花ざかりの廃園

If you celebrate it,  it's art.  if you don't,  it isn't. 

自分で自分を楽しむこと―追憶

2015年08月26日 | 思い出すことなど、ほか

この夏、少年期の3年間(小学2年から4年)を過ごした島へ行った。
天気がよくとても暑い夏らしい夏に、ぼくは独り自分で自分を楽しんだ。

自分の人生における最初の礎石(今となっては、煌めく)のひとつは、この場所にあったのではないかと気付いたのは、
20代の半ばだったけれど、ぼくの中で過ぎ去ったもののうちでもっとも懐かしい場所がここ。
そんなわけで、多少の冗長さをみとめて、たくさん写真を載せてみたいと思います。

ただ、そういった場所はひとそれぞれのもので、誰もが持ちうるものだし、また、瀬戸内海にはこんな場所はざらにあるので、
とくに場所は特定しないでおきます。どこにでもあるだろう、単に個人的な追憶の場所であるに過ぎないので。


              *

午前10:25 8月某日、出港 


航跡 : 常に変化し泡立つそれをじっと見ていると眩暈をおぼえる。子ども時分には周りの景色にではなく、これに見とれていた。


まず、島の小学校に行った : 数年前に一人いた児童が卒業し、今は廃校となっている。ぼくが通ったのは昭和40年代初めころで、ぼくのいた学年の生徒数は21人だったのだが、、。ぼくがいた当時に校舎は木造から写真の鉄筋に建て替えられた。工事中の数カ月間は、海辺にあった公民館で授業が行われた。


二宮金次郎 : これは当時のまま。この銅像の前で撮ったクラス写真がある。


路地 : 現在、島民の平均年齢は約80歳。いちばん若い人で40代後半だとか。この日、外を出歩く人をぼくは数人しか見かけなかった。屋根が、ギザ、ギザ、ギザ、、




廃屋も何軒か目についた。緑にのまれ透明化(純粋化?)する仕草は魅力的だ。




    *

ぼくが愛する海岸へ向かう : 港や集落は、島の南面。ぼくのお気に入りの場所は、集落の東にある緩やかな坂道を越えたさきの海岸。

坂道の入り口付近にも廃屋が、




蛸壺が置いてある空き地の横を過ぎ、


ひと気の全くない坂道を越えていきます






山からの湧水が道路を濡らすここは、アゲハ蝶の水飲み場になっている。


下り道になると徐々に視界が開けてきます。







浜が少し見えてきて、離れ小島がひとつ。 ぼくはこの景色が好きだ。






島の東側の浜に出ました。






ぼくの目的の場所は、さきの小島が見える方角とは逆の方向。




途中休憩 : この三角の標識を、子どもの時からなぜだかぼくは気に入っていた。



            *

ここ、ここなのだ。ぼくの"美しい隠れ場”は! 堤防の上の木蔭。


まったくの独りきりの場所で、着ている服を全部ぬいで(汗でびしょびしょに濡れてもいるので)、お昼の弁当を食べ、酒に酔い、そして、ウォークマンで、
Origamibiro の shakkei remixedのアルバムに入っている - Ballerina Platform Shoes なんかを(まあ、これはぼくの場合はだけど)聴いてごらん、 
”タウマゼイン!”と叫びたくなるよ。 





              *   *   *


午後には、島のあちこちを追憶に浸りながら歩きまわり、そして夕方、東の裏のこの海辺に戻りテントを張った。
しかし、順調なのはここまで。




夕食にカップラーメンを食べ、体内アルコール濃度も増しだいぶ気持ちよくなっていた夕凪のころ、蚊の大群が襲ってきた。(ある程度は予想していたのだが、、)
当然、テントの中に急いで避難した。しかし、テント内の温度が外気よりもかなり高い。テントを上写真の場所に張ったからだ。日中の太陽熱を目いっぱい吸収した石の塊が、放射熱をじわじわと床暖房のように発してくる、、、

