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sou16の物理学的な週末 ~sou16's Physical Weekends.

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西遊記 第7日目(書きかけ)

2024年03月26日 | 旅行


5:58、起床。
さあ、いよいよこの旅行も大詰め、勝負の日です。
今日はアフリカ最西端の村を目指します!
多少悪路かも知れないけどレンタカーがあるんだし、
勝負の日という表現は大袈裟では?とか思ったそこの貴方。
ここがアフリカであるという事実を忘れていますね?


アフリカ最西端の村、Monte Trigo(モンテトリーゴ)へは
車道が1本も通じておらず、
最寄りの集落であるここTarrafal(タラファル)から
延々11.2kmも荒野を歩かなければ到達出来ないのです。
携帯電話の電波は通じず、エスケープルートも一切無い一本道。
そこで何か不測の事態が生じたとしたら…


覚悟を決めて踏み込みます。
一応、宿の人に訊いて
朝8時に出れば大丈夫だろうとの情報を得たので従います。


Tarrafalから数百mほどは車道整備が進んでいます。
もしかすると、Monte Trigoまで車道を延ばす計画があるのでしょうか?


向こうの山肌に見える道もかなりしっかりした形に見えるから、
意外と車道化工事が進んでいるのかな?


と思った途端にこれです。
歩道にしても酷いな…
最後の最後の関門ならともかく、
11.2kmの道の初っ端からこれというのは先が思いやられます。


どうやら、ここにはワジが横切っていて
降雨の度に道が削られてしまうようですね。
本気で車道化するなら洗い越しで誤魔化すのではなく
ちゃんとした橋を架けないと駄目そう。
というか、歩道にしても吊り橋くらい架けても良くない?


と思ったら急に高規格になったり。
ここ轍があるようにも見えるんだけど、
車が入って来られるようなルートがあるのか…?


縦しんば車が進入してきたとてすぐにこんな道になりますが。
というか、対岸の歩道の様子で否が応でも認識してしまうんだけど、
この歩道思い切り基礎の部分が崩れ落ちている真っ最中じゃない…?
余程大丈夫だとは思いますが、
気休め程度に山側に寄って歩きます。

 

To be continued.


西遊記 第6日目

2024年03月25日 | 旅行

5:00、起床。
タクシーでNelson Mandela国際空港
(ネルソン・マンデラ国際空港)に向かいます。

カーボベルデは9つの有人島から成る島国です。
となれば、首都のあるIlha de Santiago(サンティアゴ島)だけでなく
他の島も巡りたいと思うのが人の性でしょう。
特に、Ilha de Santiagoを含む南側のIlhas de Sotavento
(ソタヴェント諸島、風下諸島)と
北側のIlhas de Barlovento(バルラヴェント諸島、風上諸島)は
方言も微妙に違っており、
日本で言うところの西日本と東日本くらい雰囲気が違うと思われます。
Ilhas de Barloventoも行ってみたい!

船で周ることも出来ますが、運航パターンが不定期な上に
ギリギリにならないとスケジュールが公表されない為、
我々のように限られた時間で旅行する人間には不向きです。
となると、必然的に飛行機の国内線を使うことになります。

しかし、カーボベルデの国内線を一手に引き受ける
Bestfly Cabo Verde(ベストフライ・カーボベルデ)は、
明日3/26から始まる2024年夏期のスケジュールが
何と未だに公表されていない有様です。
元々は3月最終週のみ有給休暇を取って
3/23から旅行を始める予定だったのですが、
その所為で3/25の便に間に合うように春分の日スタートになり
仕事に追われまくったりした訳です。

 

が、それで一件落着とはならないのがアフリカ。
このBestfly Cabo Verde、保有する3機の機材の内
プロペラ機のATR 72-500は2機とも故障中で、
唯一無事なエンブラエルERJ 145LRがワンオペ体制で回しています。
空港のある7島の内3島はATR 72-500でしか着陸出来ない為
原理上全便欠航とならざるを得ず、
昨日などはその他の島も含めて全便欠航になっていました。
我々が目指す島の空港はERJ 145LRで着陸可能なので
まだ可能性はあるのですが、果たして…


勝ったッ!
どうやら運航されるようです。
何故か元々予約していた朝一の3B433便ではなく
一本後の臨時便らしき3B833便に振り替えられていましたが、
この際そんなのは些末な問題です。


唯一のERJ 145LRが戻って来るのを待ちます。
まだERJ 145LRがこの1往復の間に何らかの故障を起こして
Bestfly Cabo Verdeが機能停止に陥る可能性もあるか…


いや、流石にそこで躓くような悪運ではありませんね。
ちゃんと戻って来ました。
少し遅延していますが。


11:00発3B833便に搭乗。
機体にBestfly Cabo Verdeの名は無く、
航空機と乗務員のレンタル企業である
Amelia International(アメリア・インターナショナル)の
塗装が施されています。


窓から見えたIlha do Fogo(フォゴ島)。
あそこは今飛行機でのアクセスが出来なくなっている島です。


11:38、Cesária Évora国際空港(セザリア・エヴォラ国際空港)に到着。
Ilha de São Vicente(サンヴィセンテ島)にやって来ました!


乗合タクシーで中心街に向かいます。
えらく砂っぽいですね。


Ilha de São Vicenteの中心都市、
港町Mindelo(ミンデロ)にやって来ました。
Ilhas de Barloventoで最大の町であり、
カーボベルデ全体で見てもPraia(プライア)に次ぐ第二の都市です。


Cape Town(ケープタウン、2017/9/1-2)の
Sea Point(シーポイント、2017/9/1)を彷彿とさせる高級感。
欧米人観光客も多く見掛けます。
これは紛うことなきビーチリゾートですね。


ということはつまり、我々の最終目的地はここではありません。
ここから更に島を渡ります。


14:00発CV InterIlhas Linha Barlovento(CVインテリリャス バルラヴェント航路)
Chiquinho BL号(シキーニョBL号)に乗船。


"CV InterIlhas"とは"Cape Verde Interisland"、
つまり「カーボベルデ島間」の意味。
その名の通り、カーボベルデの島と島を結び、
航空便の無い島にとって外界への唯一の交通手段を担っています。
上述の通り運行パターンが不定期で使い難い中では
このL1とも呼ばれるLinha Barloventoは
毎日同じ時刻に2往復していてとっても便利な路線です。
なお、一番酷いL4ことLinha Triangular(三角航路)は2週間に1往復です。


