この小説をもし何部かに分けるとしたら、この【12】のところまでが第1部かな、なんて思います(^^;)
一応今回ではっきり……というか、正確には前回でしょうか。マキとアトゥー氏の関係についてはそんなことになってしまったわけですが、でも物語のほうはまだまだ続いてゆきます!
それで、今回も特にここの前文に書くことなかったりするので(汗)、このお話の中でですね、一応最初から「こういう描写を入れよう」とか、「まあ、無理して入れなくてもいいけど、どこかに挟めそうだったらこのエピソード入れとこう」みたいのがあったりするんですけど――結局書いてるうちに「挟められそうなスペースなかったや☆」みたいになってしまうことが時々あるので、今回はそんなことでもと思います。。。
>>(わたし、君貴さんとの間に、一体何を望んでたのかしら。シンデレラみたいに、彼と結婚して幸せになること?でも、シンデレラはよかったわよね。結婚したあと、同じ城の中に自分よりも美しい美青年を王子さまが囲ってるだなんて、そんな事実はなかったんですもの……)
どうなんでしょうね(笑)。これでいくと、「キミタカ王子があんたと結婚したのは、単に世継ぎが欲しかったからだよ。でも、あいつがこの世界で一番に愛してるのは、シンデレラ、おまえじゃなくてこの僕だよ」……的なことになるのでしょうか(^^;)
それと、アトゥー氏が振られてしまった如月泉ちゃんですが、このあたりの細かいところ(?)も結局書けずに終わってしまったやうな(・ω・)ヾ
こののち、何年かして彼女のコンサートにアトゥー氏が出かけてゆき、ちょっと話をする――みたいな場面をどっかに入れようかなと思ってたんですけど、結局そんな余地なくお話のほうは終わってしまったというか。。。
この時、「なんであなたピアノやめちゃったの?あんなに才能あったのに……」みたいに、何気なくイズミちゃんが聞くんですよね。まあ、(それをおまえが言うか!)みたいな話かもしれないんですけど、彼女にしてみたら「自分に振られたくらいで、まさか……」くらいの感覚なわけです(^^;)。それでこのあと、イズミちゃんは「わたし、今の夫のほうよりも、あなたのことが本当は好きだったのよ」なんて言いだすという。「だったら、なんで……」、「わからない?あなたはあの頃のわたしにとって、物凄く危険な男だった。そういう意味では、アンディのほうがずっと安全な恋人だったの。あなたには、わたしが自分で自分の才能を捨ててでも、あなたの音楽の才能のほうを優先させたいと思わせるくらいのものがあった。でも、そういう意味じゃアンディは物凄く安全だったの。気を張っていなくても、相手に自分の才能を吸収されるように感じないって意味でね……それで、そんな激しい関係をあなたと続けていたら、いずれ負けて膝を折るのは自分のほうだともわかってたのよ。言ってる意味、わかる?」――というのが、イズミちゃんがアトゥー氏と別れた理由だったわけですが、このことを彼は結局知ることなくお話のほうは終わるのか……というとそんなこともなく、君貴、マキ、レオンと、三人の人生に起きたことすべてについて書いてあるわけでもないので、行間の空白部分っていうんですかね。そんなところでアトゥー氏はこの事実を知っているのかもしれない――という、何かそんなところです(^^;)
ではでは、次回はラブ・イズ・オーバー(古いなあ・笑)その後……といったところかな~なんて
それではまた~!!
