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心のスケッチブック

ちょっとした言葉で励まされたり慰められたり傷ついたり、心の風景画は壊れやすいガラスのスケッチブック。

気付けば18年目の春

2012-02-24 07:01:45 | 自分史
野鳥?になってから気付けば18年目の春、あっという間の月日でした。
上の仔が小学校6年生、下の仔が小学校2年生でしたから、いやはや光陰矢のごとしですね。
よくもまぁ続けて来れたもんだと自分自身を誉めてあげたいものです。
自分を支えてくれるバックボーン全然なし、資産なし、預貯金多少、唯一あるのはその道の経験値のみ、これで18年の月日を乗り越えて来れたのですから、たぶん運が良かっただけの事でしょう。

自分の好きなフレーズに、ケセラセラ、なるようになる、という言葉があります。
どんなにあれこれ考えたってなるようにしかならないという意ですが、故事に例えるなら人間万事塞翁が馬という所でしょうか。
良い事、悪い事、幸せ、不幸と輪廻するけれど、浮かれたりくよくよしたりするなという人生訓ですが、正に的を射た言葉です。
良い事も一時、悪い事も一時、幸せも一時、不幸も一時、それらは決して長く留まる事は無く、それらは川の流れのように弛まなく流れて行きます。
くよくよしていても始まりません、常に前向きに・・・・・・・。


ところで、競馬、当たりません。(-_-メ)
今週から趣向を変えて単複勝負を封印して、3連複2頭軸流しに挑戦して見ます。
大きめの所、釣りあげたいものですね。

我が人生に悔いはなし

2010-12-07 07:32:22 | 自分史
とっくに定年していなければいけない年齢なのにまだ仕事ができる、これぞ幸せと云わずして何と云おう。人の運命、人それぞれだが、長い人生にはどっちの道を行こうか決断せざるを得ない岐路に立たされる事がある。それが、結局その人の運命を左右する事にはなるが、その結果は、定年を迎える年齢にならなければ歴然と見えてこない。


私の職業遍歴は、某出版社→某不動産→某百貨店→某不動産→現在となっているが、まさかこの自分が経営者になるなど大学を卒業した頃は露とも思わなかった。私にとっての人生の岐路は都合5回、その度毎に自分なりに自分の進路を選んだ事になる。


大学を卒業して出版社に入社した頃の野望は、編集者になる事、その一念だったが、当時編集長であったT氏と出張先で仕事の事で討論となり喧嘩、止むなく編集者の道を閉ざされ退職、負け犬のように帰郷。


帰郷して3カ月後、地元の某不動産会社へ入社。
仕事内容は、Door to Doorの土地を売る飛込み営業の世界。入社した時期が11月下旬ということもあり、鼻水を流しながら1軒1軒営業した辛い記憶がある。大学まで出て飛込み営業、そのギャップに大いに悩み退社。


3カ月後、某百貨店入社。
この会社には長くお世話になったし、この会社に在籍していた時に、宅地建物取引主任者の資格も得た。この資格を得た事が、後々自分の運命を大きく変えていく原動力になろうとは、その時は気づいていなかった。
百貨店のオーナーK氏の弟は、当時、不動産会社を経営していた。多店舗経営を目指していた彼は、宅建免許取得者である私に声をかけてくれた。
マンネリ化で仕事に飽きていた私は、どういう訳かそのお誘いを受けた。


某不動産会社入社。
仕事内容は、賃貸が主、売買はオーナーであるK氏の弟が仕切っていた。ここも長くお世話になったし、社長夫妻には、とても可愛がって頂いた。そんな会社を辞めざるを得なくなったのは、社長が始めた新規事業、住宅建築部門の創設にあった。
安い土地であれば何でもいいという事でお墓に隣接する土地を取得、そこに建て売りをし始めた。
私は大いに反対したが、ワンマン社長である彼はまったくといって私の意見を聞き入れてくれなかった。
案の定建て売り3棟は売れず、売れない要因は、お前の営業力がないからだと云う始末、もうどうにもこうにもならず・・・・。
そういった理由で、愛着のあったこの会社にも別れを告げた。



さて、
何をしようかと思い悩んだ結果、不動産会社を興そうと思い立った。
平成7年2月、某不動産会社設立。
いろんな方に相談したが、誰もが口を揃えて云う言葉は、この不況下、独立という馬鹿な事は考えず使われている方が楽だよという助言ばかり。そんな助言の中で、肝に銘じるべき助言もあった。

”独立、誰でも出来るし約半年は社長の椅子に座ってはいられる、何故だかわかりますか?
それは、仕事をしなくても預貯金で凌げるからですよ、ただし、それ以降は仕事を獲らない限り飢え死にですがね・・・・”

その言葉を聞いた時に、とにもかくにも設立後は我武者羅に突っ走ろうと思いましたね。


あれから16年余りの歳月が流れた。
世の中不況不況と云われながら、どうにかこうにか生き延びて来れた。
この歳だともうとっくに定年だが、未だに仕事が出来る喜びがある。
石原裕次郎の歌ではないけれど、
”我が人生に悔いはなし”

自己改革

2010-11-19 10:26:46 | 自分史
身体を鍛え抜く事もなく過ごしてきた数十年間、節目を迎えた今季、かなり緩めですが日課として散歩を取り入れた。スタート当初は10分も歩けば音を上げていたが、10分が20分、30分、やがて1時間に達すると更にその上を目指してみてみたいという無欲の欲が湧きたってくる。

