パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

第40回「幸村」10/9

2016-10-14 17:18:37 | 真田丸
遂に、幸村誕生!!!

当初から真田丸幸村の名は出てこないだろうと思っていました。

先日、記事にしたように、今ではすっきりとしています。
幸村の名の登場に(^O^)

やっぱり真田幸村だなぁ(´∀`*)ウフフ

幸村の名がくじ引きで決まるという。
こんな描き方も良かったと思います。

村は九度山村の村。
あまり重大な、気持ちのこもった意味を持たせないような感じで
大助が引いた村、面白い
と採用しましたが、九度山村の人達に感謝の気持ち、世話になった気持ちがあるからこそだと思います。

名を変えてまで大坂に赴こうという決断をするきっかけは、
片時も忘れることなく、源次郎を見続けてきたきりの言葉でした。

源次郎自身、解っていても、
一番近くにいて一番見ていて一番の理解者のきりから言ってもらったことで
背中を押してもらったのでしょう。

気持ちが固まると太閤殿下の呼び鈴の音が聞こえ
今までの事が走馬灯のように思い出され
そのすべてが、秀頼の下で家康を倒すことに結びついていたんだなぁと。
回想には出てこなかった場面でも、すべてはそこに、というところがいくつもありました。

真田幸村の運命は、
定説・一般的には、家康を追い詰めるが志叶わず最期を迎える
ということになっていますが、三谷幸喜氏の場合はどうなるでしょうか?

きり佐助も最期を迎えてしまうのでしょうか?

話がここまで来ると、史実(それ自体疑わしいと思うけど)どうとかこうとか関係なくなっています。
希望的観測も含めて、
花の様なる秀頼様を、
鬼の様なる真田が連れて
退きも退いたり加護島(鹿児島)へ

京で流行したわらべ歌のように・・・。

なんて思ったりします。

次回より最終章。
大坂の陣編が楽しみです。

幸村

2016-10-06 17:49:23 | 真田丸
2014年5月12日、
2016年の大河ドラマは
真田幸村の生涯を描く真田丸に決定
と発表されました。

大河ドラマ日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)眞田幸村公
放映の実現を願い、2009年11月から署名活動が開始され、12月からNHKに要望活動を開始。

それから5年、前述した通り決定しました。

真田幸村ではなく真田信繁(実名)として描かれるということでした。

上田ではもちろんの事、世間一般的にも真田幸村の方が有名。

真田信繁とすることに、史実に沿って描かれていくんだなぁ、それはそれで良い事だとその時は思いました。
幸村ってやはり後世に創作されたというイメージがあったので。

あと、この頃の大河ドラマってありえない演出があったようで、そんなことも見聞きすることもあり、極端な脚色をせずに史実に沿って欲しいとも思いました。

上田市民でありながら真田の事についてよく知らない人が多いのです。
まぁ幸村はだいたい解っていても、幸隆って、幸綱って、信綱って、昌幸って、信幸って、信之って、信繁ってと、誰が誰っていう人がほとんどではなかったのではないでしょうか。

学校教育で郷土史に時間を割く事をしてこなかった為にこんな事になったのでしょう。

ちなみに、神川小学校(第一次上田合戦の激戦地にある小学校、別称では神川合戦とも)は私の母校です。近傍には信濃国分寺史跡があります。信濃国分寺については授業でも取り上げられましたが、第一次上田合戦については授業でやりませんでした。

2014年から改めて真田の事を勉強した人も多いのではないでしょうか。

2016年1月10日、第1回「船出」が放送されて以来、第39回「歳月」までが放送されあっという間でした。

真田丸放送開始後、ドラマでは源次郎が一番使われていて、人・時期によって信繁、左衛門佐とも呼ばれていますが、ドラマについて話したりする時はどうしても幸村って言っちゃいます。

そんな中、次回第40回は「幸村」です。
なんとここへ来て幸村の名が登場します。

世間一般的にも、幸村の名が登場する江戸時代に創作された難波戦記・真田三代記などの軍記物や講談等や明治-大正に創作された立川文庫の話を諸所で聴くことによって、その影響がずぅ~と頭に残り、刷り込まれていたのだなぁ~と思っていましたし、先述したように幸村は創作というイメージでした。

それが今年になってある歴史番組をみていた時、現在の大阪城天守閣館長が、
「大坂城入城後に幸村と名乗ったのではないか」
という話を耳にした瞬間、何かハッ!!!とさせられる思いをしました。