何かメッチャ面白そうな小島があるー!
Djeu(ジェウ)という名前の島のようです。
白亜の灯台が建てられていますね。
小型船が1艘接岸しようとしているけど、上陸出来るんだろうか。


日本なら十中八九「軍艦島」か、
あるいは「靴島」とでも名付けられていそうなDjeu。
調べてみるとダイビングや磯釣りが出来るそうですが、
我々はそのどちらもしないので通過します。


お目当ての島が近付いてきました。
かなりの大きさです。
この島、Ilha de São Vicenteの3倍を優に超えて
Ilha de Santiagoに次いでカーボベルデで2番目に大きいのですが、
人口はIlha de São Vicenteの半分にも満ちません。


15:09、Ilha de Santo Antão(サントアンタン島)に到着。


カーボベルデ最西端、ということは必然アフリカ最西端の島
Ilha de Santo Antãoに上陸しました!
ひたすら西を目指すのがコンセプトである今回の旅に於いて
この島は絶対に外せませんでした。
そりゃもう計画は苦労させられましたよ…


が、相当頑張ったものの最後の極めて重要なピースをはめられていませんでした。
レンタカーです。
とても広いIlha de Santo Antãoを巡る足として車は必要不可欠。
それなのに、日本から連絡を取れるレンタカー屋が無く、
このフェリーターミナルに一縷の望みをかけることになりました。
果たして…


あった!
最後の1台を借りることが出来ました。
直後に来た人が断られていたので本当に滑り込みだったようです。
これまたSUVのルノー ダスター。
ルノーと言いつつ、実際はルーマニアの自動車会社ダチアの車です。
勿論初のルーマニア車です。


そしてまさかのMT車です。
何と、よりによって頻繁なギアチェンジを強いられそうなこの島で
人生初の左ハンドルMT車を運転することになろうとは…
ちなみに、日本の右ハンドル車と左ハンドル車を比較すると、
ウインカーとワイパーのレバー:左右反転
クラッチ、アクセル、ブレーキの配置:そのまま
シフトパターン:そのまま
と左右反転しているものとそうでないものが入り混じっていて、
中々に頭が混乱します。


路面がフラットだったら良いなあ
という淡い期待は最大の町Porto Novo(ポルトノヴォ)の
市街の時点で打ち砕かれ、
この島は基本的に石畳舗装しかないことを知りました。
でもまあ、石畳はそこまでMTにとって不利ではないか…


激坂で山脈を越えていくのはMT車にとって明確に不利ですが。
法面に落石防止措置が一切施されていない石畳の道は
まるで中世にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えさせます。


峠に辿り着きました。
Miradouro de Campo Redondo(ミラドーロ・デ・カンポ・レドンド)、
直訳すれば「丸い野原の展望台」です。
峠の名前っぽくはありませんが、
360°展望が効くことからその名が来ているのでしょうか。


おお、何と壮大な景色!
ここはアンデスか、はたまた火星か。
1,500mちょっとの標高しか無いとは信じられない光景です。


おや…?
あの人何個もポリタンクを担いで歩いているけど、
一体何処まで歩くつもりなんだ…?
というか、帰りはあの数のポリタンクを満タンにした上で
歩荷して帰ってくるのか…?


我々が進むのはこちらの道です。
奥の方は雲が掛かっていますね。
カーボベルデの降水量の少なさは
Corrente das Canárias(カナリア海流)の冷気によるものなので、
雨こそ少ないですが雲や霧はそれなりに発生します。


では雲の中に突っ込んでいきます。


すぐに抜けました。
見掛け倒しだった。
ここから海岸線目掛けてうねうねと下っていきます。


今夜の宿がある集落が見えてきました。
しかし、ここでちょっとした問題があります。


実は、Googleマップでは道路が集落の大分手前で途絶しているのです。
昨日のFarol Ponta Moreira(モレイラ岬灯台)までの道でさえ
Googleマップに載っていたので、
本当に車で辿り着けるような経路はあるのでしょうか?
航空写真と照らし合わせるに、Googleマップ側の怠慢でもなく
本当に車道が途切れているように見えますが…


それでは、運命の答え合わせです。


道が未舗装になって下がっていったかと思うと…


そのまま砂浜に突っ込みました!
千里浜なぎさドライブウェイ(2013/12/23)のように
固く締まった砂という感じでもなく、
普通にハンドルを取られる感じの砂です。
スリップやスタックしないように慎重に走ります。


おっ、町だ!


車道の終点、Tarrafal(タラファル)に到着です!
車でアクセス出来る町としてはアフリカ最西端に位置します。
昨日行ったIlha de Santiago(サンティアゴ島)の北端の街も同じ名前なので、
Tarrafal de Monte Trigo(タラファル・デ・モンテ・トリーゴ、
トリーゴ山のタラファル)とも呼ばれます。
"Tarrafal"が果てとか岬みたいな意味なのかとも考えたのですが、
実際はギョウリュウという木の一種
"Tarrafe"(タラフェ)に由来しているそうです。


何処も彼処も斜面になっていて
お世辞にも住み易そうには見えませんが、
Ilha de Santo AntãoではPorto Novoに次ぐ人口を抱える集落です
(と言っても、一極集中しているので10分の1未満)。


か細いながらも沢が流れているので、
貴重な淡水を確保出来るということで栄えたのでしょうか。


アフリカほぼ最西端の夕陽。
この木がTarrafeなんですかね?


日が落ちると人々が広場に集まって何やら音楽をかけ始めました。
夕方の井戸端会議でしょうか?


町を歩いていたら日章旗の描かれた建物を見付けました。
"Unidade de Apoio a Pesca Artesanal"(伝統漁業支援施設)
とあるので、伝統的な漁業を継承する為の施設のようです。
魚市場か冷凍庫かと思った。


暗くなったので宿に戻って夕食。
ここでもThieboudienne(チェブジェン)っぽいご飯が付いていますね。
蜂蜜を原料としているというお酒も頂いたりして
アフリカほぼ最西端の夜を満喫しました。


西遊記 第5日目

2024年03月24日 | 旅行


6:16、起床。
何やら集団が大通りを練り歩いています。
十字架を持っている様子を見るに、日曜礼拝の何かでしょうか?
若干怖いので通り過ぎるのを待ってから外出します。


通りにあるパン屋で朝食。
元ポルトガル領らしくPastel de Nata(エッグタルト)もありました。


さて、今日はIlha de Santiago(サンティアゴ島)を巡ります。
アフリカかつ島となると公共交通機関は望むべくも無く、
それでいて結構な大きさがある
(面積は991km2で知多半島の3倍弱)ので、
レンタカーを借りて運転することにします。
この為にちゃんと国際運転免許証を取得して来ました。