車で行けばすぐの県立公園も徒歩で行けば1時間余り、帰りの時間を入れれば往復2時間余りだから仕事のある朝はちと辛いが、仕事と云ってもほぼ自分中心で回っている会社だから重要案件が無い日はほぼ毎日が日曜日状態、よし!散歩2時間に挑戦してみようという事で、昨日(11/18)早朝午前4時40分、まだ夜も明けない満天の星空の元、自宅をスタートした。
1時間くらいしか歩いた事の無いわが身で果たして2時間も歩けるのか不安でしたが、日ごろの鍛錬が効いたせいかどうにかこうにか16614歩走破できた。
夜が白々しく明ける朝焼け光景、写メしてみました。




昨日、県立公園まで行けたのなら同等距離にある県立大学も行けるだろうという事で、本日は午前5時スタート。
人っ子一人としていない朝の県立大学。

16958歩走破。


さて、明日はどこを回ろうか??
この歳になって自己改革、おそらく生まれてこの方目覚めた事もない細胞、目を白黒させている事でしょう。



お恥ずかしい話しながら・・・

2010-11-05 07:42:17 | 自分史
お恥ずかしい話しながら、今日11月5日、還暦(60歳)を迎えました。
喜んでいいやら悲しんでいいやら複雑な心境ですが、やっと今は亡き親父やお袋の領域に到達する事が出来ました。
思い返せば、親父が死んで19年、お袋が死んで17年、たった一人の兄が死んで11年、月日の流れは走馬灯のようでした。

○○家の次男としてこの世に生を受け60年生きてきましたが、まさか本家である兄が自らの命を絶つとは露知らず弟は弟なりに自分の牙城を守って生活してきました。幼少の頃は母方の親戚にはよく遊びに行ったものですが、父方の親戚とはどういう訳か疎遠でした。その点、長男である兄は、父方も母方も関係なく自由気儘に交流を深めていた記憶があります。長男と次男の置かれている立場といいましょうか、兄は兄なりに幼少の頃から親戚付き合いを肌で感じ取っていたようです。

親父が生きていた時にはその慶弔は親父、親父が亡くなって兄貴、兄貴が亡くなってこの私へと推移し、今では次男であるこの私が○○家の本家となりました。母方の親戚は幼少の頃行き来してましたからわかりますが、父方の親戚関係は私の脳にはそのデータが無く、今は亡き兄のように振舞ってさえいれば違和感なく父方の親戚の輪の中へ入っていけたような気もします。

60歳、普通の職業なら定年退職ですが、有難い事にこの私には定年退職がありません。
誰からも指図される事もなく、自分の思いのままに大海原を航海出来ます。その幸せ、最近、感じ始めました。


今日、年金事務所へ行って来ます。
サラリーマンを20年やっていたお陰で、「特別支給の老齢厚生年金」を受け取る権利が発生しました。
実に有難いことです。


ついに歳をばらしたお馬鹿な管理人ですが、今後とも「心のスケッチブック」、よろしくお願い申し上げます。

夢のチケット

2010-06-21 04:33:54 | 自分史
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男として生まれて来た以上独立してみたい、誰しもが思い描く夢である。
長い人生には、誰でもが思い描いているそんな”独立”という夢のチケットが突然舞い降りてくる事がある。
そのチケットは、予期せぬ時に突然と舞い降り、その事にさえ気づかない人や気づいていても掴み取る勇気さえない人が大半だ。あなたがあなた自身身軽で若ければ、冒険も出来よう。しかし、老いれば老いるほど背負うものが多過ぎて、そう簡単には安住の地を捨て去る事は出来ない。
居心地のいいぬるま湯から中々抜け出せないのと同じように、見も知らぬ外の世界は怖いのである。
籠の中の鳥でいればその身が果てるまで喰うには困らないが、その籠を飛び出して野鳥となったからにはその日の食い扶持さえ自分で調達しなければならない。


そんな自分にも夢のチケットは、舞い降りた。
上の子が小学校6年生、下の子が小学校3年生の時だから、生活に安定を求めるそんな時だ。
種を植えればすぐ育つ豊沃な大地を捨て、一つ間違えば失敗するかもしれない荒れた大地を耕す勇気、背負うものが大きければ大きいほどその決断には勇気がいるし、失敗すれば家族を路頭に迷わせる結果となる。
わかりやすいようにスカイダイビングを例に取ろう。
パラシュートを背負わなくてダイビングすれば間違いなく”死”に直結するが、パラシュートを身に纏って勇気とパラシュートの使い方さえマスター出来ればダイビングは出来る。しかし、いくらパラシュートを付けていたとしてもランディングに失敗すれば大怪我もするだろう、最悪の場合には”死”に至る事だってあるだろう。
でも、そんな事を怖がっていれば、いつまでたっても永遠にスカイダイビングなど出来ないのも事実。
要は、裏付けされた自信と勇気、独立に要するある程度の蓄えさえあれば、この世の中に怖いものはない。ケ・セラ・セラ、なるようになる、人生はあれこれ考えた所でなるようにしかならない。
考えるだけ無駄だという事が、この歳になって気づかされている。


機会がありましたなら、また語る事にしましょう。



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