ピアノと薔薇の日々。-【12】-
「あんた、お腹すいてるんじゃない?」
「いえ。むしろ、なんかあんまり……って感じです」
マキが溜息を着いていると、カールは「あたしがなんか作ったげるわ」と言って、一度姿を消した。その後、マキは一時間ほどしてカールが戻ってくるまでの間、ウィリアム・モリスのデザインを思わせる壁紙や絨毯、調度品類に囲まれた部屋で――ただなんとなく、ぼんやりしたままでいた。
それから、ようやくひとりきりになってみて、『失恋』ということの実感のようなものが湧いてきた。自分はたぶん、カール・レイモンドの説明がなければ、レオンという美貌の男性の説明だけでは、十分納得することは出来なかったろう。それでもまだ、マキには不可解なことだらけだった。そもそも、別れ話がしたいなら、いつでも彼には機会があったはずだ。にも関わらず、パリのあちこちを観光しに連れていったり……エンディミオン・クラブへ向かう時にしてもそうだ。君貴の耳にはすでに、破局の序曲のようなものが聴こえていたはずなのに、やたら自分とベタベタしたがった。
(でも、わたしがスーツに着替えた時の、君貴さんのあの眼差し……今にして思えば、『ああ、そういうことだったんだ』って、思わなくもないけど……)
マキは不意に、君貴が首筋にキスしてきたことを思いだし、そこに手をやった。まだ、感触が残っている気さえしてしまう。
それからマキは、君貴とフランス料理店で食事した時のことを思い出した。あの時、彼は明らかにおかしかった。いや、食事中は何種類も並んだフォークやナイフ、スプーンについて、どこで使うかを教えてくれたり……どちらかというと、彼自身も皿の味のほうに集中しているような感じだった。
けれど、マキがせっかくのデザートを辞退し、化粧室へいって戻ってきた時から――彼はホテルへ戻ってくる間も、様子がおかしかった。おかしい、などと言っても、珍しく黙り込んで何かを考えているような様子だった……といった程度のことではあるのだが。
(何かあったとすれば、あの瞬間っていう気がするのよね。最高のエステを受けさせて、プロのメイクアップ・アーティストにも化粧させてみたが、まあ、この程度か……とか?とにかく、はっきりわたしが君貴さんの水準に見合わないっていうことが、あの瞬間はっきりした――みたいな、そんな印象だった気がする)
このマキの推論は間違っているわけだが、本人が強固にそう思い込んでいる以上は仕方ないというものだった。実際には君貴はこの時、マキが化粧室へ行く前にナプキンを椅子の背に置いたのをきっかけに……過去の回想がはじまっていたのだ。
そして彼は、思考・思索の実を得た。君貴は自分が『女運が悪い』と思い込んでいるが、マキに関していえばその限りでなく、むしろ自分は幸運だったと思っていた。そして、これと同じことが他の女性との間で起きるとは考えていないため、レオンが『次に女となんか浮気したら、絶対別れるからねっ!』としつこく念押しする必要は、実はまるでなかったのだ。そして、君貴が『俺にとっては、この広い世界でおまえだけが本当の女だ』と彼女に言ったのも――嘘偽りのない、彼にとっての真実だったわけである。
けれど、そのせいでマキは余計に混乱した。君貴が自分にしたこと、してくれたこと、言ったこと、聞いてくれたこと……そのすべてが嘘ではなかったにせよ、ゲイで美貌の男の恋人がいたことを思うと、『それなのに、自分に一体何を期待していたのか』ということが、マキにはその後、どんなに考えてもわからなかったのである。
そして、気がつくとマキは再び涙を流していた。もう二度と、君貴が自分の部屋に来て、文学のことや詩人について話すことはないだろう。一緒にボウリングをしに行くこともなければ、映画を見ることもない。もちろん、キスしたり、抱きあったり、セックスすることも二度とない。
マキは自分が失った心の領地の広さに、愕然とした。心の緑地が天変地異によって失われ、その八十パーセント以上が突然砂漠の砂に変わったようなものだった。だが、マキは知っている。毎年、ある季節に<ベルサイユのはなや>には、デザート・ローズと呼ばれる、砂漠に咲く花――正確には多肉植物――がいくつも並ぶのだ。
