大学1年の夏だった。親父から、「読んでみろ」と渡された本がある。城山三郎「一歩の距離」だ。
子供の頃、毎年8月になると、TVはどのチャンネルでも「玉音放送」を流していたし、「8.15シリーズ」なる映画も、毎年、新作を封切していた。我が家に於いても、予科練で終戦を迎えた親父は、「大儀の、無節操とも言うべき大いなる転換」に戸惑い続けながらも、その影響を色濃く残した人生を送っていた。「戦争体験」は、折に触れ、家庭で語られていたのだ。
「一歩の距離」ー親父が拘ってきたことの、ひとつなのかもしれない。以降、城山三郎氏は、私にとって、「親父が教えてくれた」特別な作家となった。
社会に出ると、城山氏の経済小説が愛読書になった。何冊、読んだろう。特に「乗っ取り」の疾走感と、デカダンスが好きで、何度も読み返したものだ。
「バブル崩壊」以降、価値観・倫理観の大いなる転換を感じる昨今、「名著」と呼ばれる経済小説を読み返す時、「現代では通用しない」モチーフも多い。しかし、その中でも、「不変」のこと、「不変」であるべきことを語ってきたー城山氏は、そんな作家ではなかったろうか。
「指揮官たちの特攻」が上梓された時、「これが最後の小説でもいい」とまで仰ったそうだ。嗚呼!
「気骨の作家」=城山三郎氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
<時事通信より>
『経済小説の第一人者で「落日燃ゆ」「毎日が日曜日」などの著書で知られる作家の城山三郎(しろやま・さぶろう、本名杉浦英一=すぎうら・えいいち=)氏が22日午前6時50分、間質性肺炎のため神奈川県茅ケ崎市の病院で死去した。79歳だった。名古屋市出身。自宅住所は非公表。葬儀は親族のみで行い、後日、お別れ会を開く。喪主は長男有一(ゆういち)氏。
海軍の特別幹部練習生として終戦を迎える。戦後、東京商科大学(現一橋大学)に進み、愛知学芸大(現愛知教育大)講師などを務めた。商社員の過酷な仕事ぶりを描いた「輸出」で文学界新人賞、1959年には企業の裏側を描いた「総会屋錦城」で直木賞を受賞し、経済小説の先駆者として注目された。
63年から文筆業に専念。実業家渋沢栄一の伝記「雄気堂々」や、A級戦犯として処刑された広田弘毅元首相の生涯を描いた「落日燃ゆ」(吉川英治文学賞、毎日出版文化賞)など、実在のモデルを主人公にしたノンフィクション風の小説を執筆。
自らの戦争体験を原点に「大義の末」などの戦争文学も手掛け、幅広いジャンルで活躍した。「黄金の日日」はNHKの大河ドラマになった。96年に菊池寛賞。個人情報保護法案の審議中には、「表現の自由を脅かす」として強く反対した。』
子供の頃、毎年8月になると、TVはどのチャンネルでも「玉音放送」を流していたし、「8.15シリーズ」なる映画も、毎年、新作を封切していた。我が家に於いても、予科練で終戦を迎えた親父は、「大儀の、無節操とも言うべき大いなる転換」に戸惑い続けながらも、その影響を色濃く残した人生を送っていた。「戦争体験」は、折に触れ、家庭で語られていたのだ。
「一歩の距離」ー親父が拘ってきたことの、ひとつなのかもしれない。以降、城山三郎氏は、私にとって、「親父が教えてくれた」特別な作家となった。
社会に出ると、城山氏の経済小説が愛読書になった。何冊、読んだろう。特に「乗っ取り」の疾走感と、デカダンスが好きで、何度も読み返したものだ。
「バブル崩壊」以降、価値観・倫理観の大いなる転換を感じる昨今、「名著」と呼ばれる経済小説を読み返す時、「現代では通用しない」モチーフも多い。しかし、その中でも、「不変」のこと、「不変」であるべきことを語ってきたー城山氏は、そんな作家ではなかったろうか。
「指揮官たちの特攻」が上梓された時、「これが最後の小説でもいい」とまで仰ったそうだ。嗚呼!
「気骨の作家」=城山三郎氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
<時事通信より>
『経済小説の第一人者で「落日燃ゆ」「毎日が日曜日」などの著書で知られる作家の城山三郎(しろやま・さぶろう、本名杉浦英一=すぎうら・えいいち=)氏が22日午前6時50分、間質性肺炎のため神奈川県茅ケ崎市の病院で死去した。79歳だった。名古屋市出身。自宅住所は非公表。葬儀は親族のみで行い、後日、お別れ会を開く。喪主は長男有一(ゆういち)氏。
海軍の特別幹部練習生として終戦を迎える。戦後、東京商科大学(現一橋大学)に進み、愛知学芸大(現愛知教育大)講師などを務めた。商社員の過酷な仕事ぶりを描いた「輸出」で文学界新人賞、1959年には企業の裏側を描いた「総会屋錦城」で直木賞を受賞し、経済小説の先駆者として注目された。
63年から文筆業に専念。実業家渋沢栄一の伝記「雄気堂々」や、A級戦犯として処刑された広田弘毅元首相の生涯を描いた「落日燃ゆ」(吉川英治文学賞、毎日出版文化賞)など、実在のモデルを主人公にしたノンフィクション風の小説を執筆。
自らの戦争体験を原点に「大義の末」などの戦争文学も手掛け、幅広いジャンルで活躍した。「黄金の日日」はNHKの大河ドラマになった。96年に菊池寛賞。個人情報保護法案の審議中には、「表現の自由を脅かす」として強く反対した。』