
ジョーと青山の試合は、意外な展開となり、最終的にはジョーの圧勝に終わった。
試合の前半は、がむしゃらで、冷静さを欠いたジョーの攻撃が、青山の見事なディフェンスによって、ことごとくかわされ、攻撃の合間をついて青山のパンチを次々にうけた。いくら非力なパンチでも、スキをつかれ、空振りパンチで疲れたジョーには心底こたえた。パンチはかわされ、パンチを受ける・・もはや、ジョーに勝機なし・・かに見えたが、そこから流れは変わったのだ。
ジョーは見栄も、恥も外聞もすて、見よう見まねで防御をした。青山がやるのを真似た。プライドが人一倍強くが、自分のパンチ力に自信を持ち、防御などはなから考えていないジョーが、バカにしていた青山の真似をしたのだ。見よう見まねで不格好に、必死で守った。そして足を使って逃げた。
そうなったら、もはや青山はジョーの敵ではない。自分のパンチがかわされ追い詰められ、重いパンチをもらって青山は戦意喪失し、試合はそのまま終わった。
試合後、段平はジョーと青山を呼び出し、わびた。自分が何をしたのか、そのために人の心を弄ぶような、許されざることをしたことをわびた。すべてはジョーに大切なことを教える為だったと。そのため、青山君を利用したのだと。
段平の思惑通り、いや思惑以上に事は進んだのだと。
段平は言う「ジョーはみずから身を守るため防御をやった!誰の指図も受けず、いつの間にかカバーリングをやり、フットワークを使い、スウェーバックをやった!
どんな名コーチが仕込んでも、これほどうまくはやるまい・・・と思うほど器用にな!」
ジョーはいう「確かに・・・のっけから、ぴょんぴょんはね回るフットワークや逃げの防御「を仕込まれても、おそらく俺は軽蔑して、覚えようとはしなかったろうぜ・・
今まで俺は腕力で負けたことがねぇ、相手を追い回すことはあっても、逃げたことはねぇ・・という自信があったもんな」
さらに段平は言う
「そして、その7は・・孤独との戦いにあった。
ボクサーほど孤独な存在はねぇ。試合が迫れば敵への恐れと自分への不安・・
そしてどんな名セコンドがついていようと、どんな名コーチが控えていようと・・・リングにあがったときからボクサーはひとりぼっちになるという事実。それはもう想像を絶するぎりぎりの孤独地獄だ。その孤独との戦いを知ってほしかった」
手取り足取り教えられることは初歩の初歩だ。言葉や行動で教えられないこと、本当に大切なことはその領域にある。
「突き放す」という言い方をよく耳にする。突き放して、自分で体験するしかないと。しかし、それは大ばくちだ。もし相手に力がなければ、ただの拷問だ。そして、成長するどころか、ひねくれ落ちていくかもしれない。
それまでの間に、基礎体力、信頼関係など、長い長い準備があって、次の段階にすすむ時に必要なことだ。積み重ねがないなか、相手が動かないことに業を煮やして、「甘やかすからダメなんだ突き放せ・・」そんな簡単なことではないだろう。
よく振り返らなくてはならないのは、自分は突き放すだけの資格があるか、突き放せるだけの準備をしてきたかということだ。自分の心に迷いがなければ、そしてその後どうなっても最後は自分が責任をとる・・・突き放すというのはそういう覚悟のもとに行うことなのだと思う。