菅井の長岡高専ブログ

長岡高専とその寮・高志寮でのできごとなど。
写真も載せていきます。

新潟中越地震被害報告その10

2004-10-26 23:18:59 | 新潟県中越地震
(その9から続く)

亀田から子供を迎えに来た、という親御さんが現れる。
橋が落ちたけど下道を通って来たとか。
交通はなんとか生きているらしい。

すぐ自宅に電話して、迎えに来て欲しいことを伝えると、
「警察に問い合わせたら道路がつながっていないと言われたから
迎えには行けない。」との返答。現実に来た人がいるから、
と伝え調べなおしてもらう。警察もまだ交通の状況を把握していないらしい。
その後迎えに来れることを確認してからみんなと同様に
同じ方面の生徒を連れ帰れる事を先生に報告。


3人以上なら連れあって寮に荷物を取りに行っていいという
許可が下りたので同じ部屋の3人で取りに行く。
寮の周りが少し臭う。下水管が壊れているらしい。
寮内の館と館の接続部分の壁が一部はげていた。

部屋に入り、乱れた部屋を見て改めて被害を実感。
部屋の壁に刺さっていた画びょうが、
棚の上から床に落ちた木の箱に刺さっていた。
一体どういう現象が…。

少しだけ部屋を整理していたらまた余震。
長くはいれないな、と思いまた体育館に戻る。

親が迎えに来る前に学校の様子を見に行く。
やはり昨日見た5号館が1番被害受けている様子だった。
高専の坂から見える民家は車が傾いていた。(写真参照。)
周りに比べ高専の、特に寮の被害が少ない事に改めて驚く。

(さいごに、に続く)

新潟中越地震被害報告その9

2004-10-26 17:37:09 | 新潟県中越地震
(その8から続く)

朝6時30分、先生が何か叫んでいる声で目がさめる。
朝食がいつ来るかとか、トイレはどこだとか聞こえたような。
しかしすぐまた眠ってしまった。ちゃんと起きたのは朝7時位。


朝食は食堂に残っていたパン2個とジャム、そして牛乳1パック。
ご飯が炊けない時にパンは強いな、と実感。

昨日から風邪でダウンしている1年生は相変わらず辛そう。
朝食も食べていない様子だった。

先生から話があって、学校は暫く始められないから
親に迎えに来てもらって出来るだけ早く帰りなさい、とのこと。

奥の方でテレビを見ている人たちがいたので(写真参照。)
電車で家に帰れるのかどうか聞いてみた。
どうも電車はあまり通じていないらしい。
相当大きな地震被害だということをやっと知る。
橋が落ちて新潟-長岡間の交通がかなり混乱しているとのこと。
車で迎えに来てもらうことが出来るのかどうかも分からない。

テレビの写す映像と、昨晩から増えた被害者の方の数が
地震の大きさを表していた。
電車で帰れるか、という考えが甘かったな、と痛感する。

(その10に続く)

新潟中越地震被害報告その8

2004-10-26 16:55:01 | 新潟県中越地震
(その7から続く)

4号館生と増築館生は柱にヒビが入っていたため入る事が
禁止されていたので寝具が足りない。
1~3号館生が持ってこれるだけ寝具を持ってきたけれど
それでも足りない。そこに県の毛布が配給された。
茶色で薄いけど、燃えにくい生地らしい。しかし臭い。
巨大なヒーターが登場して稼動し始める。暖かい。(写真参照。)

携帯を持ってきたので急いで充電する。
1年生がたこ足配線用の電気ケーブルを持ってきててみんなで
充電していた。そこで充電させて貰いつつ、かなり感心する。

このころになると電話・メールともにつながりやすくなっていて
メールで連絡を取り合う姿も多く見られた。

一部ではお菓子を持ち寄ってトランプをする姿も。
クラスメートの1人はレポートをしていた。学校は暫く休みなのに。


たまに余震が起こるのでなかなか寝付けない。
体が揺れている感じもする。天井のライトが落ちてきたらダメだろうな、
などと思いながら午前2時過ぎには寝ていた。

(その9へ続く)