結局、暑くてテントから出るしかなく、持参していた蚊取り線香を自分のまわりの半径1メートルに10個並べてバリアをつくり、
その圏内で、小さく膝をかかえて横になるしか睡眠の取りようがないのだった。 

が、熟睡できるはずもなく(30分くらいはうたた寝しただろうか)、朝までやり過ごせるほどの蚊取り線香もなかったので、思いあぐねた結果、夜中の2時ころ、この場から撤収することに決めた。(テントをたたみ荷物をまとめるのに約1時間。月夜だったので明りには困らなかったのは幸いだった) そういえば、―――深夜、好かったこともあります。幻想的というか。  満潮時には、上写真のテントを張った堤の側面の 色の濃い部分まで潮が満ちて来たのですが、静かにゆれる海面の波が上空の月の光を小さく砕いて目の前まで運んでき、そして、波の当たる水際には、ときどき夜光虫の数々が発光し それに混じるのでした。

       *

とくに行くあてもないまま、真っ暗闇の林道を越え集落のある南側に抜け、とりあえず蚊のいなさそうな港へ。(夜中の3時半ころ)


港のベンチで寝ようとしたものの、やはり蚊が多少はいて、(蚊取り線香の最後のひとかけらをつけていたのだが)刺されてしまい痒くて目が覚めたので(10分、15分は寝られたか)、夜が白んできたころ暇つぶしに港の写真を撮った。




           *

最初の計画では、一泊した翌日もこの島で自分で自分を楽しみ、夕方の船で帰るつもりだったのだが、この年齢だしほとんど寝てもいないのでは体力的にキツイと判断し、始発(05:59)の船に乗船した。(ここから乗った客は、ぼく以外にはひとりだけ。)




レーダーの向こうに、大根の薄切りのような月
        



船上から朝陽を見るのは初めてだとおもう。(子供の頃に見たかもしれないが記憶にない。)
海上で潮風をうけながら、自分以外に誰もいないデッキでぼくはずっとそれに見とれていた。(思い通りにならない中にも楽しみはあるものだと、自分を慰めつつ)


          *  *  *               *  *  *


今回の島での滞在は、家(今では誰も住む者のいない愛媛の実家)からの行き帰りを含めても全行程は25時間くらいのものだった。けれど、そのほとんどを寝ないで過ごしたせいもあってか、濃密な1日だった。一瞬一瞬、見るものすべてが、ぼくの奥深いところと回路が通じているように、微かな何かを伝えてきたように感じた。

少年期のおよそ1000日間を過ごした思い出の場所なのだから、それはそうなのかもしれないけれど、しかしそれは、
年をとったからこそのぼくが、この今の感性で初めて感じたものだったかといえばそれは違うとおもった。

それは、子供時分のぼくが、そのときこの島というひとつの小さな世界で生きて(おそらく今より透明な眼差しを通して)感じていた、
言葉以前の世界感覚の部分的な反芻ではなかっただろうか。(子供は大人とは違うやり方で、意識することなく
より多くの何かを受け取るレセプターを備えていたのではなかったろうか。)
だから、ぼくの追憶は、文字通り 少年期の自分自身の感受体験を”部分的”に、追って憶い出していただけなのだろう。
今感じていることは、少年期に感じていたものを越えることはできない。そんな気がする。追憶だから追いつけない。
・・・ 子供が無意識に感じたことの”一部”を人は大人になってやっと僅かに意識するのだろうか。        

                        *  *
 

人生全体からいえば、島でのこの1日は、”暫時(しばし)”だったろう。暫時は一時的なものだ。だから永続的なものに比べれば、まったく重要とは言えないのかもしれない。
でも、短いたった1日の”全体”がこの日、 「追憶」(繰り返されない、戻ってこないものへの部分的ではあるが深度のある接近)のエーテルに浸されていた(大袈裟にいえば、1000日の空気を1日で呼吸しようとした)のだから、普段の無感動な大人の生活に戻った今の自分にとっては、現在の1000日にも値する1日だったといえる気もする。 ― 自分で自分をめいっぱい楽しんだ。


