくするのが普通ですが、当時はその縦線がなく目視であたりつけて見るようになってました。
柏駅西口の所にはコチョコチョ手書きの文字があって、柏03と同じのりばから出る前後の便の発車時刻が注記されていました。阪東バスの船戸木戸行きの時刻は「船戸7.15」と「船7.15」の2通りの書き方がありましたが柏営業所の布施行きのは「布施」と略さずに書かれていました。
東急柏ビレジは「東急」を外してただ「柏ビレジ」とだけ書いてありました。ヴィレジでもビレッジでもなく「ビレジ」。当時柏ビレジではなく「千葉県柏市の豊四季団地」在住という設定だった「欽ちゃんのどこまでやるの」で斎藤清六が「村の・・・時間の・・・時間です」と言ってセット内のTVに現れるコーナーがあって、ある回で外国へ行って外人の子供に「the time of time of village」と英語で話しかける場面があり音痴のくせしてなかなか流暢な発音だったのでわたくしの脳裏に強い印象として残り、以降この路線を思い出すたびに欽どこの斎藤清六も同時に思い浮かぶようになってしまいました。日本人が日本に作った住宅街なのだからちゃんと和名で「東急柏村」と名付けなかったのは東急文化村と勘違いされる恐れがあったからかどうかはわかりません。
営業所は違いますが境の東武動物公園駅行きの行路表を見たときは「東武動物公口駅」と書いてあり公園の「園」を口で代用していましたが「東武」の文字は決して省略されていませんでした。
柏03は野田出張所管内なので行路始発地が野田市駅なのは当然のことです。すると柏駅に着いたら踵を返してまた野田へ帰るのか、というとそうではありません。柏03以外に柏11三井団地線と柏12柏市立高校線と柏14東急柏ビレジ線も管内なのでそれらを幾つかこなしてからでないと野田市駅に戻れないのです。
やがて乗りバスを積み重ねてゆくうちに柏にも柏駅の反対側に「東武バス柏車庫」なるところがあることを知りました。境から野田に来る境営業所のおじさんは野田に来ると野田出張所の引き戸をガラガラーと開けて入ってって休憩していたので、野田出張所のおじさんも柏に来たらバスを柏車庫へ進めてそこで休んでるのかと思っておりました。しかし野田出張所の行路表で柏車庫と記載されたものはただの一度も見たことがありません。高田車庫についても同様です。
 わたくしの回想復元した行路表には柏11の終点三井団地がありませんが、柏11と柏14が両方とも載っている行路表を見かけた記憶は全くないので柏11パターンと柏14パターンとで分けて行路表を作成していたものと思われます。
 これが当時わたくしが、滑り止めのラバーもなんにも付いていない真冬だと氷のように凍てつくステンレス製の今日のものに比してはるかに細い手すりにかじりついて柏駅西口行きのバスで覗き見していた行路表の姿なのです。

 

 


東急柏ビレジはかつて「和田沼」と呼ばれた大泥湿地を東急不動産が無理くり埋め立ててできた戸建て住宅街です。

 

 

 

この会社が同じく泥湿地や川っぷちだった武蔵小杉・二子玉川に招来したタワーマンション群は報道によると台風被害で人が生活できないほどの水難に見舞われているそうですが、ここは戸建てなのでさして見苦しい状態にはなってなかったようです。

 

 

 

 

和田沼はアシだのコモだのが生い茂っていて野鴨の良い漁場として有名だったそうですが、わたくしが小児運賃で初めてバスに乗ってきたとき、すでに全くの住宅街になっていました。しかしラスがむき出しになってたり、瓦が乗っておらず屋根下地がむき出しになった建築中のもの、あるいはそもそも上物すらなくまだ地面に縄張りの水糸しかないような更地もところどころに見られました

 


バス路線はわたくしがバスにはまりはじめるよりやや前の昭和55年11月1日に東急電鉄ではなくどうしたことか東武鉄道によって運行開始されております。昭和56年の野田の路線図にすでに記載されていたので開始当初から野田出張所管内であったろうと思います。

 

 

 

今この路線に乗って終点まで行くと350円します。初めてきたとき柏駅西口からだと  180円、子供は90円でした。

 

 

 

 

あばら家と手抜き工事のでこぼこ道しかない野田ではついぞ見たことのない、同じ色したレンガで囲われた家並みと、できたてほやほやの深い色をした綺麗な舗装道路があの頃バスからよく見えました。

 

 

 

 

終点までにこの路線だけの途中停留所が2つあり「柏ビレジ第1」と「柏ビレジ第2」といういかにも新興住宅地にありがちな面白くもなんともない名前の停留所が今と変わらぬ場所にありました。

 

 

 