(そうね。砂漠にだって薔薇は咲くし、生き物だってちゃんと存在してるわ。ただ、暫くの間はサボテンの刺のような針が、わたしの心をチクチク刺すにしても……それだって永遠に続く拷問ってわけじゃないんですもの)
そう思い、マキが惨めに自分の心を慰めていた時のことだった。カールがノックもなしに突然ドアを開け、オムレツやリゾット、肉料理やサラダ、デザートののったトレイを持ってきてくれたのである。
「すみません。なんだか……こんなによくしていただいても、わたしのほうでは何も出来ないのに」
「ほほほ。お代ならもうちょうだいしたわ。美貌のゲイの青年と恋人を取りあう女の図……だなんてね。あれこそお金じゃ買えない現実世界の本物のショーよ。まわりにいた男たちも、あんたとレオンが恋人のことで言い争ってるのはわかったでしょうけど――日本語がわかる奴なんてあの場にひとりもいなかったでしょうからね。あたしのことなら気にすることないわ。あんたがここにいなかったら、この広い屋敷でひとり寂しく新年初の夜を迎えてたっていう、ただそれだけですものね」
マキはもちろん知らなかったが、この屋敷は、元はカールの曾祖父が所有していた建物であり、レイモンド家には政治家や官僚、医者や弁護士をしている者が多い。その中でカールは、一族の者の中で異色の存在といって良かったが、現在、世界中の一流フォトグラファー、ファッションブランドのデザイナーから、引きも切らない指名を受ける存在なのである。
だが、どの分野の仕事のトップにも、もしかしたら似た側面があるのかもしれなかったが、カールは孤独だった。馬鹿騒ぎをする仕事仲間や友人、時折つきあう恋人もいたとはいえ、いつでも帰ってくるこの広い屋敷には、他に誰もいなかったのである。
「すごく美味しいです。みんな、カールさんと結婚したがる人は多いんじゃないですか?こんなに料理が上手だとしたら……」
「まあ、いやあね、この子ったら。褒めてももう何も出てこないわよ。きのうとおとついは、ここにレオンがいて、色々美味しいもの食べさせてあげたけどね。あの子ったらずーっと君貴のことか、あんたのことしかしゃべってなかったわ。あんなんでよくクリスマス・シーズンあたりにコンサートして、いいピアノが弾けたもんだわと感心しちゃったくらいよ」
マキはここでハッとした。どうして、彼と出会った瞬間にすぐ気づかなかったのだろう。超絶技巧の天才ピアニスト、レオン・ウォン――世界中に熱狂的なファンを持つ、クラシック音楽界の寵児だ。
「あら、あんたもしかして今ごろ気づいたの?わたしもよくは知らないんだけどね……君貴はレオンがピアノを弾く姿を見て、自分は音楽の道を断念して良かったんだって、初めて納得したそうよ。ほら、ふたりはちょうど五歳違いじゃない?君貴がもしあのまま順当にプロのピアニストとしてデビューしていたら、その後を獅子奮迅の如く猛追してくる後輩がいるっていうような図式になるわけ。『自分が、阿藤君貴の前にピアノの神はなし、阿藤君貴の後ろにもピアノの神はなし……なんて自惚れてるくらいの頃に、レオンがピアノのコンクールで次々優勝し、俺の強い鼻っ柱をへし折ってたかと思うとまったくゾッとするよ』ですって」
「…………………」
(これは本当に、わたしがあのふたりの絆に入れる隙間なんて……ううん。そんなことを考えること自体おこがましいっていう、そういう話なんだわ……)
マキは、あらゆる芸術的な事柄においても、君貴とレオン・ウォンの一致を感じた。いわゆるベターハーフということなのだろう。それでいて君貴のほうでは、ちょいちょい男同士の一夜の関係というのを結び、レオンのことを嫉妬させ続けているのだ。
この時、マキはレオンにひどいことを言われたのも忘れ、やはり君貴のほうにこそ非があるとしか思えなかった。あれほどの美貌を有し、ピアノの才能があり、色々なことを対等に議論しあえる相手――彼のことだけを恋人として大切にし、よそ見などすべきでないとしか、どう考えてもマキには思えない。