そうか!!!そういう可能性もあるよなぁ~と思いました。

そのように思ったのには、幸村の名の説明のほとんどが
は真田家の通字ではある。これについては何一つ異論はありません。
ただ、通字だからと言っているだけで、それを名に使った具体的な経緯が説明されていない。
は徳川家に仇をなす妖刀村正からとか、幸村は村正を帯刀していてそれを家康にめがけて投げつけたとか、何かといちいち家康や徳川家に絡めているところに心底からの不快感があり、
自ら名乗る名に、
いくら戦国武将だからと言って、
いくら武将にとって刀は大事なものだからと言って、
いくら名刀妖刀だと言って、
刀の名から付けるかぁ?

こんな稚拙な創作、つくり話、ウソ話、くだらない話を引用しているから。

私論による幸村の名の創出については
当ブログ、真田丸第38回「昌幸」9/25で記しています。

書状は、ほぼ史実と言ってもいいのだろうなぁ。しかし、読み取り方、解釈によっては正反対の意味にとられることがある。監視された生活中であれば、心では思っていてもその気持ちを書き記す事は出来ないし、また偽って本来の気持ちや姿を隠している事もあると思います。

書物は、話半分って感じだと思っています。しかし、それを引き合いに出して史実だという事になっている事が多い。勝者の都合、恥ずべき事を隠す為とか、脚色された部分が多いと思う。

そして、口述=史実だってあるわけですが、それを証明・知るのは不可能なんですがね。

大坂冬の陣の際、本来の自分である信繁ではなく、
決死の覚悟を決めた今の自分として幸村を名乗って臨んだのではないかと。

そのように、沸々と思うようになっているのです。

話があっちこっちでまとまりのない内容ですが

今では、真田信繁も良いけど、やっぱり真田幸村だね。

第39回「歳月」10/2

2016-10-04 15:23:19 | 真田丸
今まで、九度山での蟄居生活は、
ただただ苦しく貧しいとだけしか書物等には書かれておりませんでしたが
今回のような形で描かれたことは、とても良いと思いました。

苦しく貧しいながらも、九度山での生活には何の不満なく穏やかで幸せな生活があったんだなぁ、そりゃ~そうだよ、14年も居れば住めば都、村の生活・環境に染まっていった。
あぁ~このままでも良かったんだよなぁ~と思いました。

家族愛がテーマですからね、真田丸は。

しかし、そんな穏やかな幸せな生活を一変させる使者が
源次郎のもとにやってきました。

結果が結果だけに、来ちゃった、来なくてもいいのにと思いました。
このままそっとしておいてと。

相変わらずの源次郎きりですが、思えばドラマが始まった1582年2月時点で
共に15歳(1567年誕生説)、あれから29年の歳月が経て44歳。
私と同じ年頃。源次郎に対して菩薩の心で接するようになったというきり
確かに、男女の仲より、本当に幼馴染み、夫婦ではなく切っても切れない心の、真のパートナーとして描かれていくのですね。

きりに対して、私は当初から何の不満もなく
かえって源次郎にとってはなくてはならない存在と思っていました。

お暇なんて言った途端、
本当になくてはならない、ずっと源次郎の傍に居てと思いました。

秀次の娘で側室のたかの登場では更に不安になったが
たかが持ち帰ったサナール(紐)から真田紐を考案する源次郎

その真田紐をきっかけに、きりの仲の変化、きりを慕うようになる

そして、大助源次郎
大助から囲碁を教わり対局する源次郎

何とも、イイ感じの親子で、これもまた結果が結果だけに
涙腺崩壊なシーンでした。

真田紐信繁(幸村)が考案したかは・・・、色々と説がありますが、真田昌幸が上田城下に紬を織ることを奨励したことに始まる上田紬(ドラマでは上田の紬)を引き合いに出して語られたことは良かったと思います。

