こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ピアノと薔薇の日々。-【10】-

2021年04月16日 | ピアノと薔薇の日々。

 

 今回も例によって、変なところでちょん切って>>続く。となっています(gooblogは30000文字までしか入らないので^^;)。

 

 で、ですね。割と前に名前の出ていたカール・レイモンドさん……「フランス人ならカールじゃなくてシャルルじゃね?」とは、自分でも一応かなり前から思っていたり(笑)。

 

 でもそもそも色々なことがいいかげんな小説ですので、結局のところ「まあ、どうでもいいや」ということに。。。(殴☆

 

 それでこのカール・レイモンドさん、↓のような性格の方なんですけど……この彼の性格設定的なことは、書き始めた頃から決まっていたので、「そろそろこの人の出番になったけど、どんな性格にすっかなあ☆」といったことは一切なかったとはいえ――一応お話の展開として、次のように考えなくもなかったわけです。

 

 アトゥー氏とレオンが美形みたいな設定なので、カールさんもタイプの違うちょい悪男……みたいな話の展開って、なんか少女漫画でよくありそうな気がしませんか??(^^;)

 

 で、この少女漫画設定パターンでいくとですね、エンディミオン・クラブは男しか出入り出来ないので、そこにマキがいたら当然おやつじゃないカールは、(おっ、ちょっと好み)と思い、声をかけ――どこかの部屋に連れこまれたところを、「待ちやがれ、この野郎っ!!」的に君貴が止めに入るという。。。

 

 そんで、こんなに必死になってる君貴のことを見て、レオンが烈火の如く怒り、ふたりの間で痴話喧嘩がはじまり……この時の君貴とレオンの会話のやりとりを聞いて――「どういうことなの?」みたいにマキがなるという展開

 

 いやあ、少女漫画ですねえ(笑)

 

 というのは、一応頭の中に思い浮かんでいたとはいえ、実際のカールさんは↓のような人ですので、採用は見送られましたww

 

 そんでもって、このあたりの展開については、次回くらいかなと思うので、先に書く内容として不適切な気がするものの(汗)、今回もまた特に書くことなかったってことで、すみません。。。m(_ _)m

 

 あと、今回のトップ画はイツァーク・パールマンさんとウラディーミル・アシュケナージさんのクロイツェルとスプリング・ソナタのジャケットなんですけど……これも↓にさらっと軽~くクロイツェルのことが出てくるということで、貼ってみたといったところです(大好きそしてパールマンさんは「オリャあ、このヴァイオリンで、もう軽く百人は人殺してるぜ」みたいなところが素敵ですね!もう天才!!ラブ!!!

 

 それではまた~!!

 

 

     ピアノと薔薇の日々。-【10】-       

 

 パリ滞在三日目、マキは少し早めに起きて、ホテルのカフェでクロックムッシュを食べると、九時前には君貴と出発し、ヴェルサイユ宮殿のほうへ向かった。そこで、<ベルサイユのはなや>の従業員たちにちょうどいいお土産をいくつか購入すると、午後からはエッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ大通り……と、定番の観光コースを回り、ミナやユキやムツキのお土産を選ぶのを、君貴につきあってもらった。

 

 結局のところ、時間がなくてエッフェル塔は登ることが出来なかったし、夜にガルニエ宮へ行くのも、マキは断念していた。とにかく、<ベルサイユのはなや>の従業員と友達にお土産を買えただけで――自分のパリ滞在ミッションの半分以上は終わった……という、彼女としては何かそのような心境だったといえる。

 

 だがやはりここでも、マキは日本へ帰国してから、君貴が口にしたいくつかの言葉について、(彼は一体どういうつもりだったのだろう……)と思い巡らすことになった。というのも、ガルニエ宮についていえば、「また今度マキが来る時、前もってチケットのほうは俺が取っておくよ」と彼が言ったからだし、エッフェル塔についていえば、「今度来たら、一緒に登ればいいさ」と言い――ヴェルサイユ宮殿から帰ってくる時には、「本当は、もっと時間があればモン・サン・ミッシェルまでマキを連れていきたい」と彼は言っていたのだ。「でも、それもまた次に来た時の楽しみに取っておこう」と……。

 

 さて、恋人同士としての甘い時間を約三日ばかりも過ごしてから、とうとう運命の大晦日がやって来た。マキはその日の午後、まず君貴の友達である、ゲイの美容家の元へ連れていかれた。君貴の話によれば、現在パリにおいて日本語のしゃべれる親しい友人は、彼――モリス・ジュリアンと、ファッション関係の仕事をしているカール・レイモンドのふたりきりだということだった。

