花ざかりの廃園

If you celebrate it,  it's art.  if you don't,  it isn't. 

通過論法

2015年01月14日 | 思い出すことなど、ほか


【通過論法】相手から提起された話題を避ける論法。

法院長)      サー・ジョン、おまえはシュールズベリーに出征する前に、法廷への召喚状を受け取ったはずだが。

フォールスタッフ) たしかに、閣下、私も聞いております、国王陛下にはひどくご不興のていでウェールズよりお帰りになったとか。

法院長)      陛下の話をしているのではない! おまえは召喚状を受け取りながら、出頭しなかったろう。

フォールスタッフ) ああ、それも聞いております。陛下には例の忌まわしい卒中でお倒れになったとか。

法院長)      一日も早くご全快なさるよう! それよりいまは、お前に話があるのだ。

フォールスタッフ) この卒中ってやつは、閣下、どうやら一種の昏睡病のようですな、どうやら血液の循環が滞って、いやにズキズキ痛むものらしいですな。

法院長)      なぜそのような話をもち出すのだ? どうでもいいではないか!

フォールスタッフ) なんでもその原因は深い悲しみ、頭の使いすぎにあるようですな。ギリシアの名医ガレーヌスの著書にそう書いてあるのを読みました、つまり一種のつんぼの状態だと。

法院長)      おまえもその病にかかっているようだな、私の言うことが耳に入らぬところをみると。

フォールスタッフ) いや、閣下、まことにその通りでして、まったくのところ、人の話に耳をかさない、注意をはらわない、という病にかかって悩んでいる始末です。

         (シェイクスピア「ヘンリー四世 第Ⅱ部」小田島雄志訳)

  
  世の中(とくに新聞やニュースなどの負の情報)に対して、こういった態度を自然にとれればどんなにいいだろうか、      

1月9日夕刻

2015年01月10日 | 思い出すことなど、ほか

16:17


16:25


謹賀新年

2015年01月01日 | 思い出すことなど、ほか

落葉つきて

2014年12月23日 | 思い出すことなど、ほか


落葉つきて  梢こずゑを透く陽ざし

冬の夕陽をしなやかに 

ゆりあげる彼らの仲間 みなひと方にかたなびく
 
さやかな ささやかな しづかな しなやかな梢こずゑを透く陽ざし


さやうなら

こんばんは

遠い遠い過去の方から  ぽつかり月が浮かび出た

(三好達治の詩のコラージュ)


落日

2014年11月15日 | 思い出すことなど、ほか


太陽の運行が、最後にクヌギの葉を照らしている。ぼくの影は東に伸びた。
これから、別の空を照らすのだろう。



”遠くへ! もっと遠くへ行こう!  ―― 暗い落日の光を受けて、

 私は見るのが好きだ、 野原で私の影が大きく伸びて、進んでいくのを。”

  (ヴィクトル・ユゴー / 「落日」第3詩の冒頭より)

(関連)

地上の片隅

2014年11月03日 | 思い出すことなど、ほか


 ”私は自分に似た魂を探していたが、見つけることができずにいた。地上のあらゆる片隅をさぐってみた、

  が私の忍耐も無益であった。 しかしながら、私は一人ぽっちでいつづけるわけにはいかなかった。

  私の性分を肯定してくれる誰かが必要だった、私と同じ考え方をする誰かが必要だったのである。

  朝だった、 太陽はそのすべての華麗さをあらわにして地平線に立ち昇った、 すると私の眼にもまた・・”

                     (二の歌 / Les Chants de Maldoror 、豊崎光一訳)より 
 
 
 この頃、屋外というか野外で落ち着いて本が読める場所、というのを探している。
 理想は上のような場所だけれど(ちょっと遠い)、実際はいまのところ下の場所だ。(自転車で5分)

 

遠くのこと 近くのこと

2014年10月18日 | 思い出すことなど、ほか


9月初旬、裏庭でスズメ蛾の一種のコスズメの幼虫をみつけた。ヤブガラシの葉を食べていた。
緑色にうすい白の模様が柔らかくてやさしげだ。

数日後、今度は、セスジスズメの幼虫をみつけた。
こちらは、少しばかり毒々しい紋のある黒っぽい幼虫。やはりヤブガラシの葉を好むようだ。

背中の筋模様に違いがあるだけの成虫は、どちらも似たかんじの蛾だが、
幼虫の模様は全く違っている。

そしてさらに数日後、今度はキアゲハの幼虫をイタリアンパセリの葉の上に、大中小、3匹みつけた。
スズメ蛾たちの幼虫には尾に角があったが、キアゲハの幼虫にはそれがなく、黄緑色が鮮やかでかわいい。
蝶になったところを見てみたいと思う。