「あの子のこと、許してやってね。まあ、あんたはそういう子じゃなさそうだけど……レオン・ウォンはゲイだとか、建築家の阿藤君貴と出来てるなんてネットでいくら叫んだところで、自分が虚しく傷つくだけよ。まあ、レオンに関しては何分、あの中性的な美貌でしょ?今までにもゲイ疑惑については何度となく囁かれてきてるし、ありもしない噂までたくさんあるくらいなのよ。アル・パチーノと出来てるとか、ジョニー・デップと出来てるとか、本人も『どっから出てきた発想なんだろ』って笑ってたけどね」
「わたし……レオンさんに対しては、なんとも思ってません。むしろ、そんなに長く彼が苦しんできたことさえ知らなかったなんて……そうですよね。世界的に名前を知られたピアニストとして、醜聞は絶対避けたいはずなのに――そんなふうに前後の見境をなくすくらい、本当に怒ってたんだなって思ったら……なんだか、本当に心苦しいっていうか……」
「あっ、そんなに深刻にならなくても大丈夫なのよ。マキ、あんただって言ってみればあのふたりの犠牲者みたいなもんじゃないの。あたし、時々レオンの話を聞いてて思うんだけどね、君貴はふたりの関係を長続きさせるために、他の男とも関係を持つことがあるんじゃないかって……まあ、一種のそういうプレイってことよ。ただ、あんただけは別だったんじゃないの?君貴にとって」
「ううん、きっと同じだったんじゃないですか?わたし、ほんと自分で自分が恥かしい。最初から、『こんなの絶対おかしい』みたいには思ってて……普通に考えたら、わたしみたいな子のこと、あんなに凄い人が本気で相手にするわけなんてなくて。それなのに何も知らないで、時々結婚できたらいいなとか、ぼんやり考えることまであったなんて……」
「そんなの、女だったら当然のことよ。ほら、あたしこんなだから、女に対するのと同じ感じで、恋愛相談とかよくされるわけよ。みんな、やっぱり最初に性の体験を持った相手とはなかなかうまくいかないみたいねえ。それで、そうした傷を癒すためにまた別の男とつきあいだす……みたいなね。なんだったかしら。あたし、日本にいた頃、聞いたことあるわよ。セカンド・ラブこそもっともうまくいくとかっていう話。まあ、それがサード・ラブでもフォース・ラブでも、なんだったらフィフス・ラブだっていいのよ。二度目より三度目、三度目より四度目……そうやって女は恋愛上手になっていくものなの。あんた、今いくつってったっけ?」
「二十三です」
「あらっ!じゃあ、まだ全然若いじゃないの。ううん、若いとは思ってたけど……それじゃ、君貴はほんとに罪なことをしたってことよねえ。レオンも怒るはずだわ。大丈夫よ、あたしなんかもう、さっきタクシーの中でした話だけじゃなく、それでいったら体中痣だらけですものね。それでも、こうしてまだ醜い姿を晒して生きてるんですもの。マキには、モデルにでもなれそうなプロポーションと、ピチピチの若さがあるわ。つらくなったら、パリのブタみたいなオカマが何か言ってたなって思いだすのよ。あと、あんたお酒いる?」
カールはマキよりも背が低く、ぽっちゃり気味でもあったが、マキはブタは言いすぎではないかと思った。けれど、『カールさんはブタに似てないと思います』と言うのも変な気がして、結局否定できなかった。
「大丈夫です。本当に、色々お気遣いいただいて、ありがとうございました。いつか、何かの形でお返しできたらいいんですけど……」
「あら、いいのよ。お代ならもうもらったって言ったでしょ?明日、午前の便で発つって言ってたわね。ド・ゴール空港までは、あたしがちゃんと送っていってあげるわ。それじゃ、おやすみなさい。可愛いジャパニーズ・ガール」
カールはそう言って、マキの頬にフランス式に二度キスした。そして、一度出ていってから、すぐ戻ってきて、トイレのある場所などを教えてくれ――自分が広い屋敷のどのあたりにいるかも説明してくれた。「ほほほ。あたしには君貴と違って女を襲う趣味はありませんからね。その点は大丈夫よ」と言って、再び部屋のほうをあとにする。
カールの姿がなくなり、ひとりきりになると、マキはあらためてどっと体中に疲れが押し寄せてくるのを感じた。考えてみれば、パリ入りしてからこの三日ほどの間、マキは気を張りつめ通しだった。いわゆる白人コンプレックスというのだろうか。周り中をフランス人に囲まれているだけで、また、彼らが何をしゃべっているかもわからない中で過ごすというだけで――普段東京にいる時の何倍も疲れた気がする。
