住田功一のブログ

メディアについて考えること、ゼミ生と考えること……などをつづります

「定点」を被災遺構に 雲仙・普賢岳の大火砕流から30年 

2021-02-07 09:24:44 | メディア関連

死者・行方不明者43人を出した1991年6月3日に発生した
長崎県、雲仙・普賢岳の大火砕流から今年で30年になります。

犠牲者が多く出た「定点」をご存知でしょうか?

メディア関係の年配の方は思い出す方もおられるでしょう。
島原半島ジオパーク協議会が2016年に発行した
「島原半島世界ジオパーク 77号」には
次のように解説されています。

「定点」は島原市上木場地区の葉タバコ畑の中にあった県道の一角です。当時、 火砕流という噴火現象は、日本はもちろ ん、世界的にもあまり観測事例がありませんでした。谷を流れる火砕流をほぼ真正面から撮影できたこの場所 は、絶好の撮影場所となり、いつしか「定点」と呼ばれるようになりました。珍しい火砕流の迫力ある映像を収めようと多くの報道関係者が避難勧告区域内に立ち入って撮影を続けたのです。
1991年6月3日は、朝から天気は下り坂でした。梅雨前線の接近に伴い、午後から雨が降り始めました。そんな曇り空の下、午後4時8分に火砕流が発生しました。水無川の本流を流れ下った火砕流の本体は「定点」の手前で止まりました、火砕流と同時に発生した熱風(火砕サージ)は、そのまま「定点」周辺にいた人たちをのみ込んでしまいました。 
現在、「定点」には被害に遭われた人たちを弔う白い三角錐が建てられています。
https://www.city.shimabara.lg.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=3360&sub_id=1&flid=12715

その定点を「被災遺構」として保存整備しようという動きがあります。
2021年1月17日の西日本新聞電子版にこんな記事が出ています。

 消防団員ら43人が犠牲になった1991年6月3日の雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流から30年となるのを機に、報道陣の取材拠点となっていた同県島原市の「定点」一帯の整備が17日、始まった。定点で亡くなった人たちの慰霊とともに、火山災害の教訓を伝える被災遺構として保存する計画で、同日は住民ら約70人が草刈りをした。3月に完了する予定。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682404/

毎日新聞(2020年12月26日電子版)は、具体的にこう伝えています。

計画では、草むらに埋もれて現地に放置されている毎日新聞の取材車両と新聞2社がチャーターしたタクシーの計3台を掘り起こして修復。すでに掘り起こしているテレビ長崎(KTN)の車両を含む計4台を並べて、屋外展示する。(https://mainichi.jp/articles/20201226/ddn/041/040/033000c

(引用写真:国土交通省 九州地方整備局 雲仙復興事務所 http://www.qsr.mlit.go.jp/unzen/index.html

あの日のテレビニュースは異様でした。
初報のあとしばらく情報が途絶え、
そのあと、報道関係者が
病院に担ぎ込まれる映像が映し出されました。

最前線の映像取材拠点だった「定点」。
報道関係者16人だけでなく、
報道陣のチャーターしたタクシーの運転手4人、
近くで警戒に当たっていた消防団員12人、
取材陣に退避を伝えようとしていた警察官2人、
火山学者や地元住民らが
熱風に巻き込まれたのでした。

共同通信の取材に
当時、駆け出しの記者兼アナウンサーとして現場近くにいた、
NCC長崎文化放送の中尾仁さんが
次のように答えています。

「自分を含め、あの時は記者魂をはき違えていた。本当は他社に勝ちたかっただけ。巻き込んでしまった人たちには申し訳ないと思う」
「記者は死んだら何も伝えられない。危険地でこそ冷静になり、安全を確保した上で最善を尽くすべきだ」
(2020年11月17日配信「過熱報道で『市民を殺した』悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火から30年」https://news.yahoo.co.jp/articles/29430bb1e8df3039f4b8e4d1bce449a03ff3c8c5?page=1

この「定点」には、長らく
三角すいの白い標柱が立っているだけでした。
2020年6月15日の長崎新聞はこう報じています。

 遺族の中には、当時の行きすぎた一部報道活動に対し「消防団員が亡くなったのは避難勧告地域の中で取材を続けていたマスコミのせい」との思いがあると指摘される。
 「定点に碑を作りたい」との報道陣の遺族らからの願いもあるが、マスコミに対する住民の複雑な感情も相まって、これまで実現に至っていない。報道関係者の車やタクシーが周辺に野ざらしのまま残されている。
https://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=645274036403307617
 
近年は、この「定点」でも
手を合わせる消防団員の遺族らの姿が見られるようになった、と
西日本新聞や長崎新聞は伝えています。

島原市の安中地区町内会連絡協議会の
阿南達也会長(82)のコメントが、
西日本新聞(2021年1月17日電子版)に掲載されています。

「地元として被災体験の継承と慰霊を続ける責任がある。定点で起きたことを伝え、災害を考えていきたい」

災害・防災研究者や報道関係者の会員が多い
『日本災害情報学会』のニュースレター(No.84  2021年1月)には、
この「定点」を整備するための
寄付を募っているという記事が掲載されています。

 災害から30年、地元安中地区町内会連絡協議会では
 「定点」付近に今も埋もれている車両3台
 (取材車両1台、報道機関がチャーターしたタクシー2台)を
 掘り起こし、保存整備することにした。

と伝え、

 取材や調査などでここに地を訪れたことがある
 何らかの思いを持っているという方は
 支援をしていただければありがたい。

と結んでいます。

振込口座 ゆうちょ銀行
普通 17650ー5966951

または
支店768
口座番号 0596695

安中地区町内会連絡協議会
会長 阿南達也

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報道関係で亡くなった方<当時の報道から>

日本テレビカメラマン 26歳
日本テレビビデオエンジニア(スター照明) 30歳
テレビ長崎カメラマン 37歳
テレビ長崎カメラマン 44歳
KTNソサエティー運転手(テレビ長崎関連会社) 31歳
読売新聞写真部員 53歳
毎日新聞写真部員 33歳
毎日新聞技術員 41歳
毎日新聞運転手 35歳
九州朝日放送カメラマン 23歳
九州朝日放送アルバイト(福岡大商学部2年) 20歳
テレビ朝日記者 27歳
日本経済新聞写真部員 34歳
雑誌「フォーカス」フリーカメラマン 58歳
NHKカメラマン 31歳
NHKライトマン(キーライト) 31歳

みくりやタクシー運転手43(テレビ取材陣がチャーター)
島鉄タクシー運転手44(テレビ記者に同行)
小嵐タクシー運転手29(新聞取材同行)
丸善タクシー運転手48(新聞社貸し切り)

(引用写真:国土交通省 九州地方整備局 雲仙復興事務所 http://www.qsr.mlit.go.jp/unzen/index.html

 

以上

 

 


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