先月の終わり頃に会社に突然姉の親友から電話が入りました。「〇〇なんだけど、よーこ大丈夫?」と。姉はもう15年になるかと思いますが癌を患ってました。いつも元気で明るく勝気な姉は、3歳上なのですが、私を子供の頃から「ちび」と呼んでました。私は生まれた時から身長が大きな方で、中学生の頃、もうとっくに姉の身長を追い越してるのに、姉の友達からも「よーこのちび」と呼ばれてました。「ちび」と言う言葉に解るように、私は彼女にとって常に「妹」でした。先日も書きましたが、三姉妹の末っ子体質で、どうしてもそこから抜け切れず、いいおばさんになってもやはり、ずっと妹でした。
私は県内でも姉達とかなり離れたところに住んでいて、高速を使って2時間半かかります。
毎年、お正月前に姉から電話が入り「かこちゃん、年越しはどうするの?」と聞いてくれます。大体こちらで、親友のMちゃんのお母さんが作ってくれたお料理で、Mちゃんと過ごすのが恒例ですが、去年もまた聞かれ、丁度Mちゃんのお父さんも具合が悪いところだったので、私は姉と新潟で過ごす事にしました。その時点で行って見て初めて気が付いたのですが、姉の状態は、新たな転移があり、抗がん剤治療で、かなり副作用があり、辛そうでした。それを初めて知り、ここ数年に無いショックを受けました。。。。でもね、私が心配し過ぎると逆に怒られたりして。。。私は心配症なところもあり。。。どうしていいか解りませんでした。姉は姉なりに自分でよく解ってるので自分の中での処理が大変だったのかもしれません。結局近くに居なかったので、本当の詳しい事はわかりません。只、あまりに副作用がひどいので、一度治療を止める事になりました。そこで、外観的な副作用で出た状態は治まり、元気に見えました。それが2月位だったと思います。心配する私に「大丈夫だよ」メールが来ました。3月にまた同じ治療が始まると聞いてました。3月の終わりごろだったか、また副作用が出始めてと言うメールが来ましたが、それでも4月のお祭りには、いつもセットで行動する下の娘とお祭りにやって来ました。そこで、元気なんだと思っていたので、私は198ちゃんと出かけてしまったのですが、後で聞くと、その頃、もうここまで来る事がしんどかったそうです。そんな風には見えなくて。。。それほど元気さをアピールする姉でした。私はずっと大丈夫だと信じていたのに。近くに住む上の姉とは5月に温泉にも行ったそうです。今週末小田さんは新潟にやってくるのですが、それも198ちゃんがチケットを取ってくれて、一緒に行く予定でした。。。でも。。。
その親友の電話で姉の具合がかなり悪い事を知りました。本当は、姉の親友から会社に電話が来た時に、色んな恐ろしい事が駆け巡り涙が止まりませんでした。でも仕事はしなければならないので、夕方上の姉に電話をすると姪が出て「和子ちゃんなんで知ってるの?」と言われました。上の姉にもその頃、電話が入ったばかりで、丁度、姪と上の姉とで様子を見に行って来た日でした。そこで、やっと私は、もう治療の施しようが無く、このまま死を待つしかない事をしります。どう表現していいかわからないですが、誰に何を言われても「ただ、悲しい」のです。悲しくて、悲しくて。でも、私はこれまで色んな経験をしてますが、私自身が感じてるこの悲しみは、私自身しか解らず、誰かに話して、誰にも理解して欲しいとは思いませんでした。まったく同じ悲しみなんて無いのですから。姉の息子や娘はもっと悲しみが深いのだろうし、一番悲しいのは姉です。かといってずっと鬱でいる訳ではありません。悲しみながら死の準備をしていた様です。
姉は、私が知った事を知り、次の日電話をくれました。初めはなんでもない振りをする私。姉は一通りの普通の会話をした時、「〇〇さんが会社に電話しちゃったんだって?本当にねぇ。びっくりするじゃんねぇ。会社に電話するなんて」って。〇〇さんが悪者です。同じ事を上の姉にも言われました。〇〇さんは、私もよく知ってる友達で、決して悪い人ではなく。。。でも、そんな風に言ってくれる姉達の私への思いが私は嬉しかったです。泣いて言葉が出ない私に「仕方ないよ。今まで持ったのがラッキーなんだよ」と言う当事者の姉。言葉はありませんでした。もう、そこを書くと耐えれなくなるので、書きませんが姉は子供たちと過ごしたく、痛さもだるさも全て我慢して、自宅で過ごしました。それを下の娘がずっと面倒をみてました。姪はものすごく頑張って面倒をみてました。しばらくぶり、いや、ほんの何ヶ月でずっと大人びた事を言う姪に驚きました。まだ子供と大人が同居してるんですけど。私が姉の顔を見に行って、「来週も行くけど」とメールをすると、「いいよ。おばあちゃんが居るから大変でしょう?」と。それからは明日が無いってどういう気持か?姉は何をして貰いたいんだろうと、ずっとずっと考えてました。。。でも、判りませんでした。。。だって、私には普通に明日はやってくるのですから。ごめんね、よーこちゃん。どうやっても解ってあげれないよ私。今もだよ。姉は去年の暮あたりから、今まで生きてきて、小さい頃に感じてた事、私のしらない事件などの話をよくするようになりました。その度に「止めて!死んじゃうみたいじゃん」と思ったりしてました。なぜなら父が亡くなる少し前に、自分の子供の頃の誰にも話した事のない思い出話をしてたからです。最後の会話は日曜のお昼前に電話が来て最後に「またね!よーこちゃん!」と言うと「またね!かこちゃん」と笑ってくれました。またね!って言ったじゃん!またね!って言ったじゃん!その午後にそれまで以上に具合が悪くなり入院したそうです。火曜の夕までは話せてたんですって。でも私が慌てて駆け付けた水曜日はもう話せなくなっていて、しかも私が帰るって言った午後4時前に息を引き取りました。またね!って言ったのに。またね!って言ったのに。。。
少し前に家の周りの風景(海)を写したのは、姉に見せたかった為です。でも、姉は見れてなかったんですけどね。
お通夜とお葬式を済ませて帰って来ました。本当はお休みとってあったのですが、逝くのがあまりに早く、家でやっておかなければいけない事が沢山あって。今日は、仕事にも行って来ました。お香典返しを返すためと、一人で過ごすのが耐え難いから。本当は忘れちゃってはやく日常に戻りたいです。でも、また明日姉のところに行って来ます。月曜に母が帰ってくるので、わたしも帰って来ます。
コメント欄は閉じて置きます。
次回再開する時は普通のブログネタに戻ります。何事もなかったかの様に。姉の事には触れないで下さい。その方が嬉しいです。
そうだ!姉は姉妹一おしゃべりな姉でした。余計な事をじゃなく、お話好きなんです。なので、あった事を端から端まで話します^^お通夜とお葬式で私と上の姉を見た亡くなった姉の知り合いから、妹さんと姉さんの事は手に取るように解りますと、沢山の方に言われました。。。姉、何をみんなに話してたのか気になります。。。でも、怖くてきけませんでした~
お互い解っていたので、連絡をとってなかったのですが、親友のMちゃんのお父さんも同じ日に亡くなりました。高校生のころから沢山お世話になりました。どうもありがとうございました。