あのフランス料理店にいた時もそうだった。自分が他の人にとっておかしく見えてないかどうかばかりが気になった。また、君貴の機嫌が突然悪くなったように見えたのも……フランス語による会話がマキにわからなかっただけで、誰かが何か言っているのを小耳に挟んだためではないかといったように、マキは想像していた。
もっとも、マキは知らない。君貴とマキは誰の目からみてもお似合いのカップルのようにしか見えなかったし、彼女が「それっぽく見えるよう」努力しただけあって――何人かのパリジャンがマキに注目することさえあったのを。彼らの斜め後ろのテーブルにいた壮年の夫婦など、東洋人の若い娘に夫の視線が釘付けなのを見て……浮気な夫を妻が不機嫌に睨みつける一場面まであったほどである。
(とにかく、これでもう、何もかも終わったわ……)
カールは、二度目の恋より三度目の恋、三度目の恋より四度目の――などと言っていたが、マキは自分がもう二度と誰とも恋をすることはないだろうとわかっていた。
おそらく、他の一般的な女性にしてみれば、まず、それまでおつきいしていた男性がゲイだった……そのことにもっとも衝撃を受けるのではないだろうか。だが、マキの場合はそれよりも「男に間違われた」というところに一番ショックを受けていた。マキは自分の胸がほとんどないに等しいことを気にしていたのだが――ある時、そのことを君貴に聞いてみると、「俺は気にしない」と言われた。「そんなくだらないこと、気にするな」とも。「俺は胸が大きいマキより、脇から引き寄せる肉もないくらい、絶望的に胸のないおまえのほうが好きなんだから」と……。
他に、「ありのままのマキが好きだ」と言われたこともある。けれど、蓋を開けてみれば、こういうことだったのだ。単にゲイで、男っぽい女とであれば、ギリギリどうにかつきあえるという、それだけのことだったのだろう。マキは君貴に「間違いなく愛されている」と感じた瞬間、自分のコンプレックスを含めた全存在が肯定されたような気がして――大袈裟な言い方をしたとすれば、「女に生まれてきてよかった」とすら感じていた。そして今、その喜びのすべてが否定され、気持ちが絶望的に落ち込んでいたのである。
マキが男に間違われるのは、何も今にはじまったことではなかった。もう、極小さい頃から、「あの子、男の子みたいね」とか、「あら。男の子かと思ったら、女の子だったわ」といったようなことがよくあった。マキの母親が、娘に女の子らしい格好をさせるのが好きだったため、母を喜ばせるためにマキはスカートをよく着ていたものの……「オトコオンナ!」とか、「男がスカートはいてるぞ~!」と、同級生の男子からからかわれるようになると――マキは断固スカートを拒否し、ズボンしか履かないようになっていった。
もっとも、マキは「オトコオンナ」などと言われても、心が傷つくことは一切なかった。また、マキは自分が何を言われても黙っていたのだが、逆に周りの女の子たちが黙っていなかったのである。「あんたたち、マキちゃんのこといじめたら、絶対許さないから!」……そんなふうに言ってくれる子がクラス内で多数を占めていたため、マキは小・中・高を通して、男子とはあまり接点がなかったものの、女子たちには絶大な人気があり、いじめなどとは無縁だった。
また、これはミナにも、ムツキにもユキにも言われたことなのだが――マキは親しくなった女子から、「マキが男だったら絶対結婚してるのに!」と、よく言われる。しかも、軽い冗談というよりは、半分以上本気な口調によって。もちろん、そのあとに続く「ええ~っ?マキはあたしと結婚するのよう」、「そんなのずるいっ!マキはあたしのものよっ」、「ほら、マキ!あたしたちの中なら誰がいいか選んでっ」といった会話の流れについては、三人とも冗談ではあったにしても。