新潟中越地震被害報告その7

2004-10-26 16:42:26 | 新潟県中越地震
(その6から続く)

3号館の寮生はまず1、2階の生徒が先に荷物を取りに行く。
1、2階の住人が出てくるまで寮の外で待たされてた。
荷物の選定に時間がかかるのかなかなか出てこない。

外で待っている間、氷雪センターから白い煙がでているし、
その隣の建物からは非常ベルが鳴りだした。
白い煙は氷雪センターの冷気やフロンではないか、と先生。
非常ベルについては、
「学校の警備システムを通常に復帰させたら鳴りだした。
だから、また復帰前の状態に戻すってさ。」とのこと。

待っている間に、食堂でずっと待機していた足に怪我した人を
体育館まで運ぶ手伝いをする。怪我した人に、
「菅井君ね、忘れないよ。」と言われる。覚えてますか?
体育館に行く途中で余震が1度。
体育館に着いて、明かりの下で怪我した人の顔を見たら、
去年まで寮生だった人だった。あらら。気付かなかった…。


寮に戻り、少し待ってから1、2階の住人と入れ替わりで
自分の荷物を取りに入る。寮の内側の壁が所々はがれ落ちてる。
廊下の消火用のホースが飛び出したり、ゴミ箱が倒れてたり。

最初避難した時は真っ暗かったから気付かなかったけれど
部屋に入って電気をつけると棚が倒れたり教科書が飛び出したり
凄い有様。足の踏み場も無い、とはこのこと。
気がかりだったパソコンはディスプレイが落ちていたけど
本体は無事。布団や暖かい服などを持って外に出る。

外でまだ来ない人を待っている間にも1度大きめの揺れが。
1年生が腕につかまってたけど僕も揺れているので意味が無いような。


体育館に戻るともうみんな布団を敷いていた。(写真参照。)

(その8へ続く)

新潟中越地震被害報告その6

2004-10-26 15:10:14 | 新潟県中越地震
(その5から続く)

1度友達と学校の様子を見に行く。道路に何か良く分からない物が落ちている。
ブラインドらしい。学校の5号館のガス爆発の影響で飛んできたみたい。
だけど、道路と5号館の窓の位置の関係を考えると、道路に物が
飛んでくる事はないのに…。どんな爆発だったんだ。
5号館の天井も落ちてる。(写真参照。)
道路はところどころ割れたり、隆起したり。


食堂に戻ると食堂脇のテレビがついていた。
この時の情報を見る限りでは大きな被害は無かったんだ、と話していた。
少し前から聞こえるヘリコプターの音は自衛隊じゃなくてテレビのヘリ
だということがニュースを見ていて判明する。

副寮長さんが戻ってきて、もう1度点呼をとる。外出していた何人かは不在。
先生側から第2体育館に避難する、との指示が出る。
第1体育館や、耐震構造の6号館はガス臭いらしい。
体育館に避難した後少人数ずつ寮に戻って荷物を取りに行けるとの連絡も。
体育館へ移動開始。


体育館は電気が入っていなくて、真っ暗の状態。
ところどころ懐中電灯の明かりの周りに人が集まっているのが見える。
点呼をもう一度とってから女子寮生から荷物を取りに戻る。
暫くすると電気がつく。「おぉー」との声が上がる。

自分の住む3号館に順番が回ってくるまで時間があったので
環境都市工学科(旧称:土木科)の先生に質問をした。
「先生、この体育館は地震に強いんですか?」
「いや~、それがわかんねぇんだよね。俺だったら
 テニスコートに避難させるんだけど。」
…テニスコートで寒いのはいやだけど、少し怖くなる。

(その7に続く)

新潟中越地震被害報告その5

2004-10-26 14:53:32 | 新潟県中越地震
(その4から続く)