…が、実はここで問題があります。
日本で発行した国際運転免許証は
カーボベルデで効力があるかどうかが良く分からないのです。
国際運転免許証はジュネーブ交通条約に基づくものと
ウィーン交通条約に基づくものの2種類あり、
互換性は無くお互いに独立したものとして扱われます。
日本は前者しか締結していないので、
逆にウィーン交通条約しか締結していない国では
日本発行の国際運転免許証は無効ということになります。
それで、カーボベルデは正にその
ウィーン交通条約しか締結していない国なのです。

但し、条約は締結していなくても
二国間の取り決めがあればOKな場合もあり、
実際ドイツはそういう例になっています。
しかし、カーボベルデは訪問する日本人が少な過ぎて
ネット上でもレンタカーについて言及している日本人が居ません。
果たして、車は運転出来るのかどうなのか…


出来ました。
何も問題視されることなく、
日本の国際運転免許証を提示して普通に車を借りられました。
法規上問題無いというよりは、
運用がガバガバで誰も気にしていないという雰囲気ですが…
この辺り、無免許で原付を貸してくれたツバル(2020/2/4)を彷彿とさせます。
アフリカというよりは島国ならではの雰囲気ですね。
車は四駆のヒョンデ コナでした。
人生で初めて運転する韓国車です。


まずは真新しいUniversidade de Cabo Verde(カーボベルデ大学)へ。
いや、ここを目的地として来た訳ではなくて
道沿いにあったので停まってみただけですが。
カーボベルデ最難関の大学だそうです。


Universidade de Cabo Verdeが
Praia(プライア)市街地の縁になっていて、
そこを過ぎると無人の荒野のような景色が広がっています。
しかし、滅茶苦茶道路状況が良いな…
日本の島でもここまで道路が整備された島は見たことがありません。


しかし、そんな快走路を以ってしても尚、
島の反対側に出ようとするとかなりの時間が掛かります。
1,000km2近い面積は伊達ではありません。


そして、火山島なので起伏が激しいです。
基本的にあらゆる道が峠道という感じです。
運転していて楽しいですね。


地図で何やら面白そうなスポットを見付けたので
Assomada(アソマダ)の街から脇道に入って下っていきます。
何処まで自動車で行けるのか良く分かりませんが…


急坂をある程度下ったところで
転回・駐車可能なスペースがあったので、
ここに車を停めて歩くことにします。
島とはいえここはアフリカ。
この周辺の治安が良いのか定かではないので足早に済ませます。


道沿いの斜面は全て開拓されており、
石垣で固められたキャベツ畑などが広がっています。


お目当てのものが見えてきました。


Mafumeira、日本ではカポックやパンヤノキと呼ばれる巨木です。


Park Poilão(ポイラン公園)という公園になっており、
子供達が遊んでいたり、おばちゃんがバーベキューに興じたりしています。
地域住民憩いの場なんですね。


丸々とした太い幹と根っこなのかと思いきや、
湯葉のように薄い根っこです。
昔から地域の拠り所として親しまれてきたのでしょうか。
日本なら御神木として神社が建てられそうですね。


御神木に旅の安全を祈ったらドライブ再開です。
近くを歩いていた人が
「上の大通りまで乗せてくれないか?」
と頼んできましたが、
まだカーボベルデの治安を信じ切れていないので断りました。


炎天下の斜面を歩いて喉が渇いたので、
ガソリンスタンドで水を買います。
米国を始めとした海外諸国でコンビニの代わりになるのがガソスタですが、
カーボベルデでもちゃんとその役割があるんですね。


水分を十分に補給したら、
カラカラに乾き切った北部へと向かいます。


Ilha de Santiagoの中心都市であるPraiaから
最も離れた位置にある北部の街、
Tarrafal(タラファル)にやって来ました。
まともな公共交通機関が無い中で
こういう離れた街まで地元の人達がどう移動しているかというと、
Aluguer(アルゲール、「ハイヤー」の意)と呼ばれる、
ピックアップトラックの荷台に幌を付けた
乗合タクシーのようなものを使っています。
これに乗るのも一興かとは思いましたが、
如何せん余所者には経路も運賃も時刻表も何も分からないので…


丁度お昼時になっていたので食堂に入ります。
Serra Grelhado(カツオのグリル)と
Salmão Grelhado(サーモンのグリル)を注文。
Thieboudienne(チェブジェン)っぽいご飯も付いていて美味しい!
地元でも人気のお店らしく、
周りの卓ではサッカークラブが打ち上げをしていました。


昼食を終えたら海を求めてリゾートホテルへ。
元ポルトガル領だっただけあって地中海風の造りになっていて
ここがアフリカであることを忘れさせます。
何なら我々は摘み出されそう。


深く青く透き通った大西洋。
このホテルは美しい海を活かしたビーチリゾート…


だと思うのですが、
海へ続く階段が崩落していて水辺まで降りられません。
泳いでいる人も居るのですが、
宿泊者しか海へのアクセスを得られないのでしょうか。


排他的高級ホテルは後にして
貧乏有色人種の我々は地元の人々で賑わうビーチを目指します。


こちらがTarrafal民に人気のビーチ、
Praia do Tarrafal(プライア・ド・タラファル)です。
Praiaなの?Tarrafalなの?と思う方も居るかも知れませんが、
"Praia"はポルトガル語で「浜」を意味する単語なので
これは「タラファル・ビーチ」ということです。
泳ぐ人あり、日光浴する人あり、ビーチバレーする人あり、
皆思い思いに海を楽しんでいます。
我々?
服も脱がずにスニーカーで砂浜を彷徨っている不審者です。


ここまで来たからには島の最北端を目指そうと思います。
地図を見るにPonta Moreira(モレイラ岬)というのが
Ilha de Santiagoの最北端らしいので、
そこに向かって走っていきます。
かなりの快走路ですね。


何か…方角が違うような…
道も未舗装になってしまったし…
どうやら北西のPonta Preta(プレタ岬)に向かってしまったようです。
引き返します。
しかし、分岐なんてあったかな…


これか!
看板には確かにPonta Moreiraの名が刻まれています。
もう分岐地点からしてヤバいです。
これを本当に車道と呼んで良いのか?
しかし、まだ岬までは4km弱もあるので
ここから歩くのは流石にキツいです。


