神戸学生手話サークル「それいゆ」

関西の大学手話サークル同士の意見・情報交換や、交流の場となることを目的に活動しています。

【聴者が手話を続けて思ったこと】たね

2021年06月17日 | コラム

 

こんにちは、たねです(‘◇’)ゞ


(右の「たね」ってやってるやつです笑)

段は卒業スタッフが書くことが多いこのコラムですが、現役スタッフがあえてスタッフコラムを書いてみることで、今後のスタッフが「自分も書いてみようかな…」と思うことを期待して、書き進めたいと思います(笑)

 

さて、本日は、少しまじめな話を。
うーん。そうだな。
タイトルとしては、「手話を続けていて思ったこと」ということになるのでしょうか…。
自分としては、はじめ「手話サークルを運営していて思ったこと」というタイトルにしようとしていたのですが、しっくりこず(今後、別コラムで「手話サークルを取り巻く環境」みたいなテーマで書きたいと思います)。
まあとりあえず、書き進めましょう。

 

まず初めに、僕は大学1回生から手話を習い始めた聴者です。聞こえに関しても、手話に関しても、知識が深いと口が裂けても言えません。そのため、本ブログは「聴者から見た(日本語対応)手話」という立場で書いています。そんな立場からずらずらと書くことをお許しください。また、このブログは、個人の見解であり、団体の総意ではありませんのでご注意ください。

――――――――――――――――――――

私は今、とある大学院で勉強をしている傍ら、それいゆの活動を続けているのですが、最近ふと2つのことを考えます。

それは、

①「なんで大学の手話サークルで学んだ聴者の自分が、今も手話を続けようとしているのだろうか」
②「なんで自分は、大学を卒業しても手話サークルの運営を続けようとしているのだろうか」

ということです。

①「なんで大学の手話サークルで学んだ聴者の自分が、今も手話を続けようとしているのだろうか」

「大学で手話を勉強していた聴者の多くは、大学を卒業したら手話を使わなくなっていく」

これは、自分の知り合いからよく聞く話です。
確かに、自分が1回生~2回生の間は、沢山の同期の学生がそれいゆ及び手話の関連イベントに参加していました。

「手話を使って、いろんな人と会話をしてみたい!」

「将来的にろう者に関わるような仕事がしたい」

というような(ある程度)明確な理由を持っていた人も多かったように思えます。

ですが、年度を追うごとに、自分の周りで手話を共に学ぶ人々は減ってきました。
昔例会で会えていた人とも会えなくなってきました。
「手話」に触れている人が少なくなったように感じました(もちろん、SNSを中心に手話を見る機会が増えているので、一概に「手話に触れていない」とまで言うことはできないのですが…)。


 コロナの影響もあり、2020年度(自分が大学4年生時)以降、大学をこえた学生の交流の機会が激減したことも理由としてあるのでしょう。今では、他大学との交流すら十分にできない状況にあり、手話を始める学生すら少なくなったという話をよく聞きます。

もちろん、これに対する答えとして「手話に対する向き合い方の問題」「やる気/飽き」「ろう者とのかかわりの有無」などの個人問題と結論付けることもできるでしょう。

しかし、そのような結論をする前に、そもそも「手話そのものを続けること」に明確な理由がなければ、「手話をやめること」「手話をすること」にも明確な理由が必要ないというのは当然の話です。


(2019年度に初司会をしたときのたね↑)

 

何となく始めて、何となくやめていく。

こんなスタイルがあってもいいと思います。自由ですしね(笑)

では、このような流れの中で、
なぜ自分は一体なんで手話を続けるんだろう…。


②「なんで自分は、大学を卒業しても手話サークルの運営を続けようとしているのだろうか」

今は、ネットやゲームその他の娯楽があふれ、手話活動を続ける理由が昔よりも少なくなっています。

ろう者自身にとっては、昔は手話サークルに行くことが「楽しみ」であり「情報が手に入る場」であり、「会話ができる場」でもありました。
聴者自身にとっては、手話サークルに行くことが「手話を学ぶ」手っ取り早い方法でした。


しかし、今はインターネットの普及で、わざわざ手話サークルに行かなくても、ろう者同士では「遊びに行こう」という連絡が誰でもすぐにとれるようになりました。
また、聴者は、SNSやインターネットで「手話」と検索するだけで、様々な情報を見ることができます。
時代の変化ってやつですね(`・ω・´)
その時代の中では、手話サークルの需要が低くなるのも当然というものです。


昔は、手話サークルを辞めるときにこそ、なにか重大な理由が必要でしたが、現在では手話サークル活動を運営したり、参加したり、続けていくこと自体に理由が必要なんだろうなと思います。


(このコスプレは何のために…)

もちろん、このような「出会いが減っていった」という状況について、私個人の見解を一言で表すなら、「寂しいこと」です。


布に入っているレシートをみて、買ったものやその周りの情景、すべての物語が思い出されるように
例会で出会った人とのやり取りや情景は、昨日のことのように思い出される僕の宝物です。

でも、ひとたび私がスタッフをやめてしまったり、その方が来ることがなくなると、もう出会えないかもしれない。この例会での出会いは、一期一会なんだと強く感じさせられます。

そう思うと、寂しくなってしまいます。歳の性でしょうかね(笑)

ですが、「手話サークルを離れる人」が多くなったり、「手話サークルに関わる人」が少なくなっていくことを危惧する前に、まず考え直さなければいけないと思うのは、

このような流れのある中で、
なぜ手話サークルの運営を続けるんだろう…。
そもそも、それいゆは一体なんで続けなければならないんだろう…。
ということではないでしょうか。

