どうもっ!
先日それいゆスタッフを卒業した、かよねぇと申します!
↑この人。横に長いのが特徴です。(嘘)
それいゆと出会ったのは大学1回生の12月、スタッフになったのは3回生の4月なので、
もうそれいゆとのおつきあいは3年半ほどになるのですね…
スタッフとしての2年間は、みじかいけど中身のぎゅっとつまった、きらきらした2年間でした。
そう、あれは桜咲く4月、私は――
…とまあそれいゆでの思い出を語るときりがないので、今回は別のテーマでコラムを書きます(キリッ
タイトルにもありますが、「私が手話を始めるまえとあとで、なにが変わっていったのか」をぼんやりと考えてみます。
1人の聴者の個人的なつぶやきなので、もし気分を害される方、ひっかかる方いたらすみません(;_;)
そんなつもりは全くないです><
ともあれ、最初で最後のかよねぇコラムで長さは否定できませぬので、
「やべえ暇だーーーー!!!ヽ(^o^)丿うっひょおおおーーーーーい!!」
って時にでも読んでください!
はじまり、はじまり。
私は聴、すなわち聞こえるひとです。「健聴」、「健常者」、とも言いますね。
手話というものに触れるまで、私の中に「聞こえない」という世界はありませんでした。
もちろん私が知らないだけで、確かに存在していたわけですが。
たまたまそういう機会がなかったのか、私は大学生になるまで難聴・ろうの方に出会ったことはなく
手話も、「テレビの横でなんかやってるわー」程度の認識。
避けてたり何かしらの抵抗感を抱いていたわけではありません。
言葉は悪いのですが、一言で言うと「無関心」だったのです。
そんな一人の学生が、大学に入って初めて「手話」に出会いました。
『これを言語としている人がいるのね!!!見る世界が変わった!!!』
…なんて、いきなり雷が落ちたような衝撃を受けたわけではありません。
「あれっ?手話って思ってたよりむずかしくないんだ」
というのが最初の印象だったように思います。
今でこそ、『手話はコミュニケーション手段の1つです』
なんて言ったりもしますが、手話を何も知らない人からすれば、謎の動き達です。
「ちゃんと1つ1つの動きに意味がある。」
そこまで知れただけでも、そこで手話をやめていたとしても、きっと一人の聴者にとって意味のある発見だったと思います。
が!
…ついに私は出会ったのです。
実際に手話を日常で使う「聞こえない」人たちに。きわめてナチュラルに手話を使う「聞こえる」人たちに。
多分、最初の出会いは4年前のそれいゆクリスマス例会。
記憶はぼんやりしてますが、
声なしの、笑い声がひびくその空間で覚えてること。
いつもは聞こえる自分が多数派なのに、手話を知らないというのが少数派、立場が逆転しているショック、
知ってるかぎりの手話で話してみたいと思えたこと、みんな指文字をゆっくり表してくれたこと、
でもその指文字も焦って読み取れなかったこと(←)、同年代の子がろうの人とおしゃべりしてるのを見て、
すごく悔しく思ったこと、これらは覚えています。
冒頭で、『聞こえない世界は私の中に無かった』と書きましたが、
私はその時、目の前に現れた『声のない手話の世界』に「トンッ」っと一歩踏み入れたのです。
そこから瞬く間に私はそれいゆ、声なしの世界のとりこに………
ともいきません。 あ、毎回この流れいらん?ヽ(^o^)丿←
それでもやっぱり、私の中でそれいゆは単なるイベントのように考えていました。
数か月に1回、ちょっと手話の腕試しをして表現学んで緊張しながら交流して、
またもとの聞こえる世界に帰っていく。そんな感覚だったのですね。
(あれ?これそれいゆの評価下げてないか・ω・;;;? …とりあえず続けます笑)
少ーし聞こえない世界を知ったけど、まあそれまでという感じ。
この状況をどーーーん!と変えたきっかけが、「手話大交流会」というイベント、また我らが「それいゆ」。
この2つのスタッフになったことです。
「おいおい!!スタッフしないと状況変わんねえのかよ!!!」
「普通にそれいゆ行ってるだけじゃだめなのかー(;ω;`)」
ちょ!違うんだ!!話せば分かる!←
何が変わったかって、一言で言うと『見方・関わり方』が変わりました。
その頃には手話力もある程度ついていたので、
目の前にいる難聴、ろうの方と何気ない会話ができるようになっていました。
『読みとれない』『言いたいこと表せない』
その壁をちょびっと超えると、同じ人と人として、一緒に笑い合えていることに気づきました。
恋愛話で盛り上がれることに気づきました。誰かがボケたり、誰かがツッコんだりしてることに気づきました。
『…あれ?私とこの人たち、本当は何も違わないんじゃないの?』
私はおおげさでしょうか?当たり前のことなんでしょうか?