 [詩人の] 挨拶

2015年08月20日 | 思い出すことなど、ほか


以下の文章を見つけたとき、ぼくは、過去の記事のH.Tさんの「早朝」を思い出した。
少し大げさかもしれないけれど。


”[詩人の]挨拶は挨拶を受けるものをよく記憶している。 いまだにそれを忘れていない。
またそれを忘れることができない。 なぜなら挨拶を受けるものが己れ自らを挨拶をなす者に
与えようと思うからである。

そのように[詩人の]挨拶は断じてそれ固有の業ではないのである。 挨拶をなす者は全く、
かれ自らが挨拶を受ける者であり、・・・

詩人たるかれが自らを挨拶を受けるものに与えようと思うのではなく、"その" 挨拶を受けるものこそ
自らを挨拶をなす者たるかれに与えようと "思う" のである。

―――― 真正の挨拶は挨拶を受けるものにそれ自らの本質の余韻を贈るのである。
・・・純粋にして素朴なる挨拶は詩的なものである。”

「ヘルダーリンの詩の解明」M.Heidegger より

空の秘術

2015年07月23日 | 思い出すことなど、ほか






 今朝、5時ころ、空の秘術をみた。
 およそ10分の短い間、大きく街を半円が囲っていた。

  広々としたどこかで、全体を丸ごと見わたせなかったのが少し残念。
  虹が消え、しばらくして雨が降りはじめた。

(関連)⇒

 陽の光

2015年07月11日 | 思い出すことなど、ほか


今日、といっても、昨日のことだが、
しばらくぶりに雨が止み、晴れた。

なんだか、遠方からの久しぶりの友だちの訪れのような感覚で、ぼくはうれしかった。
そこで、朝、5時過ぎにいつもの縄文公園に行ってしまった。

朝もやのベールのさきの太陽が心地いい。
希望が持てるような気がする。

空高い太陽は残酷だ。

      *

そして日が暮れてしばらくのち、西空に、 金星 そして、木星 が兄弟のように並んで、
     ・     
深夜3時半、東空に 三日月! (地球の外は計画を裏切らない。)


 
7月12日 05:33の縄文公園にて (このときは、蚊にボコボコに刺された)


2015年07月03日 | 思い出すことなど、ほか


強い雨が降りつづいている、辺りを容赦なく濡らしている。
よくもこんなに中空の大気に水溜りがあったものだなと、思わせるくらいに。

いや、逆か。雨粒一個が形成されるのに必要な雲の体積がどれくらいか、、、。
昔どこかで読んだことを大雑把に、ぼくの直感的な置き換えで表せば、

直径2メートルの気球3個分の雲で、数滴スポイトで垂らしたくらいの量の雨を降らせる・・。

ということは、雲のその厚み(深さ)と広さは、海のようだろう・・
いや、川か、(雲は次々と供給されているという点からいえば)

ともかく、きょうは外に出るにはちょっとおっくうな日だ。
無為に外を出歩いて、空や地上を気儘に眺められない。 


ケセランパセラン

2015年06月19日 | 思い出すことなど、ほか


いつだったか、子どもたちの会話の中に、ケセランパセランという言葉を聞いた。
それは、ぼくにとっては、今まで一度も出会うことのなかった新出単語だったので興味を持った。

話によると、それは空中を浮遊するタンポポの綿毛のような、羽毛のような物体(生き物?)で、
運よく見つけてつかまえることができたら、箱に入れて”大事”にしていると、
幸運を招くことができるのだという。

そこで気になったのでネットで調べてみると、ウィキペディアに載っている。
とはいえ、判然としないので、ほかを探っていたら、あるブログには、
あれは、アーティチョークの種子ではないだろうか、ということが書かれていた。

