風のいろ・・・

どんな色?

ひどく偽善に思われどうにも腑に落ちない・・・

2023年12月27日 | 羊の群

 

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まり子には皆目見当もつかない。

考える内に段々腹が立ち、最後まで手前勝手な輝子に親としての無責任さを胸中で語る。

まり子の心は悲しみではなく、むしろ恨めしが大半を占めた。

輝子の着ていた白いワンピースは、居間に掛けられた額縁の油絵と同じだった。

唯一父親が描き残した若き日の輝子の肖像画だ。

輝子は生前毎日その絵ばかりを眺めていた。

いかにも懐かしむように虚ろな眼差しを向けていた。

まり子はそんな輝子を軽蔑していた。

母親としての最低ぼ役割さえ放棄し、病的なくらい無気力で冷たかった。

常に周囲の人間を無視するように殻に閉じ籠ってばかりいた。

結局一度も心を通わすことなく、輝子を好きにもなれらかった。

後悔に似た感傷はあっても母親を亡くした痛みはない。

十七歳の少女にはかえってそれが悲劇ではなかったか。

この家の人間模様はすでに崩壊していた。

なのに今更憔悴し、しょげかえる信宏が、ひどく偽善に思われどうにも腑に落ちない。

何かしっくりいかない割り切れないものがある。

輝子の死は、花嫁衣裳に身を包んだ花嫁のように、何故か幸せそうに見えた。

あんなに安らいだ顔は肖像画の中でしか見たことがないのだ。

それにしても自殺という人生の終わり方は、逃げ口以外のなにものでもなかった。

自分は捨てられたのだと改めて実感した。

残された人間のことなど何も考えない、最も卑劣なやり方だと、まり子はそう思った。

さしずめ、先のことを考えると気が重い。

家には兄と自分との二人きりになる。

この時点で良子の存在は頭の中にはなかったが、忍び寄る不気味な気配は感じていた。

 

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小説「羊の群」より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

God Bless You ❣

 

 

 

 

 

 

 

 


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人の思惑を超越して予測もなく・・・

2023年12月26日 | 羊の群

 

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時間にしたらほんの一瞬だった。

なのにその幸福感と充実感は、今まで味わったこともないくらい甘美に広がる。

それは涙が出そうなほどの喜びの回復だった。

信宏は急いで部屋に戻る。

自分の胸に手を置く。心臓が動いていた。

当たり前のことが嬉しかった。

自分は生きている、そういう実感だった。

血液は脈動し体中を巡っている。久しぶりの躍動感だ。

まり子が一瞬にして信宏を蘇生させた。

いいや、厳密に言えばそれはまり子自身ではなく、人を愛おしく思える気持ちが人を生かした。

それを信宏は知った。この気持ちこそが奇跡だった。

自分のような罪深く冷酷な人間にさえ、芽生えることのできる命を育む尊く純粋なもの。

それこそ生きるために最も必要な力なんだと思えた。

いや、体験を通しての実感だった。

信宏はこれを、愛などと陳腐な名で呼びたくなかった。

何故ならこの力は死と隣合わせに存在し、肉体の快楽とは遠く隔たっていたからだ。

何故なら元来自分の中にあったものではなく、突然心に現れ、人の思惑を超越して予測もなくやってきたからだ。

まるで天から与えられた魂の呼吸、やっと深く息ができたような感覚に似ている。

信宏はこの世に初めて生まれてきたような気さえしていた。

そして、それが錯覚と言うにはあまりにも瑞々しく新鮮だった。

この日以来、信宏の世界は色が塗られ輝き始めた。

しかしその六日後、怖ろしく信じ難い事件が起きた。

 

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「羊の群」より

 

 

 

 

 

 

 

God Bless You ❣

 

 

 

 

 

 

 

 


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人間は直視すべきだと思うよ・・・

2023年12月23日 | 羊の群

 

「江戸時代の墨絵や唄等に登場するカラスは、ハシボソカラスといって、昔から田畑を歩き土の中の虫や実を食べて生きていたカラスだったんだ。

しかし東京からすっかり田圃がなくなり、高層ビルが建ち並ぶようになると、ハシボソカラスは餌がとれず姿を消した。

それと入れ替わりにそれより体の大きい、由来森に住むハシブトカラスがこの都会にやってきた。

これが近年トラブルメーカーと悪名高い、都会のカラスの実態というか、歴史なんだ」

 

