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紙のメモの価値

2015-01-08 | 雑感

 自分は紙のノートとペンを使ってメモをとることが多い。今日職場で理由を尋ねられたので、一応その理由などについて書いておく。

  • 話の筋や内容を可視化し、理解のヨスガとすることが第一の目的
    • つまり「」に読むためではなく、メモをとっているその「」に使うためのもの。
  • PCでメモをとらないわけではない。紙もPCも一長一短あるので、用途に応じて使い分ける

紙のメリット

  • 図を楽に自由に書ける
  • 速く書ける
  • テキストのレイアウトが自由にできる
    • PC上の通常のエディタだと常に上から下(線的)になり、話の流れを整理しづらい
  • 考えや話を直観的に表現しやすい(大きく書く、小さく書くなどのデコレーションも、テキストの記述と一体化しており分割できない代わりに直観的作業として行うことができる)

紙のデメリット

  • 漢字変換できない、コピペできない、Undoできない、共有しにくい
  • モノなので後々ゴミになる 
  • 書いた字が後から読めないことがある
PC上で様々なことが実現できるようになって、逆にアナログの価値が逆にクローズアップされている感もある今日この頃。
よくよく考えてみると物理的な空間のリッチさは、コンピュータ上の世界とは全く別のベクトルに向けて特化されている。
まだまだ過渡期と思うが、アナログとデジタルの価値がそれぞれ正当に、過小/過大評価されることなく評価されるようになったとき、そこに現れる世界は思いのほかアナログなものになるのかもしれない。
 
 

 


祖母の歌

2013-08-30 | 雑感

母方の祖父が今年はじめに亡くなった。

祖父は92歳だった。2人の娘をもうけ長年、本当に長年寄り添ってきた夫婦である。祖母は葬儀場で布団に横たわる、すっかり小さくなって微動だにしない骸に寄り添い、その顔をじっと見ていた。

祖母は86歳、頭はしっかりしているとはいえ、体力は衰え記憶力も落ちている。祖父が体調を崩してから、思うように体が動かない自分へのふがいなさ、ストレスで時に感情的に周囲に当たる祖父の世話に、口には出さないものの、かなり参っていたのかもしれない。

昨年末に入院して急激に衰えた祖父は、一旦危篤状態に陥った。その姿はあまりにも小さく哀れであった。そこから医者も驚くほどの回復を見せた祖父だったが、入れ歯を外した口で昼夜を問わず喚き続け、点滴の管を外してしまう祖父が付き添いの家族も手を焼いていたが、静かになってしまうよりは余程安心だった。
その後、一旦病院から施設に移ることになり、このまままたしばらくは安泰か、というところで突然の訃報であった。

夫を失ったショックが、祖母の心身の健康になんらかの悪影響を与えるのでは、という懸念があった。
一人になった祖母は、祖父の生前と同様、近くに住む叔母の世話になったが、母もまた月1度の割合で地元に帰省して祖母の面倒を見ることにした。今年のお盆に、姉夫婦と従兄弟も帰省して、祖母の周りは、短期間ながらまた少し賑やかになった。

祖母の前でピアノを演奏した姉に、祖母は「仰げば尊し」を弾けるかと尋ねた。珍しいことを、少し場が沸いた。姉はリクエストに応じてその曲を弾いた。祖母はその旋律に合わせて歌い始めた。母と叔母は驚いてその歌を聴いていた。祖母が歌を歌うところなんて、これまで聞いたことがなかったのだ。お婆ちゃん歌えるんだね、皆は笑顔で拍手した。

祖母がなぜその歌を思い出したのか、それまで歌ったことのない祖母がなぜ歌ったのかはわからない。