真田丸制作発表時、幸村を封印し、これまで信繁としてきましたが
ここで幸村が登場とは。

前回も記しましたが、幸村への想いを後日記したいと思います。

次回、第40回「幸村」が楽しみです。



真田丸第38回「昌幸」9/25

2016-09-27 13:44:28 | 真田丸
一人の戦国武将(真田昌幸)が死んだ

遂にこの時を迎えてしまいました。

信濃に、上田の城に、戻ることができないまま
お屋形様(信玄公)のもとへ旅立ってしまいました。

とても悲しくもありながら
清々しい最期だったと思います。

しかし、今回は蟄居生活10年を一気に描かれましたが、10年の時の流れがイイ感じでした。

相変わらずのきりと源次郎の仲。
そこにふってわいたかのような佐助きりへの恋心
そして、亡きお梅に嫉妬する

こういうところに、九度山蟄居生活は、
苦しくて苦しくて大変だった大変だった
としか今までは語られてこなかったのでしたが、
大変だった中にもほのぼのとした場面があったのだという
三谷幸喜氏らしい描き方で、和ませてくれました。

幸村という名の発生には謎が多いのですが
まさかのの継承のし方。このように描かれたか!

真田~幸・・・信繁・・・・・

諱(いみな)は大変大事なもの。特に通字は大切なもの。
第37回「信之」で家康にを捨てろ言われた信幸は大変悔しがりながらも受け入れる羽目になりました。
それだけ大事なものなのです。
通字の継承は通常、子自らの考えで引き継ぐものではなく、親から与えられるものだと解釈しています。

ですので今回、家康に改名させられたことで宙に浮いた昌幸源次郎に託したという描かれ方は非常に良いと思いました。

現在の大阪城天守閣館長は、信繁が大坂城に入城した後に幸村と名乗ったとおっしゃっております。

未だ現代でも幸村は後世の創作との見方が大方です。
が、私は大阪城天守閣館長の説を支持したいと思います。

ただ、の経緯はわかりません。
妖刀村正説は、家康を更に持ち上げるようというか逸話に肉付けしているようで、全くのウソ話だと思います。

勝手な推測ですが、
九度山村の村人への敬意・感謝の意を込めてを用いたか?

やはり心にずっと生き続けていたお梅との間にできた子で、親らしい事を何一つしてやれなかったすえ(すへと書かれることもありますが、またすえとも読む)へのせめてもの償いの為か?

なんてね。

ただ、信繁は嫡男の大助(通称)の諱を幸昌(ゆきまさ)としましたが、これはただ単に父の昌幸を逆さまにしただけの事ではなくを託されたために自身の子にを与えたのだと思います。通字は憧れ・尊敬の念だけで受け継ぐものではないと思います。家の全てが込められているもので後世に託すものだと思います。

が女児(お梅と名付けられる)、大助を産みます。
今回はお梅が産んだ説を採用したようです。
他説は高梨内記の娘(ドラマではきり)との子。

よっぽど悔しかったのでしょうね。家康&秀忠。はいはい。タヌキとボンクラ。

威勢のある快活な豊臣秀頼が登場。淀殿がいなければ・・・この秀頼なら勝てる気がしました。しかし、出る杭は打たれるという。

二条城会見で成長した秀頼にビビっていたタヌキ。思わず頭を下げてしまった姿は痛快でした。
秀吉というより信長の威光が見えてしまったのか?

昌幸から大助へ伝えられたケンカの方法。さすがです。最高です。
昌幸の晩年、大助昌幸から多くを教わったのかな。そうであったと思います。

そして、昌幸から源次郎への遺言
最後の最後まで武将として己がまだまだ成したかった思いを源次郎に託し心から忠義を誓った信玄公のもとへ。

49歳の人生において信繁は、戦のない10年もの間、父と過ごせたことはとても良かったことではないかと思います。たとえそれが蟄居生活であっても、苦しい生活ではあっても、心の底から楽しかったと思います。尊敬する父と一緒に居られたことが。

さていよいよ大坂城入城、という運びになります。
楽しみです。


真田丸第36回「勝負」第37回「信之」

2016-09-26 14:56:37 | 真田丸
第16回「表裏」以降、感想は書きませんでした。
源次郎の大坂での行動・生活がはっきりとしていない為。
多くの武将が登場しその人たちについては詳しくない為。

第15回まではなんとか、文献・資料等で自分なりに調べ、理解した話と真田丸の脚本を見比べながら感想を書いてきました。

それが難しくなったと判断段した為です。

第一次上田合戦よりあっさりと描かれた第二次上田合戦
佐助の知らせで終了した45秒超高速関ヶ原の戦い

まぁ、関ヶ原の戦い散々他のドラマ・映画・歴史番組等でもやったし、歴史の授業でもやってるからこんな程度で良かったのだけれど
第二次上田合戦についてはちょっとあっさりしすぎていて残念でした。真田家にとっては大事な出来事だったのですが・・・。

