昨日の「踊る!さんま御殿!!」、テーマは「コンプレックスお悩み告白スペシャル」初登場のお笑い芸人バンパイア稲田直樹につけられたコピーは人類史上最も衝撃的な顔面。
う~ん、なんだかなぁ。
笑えねえよ。
“しゃくれ”について「こうしてテレビに出ていじられる以外はいいことない」と暗くうち明けられたら、全国の決して芸人にはなれないであろう“しゃくれな子供たち”はどうしていいのか途方にくれるだろう。
さらに「子供のころのあだ名はメガネだった」という話題になったとき「そっちかい」というのはお笑いの公式としては基本なんだろうが「どこみてんだよ」とか「センスがない」とかちょっと深追いしすぎぢゃねーかっていう。
この種のデリカシーの足りない感じは同じく日テレの「デジタルの根性」でカラテカ・矢部に罰ゲームで借金を背負わせた件と似ている。
あんときは実際に寄せられた苦情に対して
「テレビが手本である必要はない」
とか
純粋培養的免疫不全社会が表現の幅を狭める
とか
あと、芸人本人はオイシイと思っているので決して苛めではない
…といった論点で苦情メールを一蹴してみせた
これらの理屈が通るなら今回の件もすべて正当化されるけど「テレビが手本である必要はない」といいながらチビっ子に真似して貰えるような一発ギャグを持つ芸人を意図的に送り出して“流行”を狙っている現実との整合性は?
そもそも罰ゲーム系の“演出”にしても視聴者が芸人の“演技”についてある程度真に受けることではじめて成立するんぢゃねーのか?
「あだ名の付け方センスがない」っておまへらがセンスねーよ。
っていうかコンプレックスを武器にするというけど、それ以外に芸のないやつはテレビ出てくんな。それぢゃ見せ物小屋だよ。
まぁ、仕切っていたさんまが一番悪いね。
さんまは嫌いぢゃないんだが…。
※2019/10/18追記
稲田直樹くんの最近のブレイクを受けてか
こんな古い記事にいまだにアクセスがある。
コメントもそうだけど
わざわざ「引用して批判」みたいなパターンも見受けられたので、
いまいち真意が伝わってないな、と憂い、
「我が意を得たり」なフォーリンラブ・バービーさまのお言葉を
紹介することにした
が、
いかんせんgooは動画・音声系不可らしい。
よってツイッター間借りしてリンクという
苦肉の作戦にしてみた。
こんな古い記事にいまだにアクセスがある。
コメントもそうだけど
わざわざ「引用して批判」みたいなパターンも見受けられたので、
いまいち真意が伝わってないな、と憂い、
「我が意を得たり」なフォーリンラブ・バービーさまのお言葉を
紹介することにした
が、
いかんせんgooは動画・音声系不可らしい。
よってツイッター間借りしてリンクという
苦肉の作戦にしてみた。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
#武田砂鉄×#フォーリンラブ・バービー
— 愛の聖漣舎~アイノセイレンシャ (@seirensha) 2019年10月18日
2019/8/30 #TBSラジオ #Action より
※動画・音声upが不可な
gooブログの
補完用、間借りツイートだが、
この音声だけでも彼女は十分に素晴らしい。
気が向いたらブログの原因記事も→https://t.co/EIeJPEyLcb#テレビ#イジメ#イジリ#悪影響 pic.twitter.com/JSx2CFpQCt
また、コンプレックスを見て見ないふりをするのもひとつの生き方です。
私はもしコンプレックスがあってもそれを逆に笑い飛ばせたら素晴らしいという考えもあると思っています。あくまで考え方のひとつですが。
私は稲田さん含め芸人や芸能人の方は強い精神力を持っておられ、尊敬しています。
そんな番組嫌だというなら、NHKなどを毎日ご覧になられたらいかがですか?
根絶なんて不可能。
あなたの書いている内容すら、「容姿が変わってる人には触れるな」って差別ですよね。
それに、昨今のいじめ自殺被害者を見ても特に容姿に特筆するような人ではなく、なんならイケメンの部類に入る人もいるようです。
つまり、あなたの意見こそただの偏見であり、容姿がいい人にはわからない苦労という意識を植え付ける逆差別とも言えます。
自分の意見を述べるのは表現の自由だし、容姿、性格、性別、人種、出生…様々なことが良くても悪くても、結局いじめのターゲットになるのは些細なことだと。
正直、容姿がよすぎる人もいじめられやすいですし、要はみんながどちらにしても意識しすぎない、ということが大切なのかと考えています。
定型句「バカ」とか書いてる時点であなたに不快感。
代表的なフレーズは「自粛のしすぎはよくない」というものでした。一般論として言っているだけならいいのですが彼らは具体的な花火大会などのイベントの中止にふれ「思考停止」だと批判しました。
震災の影響で警備の人員が手薄になっていることや、夜間のイベントは野外でも(むしろ野外だからこそ?)けっこうな電力を使うということに考えがまわらないほうがよほど「思考停止」なのですが。すべての見物客がテレポーテーションで会場に現れ飲まず食わずで静かに見物すればかなりのエネルギーは節約されるのでしょうが(笑)
中には石原慎太郎には言われたくないからなどという無茶苦茶な理屈もありました。石原氏といえば漫画の表現に対する条例論議のとき「定型句」が跋扈しましたね。
漫画家のセンセー方の意見はちばてつや先生の「エロだけの漫画なんて自然に淘汰されていく」に代表されるような現実を直視していないものが目立ちました。
そんな中でやくみつる氏の意見は「定型句バカ」の本質を論駁する鋭く、そして勇気あるものでした。
で、なんでしたっけ?「実際親のしつけが行き届いてたら大丈夫だと思います自分の周りの人間はそうでした。」ですって?