ケセランパセランは、本来、謎の物体であるからこそ、興味をひかれるのだろうけど、
どういうわけか、ぼくは、アーティチョーク(これもぼくには新出単語だった)をまず、
手に入れたいと思い、去年の夏ころだったか、偶然、九十九里のハーブ園でポットの苗をみつけたので、
裏庭にひとつ植えてみたのだった。


一見丈夫そうに見える固い大きな葉が、強風が吹くたびに何度も根元から折れたりして心配したけれど、
(植え方が浅かったのかもしれない。あるいは、土が軟らかすぎたのか)
なんとか今まで枯れずに育ってくれた。この頃では、少しばかり愛着もわいてきている。(上写真)

これは、やたらでかいアザミのような植物で、今のところけっして可愛らしくはないのだけれど、
大きくてフンワリした綿毛状の種子が、いつか空中を風にのって浮遊し飛ぶのを、ぼくは期待して待っている。




(追記)7月4日  花が咲いた。”がく”も含めると直径が20㎝近くはありそう。


  
7月7日 がくにはそれほどの変化はないけれど、花は少し大きくなった。がくの直径を定規で測ってみたら、
          それは、17.5㎝だった。



               *


ぼくのアーティチョークは、どうやら残念な結果に終わったようだ。(下写真は8月14日撮影)

葉が枯れ、花も終わり、茎までも枯れてしまい、、、朝顔のつるがつたう。
周りの環境とか、手入れの不行き届きとか・・、要するに知識が、愛情が、足りなかったのかもしれないな。

でも、その向こうに求めていたものは、ぼくなりの”ケセランパセラン”だったのだから、
こうして未見のままでも、それにふさわしくて まァ、いっかァ~ !?





               *

とはいえ、なんだかさみしいので、以前採っておいた 普通に野に咲くアザミの種子を集めて、自分を慰めてみた。
(雪の結晶に負けないくらいの、わくわくさせるもの――ケセランパセラン にいつか出会いたいものだ)








進化圧

2015年05月30日 | 思い出すことなど、ほか

(写真)深夜、ある川辺(自転車で40分くらいの場所)で、長めの露出で撮ったもの。


進化圧、というよりも淘汰圧というべきなのかもしれないけど、環境(社会)や異種(他者)の圧力に対して、
自分の居場所を徐々に失って隅に追いやられたり、適応を余儀なくされたり、絶滅したりというのは、
生物進化の話だけではなく、わたしたちの今の現実世界における個人に対しても起きているのかも、
そして、自分は今どの段階にいるのかな、などとちょっと思った。

こんな場所に行ってしまう自分は、だいじょうぶか?という気もするけれど、何がなくとも、
ただ生きているだけで幸せを感じられる性質(たち)なので、だいじょうぶのようにも思う。
(とはいえ、以下のような条件付きではあるけれど)

         
         *

”僕は森陰にいれば、忘れられているような気がする。・・自由で平和のような気がする。・・
 森の木の葉が、僕を守ってくれるような気がする。

 ・・・僕のいる孤独圏が深ければ深いだけ、何物かがその空虚を満たす必要がある。

 そこで、・・大地がいたるところ僕の目に提供する自然の産物が埋めてくれるのだ。
 僕は一人きりになって、やっと自分のいるべき場所に落ち着いた・・

 緑のさなかで、樹々の下にいると、まるで地上の楽園にでもいるような気がする。
 ・・そして、僕は自分で自分を楽しむのだ。”   (Jean-Jacques Rousseau)

 
 




早朝

2015年05月11日 | 思い出すことなど、ほか


5月の朝は気もちがいい。5月は季節の朝だ。
新鮮な光が、建物の影を建物の壁にうつし、
小鳥がさっと通り過ぎていく。空気も水も穏やかだ。
(天気が良ければの話だけど)