タイヤがパンクしたり車が故障したりすることの無いよう、
細心の注意を払いながら荒野の奥へと続く轍を辿ります。
まさか人生初のオフロード運転がカーボベルデになるとは…


カワセミの仲間だというハイガシラショウビンがいました。
オフロードバードウォッチング。


SUVのCM撮影みたいになってきました。
この写真、ヒュンダイに持って行ったら幾らかで買ってくれないかな。


パンクが怖いので路面に転がっている石を退けながら進みます。
何かあってもまず間違いなく助けは呼べないからな…


道がいよいよ荒れてきたので、車を停めて後は歩きます。
岬まで後1kmのところまでは車でアプローチ出来ました。


遮る物が何も無いので非常に風が強いです。
時折何処かの集落から歩いてきた山羊や
小鳥が飛んでいる他に生き物の姿は見当たりません。
完全無人地帯のこの景色の中に
ツアーでもない日本人観光客の我々が居ることに強い違和感を覚える。


轍の先に唯一人の営みを感じられる存在である
白亜の灯台が顔を覗かせています。
あれこそが目指しているPonta Moreiraです。
あそこ目指して歩を進めていきます。
昼でも尚旅人を導く灯台。


ちなみに、さっき間違えて走っていた道は
あの黒い砂浜に続いているようです。
プライベートビーチですね。
車であそこまで行けるのか分かりませんが。


道標が立っていました。
"FARROL 20. MN"(とううだい 20. MN)と書かれています。
灯台(farol)の綴りが間違っているし、MNって何?
距離の単位っぽいけど20mは近過ぎるし、
綴り的には一番それっぽいMilha Náutica(海里)だと
20海里≒37kmになってあまりにも遠過ぎるし…
(実際には灯台まで直線距離で520mの地点)


最後に茨の藪漕ぎを抜けると…


遂に対峙することが出来ました!


Farol Ponta Moreira(モレイラ岬灯台)です!


長年の潮風に晒されてボロボロになりながらも尚、
Ilha de Santiagoの最北端を孤独に守る姿。
何処か涙を誘いますね。
…何やら外階段があるな。


試しに昇ってみたら扉の下半分が欠損していました。
屈めば何とか入れそうな…


入れたものの、灯台に必要な設備は何も残っていません。
それにしても狭いな…
大西洋の只中にある孤島で
こんな小さな部屋に収まる程度の照明設備で足りたのでしょうか?


そもそも、この小さな窓からしか外に光を出せないというのは
灯台として相当に機能を制限されていないか?
ポルトガルの灯台に明るくはありませんが、
どうも腑に落ちないところが多いような…


それはそれとして、Ilha de Santiagoの真の最北端を目指します。


何処までも青い大西洋。
この先陸地はアメリカ大陸まで無い…
と言いたいところですが、こちらは西ではなく北なので
割とすぐIlha de São Nicolau(サン・ニコラウ島)をかすめます。
それを抜けると次はアイスランド(2017/7/31-8/3)ですが。


最北端は十分満喫出来たので戻ります。
復路もパンクしないよう慎重に…


折角なので、Ilha de Santiagoを一周する形になるよう
北東岸沿いを走って戻ります。
何と舗装が石畳になっていますね。
この辺りは元・ポルトガル領らしさを感じます。

日がとっぷりと暮れてからPraiaに帰着。
主人は
「返却は今日中ならいつでも良いよ、WhatsAppで連絡して」
とは言っていたものの、
オフロードを走りまくって殆ど新車だった車体は砂だらけだし、
流石に怒られるのでは…
と戦々恐々でしたが、快く受け入れてくれました。
カーボベルデ人は優しい。


夜は地元の人達が集うケバブ屋へ。
近くでまだ開いている店がここしかありませんでした。
マジで地元民しか居なくて日本人の我々は滅茶苦茶浮きます。


Shawarma Especial(シャワルマ・エスペシアル)を注文。
ギリシャのΠίτα Γύρος(ギロピタ)を思い起こさせる感じで
とても美味しかったです。
カーボベルデ、良いですね。


西遊記 第4日目

2024年03月23日 | 旅行


6:16、起床。
宿の受付でツアーを手配してもらってから、
朝のLac Rose(ラックローズ)を散歩してみます。
Lac Roseは薔薇色に染まる水の色からその通称が付いており、
正式にはLac Retba(レトバ湖)という名前です。


ローズとは。
あれですかね?
薔薇は薔薇でも花じゃなくて葉っぱということですかね?


しかし、Lac Roseはたとえ薔薇色に染まっていなくとも
歴史的に非常に重要な意味があります。
ここはあのParis-Dakar Rally(パリ=ダカールラリー)の
ゴール地点だったのです。
世界一過酷と言われたラリーレイド大会のParis-Dakar Rally。
その記念碑らしきものがありました。
マリやモーリタニアといった通過国の治安悪化により
現在ではサウジアラビア開催になってしまいましたが、
その意志を継いだAfrica Eco Race(アフリカエコレース)が今も
このLac Roseをゴールにして開催されています。


はためくセネガル国旗。
この謎エリアは何なのだろう…


謎のブランコ。
Lac Roseがピンク色になっていればインスタ映えするのかな?


謎の児童公園。
Babacar No Stressという名前のようです。
これはLac Roseがピンク色になっていても映えなさそう。


係留されていたNo Stress号。
手作り感満載で沈みそうな気がしてストレスがかかりそう。


先に進んでも何も無さそうだったので、
反対方向に進んで集落らしき場所を目指します。
この車はParis-Dakar Rallyで朽ち果てたもの?な訳ないか。


商店や食堂が現れ始めました。
この辺が中心部?
と言っても、町というよりは集落くらいの規模です。


それでも観光地としてはやはり有名なようで、
土産物屋が軒を連ねており早速客引き攻勢を受けます。
嗚呼アフリカ。
さっきのNo Stress児童公園は
客引きが無いという意味でNo Stressだったのか。


では、宿に戻ってツアーに参加します。
申し込んだツアーは2つ。
まずは四駆のバギーで疾走するバギーツアーです。
ここではBuggy(バギー)ではなく
四輪を意味するQuad(クアッド)の名で呼ばれており、
Paris-Dakar RallyでもQuadという部門があります。
今回はPolaris Trail Boss 330(ポラリス トレイルボス330)というATVで
Lac Roseの周りを走ります。
Paris-Dakar RallyのQuad部門で無類の強さを誇る
Yamaha Raptor 700R(ヤマハ ラプター700R)ではないのか…


