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スポイチ編集長日誌

最近はGTAオンラインの攻略ばっかりです。
日付そのままで修正・追記したりします。

常に背後に潜むは「クササー」なり

2008年06月05日 | その他
もしも、あなたがふとしたきっかけで、あるいは好奇心から死の淵をのぞき込んだ時に、本気であなたのことを心配して止めたりしてくれる人が居る一方で、おもしろ半分にあなたの背中を押したり、無表情で、あるいは薄笑いを浮かべながらあなたの背後からあなたの尻を蹴飛ばそうとするような人間も居るのだ。必要な「教育」とは、そのような悪意の塊のような危険な人間たちもこの世には現実に存在しているのだという厳然たる事実を教えて注意を促すことではないのか。闇の中で待ち受けている奴らの存在を否定し、”安全で平和なお花畑”の幻想にただ浸らせていたのでは、突然目の前に現れる”奴ら”に接したときに、失わなくてよい命を失ってしまう人間が増えるだけだ。


すべては、一つにつながっている。


ブログのコメント欄を承認制にするべきか?いっそ廃止するか?

もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。――極東ブログ

あなたのブログのイヤなヤツ――極東ブログ

チープ革命の逆説――雑種路線でいこう

あなたのコメント欄を承認制にしなさい。でも私のは開けとく――404 Blog Not Found


あるいはネットの”有害な”書き込み、あるいはネットを使ったいじめ

ブログに「死ね」の書き込みで自殺 周囲や事業者に何ができたか――雑種路線でいこう

ネット規制よりもユーザーによる制裁を――池田信夫 blog


ここ数日の、古くて新しいテーマとも言える、ブログのコメント欄の存廃をめぐるやり取りや、ネットを使ったいじめへの対応とネット規制について、あるいは職場のクソッタレや職場・学校でのいじめ…。

ちょっと見には、それぞれは直接関係ないように見える事柄だ。しかし、実は全部つながっている。


その共通鍵となっているのが、「クササー」だ。


「クササー」とは何か。
ここで言う「クササー」ってのは、「クサす人」、つまり、
ただ他人を批判し、貶め、口を開けば他者の悪口(陰口)ばかり言ったり書いたりしている人間
のことだ。
「くさす」って漢字だと「腐す」だけど、今風に書くと「草す」「wす」って感じだろうか。

常に上から目線で「www」というような返し方しかせず、「建設的な話をしろ」と言われれば、
「そんなことはオマエが考えろよw」と、「フフン」と鼻で笑い、ただ他者や物事をクサすのみ。
そういや「フフン」って誰かの態度にも似てるな。


実は、この手のタイプの人間こそが、現在のネガティブな事象において、その多くの場合に引き金の役割を果たしている。

別に「くさす」ことが全部悪いというわけではないし、特に昔は、別にクササーでもよかったのかもしれない。
マスコミの論調からしても、「批判精神を」とかいって、とりあえず誰かをクサしておくだけで記事一本書けちゃったし、そもそも何かを「提案」したりソリューションを示すのはマスコミの役目ではないと言うこともできる。
そういえば、「とりあえず批判するだけ」「反対するだけ」の大御所と言えば、「社会党」なんてのもあったな。

だが、今や「クササー」の価値は、急激に低下している。
つまり、にわか評論家・素人コメンテーター、特に他人をクサすだけの「クササー」の市場価値が暴落しているということだ。
今の時代には、ただ「problem」ばかりを並べたてているだけで「solution」を示せない人間は、低い評価しかされないのだ。

当然だ。
何も生み出さず、生産性の向上にも貢献せず、ただ誰かを貶めるだけの存在が、現代の企業社会で高評価を受けるはずがなかろう。

ついでに、特にネットのような書きっぱなしの場においては、批判とクサしとイナゴと荒らしの境界がどんどん曖昧になってきている。

では、どのようにして「クササー」がネガティブな現象における引き金役となり、そして今では低い評価しかされなくなってきたのか。そして対策はあるのか。
クササー対策は、「フィルタリング」やネット規制、いじめ対策、職場のクソッタレ対策とも関連しているのだ。


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