写真は、先日撮ったいつもの縄文公園(クヌギ)。
緑や青の世界はいつも完璧だ。

      *

かつて自分が通った中学の卒業文集からつぎの文章をみつけた。

  90%以上の子らが、紋切り型の文章を書くなか、・・・(頻出する単語は、― 卒業、迎えて、
  校門をくぐって、入学、3年間、あっという間、思い出、運動会、修学旅行、短かった、悔い、新たな、
  高校生活、・・・)、ぼくの好きな文章。(無断掲載ですが、お許しください)

      *

    ― 早朝 ―

朝もやの中で私はだれに
あいさつしたのだろう
おはようって
だれにしたのかは、わからないけれど
山も空も返事をしてくれたよう
でもよく聞きとれなかった
笑っているのはわかった
にわとりが笑っている
菜の花がほほえんでいる
家の中では
ほら カナリヤも
私は朝の空気を胸いっぱいにふくませて
何故今日はこんなに早く
起きたのだろうか
ふと考える     

      *

これを書いた H.Tさんは、いまでも
空や鳥をときどき眺めているだろうかと、
ふとおもった。


挨拶について→





ある場所

2015年04月24日 | 思い出すことなど、ほか


先日、この季節、快適に本が読める(だろう)場所をみつけた。(自転車で約20分)

いつもの縄文公園を抜けて、川沿いを南にしばらく下り、橋を渡り、急な坂を上ったさきの四阿(あずまや)。
(屋根があり、椅子とテーブルがあるのがありがたい。)

背景には果樹園と畑が広がり、川を見おろせる ひと気のない場所。

近くは、風の音と小鳥の鳴き声。
遠くには、波音のような車の走行音。

この場所にきてぼくは、J.J.ルソーの次の文章があったことをなんとなく思いだした。


     *


 ”たそがれが近づくと、島の峰をくだって、湖水のほとりに行き、
 砂浜の人目につかない場所に坐る。

 そこにそうしていると、波の音と、水の激動が、僕の感覚を定着させ、
 僕の魂から他の一切の激動を駆逐して、魂をあるこころよい夢想の中にひたしてしまう。

 そして、そのまま、夜の来たのも知らずにいることがよくある。

 この水の満干、水の持続した、だが間をおいて膨張する音が、
 僕の目と耳を撓(たゆ)まず打っては、僕の裡(うち)にあって、
 夢想が消してゆく内的活動の埋め合わせをしてくれる。
 
 そして、僕が存在していることを、心地よく感じさせてくれるので、
 わざわざ考えなくてもいい。・・”
                       (青柳瑞穂・訳)

    *
   

そして、体のどこもにも痛みがなくて、天気が良く、日射しが暖かなら、
”ある遠さ”も近くに感じられるかもしれないとおもった。

    
―――(追記)5月1日

お気に入りと、勝手に思いこんでいた場所は、どうやら果樹園の私有地であった。
つまり、四阿は、一般に開放されているのではなかった。
(そんなことにも思い及ばなかった自分は、とんだ世間知らずというわけだ。)
というわけで、また、別の場所を探そうとおもうのだが、

いまは、季節が良いから、木陰があって人のいない場所なら、どこだっていいのかもしれない。
けれど、自転車で苦にならない距離にあり、独りになれる、理想的な場所(美しい隠れ場)というのは、
なかなかないみたいだ。

――― また、自分に向けての自嘲的な慰めとして、こんな文章もみつけた。

 ”それにしても、人間社会から削除された一人の不幸な男なら、もはやこの世では、
  他人に対しても自分に対しても、有益なことも善いこともなすことのできなくなった男なら、
  人間のあらゆる幸福に対する償いくらいは、せめてこの状態の中に見いだしてもよかろう。”




ジャネット・フレイム

2015年04月16日 | 思い出すことなど、ほか


”・・・海。 どうしてみんな海に行かないの? 海に行くのはあたしたちだけみたい。 

 両側にモミの木の生えた道を下って、今では耳の中で

 ずっと鳴り続けている海の音がするほうに向かうと、

 そっちへ行く人は誰もいなかったから。 

 ほかの人たちはどこに行ったの?