バギーを運転するのは初めて。
バイクと同じくスロットルグリップで出力を制御します。
変速は無いのでスクーターに近いでしょうか。


「Always use an approved helmet and protective gear
(常に認証されたヘルメットと保護具を装着して乗車すること)」
「Never operate without proper training or instruction
(決して適切な訓練や指導無しに運転しないこと)」
当然の注意書きですが、西アフリカでは通用しません。
我々にフランス語が通じないからなのか、
ほぼ何も説明されることなく着の身着の儘乗車します。
まあ、スクーターみたいなものなら運転は楽…


と言いたいところですが、結構な重量で砂地を走るので
結構ハンドルを取られます。
また、きちんと直進する為には
身体が振られる方向とは逆にハンドルを切る必要があり、
長いハンドルでこれをやるのは意外と難しいです。
STは出発早々草むらに突っ込んでいました。


Lac Roseの集落を離れて砂漠に向かいます。
セネガルはLe Sahara(サハラ砂漠)の南端。
「緑の岬」を意味するCap Vert(ヴェルデ岬)は
Le Saharaが終わって緑が現れた喜びから付けられた名です。
そして、このLe SaharaこそParis-Dakar Rallyの主戦場でした。


これは爽快ですね!
1万kmも走らされるのは絶対に嫌ですが。
今日は薄曇りで日射しが弱いですし、
乾季のセネガルは意外と涼しくて快適なのですが、
これがLe Saharaのど真ん中ともなると…


何処までも続く砂浜。
1万kmの死闘を走り切った車がウイニングランを行う場所です。
Paris-Dakar Rally、そしてそれを受け継いだAfrica Eco Raceは
あまりの過酷さから完走者全員が勝者という理念があり、
優勝者だけでなく完走者全員がウイニングランを行うことで有名です。
この海岸がゴール地点と勘違いされることもありますが、
ここはあくまでゴール後の余興です。


砂浜で一休み。
暖かな陽光の下潮風にあたりながらのんびりするのは
万国共通で心地良いですね…


というこんな何も無い砂浜にも現れる土産売りに草を禁じ得ない。
待ち伏せ攻撃はルールで禁止スよね。


てっきり土産売りとガイドが結託していると思っていたのですが、
STが価格交渉に熱を上げていたら
「もう諦めて行くぞ」
と急かしていました。
仲間なのかそうじゃないのかどっちなんだ。


Lac Roseに戻って来ました。
製塩場を見学します。
(今は全く違いますが)Lac Roseが何故ピンク色になるかと言うと、
Lac Roseは死海を超える高濃度の塩湖の為
ピンク色の高度好塩菌が繁殖し易いから。
その高い塩分濃度を活かして製塩が行われているという訳です。
勿論、塩を買わないかという客引きが大勢居ました。

1時間で予約していたバギーツアーは
寸分の狂いも無く本当に1時間ピッタリでホテルに帰着。
セネガルって時間に正確なんだな…


という訳で、お次はボートツアーです。
上述の土産物屋集落を抜けて
手漕ぎ舟でLac Roseに漕ぎ出します。


漕ぐのは船頭ですが。
ブレードの付いたオールではなく、
ただの長い木の棒を湖底に突き刺して舟を動かしています。
かなり浅いんですね。


そしてRoseとは一体。
どちらかと言えばアオコの色では…?


錆び付いたハートのオブジェが
緑色の湖面で所在無さげに佇んでいます。
当然、我々以外に舟に乗っている観光客は居ません。
まあ、舟に乗らないといって他に何かやることがある訳でもないのでね…
何やかんや楽しかったです。


では、宿に戻って昼食です。
こちらは宿の人にオススメされたBaobab(バオバブ)のジュース。
リンゴのような酸味で若干の粉っぽさと繊維質を感じます。
意外と飲み易いです。
Baobabに可食部があったんだ…


そして、こちらが
「ラマダン中なのでセネガル料理を作れない」
と言っていたところを泣き落としして作って頂いたセネガル料理。
セネガル料理の代表、Thieboudienne(チェブジェン)です。
出汁と油の利いたピリ辛炊き込みご飯に
鯛っぽい風味の魚が載せられたという感じで、
これが凄く日本人好みな味で美味しい!
日本の食堂にこのメニューがあっても
普通にこれを選びたくなるくらい美味しい。
最後の最後で何とかセネガル料理を食べられて良かった…


では、セネガルを満喫出来たところで空港に向かいます。
何か滅茶苦茶渋滞しているのだが…


運転手さんが痺れを切らして対向車線の路肩を爆走してくれました。
どうやら、バンが衝突事故を起こしていたようです。


運転手さんの機転で何とか間に合った
Blaise Diagne国際空港(ブレーズ・ジャーニュ国際空港)。
早く鉄道をここまで延伸して欲しい。


17:15発KP54便に搭乗。


さらば、セネガル!
客引きは確かにウザかったですが、
客引き以外は皆優しいし、ご飯も美味しくて良い国でした。
治安も割と良くて危険を感じる場面は殆ど無かったですしね。
観光スポットの少なさがネックですが…


眼下にLac Roseが見えました。
全面的に緑色じゃないか…
形がちょっとハートっぽいような?


今乗っているのは99%の人が知らないし乗らないだろうASKY航空です。
「アスキー」ではなく「アスカイ」と読むようです。
トーゴのLomé(ロメ)を拠点にした航空会社で、
西アフリカ・中央アフリカ内の地域輸送を担っています。
Loméをハブにしているもののトーゴの会社という訳ではなく、
西アフリカ諸国が協力して立ち上げた航空会社です。
一国できちんとフラッグキャリアを維持出来るほど
経済的に体力のある国は残念ながら西アフリカには無いので…
この辺りはエチオピアやケニアが頑張っている東アフリカ、
南アフリカ共和国が引っ張っている南アフリカとは大分違います。


日本の常識からすると中々理解し難いところですが、
西アフリカ諸国から最もアクセスし易い国は
経済的・文化的に繋がりの深い旧宗主国で、
次点で旧宗主国の周辺の欧州諸国、
それにハブ空港を有するトルコ、エチオピア、ケニアが続いて
一番アクセスし難いのは皮肉にも隣近所の西アフリカ諸国なのです。
実際、今回の旅で行程のボトルネックとなったのがここの移動でした。


大西洋を飛び越え、向かう先は…

(以降、カーボベルデ時間UTC-1.0h)


