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TAMAの日記

現代の「霊柩車」事情①「宮型霊柩車の思い出話」

4月2日(土)

こんばんは。

今日の近江八幡は「花曇り」

やや肌寒い中、今日も告別式参列のため 
琵琶湖大橋を渡って湖西方面へ。

参列者計10人の「家族葬」で営まれたが、
故人は、家族や本当に親しかった人達に
見送られて、旅立った。

「親父もこうして送ってやりたかったな・・」

まだ引きずっている自分が嫌になる。


出棺となり、玄関前に横付けされた
霊柩車は


青ナンバーは付いているが、一見普通の
ミニバンだったのでビックリ。

喪主を務めた従兄弟は

「この団地は高齢者が多いから・・」

今は葬儀も簡素化の流れだし、見た目が
悪いという事で、昔はよく見られた「宮型」
霊柩車は、どんどん数が減っているらしい。

ここでまた昔話だが・・・

かつて宮型霊柩車の製作現場に潜入した
ことがある。

あれは三菱ふそう時代、地元のJAから
トラックを受注した時だ。

近江牛でも松坂牛でも、種はほぼ但馬牛が由来で、
その仔牛達が淡路島の仔牛市場で競り落とされ、  
各地の産地に運ばれて、各々の名産牛になると
JAの担当者から聞いた。

ついては、競り落とした仔牛を運ぶ運搬車を 
製作してくれとの依頼だった。

しかし、それまで各畜産農家がやっていた
事を今回JAが初めて手掛けるという事で、
たたき台となるトラックはJAに無く、
全く一からの製作だ。

私は、それまで取引のあったボデー会社に
片っ端から当たったが、何処も家畜の糞尿
による腐食対策の難しさに二の足を踏み、
見積も出来ずに途方に暮れていた。

すると、ある先輩から

「三重県の松坂市に、良いボデー製作会社が
あるから、問い合わせてみたらどうか」

とアドバイスをもらい、早速電話したところ
わざわざ松坂から社長が来てくださり、
JAの担当者も交えて打ち合わせが出来て
見積書を提出、その後も紆余曲折あったが、
最終的に稟議を経て受注に至った。

シャーシを搬入して、ボデー製作がある程度
進んだところで、ユーザーにキチンと仕様通り
製作出来ているかを確認してもらう「検収」を
行うため、JAの担当者を連れて松坂市にある
工場に入ったその時・・・

「宮型」霊柩車が、まさに製作途中だった。

「社長、霊柩車も作っておられるんですか?」

「これは道楽みたいなもんでね・・・」

「相当手間ひまがかかってますね、売ると
なったら相当なお値段になるんじゃ・・・」

すると、経理を担当する奥さんが

「社長のこだわりが強すぎて、超赤字ですよ
全くもう・・・」

社長は頭を掻きながらも

「やっぱり、おかしな物は作れんからね」

ここの作るボデーは、霊柩車に限らず
トラックボデーでも丁寧に製作されるので
仕上がりにユーザーも感激して、結構な
リピーターもいた。

もちろん、JAに納車したトラックも
大変好評だった。

しかし、職人仇の社長のこだわりは高コストに
繋がり、次第に経営を圧迫。

さらに「宮型」霊柩車の販売不振がトドメと
なって破産となり、廃業されてしまった。

破産の報を聞いて、紹介してくれた先輩と
すぐに伺うと、社長が一人ぽつんと座り
私達に

「こんな事になってしもうた・・・」

寂しく呟かれた。

最近「宮型」霊柩車を見る機会は、とんと
無いが、私はあの霊柩車を見るたび
打ちひしがれた社長の姿を思い出して、
違う意味で気持ちが沈むのだ。

ちなみに、私がJAに納めた家畜運搬車は、
社長が丈夫に作りすぎたお陰で
令和の今も元気に走っているのを
見かける(笑)




霊柩車の話を不快に思われる方も
おられるかもしれませんが、
もう一回だけ続きます。

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