寮関係の先生、校長先生など先生方も集まりだす。
どこに避難するか相談している様子。

本当は近くの小学校の体育館に避難すべきなのだけど、
その体育館の鍵が空かなくて地元の人は隣の中学校の方に
避難していたりと町も混乱しているらしい。

携帯が繋がらないけれどとりあえず家族に連絡したいと
思っていたとき、寮の管理棟に公衆電話があったことを思い出す。
友達からテレカを借りて管理棟へ。途中で下駄箱がひどく倒れていた。
(写真参照。これは翌日かなり復旧してから撮った。最初見た時には
2~3個の下駄箱が立っていた以外全部倒れていた。)
女子寮の玄関のライトが落ちて、割れていた。
寮でガラス品の被害を見たのはこれが最初で最後だった。

管理棟に入った瞬間、また余震。とてもじゃないがいられなくて逃げる。
でも、ちらっと見た公衆電話は棚から落ちてたから壊れていたかも。

しかし、その余震の嵐の中、管理棟横のボイラー室の管理人
通称”ボイじい”はボイラー室で片付けていた…。
ボイラー室は蒸気が漏れていて蒸し暑い感じだった。
逃げないんですか?と聞くと、「ああ、大丈夫。」との返事。強い。
ボイラーが壊れたから暫くは風呂無しだなぁ、と言われる。


食堂に戻るとさらに人が増えていた。部活や研究をしていた人が来たらしい。
近くの教員宿舎から来たのか、教員の先生も増えている。
暫くしたらぽつぽつと電話が通じるようになってくる。
友達から携帯を借りて、3分程ねばったら自宅に繋がった。一安心。
(その6に続く)

新潟中越地震被害報告その4

2004-10-26 00:56:46 | 新潟県中越地震
(その3から続く)

余震があまりないのをいい事に寮に戻って服を持ってくる人も。
半袖の人に貸したりしてた。

学校で研究をしていた人が足に怪我をしていた。
女子寮生の1人は額に怪我。
風邪を引いていた1年生がダウン。熱がある様子。

みんな携帯で連絡を取ろうとするけれど全く通じない。
携帯を部屋に忘れてきたので持ってくれば、と悔やむ。
しかし電池が切れていたことをすぐに思い出す。むむ。

強い余震が無くなってきたので寒さを防ぐため寮の食堂に移動。
しかしまだまだ小さな余震はしょっちゅう起こっていた。
「食堂の中にいるよりも外にいるほうが安全な気がする」
と言って寒いけど外でお喋りしている人も多くいた。

食堂の業者さんが家に電話していた。道路がだめになってしまっていて
車を出せないから帰れないらしい。

暫くすると町に出掛けていた寮生の一部が帰ってくる。
人を助けた人、店主に「ラーメン代払わなくていいから逃げろ!」と
言われた人と様々。町もなかなか大変な状況らしい。

夜8時、携帯電話はまだ繋がらない。

(その5に続く)

新潟中越地震被害報告その3

2004-10-26 00:11:09 | 新潟県中越地震
(その2から続く)

ラジオを持って逃げてた人がいたのでそこから情報を得る。
小千谷では震度6強だとか、長岡は震度6弱だとか。
驚きの情報の数々。
長岡市役所の地震計が壊れたってのが個人的に一番の驚きだった。

点呼をとると何人か外出していて帰って来ていない人が。
町は大丈夫なのだろうか、帰ってこれるのだろうか。

小さな余震がいくつかしてからまた大きな地震。
恐らくこれが新聞のいう3回目の大きな地震。
これでテニスコート脇のコンクリートの壁が崩れる。
(写真参照。)


暫くして、余震があんまり感じられなくなったころ、
食事を作ってくれている業者さんがおにぎりを作ってくれた。
最終的におにぎり、味噌汁、ヨーグルトと床に落ちなかった食事が夕食に。
味噌汁は揺れでこぼれて量が半分になってしまったらしい。

食堂ではお茶マシーン・コーヒーマシーンが倒れて床にお茶っ葉、
コーヒーが散乱。ソースやしょうゆも床に散らかっててもうてんやわんや。
厨房はというと、食器から巨大鍋までひっくりかえってた…。
熱々の味噌汁を小鍋に移しているときも余震が。こぼしたら…。うひゃー。
食堂の人と寮生に団結が生まれた気がした。

(その4に続く)