17:30、Nelson Mandela国際空港
(ネルソン・マンデラ国際空港)に到着。
アフリカ最西端の国カーボベルデ共和国の首都Praia(プライア)です!
カーボベルデという名前を知っている人が10人に1人、
カーボベルデの位置を知っている人が100人に1人、
カーボベルデに行ったことのある人が1万人に1人とか、
そういうレベルで日本人に馴染みが無いのではないかという国。
何処にあるのかと言うとセネガルの西、
アフリカ大陸の西の大西洋上です。
西を目指す旅なので。


注意深い方は気付いたかも知れませんが、
Cabo Verde(カーボベルデ)の名はDakarのある
Cap Vertから来ています。
領土外の地名が国名の由来になっているという珍しい国ですが、
これは元々「ヴェルデ岬の近くにある島々」みたいな
呼ばれ方をされていたからです。
9つの有人島から成る島国で、今降り立ったのはその中でも
最大の島であるIlha de Santiago(サンティアゴ島)です。


宿の人が手配してくれたタクシーに乗り込んで宿に向かいます。
道がちゃんと舗装されていることに感動を覚える。
ちなみに、カーボベルデの公用語はポルトガル語。
ポルトガル語に似ているスペイン語や、
何だかんだ観光立国らしいので英語は通じるだろう
…と思っていたのですが、どちらもほぼ通じません。
単語レベルならスペイン語が少し通じる瞬間もありますが…
どういう訳かフランス語が通じる率は高いです。


宿にチェックインしたら夕食を摂るべく地元民で賑わう食堂へ。
確かに、ポルトガル語って聞き流していると
ちょっとフランス語っぽい響きのような?
しかし、単語はスペイン語に大分似ているはずだし、
文字で書かれているメニューなら
中南米(2023/4/28-5/7)で培ったスペイン語が少しは役に立つだろう…


そもそも文字が達筆過ぎて読めない…
結局給仕の人に訊いて注文しました。


Búzio Grelhado(巻き貝のグリル)と
Peito Frango Grelhado(鶏むね肉のグリル)。
文字で読んでもスペイン語と全然違った。
Frangoって何…Polloじゃないの…?
料理はまあまあ美味しかったです。


帰り際にデザートということで、
夜遅くにも関わらず親子連れで賑わっていたアイス屋へ。
Bissap(ビサップ)とBrigadeiro(ブリガデイロ)のアイス。
Bissapは昨日飲んだジュースのあれで、
Brigadeiroはブラジルのチョコ菓子だそうです。
どちらも美味しい!
言語の通じ無さに若干の不安は覚えますが、
取り敢えず第一印象は良い感じのカーボベルデです。


西遊記 第3日目

2024年03月22日 | 旅行

7:16、起床。
時差ボケと極度の疲労がありながら
何故目覚ましの設定時刻の14分前に目が覚めるのか。


昨夜大変な思いをして辿り着いた宿からの眺め。
明るくなってから見ると余計に辺鄙な場所ですね。
予約サイトでの位置表示が詐欺過ぎる。
馬車が現役で走っているのだが…


配車アプリでタクシーを呼んで街中に向かいます。
運ちゃんから「何故こんな場所に?」みたいな反応をされましたが、
僕等も全く同意見です。


セネガルは人口の9割超がムスリムという国ですが、
フランス統治時代の教会などもあります。
このCathédrale Notre Dame des Victoires
(ノートルダム・デ・ヴィクトワーレ大聖堂)は
Dakarの観光スポットとしても有名です。
タクシーの運転手さんが(勝手に)寄ってくれました。


Presidency of Senegal(セネガル大統領官邸)。
ここも運転手さんが立ち寄って
「ここがセネガルの大統領官邸だぜ!」
と写真撮影を促すような素振りを見せてきたので撮ってみましたが、
自動小銃を抱えた警備員がそこら中に立っていておっかないです。


Port de Dakar(ダカール港)にやって来ました。
ツアーガイドをするという客引きを適当にあしらって
乗船券を買ってからターミナルの中へと進みます。


賑わう旅客ターミナル。
現地人っぽい人も居なくはないですが、多くが外国人観光客です。


しかし、港の様子はどう見ても貨物港で
観光客が大勢乗る旅客船が発着するようには見えません。
アフリカ大陸最西端に位置するCap Vert(ヴェルデ岬)は
Cape of Good Hope(喜望峰)ほどではないせよ、
やはり海運の要衝です。


10:00発のフェリーに乗船。


汎アフリカ色の国旗をはためかせて港湾を抜けます。


港の外にも碇泊中の貨物船が幾つもいます。
このような恵まれた立地を活かしてセネガルは発展
していても良さそうなものですが、
残念ながら西アフリカのご多分に漏れず
後発開発途上国の座に甘んじています。


そして、Dakarはその昔とあるものの海運拠点として
大いに栄えていた歴史があります。
それは繁栄の歴史というよりも、負の歴史と言うべきもので…


10:30、Île de Gorée(ゴレ島)に上陸。


大都会Dakarの沖合にありながら透き通る大西洋に浮かぶ小島、
それがÎle de Gorée。
これだけだとリゾートアイランドのようにも聞こえますが、
Île de Goréeは奴隷貿易の拠点として開発された島。
負の遺産として世界文化遺産に登録されています。


…という歴史を意識しているのかどうか怪しいハートのオブジェ。
どうなんでしょう、セネガル人的には寧ろ
ビーチリゾートとして扱って欲しいのでしょうか?
8,000CFAで案内するというガイドが沢山寄って来ますが、
一度断ると意外にも素直に引き下がります。
エチオピア人より聞き分けが良い。


島内を歩いてみます。
小さな島なので車は無く、細い路地が張り巡らされています。
家々がカラフルで凄くお洒落!
カリブ海のCaye Caulker(キーカーカー、2018/3/17-20)を思い出しました。
やっぱりリゾート地を目指してる?
キチンと奴隷貿易の歴史を伝える
Maison des Esclaves(奴隷の家)という博物館もあるのですが、
団体観光客が見学中だとかで入れなかったので
島の頂上でも目指して時間を潰します。


種々の作品が並べられたアートな一角。
自分で作った作品を並べている人も多いです。
Île de Goréeは芸術家の島でもあるのでしょうか?


頂上付近にはサンドアートのアーティストも。
この人は関東の大学に留学していた経験があるそうで、
日本語がとても流暢です。
日本人観光客ってそんなに来るんですかね…?


