花ざかりの廃園

If you celebrate it,  it's art.  if you don't,  it isn't. 

放蕩息子の帰還

2009年09月10日 | 作品*(回想)
写真・ひとつめの島にて 

歴史はくり返すとか言います。また、作者(絵・小説など)の本質的な部分とか、生涯のテーマというものは、その人の初期作品において既に成就しているなどともよく言われます。
自分の過去の作品を振り返ってみると、自己模倣を避けるべく自分なりの遍歴があったようにも思えますが、結局のところ通奏低音の部分は、高校生の頃からちっとも変ってない気がします。そんなわけで、ぼくはまた平面作品をつくりはじめるのですが、長距離ランナーが寄り道をしながら元の場所にまたのこのこと戻ってきたというところでしょうか。 今後は作品を、ブログの「作品・Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」のカテゴリーに載せたいとおもいます。


”・・・われわれは、「道具なしに」みつめ、そしてわれわれの見るところを語りたいのである。それは一見したところとは違い、非常に困難な企てではあるが。”
ミンコフスキー「生きられる時間」序より。  

”いまや貴重なのは存在すること、その陰影である。”  日野啓三 「落葉 神の小さな庭で」 より                  (当時の日記の覚書から)





太陽起源~自己の消失

2009年09月04日 | 作品*(回想)
陸地からだけでなくて海からしか行けない砂浜でも、砂を採取できるようにと、ぼくはシーカヤックを始めたはずだった。
ところが、気がついてみると、カヤッキング自体にのめりこんでしまっていた。そして、何十回と海に漕ぎ出していたのだった。

ところで、砂をつくっているエネルギーの源をたどれば、太陽だということに気づく。
太陽光線が、宇宙空間を約8分かけて地球に届き、大地や海を暖め、気圧の変化をもたらし、
風が生じ、それが海面に吹きつけ、うねりが生じ、この波動が岸に到達し、崩れ波が波打ち際を撹拌し洗う。

というわけで、今度は砂を造形する最後の力の”波”に近づきたくなってしまった。
その手段として、はじめに「サーフカヤック」を選び、そののち、より自在なサーフィングが可能な「ウェイブスキー」にいたった。
(手前、シットオントップ・タイプのサーフカヤック。奥が、ウェイブ・スキー  どちらも座ってパドリングで波に乗る。)

太陽起源の波の恩恵ということでは、砂も波乗りも同じだ、、。(なんて、強引なこじつけだろう)
そして、ぼくは、全天を従えて覆いかぶさってくる大気や、太古の昔から延々と途切れることなく回転運動を続ける波(水)の粒子に同化していくのであった・・・
ってね。

(写真)九十九里浜の中ほどの作田海岸から銚子方向をのぞむ景色。大気の厚みに(地球の丸みに)消えゆく砂浜海岸。



水平線について(L≒3.5√h)

2009年09月03日 | 作品*(回想)
    

(写真左)千葉県鴨川市の東条海岸から見た水平線        (右)その「東条海岸から見た水平線」から見た東条海岸方向の写真

あるとき、自分の位置している高さから見える水平線までの距離の計算式(概算)を知った。
(シーカヤッカーズ・ハンドブック~海を歩くためのマニュアル、内田正洋著)

L≒3.5√h   海面からの眼の高さを hメートルとすると 水平線までの距離が Lキロメートルになる。
           波打ち際に立ち、眼の高さが、1.65メートルとすると、水平線までの距離は、約4.5キロメートルになる。

けっこう近くだな、案外地球は丸いんだなと、ぼくは思った。
そして、これくらいならその場所にカヤックで行けると思ったのだった。
陸上なら1時間くらいの歩行距離だ。数字の上ではたいしたことはないし、
地図で確認しても陸地からすぐ近くだ。

そこで、実際に行ってみた。すると、独りだったこともあり心細い、淋しい、不安だ、流されて太平洋を漂流したらどうしよう、、、。
だから、本来は海の上とか広い砂浜とか誰もいない場所はとても好きなのだが、長居はせずGPSで位置を確認して、海水を採取して急いで帰った。

→作品 "Facing the Horizon"

5泊6日の歩行(伊良湖岬~御前崎・間の海岸線)

2009年09月02日 | 作品*(回想)


(写真左) 手製の記録手帳とGPS : 九十九里浜を歩いた頃は、まだ、カーナビもそれほど一般化しておらず、携帯用のGPSもまだ限られていた。
その時使ったのが、SONYから出た2機種目のGPSの”PYXIS”(左)で、まだ大きくて重い。当時15万円くらいで今から思うととても高い。
右の黒いのが小型軽量化したくて買ったマゼラン社のGPS。遠州灘踏査で使ったのはこちら。
今では腕時計にも搭載されるくらいだから技術革新はめざましいですね。

(写真右) 伊良湖(愛知)から御前崎(静岡)まで(約130km)の遠州灘(海岸線)の地図10枚(25000分の1)。
500メートル毎に砂を採取した地点に印をつけながら歩いた。(このとき集めた砂は、いまだに未整理だが)

