スポイチ編集長日誌

最近はGTAオンラインの攻略ばっかりです。
日付そのままで修正・追記したりします。

なぜ俺らは業務用冷蔵庫に入るのか

2013年08月11日 | 社会
最近、コンビニのアイスケースだとか、バイト先の店の業務用冷蔵庫に入ってサボっている写真を公開して「炎上」するという事件が相次いで発生した。

疑問点は2つ。
・なぜ彼らは業務用冷蔵庫に入るのか?
・なぜ彼らはその模様をネットに公開するのか?


最初の疑問。
なぜ彼らは業務用冷蔵庫に入るのか?
そりゃ暑いからだよ!
他に理由なんてない。
暑すぎてネットするのも億劫だよ!


■そこに冷蔵庫があるからさ
昔から真夏の店舗でバイトをする若者たちは、少しでも涼しいサボリ場所を見つけるべく心血を注いできた。
今さら言うまでもなく、日本企業は「お客様第一主義」で、客が立ち入らない、従業員しか居ないようなバックヤードのような場所の環境は劣悪で、冷房も入っていないなんてことは珍しくない。
特に販売業や客商売のバイト先において、少しでも涼しいサボリ場所を求めて野良猫のようにさまようバイトたちが、業務用冷蔵(冷凍)庫にたどり着いたとしてもなんの不思議もない。

ちなみにだいぶ昔の話だが、俺がショッピングモールでバイトをしていた時は、生ゴミの集積場で涼んでた。
生ゴミは1日に何度も回収されるので、生ゴミ集積場とはいえそんなに生ゴミだらけではないし、腐敗防止のためか空調が効いており低温に設定されていたからな。それでもほんのり生ゴミ臭いのが欠点だったが…。
何?休憩場所は無かったのか?だと?
あったけど、休憩時間は10分と決められてて、しかも10分おきに「支配人」が見回りに来るんだよ!「休憩ルームでオレと2回会ったヤツはサボリ!!」というわけだ。わざわざ支配人が見回りしてるんだぞ。信じられないだろ。まあ、そんなことをやってたからか、そのショッピングモールはほどなく「経営不振」で買収されてしまったがな…。

これが工場とかだと、入ったら中から開けられない業務用冷凍庫でカチンカチンとか、「あまりに暑いから工業用スライサーの刃でひんやり~→物理的に首カット」みたいな、命の危険にかかわる目に遭うおそれもあるけど、コンビニとかファーストフード店程度ならば、そんなに危ないものは置いてないから、命の危険も起きにくい。


■学歴なんて、関係ない
しかしここ数日、なんで業務用冷蔵庫に入って写真を撮るのかって話が、「低学歴だから」「底辺だから」みたいな話にすり替わってしまった観があるが、それは違うと思う。
学歴のある金持ちエリートが犯罪行為をネットに晒して「炎上」したケースなどたくさんある。そうした例を出すだけで、学歴原因説には意味が無いことが分かる。


■なんでネットに晒すのか
では、なぜ彼らはアイスケースとか業務用冷蔵庫に入った写真を自ら公開してしまうのか?
技術の進歩で写真を撮って公開するまでのステップが急速に簡単になったとか、SNSを身内だけが見るものと勘違いしているからとかいろいろ言えるが、根本的なことは、そうした行為をする者達は、「外部からの視線を認識できない状態」にあるからだということになるだろう。


