気ままにテディベア

62歳です。30年前は世界を相手にしていたけど、今は人気のないぬいぐるみ作家となり、気ままにぬいぐるみを作ってます。

命の軽さ

2012年03月14日 | まいにち

1年前の3月11日、多くの命が消えてしまった。突然、親族を亡くされた方々。悲しみはどれほどだろう?

そして今年の3月11日、知り合いが自ら命を断った。若い頃、よく飲みに行った知り合い。友達とは違う6歳上の彼には、何かにつけ可愛がって貰った。私が、地元に戻ってまだ職が無い頃、彼の会社で製図のアルバイトをさせてくれた。その後、私は職が決まり、彼は独立し、彼の親友と私の親友と3人で会社を興した。私とは直接関係が無くなったが、親友を通して彼との付き合いは細くあった。顔を合わせれば挨拶をし、たまに飲みにつれていって貰ったりしていた。会社の社長と言っても、派手で遊ぶ感じでは無く、いつも家族を大切にして、どちらかというと、いつもニコニコしている社長さんだった。私が彼の会社でバイトをしていた時、いつも穏やかで優しい彼が、取引先の人とニコニコ電話で話して、切った途端に「バカヤロー!」と叫んだのを何回か目にしている。初めて見た時は驚いた。が、だからと言って、当られたりする事はなく、そうやってストレスを発散させていたのだと思う。その頃、そんな二面性を持つ彼の行動が理解できなかったが、今なら解る。彼はとっても大人だったのだと。お互い図面の仕事をしていて、彼はよく通行止めの看板をフリーハンドで書いていた。特徴のある字に見取り図。今思い出しても笑える。すごくガタガタな線を描くのだが、すごく上手なのだ。この事は友達とも話題にしてよく笑った。ガタガタなのにセンスがある。色んな意味で頭もいい人だった。なのに、簡単に命を断ってしまった。そんなに簡単に命を断つものなのか。彼にとっては、重くて、重くて、重い決断だったのだと思うが、私には軽く思えてならない。会わない時は何年も会わないのだが、最近、何故か何度も顔を合わせていた。最後は1月の休日、私は198ちゃんの街へ行く為に、高速下のスタンドで、彼とその家族と会った。みつけてほほ笑むと、わざわざ車を降りてきてくれて、「これから大阪に行くんだ」と言っていた。つい最近まで、あんなに普通に元気だったのに。最近、「死ぬのは怖くない」と言っていたと聞いた。怖くない死になるほど、追いつめられていたのかと思うと悲しくてたまらない。いつも笑顔だった彼の、笑顔の死顔が想像できる。父を亡くし、次姉を亡くし、身近な人を亡くした悲しみを経験してきたが、細く、ずっと関わってきた彼が逝ってしまった。この悲しみも味わった事のない悲しみだなぁと思った。今はもう、彼の肉体が無くなってしまった事が信じられない。最近、よく考える。生きて行くってなんだろう?あの果てしなく生が続くと思っていた若い頃とは違い、どうやって明日に希望を持てばいいのだろう?

すみません。暗い記事で。少し思いつめた様に感じるかもしれませんが、そうでもありません。日常を過ごせていて、やはり、そんなに明るい感じではないのですが、会社で、同僚の女子とくだらない冗談をいって、へらへらしたりしている事が、救われてるなぁ。。。と思う事が多いこの頃です。そんな事が、日常が、とても大切なんだなぁ。。。と思ったり。ふと、ここ何年かの自分を振り返るのですけど、それ以前に父が亡くなった年から自分の人生ががらりと変わったと思うのですが、それでも、日常を過ごして、日常ではない大変な事も沢山あったのだけど、それでも頑張れて前を向いて来たのは、只若さがそうさせていたのと、周りの友達や病院の上司に助けられていて、自然と前を向けていたのだなと。そして病院が倒産して、又日常が無くなり、その時も突っ走れていたなと。何も考えず前だけを見てきたけど、やっと突っ走ってきたところを見返したり、補正したり出来る様になった頃の姉の死。何かにつけ考える事が多いです。前が無くなってしまったと言うか。

でも、ちゃんと日常を過ごせてます。198ちゃんも、忙しそうなのですが元気です。4月にお出かけするのですが、それに向けてお互い色々考えてます。今はそれが楽しみです。今年は忙しいのですが、それでも普通の日常を過ごしたいと願ってます。