今朝は寒いほどだったが日中は暖かい、私には暑い、八百屋さんにはもういつの間にか秋の果物で色とりどりだが野菜が高くてびっくりね。
丁度一ヶ月後にリハビリのある国立病院に転院だ、まだ片足25キロの加重しか出来てないが転院したリハビリ室は大きくてびっくりと不安だったが担当も決まりいきなりバーを掴み両足を付いての歩行から始まった、2ヶ月の入院と決まりこれからが勝負今思えばつらいリハビリの毎日だったが両杖から歩行器、ベットでの筋力体操頑張ったなぁ毎日娘が帰りに寄り洗濯物を持っていく疲れているのに有り難かった。梅雨時から夏8月までの間に片杖の歩行まで出きるようになり外出が許され るようになる、院内、院外は車椅子移動ったが歩けるまでになり3ヶ月後の退院を向かえる事が出来た。家の玄関前とトイレには手すりがつけてあった、風呂場や階段には前に付けて貰っていた、骨折部分の大腿骨の膝までチタンがはいりボルト3本でとめてある、レントゲンを見るとゾッとするよ、皆に迷惑掛けて申し訳ないとつくづく反省転倒の恐さを医師からも注意され無事退院。一年後の今日朝夕の食事の用意ができるし自転車も乗れる、家、外出は杖が離せないが股関節の手術はもう難しいと言われたのでその痛みは相変わらずあるが仕方無い、転ばぬ様に毎日が注意です。あの痛みは忘れない。
塩分の食事制限があり、中々味しく食べられない、面会時家族に頼んでお寿司、おにぎりを内緒で食べた、手術に立ち合い救急外来で最初からお世話になった先生が夜勤あけでも毎日一回 は様子をみに回ってくれた、どんなに励まされたかまだ若い医師でしたが転院したのちお礼の手紙を出しました。きっと立派な整形外科の医師になるでしょう、イケメンだったよ、同じ階で仲良しなった二人の方と今でも月1回会っ食事会をしている。良くなるにつれ病室も出世部屋と言うナースステーションから離れている所に移動女子会の三人と転院待ち組に順調に回復していた。
手術だ9日は覚えてる、何時かは覚えてない、オペ室ね前で娘と夫に手をふって中に
緊張したけど恐いと思わなかった、手術さえすればあの激痛は無いだろう痛みが違うだろうと思っていたからかなその後数日は苦しかったが
長い車イスの始まりです。痛みも引き受け持ちの看護師さんから車イステストを受け昼夜の独り移動の許可がおりリハビリにも付き添い無しで行ける様になりました。ちなみに病棟は11階建ての7階ディルームからは遠くスカイツリーが見え西部屋からは富士山が見え新宿の夜景も見ることが出来消灯まで毎日ディルームにいたなぁ、娘や家族には大変心配、迷惑をかけてしまった。入院から一ヶ月後リハビリ病院に転院だ、
緊張したけど恐いと思わなかった、手術さえすればあの激痛は無いだろう痛みが違うだろうと思っていたからかなその後数日は苦しかったが
長い車イスの始まりです。痛みも引き受け持ちの看護師さんから車イステストを受け昼夜の独り移動の許可がおりリハビリにも付き添い無しで行ける様になりました。ちなみに病棟は11階建ての7階ディルームからは遠くスカイツリーが見え西部屋からは富士山が見え新宿の夜景も見ることが出来消灯まで毎日ディルームにいたなぁ、娘や家族には大変心配、迷惑をかけてしまった。入院から一ヶ月後リハビリ病院に転院だ、
牽引って引っ張る?骨が折れてるのに何処を引っ張るんだろう、何人かの医師と看護師が居たのは覚えてる、膝上
に金棒を貫通させるため麻酔します?ドリルの音5キロで牽引って何がなんだか分からないうちに段々痛みが増す大分痛い痛いと絶叫モルヒネを点滴に入れたらしい、それが効いてるとか入れたとかわからないまま、あの世と言う手前間で行くと亡き母と思う人が来ちゃダメと何度か追い返され激痛に戻る、早く手術してと唸る事三日娘が夫が来ている事は覚えてる、個室だった。
に金棒を貫通させるため麻酔します?ドリルの音5キロで牽引って何がなんだか分からないうちに段々痛みが増す大分痛い痛いと絶叫モルヒネを点滴に入れたらしい、それが効いてるとか入れたとかわからないまま、あの世と言う手前間で行くと亡き母と思う人が来ちゃダメと何度か追い返され激痛に戻る、早く手術してと唸る事三日娘が夫が来ている事は覚えてる、個室だった。
救急車が来て何とか動かさず階段を下ろそうとしたが無理で消防のレスキューの応援要請をしたそうだ、私は半分も覚えてないが吊り上げてベランダから下ろしたらしい。隊長らしき方の号令を聞き何人かの隊員の方々が動いていた様子は何となく聞こえていた、救急車に乗せられ血圧など測って声かけをしてくれた女性の隊員搬送先の病院名も聞こえた、45分くらいでつきますからねときいた、救急外来に着きそれからが又大変担架からベット移動、レントゲンえの移動、まだパジャマをハサミで切りからはがす等全て絶叫痛い、大腿骨骨折、股関節に寄近い部分で交通事故ではよくある部分で転倒でのこのヵ所は珍しいと後の話で聞いた。すぐ手術にならず魔の6日病棟移動、牽引らしい続く、、
GWの4日家族皆で息子宅にいって一泊BBQしたり花見をしたり楽しみ翌5日渋滞の中一路自宅に着き空模様が良くないけど娘が洗濯始め案の定夜にかけ雨、空いてる部屋に吊るしておやすみ、次の日6日悪夢のはじまり早朝どれだけ洗濯物が乾いたかとあるものをハンガー事外したらまだ生乾きだったのでまた元に戻そうとハンガーを掛けようとした途端スローモーションの様に体が捻りながら思いきり転倒左の足の筋肉が右まで飛ぶと言うか動きバキンの音とと共に絶叫向こう三軒両隣りに聞こえただろう大騒ぎ倒れたままの状態に娘が枕や座布団で支えをして救急に連絡痛い痛い
続く、、
続く、、
お彼岸が過ぎフッと母の亡き年齢から更に私は20年も生きているんだなぁと若くして亡くなった母を思い出していた、何度か入院している私は今回の大腿骨骨折事件もう一年過ぎたけど何回かに分け入院から退院、現在まで日記にしたためようと思う、明日から始めよう。
シルバーウィークと言う連休 は残暑を思わせるほどの暑さに空は晴天最高な天気でした。行楽日よりで、各所は大賑わいだったそうだ、私も近県に居る妹宅に二泊三日で出掛けてきた、朝晩妹の手料理で世話になってきた。帰りには知人の車で送ってもらい途中初めて入る レストランのイタリア料理をご馳走になりました。夕方には自宅に私の連休 はエンドでした、暫くぶりに妹とゆっくり話が出来気持ちのうえでもリラックスができた二泊の小旅行でした。連休あけの今日の空は曇で夜は雨とか気温も肌寒くやはり暑さ寒さも彼岸までが当りかな?私の大好きな秋紅葉が待ちどうしいな!