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Unit 『航路-ハンロ-』 の稽古風景。

Mayの座長-金哲義と、劇団タルオルムの座長-金民樹による
Unit『航路-ハンロ-』の稽古日誌。

マダン劇『蛇の島』でUnit航路-ハンロ-はチェジュドに行って参ります。

2011-04-24 02:53:20 | 4.マダン劇『蛇の島』
入国不許可。臨時パスポートは今年も降りず、

相方ー金哲義氏と、楽士で行くはずであったエスギは行けなくなりました。


Unit航路-ハンロ-、3年目のチャレンジでしたが。

無念です。

金哲義氏の劇団Mayの劇団員、柴崎辰治さん、斉藤友恵さん、宇仁菅綾さんと共に、

『蛇の島』を引っさげてチェジュへ行って参ります。

<4.3平和人権マダン劇祭>です。


真なる平和とは、真なる人権とは。

韓国の津々浦々の劇団がチェジュの地に集まります。

霊魂を思い、我が身に流れる血を想い、日本に残る事を強いられた二人を思い、

そして彼と私の劇団員の気持ちをしっかと受け止めて、

行って来ます。

27日に出発です。5月3日に戻ります。

航路は29日が公演日です。


・・・・・・・・去年10月に移住した両親にも半年ぶりに会える訳ですが、
どんな顔をして会えば良いのか、わかりません。

『蛇の島』一旦終了しました。そして続くかもです。(民)

2011-04-18 08:22:24 | 4.マダン劇『蛇の島』

短くも濃い稽古と準備期間を終えて、『蛇の島』無事に終了いたしました。
お寺という中、全力で支えてくださったスタッフの方々、
そして出演してくれた皆さん、お手伝いくださった方々に
感謝です。
本当にありがとうございました。


1948年の境にして、約6年6ヶ月続いた『チェジュ4.3事件』。

事件といえども国家権力によって3万とも4万とも7万とも言われている大虐殺が
約60年前にあったわけです。
いまだに名簿として整理されているのは15000人。
残りの方々は、いまだに名前すら歴史の犠牲者として記録されておりません。


リゾート地とのイメージが強いのではないでしょうか。
リゾート地チェジュ。

・・・

私も、金哲義氏も、故郷をチェジュにもつ者として
毎年大阪で行われる『チェジュ4.3慰霊祭』(東京でもやっているそうです)に
お芝居という形で参加させて頂いた事を、胸に刻みます。


公演直前、お手洗いに行く途中、タタミの部屋からとてもなまった日本語が聞こえてきました。
一世のハルモニであることをすぐに気づきました。
彼女達は遺族です。
本当に震えました。

30分の短い間、
一緒に笑い、手をたたき、歌い、怒り、泣きました。

遺族達は、私達を見ながら、私達の向こうの死者を想ったはずです。

芝居は最後に献花に流れます。
お花を泣きながら添える方、
チョル(朝鮮、韓国式のお辞儀)をする方、
数珠を持ってお経を唱える方がいらっしゃいました。

お芝居を終えた私は、隅っこでそんな方々の姿を見ておりました。

悲しいチェジュ島の歴史。
そして目撃をし、家族を殺された人々。

胸に刻みます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真は舞台セットとなった一番下にひいた布。
               殺された方々の名前を書いてあります。
               500人ほどでしょうか。
               当日は15000人の名前を手分けして紙に書きました。


・・・続くかもと書いた理由はまた明日に。