島の頂上らしき場所に到着。
ハニカム構造の謎オブジェが立っています。
何を表しているのだろう…


オブジェの傍では兄弟がサッカーに興じており、
STが日本代表として参加していました。
やっぱりサッカーが人気なんですね。


海を覗き込むと素潜り漁をしている人が居ました。
何が獲れるのかな?


第二次世界大戦で使われたという大砲。
映画「The Guns of Navarone(ナバロンの要塞)」に準えて
Canon de Navaronnes(ナバロンの大砲)とも呼ばれているようです
(Googleマップ情報)。
映画のナバロン島はギリシャ領という設定だそうですが。


砲台付近から見下ろしたÎle de Gorée。
砂っぽい気候の所為で辺り一面セピア調になっており、
今この場で撮影しているのに
昭和の時代の写真に見えてきます。


ギャラリーなどを覗きつつ下ります。


子供達の元気な声が響くEcole Maternelle Mame Coumba Castel
(マメ・クンバ・カステル幼稚園)。
セネガル国旗を掲げる男の子の隣に書かれているのは
皆さんお馴染みの特殊相対性理論の公式E=mc2です。
幼稚園から質量とエネルギーの等価性をやるのか…
小学校で一般相対性理論を学びそうな勢いですね。


改めてMaison des Esclavesにやって来ました。
その響きから灰褐色の建物を想像していましたが、
やけに明るいラトソルの色で塗られています。
後から塗り直したのかな?


こちらが当時を伝える絵。
1階が奴隷を保管しておく為の場所で、
2階はフランス軍人が使うスペースだったそうです。


Île de Goréeには津泊としての役割があり、
各地から集められた奴隷はこのような狭く薄暗い部屋に
ぎゅうぎゅうに押し込められて出荷の時を待ちました。


そして、海況が整ったところで、
このPorte du Voyage sans Retour(帰らざる旅の扉)から
アメリカ大陸へと積み出されたのです。


…というような説明がされていましたが、
扉の外に船着場らしきものが見えないので
本当にここから出たのかは少し疑問があります。
一直線に大西洋が目に飛び込んでくるという印象的な眺めから
象徴としてその名を与えられたのかも知れませんが。


2階は鮮やかな塗装が施され、
資料館になっていました。
宗主国の人間は1階でもがく奴隷を他所にここで寛いでいたのでしょうか。


思ったより小さい施設で、
あっと言う間に見終わってしまいました。
船の時刻も迫っているので港に戻ります。


STは最後に露天でマラカスのような西アフリカの民族楽器、
Asalato(アサラト)を購入していました。
これ、船でも鳴らしている人が居たんだよな…


12:00発のフェリーに乗船。
もうちょっと島で潮風を感じながらのんびりしたいところでしたが、
本土も本土で回ってみたいので帰ります。


帰路の途中で擦れ違った、
何とも心許無い船で大西洋に漕ぎ出す工事作業員達。
一瞬海賊かと思った。


騒がしい本土に戻って来ました。
まずは、港から徒歩で僕がどうしても見ておきたいあれに行きます。


Gare de Dakar、即ちDakar駅(ダカール駅)です。
隣国マリのKoulikoro(クリコロ)までの1,287kmを結ぶ
Chemin de fer Dakar-Niger(ダカール・ニジェール鉄道)の
起点として開かれた駅ですが、
現在は末端の僅か36kmの区間のみが残っているに過ぎません。
それでも、西アフリカでは貴重な旅客鉄道ですが。
動いていたとて、鉄道駅は特に治安が悪くなりがちだしな…
…ここは大丈夫だよね?

「やあ!日本から観光に来たのかい?」


自分は教師で教え子に日本人の子供が1人居る、
時間があるから市場を案内してあげる、という
怪しさしかないおじさんが声を掛けてきました。
どう考えてもガイド料とか言ってお金をせびってくるか、
ぼったくりのお店に連れて行かれるやつですが、
こういう人にカモとして連れられている間は
強盗とかには寧ろ遭い難いのでは?という考えで
敢えてついていってみることにします。


途中、カシューナッツの屋台でナッツを奢ってくれました。
セネガルは落花生一辺倒のモノカルチャー経済の典型例として
地理の教科書に掲載されていた国(今の教科書ではどうか知りませんが)。
カシューナッツもまた西アフリカの典型的な換金作物です。


活気に溢れるMarché Sandaga(サンダガ市場)。
どういう訳か服飾のお店が異常に多いです。
通りには綿毛が舞っています。
綿花も落花生に並ぶ重要な農作物ではあるらしいけど…


そして連れ込まれた怪しい洋服のお店(工場?)。
洋服が堆く積み上げられ、そこら中からミシンの音が響いています。
ここで押し売りタイムです。
絶対に来ると思っていたぜ!
しかしまあ、お土産が欲しいのはその通りなので
久し振りのアフリカン値段交渉を楽しみます。


最初の提示金額がヤバ過ぎたのもありますが、
約4分の1まで価格を下げることに成功しました。
後に答え合わせしたところ、
空港売店での販売価格と同程度にまでは落とせたようです。
STは巨大ジャンベを購入していました。


疲れたのでDakar駅の食堂で昼食。
セネガル料理を食べたかったのですが、残念ながらそれは無く…
フライドチキンになりました。
ジュースはBissap(ビサップ)というハイビスカスの一種で、
西アフリカでは定番のジュースだそうです。
Aloko(アロコ)という謎の付け合わせも頼んでみたら、
フライドポテトならぬフライドバナナでした。
芋みたいな主食用バナナかと思いきや、
割と普通に甘味や酸味のあるバナナで美味しい。


昼食を終えたら駅の裏手にある
Musée des Civilisations Noires(黒人文明博物館)へ。
観光スポットには乏しい西アフリカですが、
文化という意味では数多くの国と民族を擁する西アフリカは
アフリカ文化の真髄を感じられる場所です。
時間の制約上少数民族の集落を訪問するとかは出来ませんが、
博物館で少しでも西アフリカ文化を感じます。


…古代から始まっている所為でエジプトの比重が大きい。
エジプト文明って黒人文明の括りに入れちゃっても良いんだっけ?


勿論、ちゃんと西アフリカの展示もあります。
セネガルではなくナイジェリアのものが多いですが。
あと、エジプトの展示に比べて解説が非常に少ない…


こちらは現代芸術のコーナー。
Dakarの芸術祭Grand Prix Dak'Art(グランプリ・ダカート)の
受賞作品などか展示されています。


現代芸術…だよね?
制作時期不明とか書いてあるけど…


こちらも現代芸術のコーナー
に見せ掛けて、社会問題を扱うコーナーです。
現代のDakarの種々の社会問題が取り上げられています。


何か歩道橋らしきところに特攻しているタクシーの写真で草。
そもそもどういう状況に陥ると
歩道橋を走ろうという発想に至るんですかね?