アルバイト先などでも、同年代の男の子とはそれなりに親しくなったり、気のおけない関係にはなるものの、それ以上の進展といったことは一切なかった。だからマキは思った。「自分には女としての魅力がないし、自分とつきあってもいいというような奇特な男性はこれからも現れまい。そう考えた場合、自分は一生未婚で終わる。未婚で終わるということは、着実にコツコツ貯金して、将来誰にも迷惑をかけぬよう、ある程度財産を蓄えておく必要がある」と……<ベルサイユのはなや>は、従業員の少ない小さな有限会社ではある。それでも一応正社員としてボーナスは出るし、マキはファッションなどにも興味がなく、そもそも節約するタイプなため、もし定年まで勤めたとすれば――ひとりで老後を過ごすための、十分な蓄えは出来るはずだと彼女は考えていた。
マキのこの悲観的な傾向は、母親の死によって判でも押されたように確定的なものとなった。そして、マキが(これからも自分はそんなふうな人生を生きていくのだ)と思っていた時、阿藤君貴という男が彼女の前に現れたのだった。そしてこれが、マキが「男と間違われた」ということに、もっともショックを受けた理由だった。「自分のような女にも、魅力を感じて愛してくれる男性がいる」……その、生まれて初めて感じた肯定感のすべてが裏返ってしまったのだ。
君貴が実はゲイだ、ということに関していえば、マキは二次的なショックしか受けていなかったかもしれない。男同士が愛しあう、ということに関しても、嫌悪感や軽蔑する気持ちは一切ない。何より、彼自身が女としてのマキの体を何度となく求めてきたからだろう。その一方で、君貴がレオン・ウォンという美貌の青年と寝ていたことを思うと、その比較によって恥かしいと思いこそすれ――マキは今、相手がレオンで良かったのかもしれない……とすら思いはじめていた。
つまり、マキは君貴が結構な資産家であるだけに、自分以外にも巷々に女がいるのではないか――という疑惑については、つきあいはじめた最初の頃から、疑惑を持っていなかったわけではない。たとえるなら、ブレイク・ライブリーやエマ・ストーン、ナタリーポートマンといったような美女と交際しており、突然彼女たちのうちの誰かにパリへ呼ばれ……「君貴はわたしのものよ!あんたなんかお呼びじゃないのよ」と言われるよりは、マキは相手がレオンで良かったのかもしれないと、今はぼんやりそんなふうに思っていた。
何故といって、レオンが今君貴と一緒だと想像してみても――マキはあまり嫉妬を感じないが、これで相手が女性の上、物凄い金髪の美女であったとしたら、今以上に悔しさや嫉妬、惨めさがこみあげてきて、涙が止まらなかったろうと思うからだ。
マキはこの時からすでに、自分がこの失恋を乗り越えられないとわかっていた。けれど、涙を流しながら枕に頭をつけたにも関わらず、さらにひとしきり泣くと、マキの唇の端には、微かに微笑みが浮かんできた。
(もし、わたしが誰かに恋をして失恋するとしたら……君貴さんよりもずっとグレードが低くて、しみったれたような、つまらない恋愛をして泣くんだろうなと思ってたのに……なんだか、おかしいわよね。そう考えたら、あんなに素敵な人と短い間でも恋愛ができて良かったって思うべきなのかしら。しかも、こんなパリで失恋するだなんて――本当に、映画みたいよね。こんなこと、わたしの人生には本当なら起きるはずさえなかったことなはずだもの……)
そう思うと、マキは失恋の涙で枕を濡らしながらも、少しだけ微笑むことが出来た。日本へ帰国したら、また仕事して家に帰り、時々は友人とも会って食事やカラオケに行く……何か、そんな前までの日常が戻ってくるだろう。阿藤君貴という男を知った今では、そうした前まであった生活は、よりつまらなくて退屈に感じられるに違いない。けれど、それでいいとマキは思った。いや、それだからこそいいのかもしれない。彼のことを知らずに、ただずっと淡々とそんなふうに生きているよりも――マキの人生は今とても豊かで、大きく世界が広がってもいた。心の砂漠地帯はもう一度、緑で満ち溢れて、美しい薔薇の花が咲く日が再びやって来るかもしれない。そして、花が美しく咲き誇るためには、刈り込み、ということがどうしても避けられないものだ。自分に今起きているのはそういうことなのだと、マキはそう思って自分の心を慰めることにしたのである。
>>続く。