(左)古東哲明氏 (右)『現代思想としてのギリシア哲学』 古東哲明著 (講談社選書メチエ・127)1998年、4月刊。および、(ちくま学芸文庫刊)
ぼくはこの本を当時の新聞評(読売)で知り購入した。
本の良し悪しは読者側の感性や趣味などによるから、本当はぼくにはどうこう言えないけれど、この本に出会えてとてもうれしく思っている。
(めちゃくちゃ気に入っているものは、人には教えず独りでこっそり楽しむものだ、といった意味のことを澁澤龍彦が言っていたけど、
ぼくはそんなせこくないので皆にお勧めします っていうか、新聞に既に出てたのだった。)
以下、新聞の評者:永井 均氏の言葉を要約して紹介しますと、、、
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「神は、存在するかもしれないが、存在しないかもしれない。 ”神は存在するもの” にすぎないからである。それゆえ、信仰の対象になる。
これに対して、神が存在しようがしまいが、そのことを含む森羅万象が ”存在するというそのこと”は、存在しないことができない。
だから、存在そのものの神秘は宗教的な神秘よりも深いのである。
この存在神秘を自覚して生きるか、それを自覚せずに生きるかで、『この地上には、まったく別種のふたつの人生がある』とすらいえるのだと著者は言う。
・・・ソクラテス、プラトンを含む古代ギリシア哲学の全体が、存在驚愕(そんざいきょうがく)・タウマゼイン・{森羅万象が ”ある”というそのことへの驚き} の一点から読み解かれていく。
・・・日常のこざかしい気づかいを離れ、存在という一点へ魂を向け変えた新しい人生を学びたい方に、一読をおすすめしたい。」
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社会の底辺に生きるぼくのような人間にはとても有り難い本、福音の書なのである。 良寛さんなら
”事足らぬ 身とは思はじ柴の戸に 月もありけり 花もありけり” といったところか、、。
(柴の戸・・粗末でむさ苦しい家)
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ことうてつあき・・・ 1950年生まれ 京都大学哲学科・大学院修了、広島大学総合科学部教授。哲学、現代思想、比較哲学。
著書 『〈在る〉ことの不思議』 『ニヒリズムからの出発』 『ハイデガー=存在神秘の哲学』 『他界からのまなざし』
『瞬間を生きる哲学──<今ここ>に佇む技法 』2011.3 (筑摩選書)など。
古東哲明氏 自著を語る→こちら
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”あなたの方からみたらずゐぶん さんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほったかぜばかりです”
「眼にて云ふ」(宮沢賢治)より
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" the Eye altering alters all " (W.ブレイク)
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”だから汝はこの楽園を
去るのを厭うのではなく、汝の内に楽園を持つのだ
これまでのものよりはるかに幸せな楽園を。”
(John Milton)
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”我々は探求をやめないだろう
そしてあらゆる探求の終わりは
我々の出発の地に達すること
そしてその地を初めて知ることなのだ。” (T.S.Eliot - Four Quartets)
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”正気の人間にとって世界は楽器である。
それを奏でることのなかに、無上の喜びがある。” (ヘンリー・D・ソロー)
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(お薦め関連図書)J.M.G.ル・クレジオ著、「地上の見知らぬ少年」