 なんでほかに人がいないの?

 ―― なんでなの、母さん?

 ―― 平日だもの、・・・      (黒鳥)より


      *


”―― わあ、わあ、と私は言いました。何か言いたくて、

 でもほかに言うことがなかったのです。 わあ、わあ。

 世界はおいしくて、食べ物みたいでした。丘のてっぺんでは

 風がどうっと吹いていて、・・・・  (子供)より


      *


 ―― ジャネット・フレイムの短編集「潟湖(せきこ)」(山崎暁子 訳)より。 

 自分自身の子供時代の無音の記憶をどよめかせるような本だった。おもしろかった。


散ればこそ

2015年04月09日 | 思い出すことなど、ほか


(写真)きょうの午後の撮影、佐倉市某所

ひと気のない農道の傍ら、きのうの雨の水たまりに空がうつっていた。
きょうは一日、気もちの良い雲が流れた。
田舎の何げない葉桜の古木が、静かに並んでいた。

(下写真は、きのうの雨)

ザーラ・キルシュ

2015年03月09日 | 思い出すことなど、ほか


「黒いコーヒー豆」

午後わたしは本を手にとる
午後手にした本を置く
午後ふと思い出す  戦争があることを
午後あらゆる戦争を忘れる
午後わたしはコーヒー豆を挽く
午後挽いたコーヒー豆を
もとどおりに合成する  美しい
黒いコーヒー豆
午後わたしは服を脱ぐ  着る
まず化粧し  それから顔を洗う
歌う  黙る
 
   Sarah Kirsch (1935~ ) 訳・内藤洋子

いつも名づけること

2015年03月04日 | 美術



”いつも名づけること、

 木を、 飛んでいる鳥を、

 緑の河に洗われる

 赤みがかった岩を、そして夕闇が

 森いちめんに垂れこめるころの

 白い煙に包まれる魚を。


 しるしがあり、色がある。

 (・・・)

 誰が教えてくれるのだろうか、

 私が忘れてしまったことを。

 (・・・)

 彼らの語らいは続いているのに――

 
 もしもそこに神がいて
 
 肉体に宿り、

 私に呼びかけてくれるのなら、私は

 あちらこちらと歩き回るだろう、

 もう少しだけ待つことだろう。”

ヨハネス・ボブロフスキー「いつも名づけること」より


     *


世界は言葉があたえられたとき、意識されたものになる。
世界は意識されたとき言葉が与えられ存在するものになる。
意識されていても言葉にならない感覚(世界)がある。
その感覚を忘れないために、その感覚を呼び覚ますために、
ぼくは、悩むのかもしれない。
風景を眺めて終わるのではなく、風景をつくらなければと、


 
 

 
  
 


緑や青など

2015年02月27日 | 美術

 (写真)きょうの縄文公園


  「私は自分自身よりも世界を愛する。
  
   自分が ”存在する” ということが、 ”自分が” 存在する ことよりも、

   一生私を興奮させてきた。 そこで私は生涯、自分についてではなく、

   もっぱら世界について語ることができる、と考えている。」(Moritz Heimann)

*

   世界とは、ぼくにとっては緑や青の近くのことだ。

キャベツ畑

2015年02月14日 | 思い出すことなど、ほか


夕暮れ近く、地上の果てにキャベツ畑をみつけた。

「地上の果て」・・  なんだか気が休まる。

 ひと気がなく 静かだ。



地上、ときに砂漠地帯などはなんだか騒がしい。

日が暮れて 6時半ころ、 東空には 木星。 西空には 金星が 輝いているよ。

      *

上の記事とは無関係ですが、イヴァ・ビトヴァ(チェコ出身のヴァイオリニスト、歌手)のアヴェ・マリアが良いです。

それから、フレッド・フリスの「ステップ・アクロス・ザ・ボーダー」(音楽ドキュメント)のこの場面も。 パフォーマンスもなかなかです。