ムスリムが最大多数の国らしく
イスラムについての展示もありました。
西アフリカではこのような木の板を使って
イスラムの教義を広めていったようです。

博物館全体の展示のジャンル的には
Ithra(イスラ、2023/8/17)との共通点も感じますが、
内容の充実度で言うと…うーん…
セネガルとサウジアラビアの国力の差が如実に現れていますね。
サウジと比べるのはそんじょそこらの先進国でも酷か。
でも、西アフリカの文化を見られて良かったです。
ミュージアムショップがあれば尚良かったけど。


博物館を見終えたら三度Dakar駅に戻って、
アフリカ最西端の鉄道に乗ります!
西アフリカの鉄道というと廃止されていないだけで万々歳、
運行していても数時間どころか数日レベルの遅延が当たり前で、
しかも車内も駅構内も治安は最悪、
みたいな偏見を持っていましたが、
Dakarの鉄道はTER、Train Express Régional(近郊急行鉄道)として
フランス資本で改良されて2021年末に運行を再開したばかり。
10分に1本程の高頻度運行と
QRコード式の切符による自動改札というハイテクっ振りです。
人流も整然としていて欧州顔負けです。
券売機は無く切符は窓口で買わないといけませんが。


15:45発Diamniadio(ジャムニャジョ)行きに乗車。
フランス製の真新しい車両です。


車内は満員。
しかし、乗客は皆静かで治安が悪そうな雰囲気もありません。
何なら欧州の鉄道より日本の鉄道の雰囲気に近いです。
バスより運賃が高めらしいので、
経済的に少し余裕のある人達が乗っているのでしょうか。


15:48、隣のColobane駅(コロバン駅)で下車。
終始スムーズな運行だった。


コンテナを改造したような見た目の橋上駅。
ちなみに、ここがアフリカ最西端の駅です。
勿論、それを示すようなものは何もありませんが。


Colobane(コロバン)にはバスターミナルがあり、
またDakarの中心地から少しずれているので、
ここで帰りのタクシーを拾えば渋滞を回避出来るのでは
という考えでやって来た訳ですが、
ハイウェイの向こう側にあるバスターミナルまで
歩道が繋がっていません。
駅前には全くタクシーが居ないし…


仕方無いので車道の端を歩いてバスターミナルに向かいます。
治安とは別の意味で怖い。
そして、バスターミナルに近付くと…


混沌、chaos、これぞアフリカ!
いや、文章にすると何か喜んでいるみたいですが、
内心穏やかではありません。
これだけ人が集まっていてアジア人も白人も皆無、
日本人の僕等はスイミーの如く目立ちます。
野次られてはいませんが、
もしここに窃盗団や強盗団が紛れ込んでいたとしたら…


Marché Sandagaより遥かにローカルな雰囲気の市場。
ここも洋服ばかり売っているな…
セネガルの人はお洒落に敏感なのでしょうか?


そして、この奥がバスターミナル。
これ立ち入って大丈夫なやつなのか…?
バスターミナルって鉄道駅以上に治安が悪い場所の代名詞だけど…
いっそ駅に戻って電車でDakar駅に戻るか…?
いや、しかしそれだと宿に戻る時間に間に合わない可能性が…
ええい儘よ!


意を決してバスターミナルに飛び込み、
どうにかタクシーを捕まえることが出来ました。
周りの人達が一緒になって目的地に向かうタクシーを探してくれたり、
皆さん凄く優しかったです。
勝手な偏見で怖がってごめんなさい。
…と安心したら次はやられるパターンかな。


無事到達したのはMonument de la Renaissance Africaine
(アフリカ・ルネサンスの像)。
50mもの高さがあり、
New York(ニューヨーク)のStatue of Liberty(自由の女神像)や
Rio de Janeiro(リオデジャネイロ)のCristo Redentor
(コルコバードのキリスト像)よりも高く、
勿論アフリカで一番巨大な像です。
大統領の独断で国有地と引き換えに
北朝鮮の国営企業に建造させ、
男性の頭の部分に設けられた展望台への入場料の35%は
大統領の懐に入る契約になっていたという曰く付きの代物です。


展望台は閉じていたので台座から街を眺めてみます。
風が強過ぎてMarché Sandagaの死闘で手に入れた帽子を
危うく飛ばされそうになった。

さて、今回の旅行のコンセプトは
未知なる西アフリカを開拓するというだけではなく、
とにかく西の果てを目指すというものもあります。
アジア最西端のİstanbul(イスタンブール)を経由したのも
その一環だったりする訳ですが、
ここDakarはアフリカ大陸最西端の都市。
となれば、アフリカ大陸最西端の岬を目指さない訳にはいきません。
タクシーでPointe des Almadies(ポワント・デ・アルマディーズ)へ。


巨大なアメリカ大使館の先にあるPointe des Almadies。
海沿いにレストランが立ち並ぶリゾート地的な場所です。
アフリカ大陸最西端の地はこのレストランの裏の海岸に出て
南へ行ったところにあるはず…


海岸に出ることには成功しましたが、
南への道は謎の建物により塞がれていました。
アフリカ大陸最西端の地は廃業したホテルの敷地内にあるようです。


まあ、アフリカ大陸の大きさを考えたら
ここも最西端みたいなものだから…
アフリカ大陸最西端のバーで夕陽を見ながら夕食を頂きます。


セネガル料理が食べたかったのですが、
立地的にアメリカ大使館の関係者が来る店なのか
アメリカンな料理かアジアンな料理しかありませんでした。
残念…


アフリカ大陸で一番遅い日没。
Le Sahara(サハラ砂漠)の砂埃の所為なのか、
お天道様は水平線より前に姿を消していました。
それでは、Dakarに別れを告げてタクシーに乗り込みます。


一切街灯の無い未舗装路をひた走ります。
…道は合ってるよね?
確認する術は無いけど…


合っていました。
Dakarから35km程の距離にある
Lac Rose(ラックローズ)に無事到着しました。
またしても真っ暗な未舗装路に面した宿です。
人が居ないということは悪人も居ないから治安が良い…のだろうか。
真っ暗でほぼ何も見えないので、
Lac Rose観光は明日にして今日のところは寝ます。