写真・ひとつめの島にて
歴史はくり返すとか言います。また、作者(絵・小説など)の本質的な部分とか、生涯のテーマというものは、その人の初期作品において既に成就しているなどともよく言われます。
自分の過去の作品を振り返ってみると、自己模倣を避けるべく自分なりの遍歴があったようにも思えますが、結局のところ通奏低音の部分は、高校生の頃からちっとも変ってない気がします。そんなわけで、ぼくはまた平面作品をつくりはじめるのですが、長距離ランナーが寄り道をしながら元の場所にまたのこのこと戻ってきたというところでしょうか。 今後は作品を、ブログの「作品・Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」のカテゴリーに載せたいとおもいます。
”・・・われわれは、「道具なしに」みつめ、そしてわれわれの見るところを語りたいのである。それは一見したところとは違い、非常に困難な企てではあるが。”
ミンコフスキー「生きられる時間」序より。
”いまや貴重なのは存在すること、その陰影である。” 日野啓三 「落葉 神の小さな庭で」 より (当時の日記の覚書から)
歴史はくり返すとか言います。また、作者(絵・小説など)の本質的な部分とか、生涯のテーマというものは、その人の初期作品において既に成就しているなどともよく言われます。
自分の過去の作品を振り返ってみると、自己模倣を避けるべく自分なりの遍歴があったようにも思えますが、結局のところ通奏低音の部分は、高校生の頃からちっとも変ってない気がします。そんなわけで、ぼくはまた平面作品をつくりはじめるのですが、長距離ランナーが寄り道をしながら元の場所にまたのこのこと戻ってきたというところでしょうか。 今後は作品を、ブログの「作品・Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」のカテゴリーに載せたいとおもいます。
”・・・われわれは、「道具なしに」みつめ、そしてわれわれの見るところを語りたいのである。それは一見したところとは違い、非常に困難な企てではあるが。”
ミンコフスキー「生きられる時間」序より。
”いまや貴重なのは存在すること、その陰影である。” 日野啓三 「落葉 神の小さな庭で」 より (当時の日記の覚書から)