「柏ビレジ第2」バス停のそばに「夏の東急ストア 大セール!」という緑地に青い文字の垂れ幕が妙に目立つ東急モールとかいう名前の商店街がありました。その中には「東急建設 北柏事務所」というものも見えました。商店街では井戸端会議してる奥さま連やら低学年の子供の群れなどをよく見かけました。わたくしも同じ子供ながら「バス路線こそ東武であるがここの住人は生涯を東急財閥の虜となって過ごすのであろう、自分が東武バスの虜になっているのと同じように」と思いました。ところが東急ストアは平成23年に閉店し、あの頃景気よく見えた商店街は今ではご覧のありさまになっています。

 

 

終点のほぼ同一箇所に昭和の昔から東武バス折返場が設けられています。休憩詰所の建物は現行よりもっと粗末なプレハブ小屋に毛の生えたようなものだったように思います。柏市なのにかつては野田出張所のバスしかここに入れなかったのだ、と思うとわたくしは失われた故郷の姿を思い出してまた胸が熱くなってまいります。

 

 

折返場の一角のバス停の赤ちゃんみたいなものが置いてあるところはあの頃は利用客の自転車置き場だったように思います。

 

 

 

 

 

かなり古い降車場標柱。これは3年前に訪れた時に撮ったものですが現在は新しい型に変わってしまいました。なおわたくしの時代はさっきのあかちゃんバス停が大人になったダルマ型のバス停で行先は「北柏駅」ではなく「北柏駅入口」でした。これには「柏ビレジ第三」と書いてあり、当時の車内の路線図にもそう書いてありましたが車内の音声アナウンスでは「お待たせいたしました、次は終点『東急柏ビレジ』でございます」と正式名称を言っていました。しかしわたくしにはここでのんびりバスを見てるよりも更なる密かな楽しみがありました。

 

 

 

折返場裏手に「和田沼」の名残の池があります。あまり手を加えていないので当時から心落ち着くスポットと感じておりました。こんな凝った標識など当時はなく場所の名前もただ単に「水辺ひろば」だったと思います。

 

 

 

今も昔も緑がまことに豊かで癒されます。羽ばたく水鳥の姿を見ておりますと日本ハムファイターズの前身球団に「東急フライヤーズ」があったことを想起いたします。柏ビレジの人はやっぱり日ハムファンなのでしょうか。北柏には伊藤ハムの工場がありましたけど。それはともかくとして、実はあの頃のわたくしの楽しみはここでもなかった。

 

 

 

その池を越えると陸上自衛隊の高射砲訓練場があったのです。
今はどういう施設になったのか知りませんが主だった火器が見えなくて何だか面白くありません。子供の時にはバスの倍は高さのありそうな砲身の2門高射砲が2つ、3つ置いてあり、それはそれはもう昭和の男の子のハートを鷲づかみするに十分すぎる眺めでした。学校休みの土日にしか来たことないので砲撃演習してるのを一度も見たことありませんが強盗慶太やピストル堤よりも勇壮なものだったでしょう。

 

時は移り見たことのない行先のバス路線が出来た。

 


ところで私事ですが昨年末から勤務地が変わり東急バスをしばしば利用させていただいておりましたが、よんどころない事情でこのブログをアップした一週間ほど後、ふたたび勤務先が東急のエリア外へ移ることと相なりました。東急バス様、短い間でしたがお世話になりました。

 

 

では、東急のみなさま、バイバイキンでございます。


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4 コメント

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Unknown (yanosono)
2020-02-17 14:16:05
こんにちは。
もしご存じでしたら教えてください。
先日松戸駅東口で初めてバス乗り場を見ました。
縦型のバス乗り場で新京成バス専用のようです。

縦型のバス乗り場って首都圏ではあまり見たことがないと思っていましたが、けっこうあるのですかね。
私が体験したのは、綾瀬駅、馬橋駅入口です。
その他の地域では、知立駅(今は変わったようですが)、新潟駅です。
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Unknown (yanosono)
2020-02-17 15:08:09
北千住駅東口も縦型でしたね。
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Unknown (azutoro)
2020-04-03 20:42:29
以前、ビレジに住んでおりました
懐かしい風景です。
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Unknown (surrender90)
2020-04-03 21:31:32
azutoro様御覧いただいてありがとうございます。今もあるビレジのレンガ塀がわたくしを子供の頃に戻してくれます。あの頃バスから見えたビレジの子供たちは品のよい感じの良家の子女といったお育ちのよさそうな子が多く服もよいものを召していて「ここはお金持ちの街だな」と思いました。お盆の季節にはパリッと糊のきいた浴衣の子供の群れもあちこちに見られ俗世と隔絶された世界だなあと羨望したのも良い思い出です。
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