偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

HYの「366日」のパクりはサブリミナル効果狙い?

2009年01月31日 03時21分56秒 | ◎ツッコミ思案neo
その昔、歌謡曲のパクリを指摘するような記事だの本だのが流行ったことがあった。
 いまでこそ70・80年代の歌謡曲はくたびれた世代の懐かしさも手伝ってか“日本の古き良き文化”みたいなことになっているけど実際はけっこう胡散臭いもんだった。
 ま、あのころは良かったねなんつって不便で貧乏臭い昭和30年代をCG映画で美化しちゃってるようなご時世だしな。

 で、その当時の暴露本にオフコースの「さよなら」はイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のパクリだという指摘があった。
 でもこれはパっと見…ぢゃなかった、パっと聴きではわかんないだろう。パクリといえばフツーはメロパクやフレーズパクだけどこれはアレンジパクだからだ。
 実はおいらは両方の曲ともギターパートをコピーしたことがあったのでその指摘を読んだときには膝を叩いたもんだ。

 アレンジパクだと罪は軽そうだけど5点満点でのパクリ度評価は3点とけっこう厳しいものだった。
 それはその覆面記事の執筆者に製作現場の関係者が含まれていたということも大きかったのかもしれない。
 たしかにアレンジというのは時にメロディ以上に楽曲の訴求力を左右するものなのだ。メロディのようにシロウトには気づかれにくいとなればローリスク・ハイリターンのずるがしこい戦略だともいえる。そこらへんを判断したのだろう。

 オフコースが常習犯だったというのも大きいかもしれない。
 オフコースはもともと小田和正と鈴木康博によるフォークデュオだった。ところが70年代の後半、3人のリズム隊を加えた5人編成のバンドとなった。このころのオフコースがライブを通じて成功をおさめるためには楽曲のロック化が急務となったため流行りのエッセンスをパクリまくったのだろう。

 例えばライブを盛り上げていた「Save the love」はボストンの「Don't look back」だし、リフはTOTOの「Hold the line」っぽくもある。
 レッドツェッペリンの映画「永遠の詩」におけるジョンボーナムのモビィ・ディックを見てかぶれてしまったかのような大間ジローのドラムソロがフィーチャーされた「のがすなチャンスを」はやはりTOTOの「Girl goodbye」だ。

 雰囲気パクリといえばレッドツェッペリンの「クランジ」はメンバーも公言しているようにまさにZEP版「セックスマシーン」で歌詞も意識したフレーズがちりばめられている。映画でも音楽でも公言してしまえばパクりではなく“オマージュ”となってしまう好例だ(笑)

 最近ではミスター・チルドレンの「エソラ」はフランキー・ヴァリの「君の瞳に恋してる」を意識して作ったなんていうハナシがある。こっちは構成を意識しただけでパクりとはいえないし、かといってオマージュ系でもない。恐らく「オレってセンスあるんだぜ」的な桜井和寿のアピールだろう(笑)

 さてHYの「366日」だけど結論からいけば、このイントロは「アルマゲドン」のテーマ曲であるエアロスミスの「I Don't Want To Miss A Thing」だ。

 散々前置きイントロだけかよ…って。いや実はこれがけっこうなことかもしれないのだ。

 まずこれは本編のフレーズやコード進行を使ってアレンジしたようなイントロとは違い独立したしかけになっているということ。つまり明らかに意識して“足した”ということ。
 それにこのオーケストラのチューニング風景をも思わせるような混沌とも整然ともとれる音はまさに“生”と“死”を同時に感じさせるアルマゲドンのテーマを数小節に凝縮したもので、まさにここでしっかりと聞き手を導き曲の方向性を決定づけてしまうものだということ。

 つまり曲のスピリットそのものをパクってしまったようなものなのだ。

 この点においてシブがき隊の「ZOKKON命」のイントロなんて目ぢゃないくらいの重罪かもしれないのだ。(ちなみに「ZOKKON命」はホシ3つでした(笑)) 

 さらにいえばたとえバンドであってもストリングスとかホーンのアレンジについてはフツーはその道の専門家がやるものだけど、ここにズルイ大人のしかけが見えるような気がしたのだ。
 まぁ、もしかしたら仲曽根本人がデモテープの段階でシンセでこのフレーズを弾いていたのかもしれないけど…。

 ついでに言うと、まぁこれをパクりといったらHYファンに怒られるかもしれないけど本体のほうの旋律はバート・バカラックの「Close to you」とローズマリー・バトラーの「光の天使」を足して2で割ったみたい感じ。(ハルマゲドンつながりってことで(笑))

 でもイントロ以降についてもマーティ・フリードマンをしてロックバラードのお手本と言わしめた「アルマゲドン」と対比させながら聴いてみると日本の音楽とアメリカンロックとの違いが垣間見えて面白い。
 例えばドラムの入り方。「366日」のほうは70年代後半から変わっていない“ツクツー”といういかにも日本的なハイハットではいってくる。
 それに比べてエアロスミスの入り方は繊細にして粗野!なんてカッコいいんだ!
 こらこらエアロスミスのほうはサビから入ってくるんだからそもそも方針が違うぢゃねーかというツッコミはまぁもっともなんだけど、ぢゃあ例えば「Do they know it's christmas」のフィル・コリンズみたいなドラムはどうだろう?
 日本は“ワビとサビ”の文化のはずなのに音楽ではやたらと間を埋めたがる飾りたがる。
 そのむかし音楽雑誌の話題が早弾きと変拍子とハイトーンボーカルばっかりだった時期があった(笑)
 その“歪んだ文化”の生き残りみたいな神保彰がつい先週「みゅーじん」に出てたっけ。ヤツの教則ビデオを楽器屋で見かけたときは何かの悪い冗談かと思ったぜ。その日がエイプリルフールぢゃないかどうかカレンダーを確かめたくらいさ。

 日本は不思議なことに自分で楽器を弾かないような人たちも“超絶技巧”を崇める傾向がある。まぁ、早弾きや変拍子は音楽知らなくってもわかりやすいからね。

 よくフュージョン(死語?)ファンがおいらが楽器をやる人間だと知るや無理矢理おいらの耳にイヤホンを押し込み
「どう?こいつすごいだろ?」とまくしたてられたのだ。
…「おまへが楽しかったらいそれでいいだろ!」…みたいな。

80年代といえばアイドルまでがLAのトップスタジオミュージシャンがレコーディングに参加!なんて宣伝文句で曲を売り出したりしたもんだ。

ま、音楽に正解はないともいえるから超絶技巧でも何でもいいんだけどね。
「366日」もそれなりにうまくまとまっているからこれはこれでいいか…と。

…でも、ただ漠然ともっと表現に幅があってもいいんぢゃねーかと思ったりする…。
 
 さて、そんなわけで、なんと明日…というか今晩“奇跡の共演”な編成が組まれた!
「赤い糸」の前に「アルマゲドン」が放映されるのだ!

 むしろ視聴者にアルマゲドンの大袈裟さを引きずらせたまま「赤い糸」を見せるという意図的な演出だったりして(笑)。アレンジャーとプロデューサーがそこまで考えていたらむしろアッパレ!




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