 

「まあ、モリスはゲイだから、顔や体をあちこち触りまくられても、変な気持ちになる必要はない。何より、あいつは美容家として超のつくプロフェッショナルだ。俺でも、モリスのマッサージを受けると、もうすっかり夢見心地になっちまうくらいだからな」

 

 とはいえ、パリの高級住宅街の一室に通された時、マキは自分がお門違いのところへ来てしまったのではないかという気がして、ドギマギしたものだった。モリスはゲイとはいっても、そう前もって教えておいてもらわなければ、大抵の女性が目をハートマークにしそうな、ダンディなパリジャンだったからである。

 

 年の頃はおそらく、大体四十くらいだろうか。シックなスーツを着こなしており、街で通りすがりに会ったとすれば、(弁護士さんかしら)とマキは職業を推測したに違いない。

 

「じゃ、モリス。俺の可愛い子羊に、天国に昇るような思いを味わわせてやってくれ。俺はちょっと、仕事で用があるから……」

 

 そう言って、君貴は今度は戸惑うマキに向かい、その頬にチュッチュッと二度、フランス式にキスした。

 

「また、夕方頃迎えにくるからな。まあ、モリスとカールに任せておけば、大体のところ何も心配いらないから、安心してていい」

 

「う、うん……」

 

(でも、なるべく早く迎えに来てね)と言うのも変な気がして、マキは顔を赤らめたまま、曖昧に頷くことしか出来なかった。

 

「さて、ではまずは、こちらに着替えてもらえますか?」

 

 モリスに肌触りのいいバスローブを手渡されると、マキはやはり戸惑った。感じよく微笑んでいるあたりからして、いい人なのだろうとは思う。けれど、「モリスに全身ピカピカにしてもらえ」と言われた時から――マキとしてはそもそもあまり、気乗りしていなかったのだ。

 

「大丈夫ですよ。次期、もうひとり私たちのゲイ仲間がやって来ますし、わたしは友達の恋人を誘惑したりはしませんから」

 

「いえ、そういう心配はしてないんですけど……」

 

 ジュリアンのサロンは、パステルカラーのソファや椅子の配置された、シンプルで、人を落ち着かせる雰囲気の空間だった。その待合室のようになっている部屋の奥にトリートメントルームがあり、マキはバスローブに着替えると、そちらでまずモリスからカウンセリングを受けることになった。

 

「どこか、お体の中で、特に気にしている箇所はありますか?」

 

 モリスは、クリップボードに留めたカルテらしきものを片手に、マキと向き合い、まずそう質問した。

 

「気にしてるところ……胸が小さいとか、そういうことですか?」

 

「そうですね。あとは、立ち仕事をしていて、足がむくみやすいとか、太りやすいとか、なんでも結構ですよ」

 

(この人、たぶん物凄くモテるだろうなあ……)

 

 魅惑的な微笑み付きでそう質問されて、マキは溜息を着いた。いくらゲイとはいえ、相手は男性だ。これがもし女性が相手であれば、マキも屈託なく、色々自分のコンプレックスを話せた気がするのだが。

 

「わたし、見てのとおり、体つきが細くて、女として全然魅力的じゃないんです。もともとそんなに食べるってほどでもないし、時々君貴さんに『おまえは普段、一体何を食べてるんだ』って笑われちゃうくらい」

 

「それは、羨ましい悩みですね。ここに定期的にトリートメントに来るモデルの女性たちが羨ましがるような話ですよ。肌も綺麗だし、あなた……マキさんは、小顔の九頭身だから、誰がどう見てもプロポーションは抜群だと思いますが」

 

 君貴が以前、『俺が彫刻家なら、マキをモデルに九体くらい塑像を造るだろうな』と冗談で言っていたことがあるが――マキはほとんど本気にしていなかったといえる。

 

「とっ、とんでもないですっ!わたし、日焼けしやすいんですよ。中学と高校の途中までソフトボール部にいて、遠くから見たらほとんど、男の子にしか見えなかったと思います」

 

「ふう~む……」

 

 モリスは考え込んだ。彼はカール・レイモンドと同じく、外交官の息子で、二十代の前半まで東京に住んでいた。ゆえに、わかるのだ。日本の女性は自分に自信がなく、いかに男性に騙されやすいかということが……。

 

 実をいうときのう、レオン・ウォンもまた、モリスのこのトリートメントルームでケアを受けていた。彼はモリスからマッサージを受ける間、ずっと恋人の悪口を言い続けていたものだ。『あいつ、ひどいんだよ!前から男と一夜限りの浮気ってことはあったけど、今度は日本の女が相手だってさ。しかも、彼女は処女で清らかな性格をしているとかなんとか……寝言は寝てから言えって思わない!?』