ところが、その数日後、見てしまった。
ぼくが気にかけていたキアゲハの幼虫を、あの デロリ とした姿形のニホントカゲが、ガッツリくわえているところを!
そして、ヤツは5分くらいかけて、キアゲハの幼虫を丸のみにした。

夏が過ぎて遅い時期の幼虫は飛ぶこともなく、というか、さなぎにもなれず、
食物連鎖のうちに消化されてしまうのかと、ちょっと残念に感じた。


9月下旬、うす紫のヤマトシジミが裏庭によく飛来していた。
小さくて取るに足りないようなありふれた蝶だが、注意して見てみると案外にきれいだ。

頼りなげに、地面近くを徘徊するように飛ぶ習性の蝶だが、じっと目で追っていると、
草むらからカナヘビが現れ、蝶に飛びかかった。 結局、捕獲するにはいたらなかったけれど。

羽のあるものも地を這うものも、虫たちの日常は気が抜けないようだ。

     *

9月中旬(いや、下旬か)、たしか21日の深夜、三日月の近くに木星が並んでいるのをみた。
そして、昨日も木星近くに欠けた月が見えていた。

シリウスよりも明るく、またたかない星をみつけたら、それはまず木星だと思って間違いないようだ。
確認のために双眼鏡でのぞくと、4個のうち何個かのガリレオ衛星が見える。
公転周期・半径がまちまちで、けっこう速く動く4個の衛星は、毎日見え方は変わるけれど、
4個がまっすぐ並んでいるときは見応えがあって美しい。

オリオン座が空高いころ、その左下方に見える明るい星がシリウス。(青白い光)
そこからさらに少し離れた左の方に見える、かすかに赤味~黄色みを帯び、シリウスよりも僅かに明るい星が木星。

そのほかの楽しみは、プレアデス星団(スバル)。
アンドロメダ大星雲。(カシオペアを起点にして、双眼鏡で探すと見つけられる)

アンドロメダを双眼鏡で見たところで、天体写真で見るような紅い渦巻は見えるはずもなく、
せいぜい、飛蚊症の視野に映るような、うっすら白い雲がみえるに過ぎないけれど、
見つけたときにはなんだか嬉しいものだ。
(向こうからも誰かがこちらの銀河を見ているかもしれない)


・・さきほど、04時20分ころ、庭に出て空を眺めてみたら、やはり、今日も月と木星が並んでいる。(上写真)
そしてなんと、 木星を双眼鏡で確認してみると、ガリレオ衛星が 4個 並んでいる!
木星の上方に3個、下方に1個、 ほぼ均等の距離で一直線に。
(明日にはもうこの配置では見られない。)


     *


というわけで、この頃ぼくは、ごく近くのものと、はるか遠くのものしか見ていないことにさきほど思い当たったのだが、
そこで、あることを思い出した。話はそれるけれど。
ルネサンス期のある画家の絵に見られる空間表現について。

ある絵においては、その前景の人物から、急転して後景が現れるものがある。
前景と後景の連絡があやふやというか、中景が判然としないというか。

これは、どこか高い場所(高台、山)に人物を配置したときの視覚によるものだろうか。
絵に登場する人物の内面を表すある心理を象徴する背景としての遠景だと考えれば、
この様式・手法は妥当なのだろうと納得できるけれど、なんだか妙な感じがする・・
とまあ、それだけの大雑把な話なんだけど。

 











月みる

2014年09月08日 | 思い出すことなど、ほか

10.12 06:03

夜中、東よりの空に月をみた。
満月近い月は明るく、倍率10倍の双眼鏡でのぞく月は、ディテールまで鮮やかで、
岩石を充満させた球体の重みが僅かに感じられた。

そして月が沈んだ今、月をみたあたりに恒星としては全天一明るい、シリウスがみえている。
夏の大三角形は季節の向こうに遠のいた。

そして、夜明け近く、オリオン座が消えかかっている。M42星雲はもう見えない。

    *

過日、ぼくはスーパー・ムーンをみなかったけれど、
そのとき新聞に引用され載っていた次の句を思い出した。

”月々に月みる月は多けれど月みる月はこの月の月”

(毎月、毎月、月を見ることのできる月は多いけれど、月を愛でるにふさわしい月はこの名月を仰ぐ今月だ)

     *

しかし、月は、見上げたときにはいつでも愛でたいものだとぼくは思う。
晴天の満月や 金星と並んで浮かぶ三日月、雲に流されまいとふんばっている鉛色の月、
昼間に見る大根の薄切りのようなやつ、・・・


10.8 03:23




意識するって素敵です

2014年08月31日 | 思い出すことなど、ほか


“今日、私は飛行機に乗り、飛行機の中や周りで起こっているあらゆる電気的、電子的、
電磁気的、航空力学的、力学的現象を感じようと5分間「楽しみ」ました。

これら別々の小さな現象が全体を作りだし、それが機能するのです! 私たちの身の
回りに起きていることを意識するって素敵です!