随分とざっくりしてますね。
何がどう大丈夫だったんですか?周りの人間って一体何人でしょうか?自分の見た少数の例をあたかも代表的なもののように語ってしまうのもデマを広めるときの典型的なパターンですよね。
「見せたくないのなら見せなければいい」というのもお馴染みの定型句です。
ことはそんな単純ではありませんよ。「さんま御殿」という特にいやな感じもしないところにそういうものが紛れているのが問題なのです。
今回、放射線報道をふりかえって「視聴者が正しいリテラシーをもっていれば風評に惑わされない」などと“ありがたいアドバイス”をくれていたコメンテーターの方々がいらっしゃいましたけど、それって結果見てるから言える後出しジャンケンみたいなものですね。専門家でさえ予測しえなかった(と言い張っている)事故に関してシロウトがどうして情報の吟味をできるでしょうか。
そもそも風評が本当に風評にすぎないかどうかすらいまだわからない状況ですし。
リテラシーといってもテレビに出てる人が高い確率で当選しちゃうような世の中ですよ。テレビが世論を形成しているといっても過言ではない。…っていうかViさんの意見ってまさにテレビが作り出したフレーズの集合体みたいです。油断しているとそのうち「自己責任」ってのも出てきそうです。
基本的に丁寧になるべく丁寧にコメントする方針ですけど「皮」ばかりで反論しようもないというのが正直な印象でしょうか。
>過保護すぎる・不謹慎という言葉に敏感
>現に見せたくないのなら
>お金が発生してたのなら
>思想などをTV局側に言う
あなた自身が受けた日本語教育が心配です。
あにた自身も定型句に騙された犠牲者なのかもしれませんね。
“~をすればもっとよくなる等のアドバイス”って、放送作家ぢゃないつーの(笑)
過保護すぎる・不謹慎という言葉に敏感すぎるような気がします。
テレビに対して文句を言う親は自分の教育に自信が無いと言ってるような気がして仕方ありません、現に見せたくないのなら見せなければいいんですし。
あと、TVに対して不謹慎だなんだ、おもしろくないとか文句を言う人もそれを見ない権利もあるわけですから文句を言うだけなのはどうなのかな?と思っています。
TVを観ててそこにお金が発生してたのならば文句を言ってもいいとは思いますが。
ただ、文句を言うのであれば「やめろ」「不謹慎だ」などだけではなく「~をすればもっとよくなる」等のアドバイスや思想などをTV局側に言うべきだなぁと自分は思います。
通りすがりでコメントさせてもらいました。
失礼します。
実はこの記事が過去90日スパンで集計するとアクセス最多なんです。どういうわけか。私は在関東なのでよくわからないのですが関西ではそこそこ売れてきてるんでしょうかね。
どちらにしてもほとんどは見世物小屋のお客さんなのでしょうか。そんな中、貴方のような考えの方にアクセスしていただいて幸いです。まぁ、ほんとうは同じ考えの方に共感してもらうだけでなく、洗脳された人々をテレビの呪いから引き戻すくらいの啓発力がなければダメなんでしょうが。
コメントの内容から察するにけっこうお若い方なのでしょうか?(もし違ってたらごめんなさい)。
私もアタマは大きいほうで小学校1年生の時に野球名鑑に載っていた王さんの帽子のサイズが自分より小さかったので落ち込んだ覚えがあります。もう他の記事のコメント欄で言ってしまっているので隠しませんがしゃくれですし。まだまだあるのですがこれ以上コンプレックスの在庫を晒すと知り合いが読んでいてバレると困るので…。
人間とは怖いもので私などヤンキーにしめられた経験があるくせにバラエティの元ヤンタレントの武勇伝を面白がって聞いてたりする。
世間でも過去にPTAに吊し上げられた番組もたしかに功罪あわせもっていたはずなのに罪の部分は検証されずに、功の部分だけがもてはやされ、その演者や作者は今や大御所として君臨している。
「三丁目の夕日」の時代なんて、格差と公害垂れ流しの時代なのにすっかり美化されています。
恥ずかしながらそんなインチキに気が付いたのはつい最近。というか情報はたしかに目にしている筈なのに都合良くマスキングしていたりする。人間というのはラクなほうへといとも簡単に流されてしまうということです。特に私が浅はかだっただけかもしれませんが…。
怨みや怒りを抱いたまま生きるのは得策ではないけれど、常に懐疑の心を持って、できれば勇気と優しさを持ち合わせたいと今さらながら思うのです。
こういうコトバは適当ではないかもしれませんがゴモットモさんも頑張ってください。