 

 そして、モリスは長年の友人として、レオンがこれから<地獄の大晦日計画>を実行に移す心積もりであることを聞かされたのだった。『べつに、変なことでもないだろ?むしろ、普通の男女の間ではよくあることさ。本妻が、夫の愛人のことを呼びだして、白黒はっきりさせるみたいなことはね』

 

 ――モリスは、このトリートメントルームで見聞きしたことは、守秘義務として一切他言することはない。ゆえに、マキに対して、『もう今すぐ日本へ帰る飛行機に乗ったほうがいい』とアドヴァイスできないのが……彼としてもなんともつらいところだったといえる。

 

 それでモリスは、わざわざ日本くんだりからやって来て、失恋によって心が傷ついて帰ることになるだろうマキを思い、いつも以上に熱のこもったやり方で彼女に施術を施していた。マキにしても、全身をマッサージされる過程で、臀部のかなり際どいところまでモリスがオイルを塗って揉み込んできたため――君貴が「変な気になる必要はない」と言ったのに反して、なんとも言えないような気持ちになっていた。といっても、エロティックな気分になったということではなく、モリスのプロとしてのトリートメント技法に感嘆したという、これはそうした意味だった。

 

 他に、モリスはマキの顔をあらゆる角度からさすったりマッサージしたりといったことを繰り返したため、(あ~あ。わたし、今どんなブッサイクな顔してるんだろうな)と思い、マキはおかしくなってきたほどである。だが、モリスのほうはあくまで真顔なので、施術の邪魔にならぬよう、マキは笑いを静めるのに苦労していたといえる。

 

 彼が「トリートメント」と呼ぶものを終えると、マキは全身が映る鏡を見て、物凄く驚いた。バスローブを少しばかりめくると、腿のあたりは艶々してるし、お尻のほうもキュッと引き締まって上がった気がする。顔のほうもむくみが取れて、血流がよくなったような印象だった。マキは疲労が蓄積すると、目の下に薄くクマが出来てしまうのだが、そんなものもすっかり消え去っている。

 

「あっ、あの、すみません。たぶん、ジュリアンさんの施術を受けたくて、毎日予約を入れてる女性がたくさんいらっしゃるんですよね?それなのに、何か君貴さんが無理を言ってしまったみたいで……」

 

「モリスで結構ですよ」

 

 またひとり、美しい女性が誕生したことを喜ぶ彼は、満面笑顔だった。ドレッサーに向かっているマキに向かい、とてもいい香りのするティーカップを手渡してくれる。

 

「これは……?」

 

「ご苦労さまでした。キャラメル・ルイボスティーですよ。お口に合うといいのですが……」

 

(うっわー。すっごくいい香り。っていうか、すごく美味しい。帰りにお土産に買っていこうかな。それとも、日本でも売ってるものなのかしら……)

 

 マキがそのあたりのことをモリスに聞こうかどうしようか迷っていると、トリートメントルームに通じるドアの向こうが急に騒がしくなった。明らかに紙袋をいくつも持っているような、バサバサという紙同士のこすれる音がする。

 

「はいはい、わたしの可哀想なジャパニーズ・ガールは一体どこなの!?」

 

 入ってきたのは、マキよりも身長が低いように思われる、頭のてっぺんが禿げかかった、茶色い髪の男だった。オレンジの派手なシャツを着て、青と金色のネクタイを締めている。サスペンダー付きの縞模様のズボンを履き、靴のほうは間違いなくブランド物と感じられる革靴を履いていた。

 

「あらあ。これじゃもう、勝負は始まる前から決まってるようなもんね」

 

 カール・レイモンドは、手に抱えていた紙袋を、マキの姿を見るなり床にいくつも落としていたほどである。

 

「まあ、いいわ。焼け石に水とはいえ、着る物とメイクだけでも、人は変身できるものよ。そしてそこにファッションの売る夢があるの。さあ、世界的メイクアップアーティストのこのあたしが、あんたを抜群にセンスのいい、いい女にしてあげるわ」

 

「あ、あのう……」

 

 カマっぽい男に色々まくしたてられ、最後にウィンクされたマキは、まるで訳がわからなかった。実は事はこういうことだったのである。彼らはふたりとも、大晦日の今日は当然休日だった。というより、年越しの準備などで忙しくもあったわけだが――『俺の女の恋人が大晦日にレオンに殺される予定だから、少しはいい思いをさせて日本へ帰らせてやりたいんだ』などと、君貴から頼まれたというわけなのである。

 