徳川秀忠率いる軍が上田城攻めを敢行している間、手薄になった本陣(染屋台の染屋城)を戸石城(現在は砥石城)の南東に位置し神川に迫り出した小高い山である虚空蔵山に築かれていた砦の伊勢崎城(山城)から出撃した真田信繁が攻め寄り、それに慌てた徳川秀忠小諸城逃げていくという敗走する姿を描いてほしかった。

伊勢崎城は、虚空蔵山(ドラマで上田城築城の際に出てきた虚空蔵山とは違う虚空蔵山)の頂に築かれた砦。築城者・時期の詳細は不明ですが、真田幸隆(幸綱)の時代に築かれ、戸石城(砥石城)の支城として築かれたようです。

真田丸第36回「勝負」では蚕山と絵図に描かれていました。
実際の山の形ですがに似ています。

蚕の頭の頂に砦が築かれました。


源三郎(信幸)源次郎(信繁)が対峙した戸石城(砥石城)伊勢崎城の位置関係
両城は直線距離で1.6kmほどしか離れていません。

ドラマでは
源三郎は、源次郎の動きをあえて見過ごしたのか?
それとも、父昌幸の奇策に気が付かなかったのか?
戸石城から全く動こうとしなかった源三郎

源次郎が攻め寄せた徳川本陣がもぬけの殻となっていたが、その理由がわからない。
そして半日で終わった関ヶ原の戦い。徳川率いる東軍の圧勝の知らせが・・・。

唖然とする昌幸信繁父子

そりゃ~、そうなります。
あっさりと負けた石田治部源次郎は驚き、
昌幸にしてみれば徳川主力本軍の足止めに成功したにもかかわらず。

草刈昌幸が言っていたように、治部の挙兵が早すぎた。
そして、草刈昌幸がたくさんの兵法を治部に教えておけば・・・

なんて、あの場面を見て思いました。史実がどうとかこうとか関係なく。


父弟の助命と引き換えに縁切り・改名を受け入れた信幸。

家康に出仕し稲を娶った時点で信幸は家康には刃向かえない立場に取り込まれ、それから10年以上も経っており、信幸の精一杯が助命嘆願であったのではないかと思います。しかし、家康の考えはその上をいき、死罪は表向きで、兵金武具なんかより戦の機会を奪われるという、昌幸にとってはまさに生き地獄。それを与えるという。信幸ではそこまでは読み取れなかったのでしょう。死を突きつけられた父弟を救いたい一心だったと思いますので。

そんなところが、第37回「信之」描かれました。

そして、上田城を離れ九度山へ発った昌幸信繁父子。まだこの時は、また上田へ帰ってこられるという期待があったのでしょう。悲壮感も何もなくただただ上田を離れていきました。

しかし、2度と戻ることが許されなかった配流生活になるとは。

といったところまでが描かれました。

第38回は後日に。

お盆休み2日目は・・・8/14 vol.1

2016-08-17 14:54:05 | 真田丸
この日は朝から暑く
とてもじゃないが外に出たくなかったので
16時過ぎから行動。

最初に向かった先は山家神社
アリオりんごを連れて。

目的は御朱印をもらいに。








御朱印


ちなみにこちらがMy御朱印帳

左中央に真田信繁の花押
右側には上から真田信繁の、真田信之(信幸)の、真田昌幸のそれぞれの花押がデザインされています。


続いて
長谷寺へ

夏の長谷寺もイイ感じですよ(*^^*)

そして
真田氏本城跡へ










なんか微笑ましい瞬間でした。

こちらも色濃くなった緑に囲まれています。

名胡桃城祉、名犬牧場へ行ってきたよ6/12

2016-06-14 18:45:41 | 真田丸
真田丸第22回「裁定」で出てきた名胡桃城へ行ってきました。





初めて訪れました。
国道17号線のすぐ脇にあるのでとてもわかりやすいです。
(関越道月夜野ICより国道17号線を
大正の頃より整備したので綺麗な史跡となっています。

沼田城方面が良く見えます。
実際には山の陰にで沼田城自体は見えませんが。






名胡桃城は、名胡桃館(以前は沼田氏の館)に隣接する場所に、天正7年(1579年)、真田昌幸によって築城されました。沼田城攻略の為の最前線基地でした。

小田原征伐後、全沼田領真田氏に安堵され、それに伴って廃城となりましたが、その後、大きく手を加えられることがなかったので、その当時の様子が良く残っています。


実は、
名胡桃城址に到着後、駐車場から馬出し、三郭まで行くと
見学を終えた吉野太夫役の中島亜梨沙さんに遭遇しました!!!

