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BeansBurntToGems

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「笑う 笑えば 笑おう♪」国語のテスト(50点満点)

2013-11-11 | 文学
「笑う 笑えば 笑おう♪」(作詞:青木久美子)の歌詞を読んで、以下の問いに答えよ。(50点)

一. 空欄a~fを下の選択肢から選んで埋めよ。(配点 2点×6)
「笑う 笑えば 笑おう」は、[ a ]行[ b ]段活用の動詞「笑う」の活用形であり、「笑う」は[ c ]形、「笑えば」の 「笑え」は[ d ]形、「笑おう」の「笑お」は[ e ]形である。なお、[ e ]形には「笑わない」のように否定の[ f ]詞 をつける用法もある。

(選択肢)
ハ、ラ、ワ、上一、下一、三、四、五、下二、未然、連用、終止、仮定、命令、形容、副、助、助動

二. 「光より速く届け 笑顔たち」とあるが、「笑顔たち」が「届く」の意味として、もっとも近いものを選べ。(配点 10点)
ア. 相手に自分が送った物が届く
イ. 相手に自分の気持ちが伝わる
ウ. 相手が自分の直接触れるところにいる
エ. 相手に自分の性質が受け継がれる
オ. 相手が自分とシンクロナイズする

三.「花も嵐も乗り越え」について、以下の問いに答えよ。
(1)「乗り越え」るという動詞の用法について、もっともふさわしくないものを選べ。(配点 5点)
ア. 人生の荒波を乗り越えてきた。
イ. 幸運を乗り越えて命拾いした。
ウ. 犯人は塀を乗り越えて逃げた。
エ. 師匠の技術を乗り越える。

(2)「花」と「嵐」という表現はそれぞれ何かを象徴していると考えられるが、ここでいう「花」と「嵐」の関係にもっとも近いものを選べ。(配点 10点)
ア.「快楽」と「苦痛」
イ.「笑顔」と「泣き顔」
ウ.「上り坂」と「下り坂」
エ.「雨」と「台風」

四.
(1)「笑う 笑えば 笑おう」という言葉を表す10字以内の言葉を歌詞から選んで抜き出せ。(配点 3点)

(2)この歌の歌詞を通して作者は何を伝えようとしているか。もっともふさわしくないものを下から一つ選んで記号で答えよ。(配点 10点)
ア.悲しいときにも笑顔で乗り越える心持でいることが大事である。
イ.困難を乗り越えてきた「私たち」は、悲しみに打ちひしがれている人の力になりたいと思っている。
ウ.文字に表せる言葉がなくても、人と人は通じ合うことができる。
エ.辛い出来事に遭って悲しんでいる人たちが一刻も早く笑顔になれるように訴えている。
オ.「笑う 笑えば 笑おう」とは楽しい時、嬉しい時にこそ唱えるべき幸せのおまじないである。


Pixar's 22 Rules(3)

2013-09-27 | 文学

#16: What are the stakes? Give us reason to root for the character. What happens if they don’t succeed? Stack the odds against.


(登場人物を応援するべき理由を作ろう。もし成功しなかったらどうなるだろう?彼らにとって不利な状況を作ろう。)

登場人物を不利な状況に置くというのは感情移入のための一種の「定石」なのだろうか。日本人には判官贔屓という言葉があるが、弱いものには、そのような立場だった自分をつい重ねてしまう。強いものに対して憧れの気持ちはあるが、視聴者は彼らの人間的な側面があってこそ彼らを愛することができるのだ。そうであるからこそ、強い側面を素直に認めることができる。

#17: No work is ever wasted. If it’s not working, let go and move on - it’ll come back around to be useful later.


(どんな作業も無駄にはならない。上手くいかなかったとしても、先に進もう。いつか役に立つ。)

書き手に留まらない、人類に共通の普遍的な指針。物語を書けない時だけでなく、何をしても空回りで、努力が報われない時、このルールを思い出そう。
ただ、努力をしていない人、試さなかった人にはこのルールは無価値だ。

#18: You have to know yourself: the difference between doing your best & fussing. Story is testing, not refining.


(自分自身を知ろう。つまり好調な時と不満な時の違いを知ろう。物語は自分自身を試している。自分自身に磨きをかけているのではない。)

物語を書き続けていけば、どんどん洗練されていく、と思うのは大間違いだ。書き手の調子は最悪のコンディションとベストコンディションの間にある。できあがった物語はそれを反映するだけ。
書き上がったものが以前よりも低い評価しか得られなかったとしても、それはただ不調だというだけの話だ。

#19: Coincidences to get characters into trouble are great; coincidences to get them out of it are cheating.