 そこで、モリスは夜は恋人と友人の家へ集まる予定があったが、昼間は時間があったので快く引き受けることにしたのだった。カールはといえば、ずっと前から(君貴がマキと浮気をしだした頃から)事の推移についてレオンから詳しく聞かされていただけに……好奇心ではちきれそうになりながら、今日という大晦日を迎えていたといえる。

 

「モリスの絶品エクスタシー・トリートメントで、下地のほうはもうバッチリね!一応服のほうはね、グッチとエルメスとシャネルのを持ってきたわ。あんたの気に入ったのか、わたしの見立てで似合うのを着るといいんじゃない?」

 

「でもわたし、そんな高価なブランド物なんて、一度も着たことありませんし……猫に小判っていうか、豚に真珠っていうか……」

 

「あらあ!あんたったら、涙が出そうなくらい、イジマシイこと言うのね!今日の夜には地獄を見るんだから、今のうちにいい思いをしておくにこしたことないのよ。さあ、わかったらいい子ちゃんにしてちょうだい!!」

 

 マキはカールが何を言っているのかさっぱりわからなかった。もちろん、頭のおかしいフランス人が、早口で何かしゃべってる……と思っていたわけでもないのだが、最終的になんでも、彼の言うとおりにしていた。

 

 カールは、自分で持ってきたメイク道具をバッグの中から取り出すと――ディオールのリキッド・ファンデーションやフェイスパウダー、ドルチェ&ガッバーナのチーク、イヴ・サンローランのアイシャドー、ヘレナ・ルビンスタインのマスカラ、シャネルやソニア・リキエルの口紅やリップグロスなどなど――マキがこれからも一生使うことはないだろうブランドの化粧品を並べ立て、彼はメイクを開始した。

 

「ええっ!?あんた、毎日会社まですっぴんで出かけてるの?もーっ、信じらんないっ!!でもそのせいかしらね。肌のほうは肌理が整ってて綺麗だもんね。日本人にしちゃ目も大きくて、素材としては悪くないのに……まあ、ほほほ。あたしとしたことが、危うく女のことを褒めるところだったわ」

 

 カールは、パリはもちろんのこと、ニューヨークやロンドンやミラノなど、ファッション・ショーや雑誌の撮影があれば、メイクアップ・アーティストとしてどこへでも行く。彼が君貴と知りあったのは、ポルトガルでヴォーグの撮影があった時のことだった。バーで飲んでいた時、リスボンの街並みのことや詩人フェルナンド・ペソアのことを話して盛り上がったというのがそのきっかけである。それからお互いにゲイであることがわかり、恋人であるレオンのことを紹介されたわけだった。

 

 カール・レイモンドは美そのものの信者として、レオン・ウォンのことを心から崇拝していた。「ああ、美の神よっ。あたしのように心から美を理解する人間が何故それを与えられず、彼のように自分の美貌に頓着しない者が美の化身としてこの世に君臨するのでしょうっ!」――カールのレオンに対する崇拝心は、ほとんど信仰の対象、あるいはそれこそ、『ベニスに死す』の主人公アッシェンバッハのように、ただひたすら遠くから美青年を眺め、それだけで満足しているかのようですらあった。

 

 レオンはこの自分を崇拝する信仰者に、人生上の悩みごとでもなんでも、相談して聞かせていた。ゆえに、君貴が小さな浮気を繰り返す時……いつでもカールは彼の聞き役に徹し、同意し続けてくれるわけだった。とはいえ、『今度は相手が女だっていうんだから、僕ももう許せないと思ってるんだ』と聞かされた時には――カールとしても心中穏やかでいられなかったものである。何故といって、カールにとって君貴とレオンというのは、彼の知る限り、考えられる限りにおいて最高のゲイのカップルなのである。そのふたりがもし破局するのだとしたら……自分は一体これから、何を信じて生きていけばいいというのだろうか。

 

(それにしても、百聞は一見に如かずとは、よく言ったもんよね……)

 

 カールは、マキにメイクを施しつつ、彼女とおしゃべりする過程で――初めて、君貴がマキと交際を続けようとする理由が、わかるような気がしていた。確かに始まりはアクシデント、事故のようなものではあったのだろう。けれど、『なーにが「清らかで性格の優しい娘なんだ」だっ。はっきり言ってあれ、絶対僕に対する嫌味以外の何ものでもないよねっ。だけど、それだって君貴が悪いんだよ。僕に優しく清らかに接してもらいたきゃ、浮気なんか一切しなけりゃいいんだからっ!』……これに類する愚痴がレオンの口からこぼれる時、カールとしてはただひたすら頷くのみだったといえる。『あたしが君貴の立場であんたが恋人なら、浮気するなんて概念自体、頭に思い浮かびもしないでしょうにねえ』と、彼はよくそんなことを口にしては、レオンの怒りを鎮めていたものである。