ドラマ中で、源次郎のはからいで太夫のもてなしをした際の
大泉洋信幸と同じ様に見惚れてしまいました。

綺麗でした。
そして、思わず声を掛けてしまいましたが、
思わぬ遭遇で興奮のあまり、名前が出てこず
「あの、あの、・・・、太夫役の・・・」これが精一杯でした。


見学後、昼食を摂りに
向かった先は
イタリア料理のお店、谷川のパスタエルベ
大盛のパスタで有名だそうです。
JR沼田駅より国道291号線をみなかみ町方面へ500m程の場所にあります。

実際に注文してみると
すごいです!!!

セットメニューを注文
その名も
カップル様でアモーレ(4,000円)
アモーレって。時代を先取り?


丼のような、大きなサラダボールのような器にエビたっぷりのカルボナーラ。
他店の通常の2倍以上の量でレギュラーサイズという。ラーメンのようです。

ハーフサイズ(-100円)でも他店の量より多いです。
プチサイズ(-300円)もあります。これが良くある量かな?

その他に、サラダ・料理1品(生ハムのカルパッチョをチョイス)・ドリンク(バナナジュースをチョイス)・デザート(チーズアイスえおチョイス)がセットになっています。

とても美味しいパスタに1品料理。バナナジュースも人気で美味しかったです。
サラダのドレッシングも美味しかったなぁ(*´▽`*)

なんか癖になりそうなお店でした。


その後は、世界の名犬牧場へ、久しぶりです。

アリオは楽しそうに走り回っていました。




ちょっと曇り気味でしたがプールで水遊び(*^^*)


水辺が大好きなりんごちゃん。思いっきり遊べて良かったね(*^^*)

柳町発酵祭り、今年はパンがテーマ5/29

2016-05-31 08:47:23 | 真田丸
酒蔵・味噌蔵・パン屋等、発酵食品を扱ったお店が点在する柳町、そんなところから始まったお祭りです。


今年は市内や県内外のパン屋さんが11出店。



いつもに増して大賑わいでした。
天気も良かったし、ちょっと暑かったかな(;^ω^)

やっぱりパンは強し。
真田丸の影響もあるのでしょう(^O^)/

一部のお店を





どのお店も大賑わいで、11時~16時のお祭り、お昼頃には完売していました。

ニコニコ超会議2016、お初4/29

2016-04-30 18:38:45 | 真田丸
真田丸ブースが目当てで行ってきました。


やはり、安房守(草刈正雄さん)が一番の目当てでしたが・・・
遅めの出発に入場まで50分ほど掛かった為に
お目に掛かる事が出来ませんでした・・・残念・・・

でしたが、その後の殺陣のパフォーマンスと
大坂五人衆の一人、後藤又兵衛役の哀川翔さんのトークショー見てきました。

後藤又兵衛の甲冑姿は、衣装合わせ等含めて3度目で、公の場では初との事。
なかなか似合っていました。今後の登場が楽しみです。




殺陣師、中川邦史朗氏による殺陣パフォーマンス


超・真田丸、題字。挾土秀平氏によるもの





ぐんまちゃん




10の具足が展示されていました。




その他ほんの一部

ホリエモンとひろゆき


アウディはどんなになってもカッコイイ


幕張メッセ近くのコインパーキングでの事
ここしか空いて無く、止めて降りてみるとなんと・・・
隣が浜松ナンバーでその隣が名古屋ナンバーという・・・

新緑に包まれる上田城4/26

2016-04-30 18:00:12 | 真田丸
真田丸効果もあって
例年以上に賑わった千本桜まつり

さすがに一段落ついた上田城
午前9時前に行って撮影しました。
人もまばらで撮影には絶好の状況でした。

桜の花びらも散り、新緑の若葉が萌えています。
そんな姿も魅力的で綺麗です。


先ずは定番の構図で


八重桜がまだ咲いていました。


緑が眩しいです。


顔です。この時間帯が一番良いかな、光線具合。


北櫓と


もう一枚


東虎口櫓門も入れて


新緑に囲まれて


真田石と共に


市民の山、太郎山も入れて

新緑青空、イイ感じです(*^^*)好きです。