話の種

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社会の閉塞感と同調圧力

2023-05-15 16:10:52 | 話の種

社会の閉塞感と同調圧力

朝日新聞に「みる・きく・はなす」というコラムがある。
年に1-2回の掲載だが、今年の春号にはNHK「クローズアップ現代」の元キャスターだった国谷裕子さんの評論があった。表題は「抑圧され、はびこる萎縮」「強調される自己責任、声上げる人へ矛先」となっている。

この記事の中で印象に残ったのは、「社会の閉塞感」「同調圧力」ということで、このことは私が常々問題意識を持っていたテーマでもあったので興味深かった。

「社会の閉塞感」ということについては、既に定年退職し気ままに暮らしている私にとっては直接どうとこうということはないが、つまらない世の中になったなーという気持ちはある。
この閉塞感を抱いているのはむしろ若い世代に多いのではないだろうか。

何故このような世の中になってしまったのだろうか。

これについて国谷氏は次のように述べている。(要点のみ記載)

「バブル崩壊後何が一番変わったかというと、経済的価値が優先され、人間がコストとして見られるようになったということです。求められるのは即戦力。公共サービスは縮小され、非正規雇用は増えていく。競争こそが経済成長を生み出すとされ、手薄なセーフティーネットを埋めるかのように強調されたのが自己責任、自助努力です。」

「もう一つの変化は効率性の広がりです。コスパにタイパ。物事は複雑なのに、時間がないから深く考えることをやめてしまい、多数派にくみしてしまう。」

「世の中が分断され、入手する情報は自分の感情に寄り添うものばかりになっている今、異質な人や考え方に出会う場を提供する報道の役割は大きくなっています。そして同調圧力が強まるなか、社会に届きにくい小さな声を伝えることを、忘れないでほしいです。」

近年、昭和時代に憧れる若い人たちが増えているようだが、確かにこの時代は経済成長期で自由度も高く、1980年代のアイドル達の歌やファッションが好きと言う現代の若者たちも少なくない。

そして「同調圧力」だが、これは若者世代に限らず様々な場面で見られる。
これは日本人の国民性にも由来するものかとも思うが、加えて近年ネット社会が広がり拍車がかかってきたように思える。
中でもスマホとSNSの普及により、一人でいると落ち着かない、仲間外れになるのが怖いというような若者たちが増えているようである。

朝日新聞に「タイパ社会」「気づけばスマホの奴隷」と題した記事があった。
この中で、スマホやSNSにはまってしまった若者たちの次のようなコメントが紹介されていた。

「正直疲れているんですよね」
「本音を言うと、スマホがない時代に生きたかった」
「世間が許してくれない。同調圧力のようなものが強すぎる」

ところで、同調圧力と似たようなものに「空気を読む」という言葉がある。
この空気を読むというのは曲者で、必要なときもあれば凶器にもなりうる。

脳学者の中野信子氏の著書に「空気を読む脳」(講談社+α新書)という本があるが、この本の紹介文の中で次のような箇所があった。

「相手の気持ちを察するのがうまい日本人。それを「空気」を読むといいます。それは、すぐれた協調性、絆の深さ、恩や恥を感じる心にもつながるでしょう。
でも逆に、周りの空気が私たちに、「生きづらさ」や「不安」「忖度する心」「バッシングの快感」といったものを生じさせる原因にもなります。
近年苛烈さを増すバッシングは、「人を引きずりおろす快感」や「ルールを守らない人間を懲らしめたい欲求」という空気です。」

ネットを見ていると、日本人は「他人に対する敬意が凄い」「人を気遣う姿は美しい」など、多くの外国人が述べているが、これは長年に渡り日本人社会の中で培われてきたものであろう。
これらが失われないような社会であることを願うばかりである。

 

(参考)ネット検索による言葉の説明

「閉塞感」とは、“自らを取り巻く状況を何とか打開しようと試みるものの、その状況を打開できずもがき苦しんでいる状態、先行きの見えない状態”と定義できる。 不透明な社会や未来に対し、多くの人々が「閉塞感」を感じている。

「同調圧力」とは、少数意見を持つ人がいる場合に、多数意見に合わせるよう暗黙のうちに強制するということ。

「空気を読む」とは、その場の雰囲気を察すること、暗黙のうちに要求されていることを把握して履行すること、などを意味する表現。

 


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