 

「ううっ。がんばりなさい、ジャパニーズ・ガール!これがわたしの出来る、せめてもの精一杯よっ!!」

 

 最終的に、マキはバッチリとメイクを決めた上、髪のほうも整えられ――カールの見立てによって、グッチの白のドレスとヒールの高い靴を履いた。他に、イヤリングやネックレスやバングル、指輪など……マキはそれが本物の宝石であることがわかると、だんだんに怖くさえなってきたほどである。

 

「あのう……もし盗まれても、わたし、弁償したりできませんし……」

 

(わあ。なんだか、自分じゃないみたい)

 

 鏡を見てそう感じるのと同時、マキは(君貴さんがこれを見たらなんて言うかしら)と思い、少しばかり頬を紅潮させた。

 

「あんたがそんなこと気にする必要ないのよっ!悪いのは何もかも、キミタカなんですからねっ。あいつが何もかもすべて弁償……じゃなくて、あんたの身に着けてるものは買い上げるはずだから、そのくらいもらっておきなさい。ほんとにもうっ、あいつは何考えてんのかしらね。こんな純情なお嬢さんとおつきあいして、責任くらい、ちゃんと取る気あるんでしょうねっ」

 

 カールが眼鏡を外し、目尻の涙を拭っていたのは――てっきり、プロのメイクアップ・アーティストが手を尽くしても、彼の美の水準に自分が達しなかったためではないかと思われ、マキはカールに悪いような気がしていた。

 

 このあと、君貴がサロンの待合室のほうへマキのことを迎えにやって来たわけだが……彼がすっかり見違えたマキに言葉を失っていると、カールはすかさず彼に近づいて、尻のあたりの肉を思いきりつねってやったものである。

 

「あんたっ、この貸しは大きいと思いなさいよっ!」

 

「わかってるよ!」

 

 小声で囁くカールに対し、君貴もまた、小声でそのように応じる。

 

「それで、他にスーツのほうは……?」

 

「もちろん、用意してきたわよ。アルマーニのとっときの奴をね。だけど、最初はあたしも、好奇心から高見の見物……なんて思ってたけど、本人に直接会ったら流石に良心が痛んできたわ。レオンだって、根っからの嫉妬の悪魔ってわけじゃありませんからね、あの子が仏心を起こして、事を穏便に済ませてくれるといいんだけれど……」

 

「そうなんだ。実は俺も、そのことを一番に願ってるんだ」

 

 ――このあと、マキは素敵な青みがかった毛皮のコートを着て、君貴と近くのレストランまで食事へ行くということになった。毛皮のコートなど着たことのないマキは戸惑ったが、カール曰く「心配しなくても、ただのフェイク・ファーよ。動物愛護主義者に突然背中から刺されたり、ブリジット・バルドーから連絡が来たりすることはないから、安心なさい」とのことだった。

 

 とはいえ、モリスのスペシャル・トリートメントとカールのメイク・テクニックにより、これ上もなく<最高の女>に変えてもらったのも束の間……実はここからこそが、マキにとっては受難の連続であった。

 

 君貴もまた、この日のためにしつらえたといったような、ベルサーチのスーツを着ていたが、連れていかれた先が問題だった。そこはパリの三つ星レストランで、かつてレオンが『その子にもしゃぶらせてるの?』と、日本語で聞いた場所でもあった。そんなところに、男の恋人と女の愛人をそれぞれ連れていくだなんて――この男の神経は絶対どうかしている……としか思えないが、君貴にしてみれば、思想として真に<詩情>といったものを理解するマキに、この日だけは自分につきあって欲しかったわけである。

 

 けれど、クロークに毛皮を預けた瞬間から、実際のところマキは「いい女の振り」をするのに疲れはじめていたといえる。何より、自分ひとりならともかく、「君貴に恥をかかせてはいけない」との思いから、係の人がコートを脱ぐのを手伝ってくれる間も「あら、そんなの当たり前じゃないの」といった涼しい顔をしなくてはならなかったし(映画で見る限り、そんな感じなのだろうと思った)、ヒールの高い靴を履いているので、転んだりしたらどうしようと怯えたりと、ずっと戦々恐々としていなくてはならなかった。

 

 店内の内装は、きのう見にいったヴェルサイユ宮殿のヴィーナスの間かディアーヌの間かというくらい豪華な上、鏡の回廊のようにいくつもシャンデリアが天井から吊るされており、テーブルに着いている人々もみな、ドレスコードを守っている、社会的にクラスの高そうな人たちばかりであった。