途中、橋までの距離が遠くて大きな迂回が3回あったが、交通機関など使わないで意地で歩いた。(バスやタクシーに乗りたい誘惑を必死でこらえた。)
浜名湖・迂回に約8km、天竜川・約6km、太田川・約5.2km。対岸は数100メートル先、目の前だったから徒労のように思えた。
日本で一番長い一連の砂浜海岸は遠州灘ではないだろうか。

日本列島の海岸線・・26540km (ソ連、オーストラリアにつぐ第3位) 
日本の無人島数・・6402、有人島数・・450、計・6852島、島の海岸線総距離・・7349km
日本の海岸線総延長距離・・33889km  (これは、月を3周、火星を1周半できる長さ、地球の円周の85%にあたる。)

一生を費やして海岸線を歩くのもいいだろうなと夢想します。

気化ののち-2

2009年09月02日 | 作品*(回想)
写真左、青木繁の絵「海の幸」の舞台となった千葉県外房の布良(めら)の浜
写真右、千葉市から鴨川に山越えする途中にある亀山湖の小さな滝

ニンバス社のパフィンというポリエチレン製のカヤックを最初買ったが、重いし(30㎏近くある)目うつりがして、
国産のセドナというFRPのシーカヤックに乗り換えた。(右写真)とてもきれいな形の船だと思う。

このセドナで、のちに、伊豆の稲取から火山島の伊豆大島まで漕いで渡った。(約30キロメートルの横断)
もちろん、一人ではなくて大勢でしかも漁船の伴走つきで。
この稲取ー大島間の約6時間のカヤッキングの間に、海水を数か所採取してGPSで経緯度を測った。
初めての外洋?だったので緊張した。

気化ののち

2009年09月02日 | 作品*(回想)
美術との関わり方が作品をつくるという行為から、外界と直接関わる行為自体に移り始めた頃。
陸地からたどり着けない崖の下などの浜の砂も採取する方法はないものかと考えた結果、シーカヤックという方法があることに思いあたる。
そして、千葉の外房にあるシーカヤック・ショップで講習を受け、スキルアップに励んだ。



(写真)左の2枚は、鴨川辺り、中・右の4枚は、鵜原の浜と湾の外

場意識a

2009年09月02日 | 作品*(回想)
上写真の右側の黒っぽいガラス管の方が九十九里浜の砂、左の白っぽいクリーム色の方がぼくの故郷愛媛の砂浜の砂、
直径15ミリ・長さ150センチのガラス管に入れ、両端をバーナーで溶かして封じてあります。

この2本のガラス管に封入した砂を採取した砂浜は、ちょうど南北につづく、つまり、経度線(=子午線)に平行に連なっている砂浜で採取したものです。

その場所の地図とテキスト(下・写真)を添えて並べて作品としました。(画面をクリックすると拡大できます)  

 




          *


   それは、内海にあり、島の一部であり、西側にあって、常に日が没し、
  せいぜい数百メートルで終わり、あるいは回帰し閉じ、磯があり、波音
  は断続しており、崩れ波は小さく穏やかで近くにあり、幅は狭く数時間
  毎に水没し、傾斜が少しあり、あと波は短く長くは続かず、多島海に属
  し水平線は島影に隠されている。そして、粒子は少し粗く、軽く、白い。

   それは、外洋に面し、列島の一部であり、東側にあって、常に日が昇
  り、延々何十キロメートルも続き、大気の厚みに消え、河があり、波音
  は連続しており、崩れ波はうず高く苛烈で遠くにあり、幅は広く数時間
  毎に干出帯が現われ、傾斜が少なく、あと波は長く滑り、気圏と水圏の
  境界がきっぱりと弧を描いている。そして、粒子は細かく、重く、黒い。

   それらは、そこではちょうど南北に延びており、つまり、ある経度線
  に沿っていて、地球の丸みほどに曲がっており、それら、高さでも深さ
  でもない空白の地帯のそれぞれの延長線は、大陸を越えた先の海の上と、
  大洋を越えた先の陸の上との、2つの凍てついた極点で出会い交差する。



SITE CONSCIOUSNESS 2

2009年08月31日 | 作品*(回想)

さきの九十九里の砂を150本のセットにして、ガラス管の直径も15ミリに太くして作り直した作品。箱3個で3メートルの幅になる。

”ただのったりと、どこまでも続くこの砂浜の単調さの中に、どんなディテールがあるのか、偏在するささいな、しかし夥しい物質の中で自分がどんな反応をするのか興味があった。
ひとたび海岸に着いて歩きはじめてしまえば、そこには日常生活にはない、きわめて快適な単調さが現れる。そして、海青色した巨大な物質を前に、約10分おきに砂を拾う。
(それは人間的な尺度と感覚が肯定できる単純な行為だ。) その時、僕が手につかむものは、世界の細部、取るに足りない本当にささいなものにしかすぎないただの砂だ。”