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BeansBurntToGems

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LINE

2013-09-07 | PC、モバイル

今更ながらLINEをインストールした。
電話代わりに使おうとしていたので、友達は数人しか繋がっていない状態だが、そんな状態でもこのアプリの革命的な要素「スタンプ」の凄さには否応なしに気づかされる。

スピード感

スタンプ一覧を表示させ、スタンプをタッチ。それだけでスタンプは相手のスマホに送信される。これまでのような「送信」ボタンはどこにもない。いわばスタンプ自体が送信ボタンである。
「(文章を)選択→送信ボタンをクリック」という2段階のプロセスから、「スタンプを選択」のワンプロセスへの変化。そして送信の遅れによる待機は一瞬たりともない。完全なるストレスレスなコミュニケーションである。

徹底的な制約

  • スタンプは文字と一緒に送ることができない。(※)
  • スタンプは独自の形式によって管理され、画像をスタンプとして送ることも、スタンプを画像として保存することもできない。
  • スタンプはワンタッチで送信され、削除も編集もできない。

言語としての画像

これまで、写真共有サイトやSNSでの写真投稿というのは数多くあったがそれとは根本的に異なる。
LINEにおけるスタンプは会話の唯一のツールとして用いられる。そこにおいては自然言語さえ排除される。言葉を使わず画像のみを送信することにより、画像に表現されているキャラクターの表情やしぐさ、動作、すなわちノンバーバルなコミュニケーションによって相手に自分の気持ちを伝えるというのは、これまでIT上では使われてこなかった(あるいは使うことができなかった)発明である。
これまでのインターネット上に存在した、同等の位置づけのものを探したら、「アスキーアート」が連想される。アスキーアートは文章に対する補助的な位置づけで用いられていた顔文字の発展形といっていいのではないかと思うが、これに時折付与される自然言語は、スタンプにおける「OK!」「NO!」「I love you」「Happy Birthday」といった文字列にも近い。アスキーアートは一部の「職人」と、扱いに慣れたヘヴィユーザーのみが生み出し、用いることができたツールだったが、これを洗練させ、一般のユーザーが誰しも使うことができるようにしたシステム。LINEをそのような観点で特徴づけることも可能だろう。

LINEの意義

先に、スタンプがアスキーアートがリファインされたもの、という意味のことを書いた。確かにスタンプ自体はアスキーアートの発展形であるといってもよいかもしれない。しかしその運用に関しては、既存のツールと同列に扱うことはできない。表現不完全なメールによるコミュニケーションの歪みという問題を笑い飛ばすかのように、「ほぼナンセンスな画像を、感覚のままに送信してしまう」というツールの設計は、これまでのメールやSNSの地平の延長線上にあるものではない。ネットが得た、全く新しいコミュニケーションなのである。

こういった革命的なツールというものに対する自分の印象としては、なにやら天才の所業を目の当りにした感覚とよく似ている。誰の発明なのかしらないが、天才というのは時代が作るもので個人に帰属されるものではないとするならばその仮説は全くもって正しいと感じる。

※ただし、タイムラインにおいては許可されている