 

(こんなところ、わたしにはどう考えても場違いだわ……)

 

 マキはそう感じはしたものの、君貴が最初に使うフォークやナイフの順番を教えてくれたので、とりあえずほっとした。

 

「べつにそう難しく考える必要はないよ。簡単にいえば、カトラリーは外側から順番に取ればいいんだ。あと、わかんなかったら俺に聞け。ギャルソンにもギャルソンヌの中にも、どうせ日本語のわかる奴なんかいないだろうからな」

 

「でもわたし……そもそも、フォークとナイフでなんか食事したことないのよ」

 

「まあ、気にするな。なんかテキトーにそれっぽい感じで全然大丈夫だから」

 

 アミューズは、雲丹のテリーヌだった。だが、マキはそもそも雲丹をこれまでの人生で食べたことがない。また、ナイフとフォークを使ってうまく口許まで運んでみたものの、正直、一口食べてみただけで、そんなに美味しいとも思えなかった。

 

「ワインでも飲むか?そのほうが美味いと思うがな」

 

 最初に、君貴はワインを注文したが、マキは炭酸水を頼んでいた。結局のところ、マキには高いワインの味もわからなかったし、そのうち何皿か運ばれてくるうちに――何かひとつくらい自分でも味の「わかる」ものが登場してくれれば……と、そんなふうに願っていた。

 

 そして、アントレに続くスープはマキの口にも合ったし、パンと魚の料理は確かにハッとするほど美味しかった。そのあと、木苺のシャーベットが出てきて、マキはこの時も満面笑顔だった。

 

 さらに、ヴィヤンド(肉料理)が出てきたが、この時もマキは、自分の舌があまりに未熟で、味がわからないのだろうと判断した。(豚肉とも鶏肉とも違うし……一体なんのお肉かしら)と不思議になりながら、マキは柔らかい鹿肉をうまくナイフで切り離しつつ、フォークに刺して食べた。

 

 その後、チーズとデザートが続いたが、実際、マキのお腹のほうはヴィヤンドの前にもう一杯だった。とはいえ、「もういいです」と言うのもマナーとして失礼に当たるのだろうから、(最後まで一生懸命食べなきゃ)と、グッチのドレスの上から、お腹のあたりを何度もさすっていた。

 

「ごめんなさい。君貴さん、わたし……」

 

 マキは、なんとかデザートまで食べようと思っていたが、やはり緊張する環境で食事しているせいか、これ以上食べられそうになかったのである。

 

「どうした?気分が悪いのか?」

 

「ほら、君貴さん、わたしにいつも言うでしょ?『俺はもっとがっつり大口を開けて食うくらいの女のほうが好きだ』って。でも、やっぱりわたし、生まれつき胃が小さいか何かするのよ。これ以上はもうちょっと……」

 

 マキが口許をナプキンで押えているのを見て、君貴はフォークとナイフを四時の方向にして皿の上へ置くように言った。すぐにメートル・ドテルがやって来て、「お口に合いませんでしたか?」と聞きにくる。そこで君貴は、「彼女はもともとコンディションが悪かったんだ。今も急に気分が悪くなってしまってね」と、フランス語で説明しておいた。

 

 君貴のほうでは、生果実のコンポートを最後までじっくり味わって食べていたのだが――この瞬間、実は彼は突然にして、遥か彼方の青春時代に、記憶が引き戻されるのを感じていた。何故急にそんな現象が起きたのか、彼にしてもまったくわからない。

 

『あなたと話すのも、今日これまでよ。「自分の一体何が気に入らなかったのか」ですって?そんなこと、わざわざ別れた女に聞きだそうとするだなんて、恥かしいと思わないの?』

 

『べつに、わからないから聞いてるだけだ。俺と、あの指揮科のニヤケ野郎と、一体どれだけの差がある?父親が指揮者で、母親が有名なオペラ歌手か。ブランドって意味じゃ、あいつも俺も大して差なんかないだろう。それなのに――』

 

『君貴、あなた何か勘違いしてるんじゃない?べつにわたし、あの人のお父さんやお母さんがどうこうだなんて、考えてやしないわ。単に、あなたよりもあの人のことが好きになったっていう、それだけのことよ』

 

『だから、それがなんでなんだっていう理由を聞いてるんだろ!』

 

『知らないわよ!強いていえば、あなたのそういうしつこい性格じゃない?なんでも自分中心で、この地球自体、あなたを中心にして回ってるんでしょうしね。あの人はあなたみたいに自分の価値観を押しつけてきたりしないの。「俺はああ思う、こう思う」……もう、いいかげんうんざりなのよ!』