 

①②のことを自分なりに色々考えてみました。

そこで、ある考えにたどり着きました。

それは、

「それいゆの活動を通じて、そして手話を通じて、いろんな人に良い影響を与えられるようになりたい」ということでした。

 

「何を偉そうに…」「そんな大きなこと言って何なんだ」「大きなお世話だ」というご批判は、覚悟の上です。あくまで、いち個人の見解として見ていただければ…。

しかし、ただ何の根拠もなしに言っているわけではないんです、最後まで見てください(;・∀・)

僕は、大学1年生から手話を学び始め、それから5年が過ぎました。
しかし、元々は高校生まで手話についてほとんど知らない、普通の運動部の一人です。
当初、手話に触れた理由は、「将来、学校の先生になりたい自分の武器の1つとして…」と思って始めたのがきっかけだったと認識しています(結局色々あって、別の道に進むことを選んだのですが…)。

それいゆスタッフになったのも、「そのために手話を使える環境を探していた」という理由もありました。

そんなことで始めた手話でしたが、大学の中で手話サークルに所属し、手話を恒常的に使うの友達と出会い、手話に触れていくうちに、いつの間にか当初の目的を忘れ、

手話という言語に興味を持ち、

手話でいろんな交流会に参加し、

たくさんの友人と手話で語り合い、

本や講演会や講座で手話を学習し…。

気が付いたら、

他者のためではなく、自分の興味で知見を深め、楽しんだ」

そんな今までの時間だったと思います。
普段はあまり自慢するようなものもない僕ですが、「とても充実していた」と胸を張って言うことができる、そんな大学生活の大切な時間でした。
その期間に出会えた人たち、経験は紛れもなく僕の財産です。


(このサイコロすら、僕にとってはいい思い出です。)

そんな風に、気が付いたら自分の好奇心の範疇で手話を学習していたのですが、大学卒業を控えたある日、同じ大学で4年間共に過ごした、とあるろう者の友人から1通の手紙をもらいました。

その人は、僕にこんなことを書き記してくれました。

「手話を使うことが決して当たり前の環境ではない大学の中で、たねは、決して無理にではなく、楽しそうに、手話を使っていた。その姿を見て、今まで手話は聴覚障がい者が使うものというイメージを持っていてあまり好きではなったけれども、決してそうではないと知ることができた。手話を好きになることができた。」

この言葉を目にしたとき、自分はふと我に返りました。

 

「聴者と手話との間にある、言葉にしがたい距離感と同じで、普段日常で手話を使っている聾者だって、手話との距離感があってもおかしくはない」と。

これは「手話」=「ろう者の言語」という認識では、必ずしも包摂しえない考えです。

そして、色々過ごしているうちに、大学院生になって手話サークルの運営を続ける私は、手話を続ける理由、そして手話サークルの運営を続ける明確な理由を見つけたのです。


「それいゆの活動を通じて、そして自分の手話を通じて、いろんな人に良い影響を与えられるようになりたい」

 

「手話が上手くなりたいからスタッフをする」という目的で、スタッフを続けるには限界があると思います。

・手話を始めた聴者の方でも、手話と距離感のあるろうの方でも、いろんな人の交流の場を提供する。
・参加した方が、そこから新しい考えを見つけれる場を作る。

・自分の手話を通じて、少しずつ「手話」という言語を取り巻く社会が良い方向に行くように頑張る。

これが自分なりの目標です。

かよねぇさんがブログ(こちら)でおっしゃってるように、「自分中心のうずが、だれかをまきこんで、そこからまた新しいうずが生まれるかも」ということを信じて
、これからもそれいゆの運営にできる限り携わっていきたいと思います。

また、せんぱいがブログでも仰っているように(こちら)、「人間は変わるものと変わらないものの両方をもって歩んでいくものだと思っています。願わくば自分の中の変わらないものの中に、「手話」が在り続けてくれると良い」なと思うばかりです。


その過程では、とても苦しいだろうし、色々批判されることがあるかもしれません。
しかし、私はいろいろ自分なりに考え、この団体を前に進めていきたいと思います。
皆さまに少しでも楽しんでもらえるように、そして、そのきっかけのうずが、また大きなうずに繋がっていきますように…。

そして、他者との交流を通じて、手話がより輝くものになりますように…。

………。はい!!!(唐突)
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます('◇')ゞ

なんだかんだ僕は忘れっぽいので、これからも自分の思いを留める場としてブログを時々更新していきたいと思います。
お時間があれば、お読みください(笑)

(卒業コラム、いったい何書けばいいんかな…。考えつつ頑張ります( ;∀;))

本稿がポエムぽくなって、歴代のスタッフになにかコメントされるのがとても恥ずかしいですが…(笑)
先代の代表たちも、色々考えてブログを載せているので、そちらのブログもぜひ見てくださいね←(宣伝)
2019年度代表のコラム
2018年度代表のコラム
2017年度代表のコラム


それでは、このブログを見てくださった方、またお会いしましょう。

このご時世、手話をすることにも、手話を始めるのにも理由など必要ありません。
ふら~とそれいゆにやってきてください。もちろん、お久しぶりの方でも大歓迎です。私たちと一緒に楽しみましょう。

声なしの、様々な学生がスタッフを務める、このサークルで。

2021.6.17  たね(種村光太郎)

 

 

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