佐野は突然別の話を始めた。

誰からも嫌われ不気味がられている、真っ黒な姿をしたカラスの話を。

 

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「柔軟な発想と、慎重で用心深い知的動物のハシブトカラスが、何故都会に姿を現すようなったと思う?」

 

「それは彼らの暮らしていた森がなくなったからですか?」

 

「さすがだね、その通りだよ。

人間がカラスを都会に招き入れたことになる。

カラスは正直に生きているだけさ。

僕だってこいつらには迷惑している。

だけど常に問題の底に隠れている真実を、人間は直視すべきだと思うよ」

 

 

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「人が出した生ゴミが原因と言われているけど、即ちそれは都会の餌食がカラスを呼んだ。

それに皮肉にも、都会のビル街が伐採された森の構造に似ているのも要因だ。

肉食のハシブトカラスは、元来高い場所から狙いを定め獲物を捕らえるという習性がある。

それをそのまま生かすのに、高層ビルは森とさして仕組みが変わらない。

彼らは夫婦仲が良く、一生の間つがいを替えず共に子育てをするんだ。

むしろ歪んでしまった人間の失ったものを、このカラスは昔から変わらず守り続けてきた。

変わったのはカラスではなく、人間の方さ」

 

「そうだとしても、これ以上カラスが増え続けていいはずがありませんわ。

確かに人間は愚かなです。

莫大な資金を費やし絶滅寸前の動物を保護したかと思えば、増えすぎた動物は殺すという悪循環を繰り返しました。

こうした自然の摂理を曲げたのは、自分の野心ばかり考えてきた人間側ですわ。

でも、増えすぎた人間を殺すわけにもいきませんでしょう」

 

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「もしもこのカラスが、色とりどりの鮮やかな鳥類だったら見方も同じとは限らない。

黒い容姿に、人間は端から毛嫌いしている節はないだろうか。

ふとそう思うところがあって、つまらないカラスの話などしたんだが、僕はそんな人間のエゴを言いたかったんだ」

 

 

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「羊の群」より

 

 

 

 

 

 

 

 

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運とかチャンスは実力だけとは限らない・・・

2023年12月21日 | 羊の群

 

「まだ若いからかな、生活が荒んでゆくばかりで困っているんだ。

あんなに才能があるのに。

僕はね、今まではなの歌でどれだけ助けられてきたかしれない。

だからこそ、その才能を伸ばしてやりたい、手助けしたいんだ」

 

 

「いくら才能があっても、歌は心が大切ではないかしら。

他人を感動させるのは才能ではなく、その人の生き様が問われるのだと思いますわ。

たとえ苦しい困難な環境があろうとも、選択するのは本人の意志です。

誰のせいでもないと思いますわ」

 

 

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「手厳しい意見だね。

それはそうなんだが運とかチャンスは実力だけとは限らない、不条理や理不尽なこともある。

チャンスは決して平等には訪れてはくれず、実に残酷な場合もある。

はなの場合が、まさしくそうだ」

 

 

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小説「羊の群」より

 

 

 

 

 

 

 

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くたびれた神経に触れた・・・

2023年12月20日 | 羊の群

 

「死ぬつもりであそこへ行ったんだ。多分、そうだったと思うよ。

もう昔のことで今ではすっかり笑い話だけどね。

確かにあの頃の僕は、生きていることに息が詰まりそうだった」

胸の内を明かした。

 

 

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「初めて耳にしたはなの歌は、言いようのない優しい旋律で僕のくたびれた神経に触れた。

それは深い慰めに満ちていて、心の深淵にまで達する安らぎだった。

生まれてきた素のままの自分に戻されていくような、肩から余分な力が抜け落ちていくような。

少しも躊躇わずに泣けた。

止めどもなく泪が零れたあとには、死にたいと思う暗い気持ちが薄らいでいた」

 

 

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「確かに彼女の歌にはそんな力がありますわ。

あの若さで、人の心を瞬時に捉えるテクニックは圧巻です。

そんな脅威とも思える彼女の歌声は、まるで魔法のようですわ」

 

 

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「はなは見ての通りアメリカ人との混血だ。

詳しい事情は知らないが、小さい頃から母子家庭で育ったらしい。

十六の時その母親も亡くなり、単身大阪からこっちに来たんだ。

マスターの古くからの知人の娘ということで、いつの日からあの店で歌うようになった」

何か言いたくない只ならぬ事情があるのか、話の終わりに間延びした言い方をした。

 

 

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小説「羊の群」より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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