でも残念ながら、飛行機を操縦しているときって、5分以上もこんなこと考えてられない
ものなんですけどね。 では、ごきげんよう。“
             (2010年9月9日に見知らぬ人から届いたメールの抜粋)

セドリック・ヴィラーニ 「定理が生まれる」- 天才数学者の思索と生活、P257より

(写真)紅い花を咲かせはじめてから、何十日目かの百日紅(さるすべり)

此処

2014年08月21日 | 思い出すことなど、ほか

千葉・太東埼からの眺め (水平線までは概算で27kmくらいか)


九十九里浜 (水平線までは概算で4.5kmくらいか)


縄文公園のクヌギ


DICで見つけた蟻地獄


DICの広場にて

 
 背景に 無限や永遠 を 置くこと

  もし そうできたなら ここにあるものは より無に近づく

   「はかない」という意識がそこに浸透する

      


思い出すこと

2014年08月05日 | 思い出すことなど、ほか


上の写真は、葉っぱの上に設けられた蜂の巣の殻。

左は、父が生前どこかで拾ったもの。
故郷愛媛の実家の玄関に何気なく飾ってあったもの。

ぼくはその蜂の巣の淡い黄色が気にいって、当時、父から譲ってもらったのだった。
(父が他界したのは、十数年前のこと)

右は、昨日、いつもの縄文公園を歩いていたときに、偶然みつけたもの。
(父がみつけたものより見劣りがするけれど)

    *

ぼくは、父が拾ったそれがあったから、これを拾ったのだろうか。
それともそのことがなくても、これを有り難く拾っただろうか。
そして、この淡い黄色に目をとめた父は、そのときどんな場所にいたのだろう、
そんなことをつい想像してしまった。





HAIKU MOMENT (物の微)

2014年07月13日 | 美術


 ”物に入ってその微の顕れて、情(こころ)感ずるや句となる所なり”(芭蕉)

これは、自分の感覚がずうっとものの細かなところまで入っていって、自分の心が震えるような忘れ難い感覚をもつとき、
そういうときに詩や俳句が表れ出るのだ、ということのようだけれど、

ぼくは、以前どこかで引用した、ル・クレジオの次の言葉を思いだした。

  ”僕にとって微徴のものほど感動させられるものはない。      

   僕が最もうまく消滅できるのはそのなかである”

物の微があらわれるほどに物に没入するとは、対象と一体になり区別がなくなること、一如となること、
そのなかにうまく消滅すること、、、

そういった瞬間のことを、”HAIKU MOMENT”といってもいいのかな・・。




だからお前はすべてのものの
兄弟姉妹にならなければならない、
“もの”とお前がすっかり溶け合って、
自分のものと、ひとのものとを分かたなくなるように。

星ひとつ、木の葉ひとつが落ちても――
お前が一しょに滅びるようでなければならない!
そうなったら、お前もすべてのものと一しょに、
あらゆる時によみがえるだろう。
           Spruch(H・ヘッセ)

 (関連

鄙のカフェ

2014年05月23日 | 思い出すことなど、ほか


先日、今までまだ行ったことのなかった鄙(ひな)のカフェをめざした。

そこは、高速で片道1900円程の料金を支払って、さらに一般道を走った先の千葉の山奥に位置している。
(山奥といっても千葉県の最高峰は400m少しなので低山ですが・・)

カフェまであと少しの場所にある駐車場に車を停め残りの急な坂道を登りながら、ぼくは幸せな気分に浸っていた。
(写真は、その途上で撮ったもの)


季節がよかったのだとおもう。 なんとも言えない香精(かぐわ)しさが鼻腔を通る。
深山において色濃く繁茂する緑が発する微かな香気。
それは、「桃源郷がもしあるなら、そこをとり囲む空気はきっとこんなだろう」とぼくに思わせた。

  ・・・

で、案の定、カフェは予告なしのお休みだったのだけれど。(こういうのにはもう慣れている)


― ぼくは思った。    あぁ、なるほど。 
 自分では絶対に足を運ばないだろうこんな場所に連れだしてくれた鄙のカフェは、
 ぼくにこの天上的な清々しい匂いをかがせるために置かれた仕掛けだったのだと。

なぜだかぼくは、臨時休業をむしろ有り難くおもった。




Unravelled in Wreathes

2014年05月13日 | 思い出すことなど、ほか


”理性的な人間は、自分を世界に合わせる。

 理性を欠く人間は、世界を自分に合わせる努力を続ける。

 したがって、すべての進歩は理性を欠く人間にかかっているのだ。”

                    (G・バーナード・ショー)

5月

2014年05月12日 | 思い出すことなど、ほか


こんなものを見てさえも、此処は本当に不思議な世界だといつも思う。