■他者の視線を正しく認識できない状態、つまり…
小集団の中では、「おれ、ツレ、以上。」で完結する環境というのは、実在する。
これは、たとえるなら一昔前のアドベンチャーゲーム(AVG)のようなものだ。
昔の一般的なAVGでは、ゲーム画面は「自分(画面には映らない)と相手」で完結しており、自由に視点を移動させることも出来ず、「自分」と「会話相手」以外の他の人間は存在しないか、モブ扱いにされている。いわゆる「自分(とダチ)以外は皆風景」というやつだ。
だから、自分を客観的に第三者的な目線から見ることも出来ないし、ネットに公開したモノに対する、「自分とツレ」以外の人間からの反応など、想像もできない。
これは、「自分と周囲の仲間」というごく限られた小集団の中で世界と価値観が完結してしまっており、「自分たち以外の、外部の人間や組織からの視線や評価が存在するということを正しく認識できない状態」だと言える。
そして、彼らは自分たちの行為が外部から指弾されることにより、初めて外部と「遭遇」すると、今度は過剰なまでに反発するのである。
彼らは「客観的」という言葉が存在することは知っているが、彼らが「客観的にしろ」と言った場合、その意味は「もっと俺(ら)に配慮しろ」とか「俺(ら)の言い分を取り入れろ」というものになる。
こういう集団や組織を、昔から存在していたにもかかわらず、最近になって「発見」されたという意味も含めて、「集団・組織のアスペルガー化」と呼んでいる。
だとすれば、もはやちょっとやそっとの「リテラシー教育」や「啓蒙活動」などでは、彼らによる不適切な行為の発生を抑えることは不可能である。だって、知識の不足とか不勉強が原因ではなくて、障害だからということになるのだから。


■アスペルガー化した企業や集団による不祥事や犯罪行為
外部から切り離され、自分たち以外の価値観や視点の存在を解さず、逆に外部を敵視してますます閉鎖的になっていく集団という点では、新興宗教やカルト政治団体がその典型と言えるし、自分たちにとっては重要だが、外部にとってはどうでもいいことに「こだわって」しまうような組織や企業の行動もこれの一種だといえる。例えば、「事象と事故の違い」にこだわって記者会見の場で力説してしまうなどの行為のことである。


■アスペルガーブラック企業
そういえば、「なんで我が社だけがブラックと批判されるのか!?」と激しく反論している企業があったが、そりゃあ彼らが確信犯的に自らの価値観を正しいものと信じこんでおり、社会一般の価値観と激しく対立しているにもかかわらず、お構いなしに自らの価値観を力説し続けているからこそ、猛反発を受けるのである。
一般的な「ブラック企業」は、自分たちの行為が社会的に批判されるものであり、法的にもグレーまたはアウトであることをよく知っているので、そうした価値観をおおっぴらに外部に向けて語ることはなく、だんまりを決め込んでいる。
このように、自分たちの(世間では受け入れられない)価値観を大真面目に一方的に語ってしまうような企業もまた、アスペルガー的だと言える。


■立ち回りの上手い人は「俯瞰の風景」を使う
印象ではあるが、「外部の価値観や視線を認識できない人」の意識が、「自分」と「相手」だけで完結するAVG的だとすると、他人や世間を相手にした立ち回りというか要領のいい人は、自分の置かれた立場や他者からの視線を客観化して、周囲との関係性を一瞬で把握することに長けているようだ。
衛星からの俯瞰の視点から一気にズームインしてプレイヤーの一人称視点になる…というのはFPS等でよくある演出だが、対人関係や対世間であまり失敗しない人は、こういう視点の切り替えを意識して瞬時におこなっているように見える。


■バカがいるからこそ世の中は楽しい
とは言え、一般社会の価値観とか、世間とか世論なんてのも、その実態はいくつかの小集団による、最大公約数的なものにすぎない。
世間を相手とした立ち回りの上手い人とか、社会的に要領のいい、失敗をしない人とか、そんな賢しい人々だけの社会というものが、そんなに素晴らしいものだとは思えない。

暑いからと業務用冷蔵庫に入ってしまい、仲間に受けるだろうというだけの理由で写真を公開してしまうような迂闊な人間が一定数存在するからこそ、この社会の多様性とか、ビジネスが成り立っている面もある。
そして、彼らが「外部」を認識できないのであれば、このような「炎上」「不祥事」は舞台と形を変えて何度でも起こるのだろう。



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