それでも知らなかったのです。手話を、ろう者を理解する気持ちに出会わなかったら、
「音に関して困っている、障害をもつ人たち」
この、辞書に載ってるような、偏見ともいえるイメージはなかなか払拭できなかったと思います。
手話を通して、ろう・難聴の方たちの人となりを知ることができ、1人の学生の偏見がなくなったのです。
スタッフになってからの2年間。22年間生きてきたなかでのたった2年間で、
人生でこれがピークではないのかと思うくらい、
色々な場で手話を使い、聴・難聴・ろう、様々な立場の人と関わりました。
ある時は地域の手話サークルやイベント、ある時は大学、ある時は遊び、ある時は通訳者として。
個性あふれる、魅力的な人にたくさん出会いました。
これからずっとつきあっていきたい、そう思える友達とも出会えました。
手話との出会いにより、手話を知らなければ関わることのなかった人との貴重な出会いと体験を得ました。
私はほんとうーーーーーーーーーに、幸せものだと思います。
「そりゃよかった!すてきやん(^▽^*)ノ」
と思って下さる方ももしかしたらいるかもしれません^^幸せのおすそわけです。えへ
でも冒頭であげたように、元は「無関心」なひとりの学生。
これは私が特別に手話やろう者に関心がなかったわけではなく、
世間一般の、普段手話に触れる機会もない人にとっては同じ状況じゃないのかなー、と思います。
昔の自分を正当化するようですが、無関心は悪いことではないと思います。興味関心は人それぞれです。
でも私はとうとう知ったのです。手話もそれに関わる人も。
これをここまで読んでる人(長いですよね。すみません…←)の中にも、
「手話ってこんな面白いとこあるんよー!」「手話がきっかけでこんな出会いあった!」
などなど、思い当たること、あるんじゃないでしょうか。
「それらをどんどん、積極的に広めていきましょう!!!」
…なんて言うのは簡単ですが実際は、全く知らない人にまるっと理解してもらうのはむずかしいところ。
まずは自分の中で、経験や出会い、発見気付きを大切にしてほしいな、と思います。
それらは本当になかなか手に入らないかけがえのないものだと思うので。
そしてすこーーしずつ、ゆっくり、周りを巻き込んで行けたら、なおよろし。という感じです。
普段大学手話サークル内で声だけで話してる人を地域のサークルに誘ってみたり、
友達に「手話やってるんだー」と言うついでに友達の名前の表し方を教えてみたり、
親に自分の友達の話をしてみたり、
積極的に色んなイベントに参加してみたり、
知らない人を少し知る人に、少し知ってる人をもっと知ってる人に。
自分中心のうずが、だれかをまきこんで、そこからまた新しいうずが生まれるかも?
その小さなうずに、これからたくさんの宝物が生まれるかもしれない、消えてしまうかもしれない。
かも。全部かも。鴨。(´・ω・)←
けど、小さな可能性にかけ、これからも私と同じような幸せものが増えたらいいな、とかよねぇ願っております。
…はい!というわけで、まとまったのかまとまってないのか微妙な所ですが、
かよねぇのコラムはここらへんでしめさせて頂きます\(・ω・*)/
私は4月(明日←←)から社会人です。
まだ見ぬ大学1回生のフレッシュな若者たちとその手話に会いに、
この数年で出会えた友達に会いに、
楽しい企画をいっぱい作ってくれるスタッフに会いに、
たまにそれいゆなど手話の場に行きたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします!!
最後までお読み頂き、ありがとうございました!!!またどこかで!ヽ(^o^)丿
かよねぇ(横山佳代)
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