(奇妙な偶然の連続によって、登場人物がトラブルに巻き込まれるのは素晴らしい。が、奇妙な偶然の連続によってそれを抜け出すのはチートだ。)

厳しい。しかしその厳しい条件は観客の視点そのもの。作家の意図がどうであれ、観客はそのように見てしまう。そしてそれは、案外世の常でもある。
そういえば「あまちゃん」でも、家族を捨てて逃げたユイの母親に対して、春子が説教していたシーンがあったが、壊すのは簡単でも、壊したものを戻す事は本当に難しいのだ。

#20: Exercise: take the building blocks of a movie you dislike. How d’you rearrange them into what you DO like?


(練習問題:あなたが嫌いな映画の構成要素を挙げよ。それを用いて、あなたの好きな映画を作れ。)

組み合わせ方によっては、好きになることができる。となると、嫌いな理由とは何だったのか…?
そこに本質を見いだすことができる、ということなのだろうか?

#21: You gotta identify with your situation/characters, can’t just write ‘cool’. What would make YOU act that way?


(他人事みたいに「凄かった。」なんてうそぶいてちゃダメだ。キャラクターやその場面と一体化しなければならない。どうすれば登場人物が…ではなく、あなた自身が、そのように振る舞うだろうか?)

又聞きの話はつまらない。自分が体験した話であれば、人の興味を引く事もできる。作家は、架空の物語を作らなければならない。
物語を作るためには主観的に物語を体験しなければならない。作家は、その発達した想像力によって、自らが作った物語の中に入り込む。
そうして「体験」してきたことを、今度は巧みな表現力を活かして、人に語る。

#22: What’s the essence of your story? Most economical telling of it? If you know that, you can build out from there.


(あなたの物語の中で一番重要なものは何だろう?一言で説明するとどうなる?それがわかれば、それに基づいて物語を組み立てていくことができる。)

これを意識しない作品は、「結局何がいいたかったの?」ということになる。大山鳴動して鼠一匹、壮大なストーリーは何も残さずに記憶から消えていく。
例えば「愛」がテーマの映画であれば、ストーリーの詳細が理解できなかったとしても、少なくとも視聴者は「愛」を感じ取って映画館から出て行くだろう。
それは決して結果的にそうなった、というのではない。元々は「愛」から作り出されたのだから、それは必然なのだ。

参考サイト:
http://gigazine.net/news/20130320-pixar-22-rules-of-storytelling/
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6818792.html
http://imgur.com/a/fPLnM
http://imgur.com/a/MRfTb

「メガネをかけたら」感想

2013-08-26 | 文学

突然、メガネをかけるように言われた。嫌だ。どんなメガネもかけたくない。そんな少女のささやかな成長物語が「メガネをかけたら」である。

メガネの装着を躊躇う少女に奇跡が起こった。「奇跡」について詳細は、ネタバレを避けるために書かないでおくが、その「奇跡」に驚いた少女は、かけていたメガネを通して担任の先生のウインクに気づく。そして同時に少女は担任教師の粋な計らいに気づいたのだった。彼女は忌み嫌っていたメガネの長所と、そんな彼女を励ます担任の暖かい心に同時に気づくことができたというわけだ。

 この物語の小さな奇跡を通じて変わったのは、彼女が忌避していた外的な要因ではなく、彼女自身である。物語は彼女の翌日の姿までを描いていないが、読者には容易に想像することができる。翌日、彼女が枕元のメガネを見て、好奇の目で見られることを思い出すであろう。しかしそんな彼女を取り巻く愛情も、同時に思い出すだろう。その愛情が彼女を確かに成長させたのである。

 彼女の気持ちがわからないメガネユーザーは、極端な話、円形脱毛症になって学校に行く気持ちを想像してみればいいと思うが、この物語における「メガネ」は、単純にマイノリティを表す記号に留まらない。「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という。同様に、「メガネを買い与えることはできるがメガネをかけさせることはできない」。嫌だと思えばメガネを外して窓から投げ捨てることだって容易い。継続的な使用には、確実に自主的な意志が必要になる矯正器具だ。メガネをかけるために必要なのは、メガネをかけようと思う気持ちである。

 いずれにせよ、彼女の不快感や葛藤は決して小学生女児に特有のものではなく、人生における普遍的なイベントである。だからこそ、ラストに描かれた「小さな奇跡」の暖かさは、読者の老若男女を問わずじんわりと胸を打つはずだ。

EhonNavi 「メガネをかけたら」