 

『そうかよ!わかったよ、この尻軽の淫売女!!』

 

 ――何故、君貴が急に、今から約十数年も昔のことを思い出したかといえば、マキがナプキンで口許を拭いたあと、「ちょっとごめんさなさい」と言って、席を外したそのせいだった。君貴はその時、マキにナプキンは椅子の背へ置くよう教えたのだったが……君貴が生まれて初めて交際した女性は、彼の顔にナプキンを叩きつけただけでなく、ペリエのグラスをぶっかけて、退席していたわけだった。

 

(なんでだ?なんで急にこんなことを思い出したんだ、俺は……)

 

 だが、君貴は、このことは自分にとって重要な意味を持つと、即座に理解していた。それで、マキが軽く化粧直しして戻ってくると、会計をして店を出たのだが――タクシーに乗ってホテルへ戻る間も、君貴はどこか、心ここにあらずといった様子をしていた。

 

「ごめんなさい、君貴さん。わたし、フランス料理なんて初めてで……」

 

 君貴がムッツリ黙り込んでいるのは、自分のせいだろうと判断したマキは、(やっぱり、この女は駄目だな)とでも彼が考えているのではないかという気がして――そうあやまっていた。

 

「ああ、違うんだ。マキ、おまえは何も悪くないよ」

 

 そう言って、君貴はマキのことを抱き寄せると、いつものようにこめかみのあたりにチュッとキスする。

 

「そうじゃなくて……ちょっと思い出したことがあるんだ。それが、今の俺にとってすごく大切なことで……」

 

 君貴は再び黙り込んだ。そして、ホテルのスイートに戻ると、「ちょっと仕事する」と言って、寝室のほうに少しの間こもった。もうすぐ、夜の八時である。予定としては、マキに男装させて、モンマルトルにあるクラブ・エンディミオンという、ゲイの男だけが利用する高級クラブのほうへ、十時くらいまでには彼女を連れていかなければならない。

 

(だが、それは本当にそうしなきゃいけないことなのか?もちろん、マキのことをパリへ連れてきたのは、レオンの強い要望によってではある。それに、仮にマキに俺がゲイであることを教えず、このまま帰らせるとしたら……俺がまた月に一度くらい日本へ行くという生活が続くということになってしまうだろう。けど、とにかく俺が自分の口から彼女にそのことを話しさえすれば……)

 

 マキが自分に恥をかかせたのではないかと、絶えず気にしていたらしいと、君貴はもちろん気づいていた。だが、彼女が思っていたのとは逆に、彼は至極彼女に満足していた。単にマキは食事に集中しているだけなのだが、瞳を伏せたままフォークやナイフを使い、いつも以上に赤い唇に鹿肉を運ぶ彼女は――どこかエロティックで、艶かしくさえあったからだ。

 

(いや、今はそれより先に、イズミのことだ。如月泉……俺のことを捨てて、アンディ・ウォーカーという指揮科の男と交際し、その十年後くらいに、そいつと結婚した女……)

 

 如月泉は、ヴァイオリン科に所属しており、君貴が十六でウィーンの音楽院に留学した頃から、ずっと親しくしていた。その頃はお互い日本人だということで、そうしたマイノリティの連帯意識によって、親しい友人関係にあったというだけだった。

 

 けれどその後、大学の授業で、ピアノ科とヴァイオリン科の生徒がそれぞれ組み、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを披露するという機会があった。その時、君貴が十八、泉が十九歳だった。ふたりは一も二もなくお互いを選び、その日からずっと時間さえあれば、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第九番、クロイツェルを弾き続けるという毎日だった。ふたりとも、「妥協する」ということを知らないため、実際に呼吸を合わせて演奏するよりも、特に最初の頃は議論している時間のほうが遥かに長かったものだ。

 

 結果、泉と君貴の演奏は大成功を収め――このことをきっかけに、ふたりは交際するようになったわけだった。如月泉は進んだ考え方を持った女性だったが、それもそのはずで、彼女はアメリカ育ちであり、日本人ではあるが、日本に住んでいたことはほとんどないという女性だった。最初に出会った頃から、「わたし、結婚願望はないの。それで、ヴァイオリンひとつを持って世界中を旅して、色んな男と恋愛経験を持ちたいわ」と言っていた。君貴にしても、その頃はまだ如月泉に恋愛感情など抱いてなかったため、「君ならきっと、望みのとおり、自由な人生を送れるよ。ヴァイオリンの才能もすごいから」などと、他人事のように言っていたものだった。

 

 だが、如月泉との交際について君貴が思い返すに――彼が一番ショックを受けたのが、彼女がすでに処女ではなかったということだった。もちろん君貴にしても、自分が初めて経験する女性は、清らかな処女でなければならない……などと思っていたわけではないし、ベートーヴェンのように女性の理想が高かったというわけでもない(ベートーヴェンはいつでも、誰かの妻である人や、身分が高すぎて手の届かない女性に恋していることが多かった。それは彼がそうした中に清らかな精神の恋、魂の愛を求めていたかららしい。とはいえベートーヴェンは、性欲処理のため娼館に厄介になるたび、自己嫌悪に陥るという男でもあった)。

 

 確かに、君貴は今も、地球は自分を中心にして回っている、と考えてはいる。だが、彼は(人間などそんなものだ)という意味でそう思っている、というだけのことなのだ。(誰しもみな、自分の人生という物語の主人公っていう意味では、そうなんじゃないのか?)と。

 

 また、今以上にずっと若かったせいもあり、新しく仕入れてきた哲学の知識についてや、絵画と音楽の結びつきについてなど、君貴が当時得意気に持論を展開して彼女に聞かせていたというのも、事実ではある。それで、泉のほうでつまらなそうな顔をしていても、君貴はそのことに気づかなかった。思想性という意味では、ヴァイオリンの演奏とも関係することを自分は話しているのに、彼女があまりよく理解していないことに対しても――口に出して言いはしなかったが、(それなのに興味がないだなんて、どうかしている)といったように感じていたものだった。

 

 とはいえ、ふたりの関係は最初の頃は特にロマンティックなものであり、このままお互いにお互いを励まし続けて、世界中で演奏会を開くような、プロのピアニスト、ヴァイオリニストになるのだと、君貴の側としては信じて疑いもしなかった。ところが、ある日君貴は『別れたい』と泉に切り出され、その理由が『ヴァイオリンのことだけ、今は音楽のことだけに集中したいの』ということがわかると、一度は彼女の言葉に同意した。自分も今はまだ学生の身で、確かに『ピアノのことだけ、音楽のことだけに集中すべきだ』と思ったというのもある。

 

 ところが――自分と別れて一週間もしないうちに、泉がひとつ年上の指揮科の男とつきあっていることが判明すると、君貴は如月泉にしつこくつきまとい、理由を聞きだそうとした。彼は昔からなんでも理詰めで考えるタイプの人間であったため、納得できないことがあると、徹底的に突き止めずにはいられないといった性格をしていた。

 

 それがどんな酷い理由でも、君貴としては「本当のこと」、「彼女の本当の気持ち」を知りたかった。上っ面の綺麗な理由ではなく、自分の性格上の欠点についてなど、泉の口からはっきり教えて欲しかったのだ。だが、実際にその「本当のこと」、あるいはそれに近いところを掠めるようなことを言われただけで――君貴は今度は、彼女に対して実は「最大の欠点だ」と感じていたことを、口に出してはっきり言ってしまったというわけだった。

 

 彼と彼女の関係は、いつでも対等なものだったし、そんなふうに刺激を与えあえる関係をこれからも続けていけるものと、君貴は信じて疑いもしなかった。人が怒る理由は、心理学的には「自尊心を傷つけられた」時であり、その尊厳を回復するためには、人は怒りに身を任せ、時になんでもしがちな傾向にあるらしい。

 

 なんにせよ、簡単に言ったとすれば、これが君貴が世界的なプロのピアニストになるという道を断念した、直接の理由である。おそらく、今からでも君貴の母の耀子がこの事実を知ったとしたら――世界の果てからでも息子のことをひっぱたきに来たに違いない。詳しくは聞かなかったものの、「そこまでのことを言うからには、よほどの理由があるに違いない」と、そう想像していただけに……初めて肉体交渉を持った女性に振られたことがショックで立ち直れなかったと彼女が知ったとすれば、他の選択肢についてはすべて阻まれ、彼は世界的な建築家になることはなかったに違いない。

 

 だが君貴はこの時、夏休みにヨーロッパ中を傷心旅行するうち、何もピアニストになるばかりが人生ではない、若い自分にはもっと他にも無数の道があるはずだとだんだんに考えるようになっていった。何より、駅舎や教会、美術館や博物館など、ヨーロッパの古い町並みの中を歩くにつけ、そうした建築物やランドスケープが君貴の心に一番癒しの効果を及ぼしたのだった。こうして彼は、音楽の道は諦め、建築家になる道を志すべく、人生の舵をまったく別の方向へ切ったというわけなのである。

 

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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