2019年5月2日ひらひらのコラムに
リンクを貼られたことにより、一部追記・修正
こんにちは。
先日3/25の3月例会で
2017年度神戸学生手話サークルそれいゆ代表としての最後を終えました。
せんぱいです。
(著者画像 椅子3つの上に立つ学生)
卒業スタッフのコラム……。
何を書こうかと色々迷いました……。
それいゆに関わってきた自分の歴史を書こうかな……などと思い
4000字程書き進めていたのですが
「あれ、それって最近似たようなことしたような……」
と思い、急遽別の内容に変更することにしました。
社会人が始まろうとしている今日この頃。
過去のスタッフ達が、コラムを更新しないままになってしまうのも分かる気がします……。
燃え尽きますし、忙しいですよね……。
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【4年間手話に関わった聴者が、最後に思った3つのこと】
(2014年6月例会に初めて参加した学生(水色))
僕は大学1回生の5月に大学の手話サークルに入りました。
そして、同じく5月から大学外の団体にも参加し、
1回生の2月にはそれいゆスタッフになりました。
不器用なだけに沢山の経験が必要だと思い、様々な場所へ行きました。
そうして、活動を続けて4回生の今に至ります。
ここではそんな4年間の末に思ったことをなるべくハッキリ書きたいなと思います。
因みに僕は大学から手話を始めた聴者なので、
聞こえに関しても、手話に関しても、知識が深いと口が裂けても言えません。
そんな立場でずらずらと書くことをお許しください。
①手話サークルで手話を学び続けるのは
限界があるかもしれない
まず、4年間僕が大学の手話サークルに入り、
社会人となろうとしている現在、一番強く思わされるのがこれです。
「手話サークルで手話を学び続けるのは限界があるかもしれない」。
この文字を見た時に「それは君のやる気の問題だ」「ろう者との関わりがないからそんなことが言えるんだ」と思う人も居るでしょう。それはもっともな話のような気もします。ただ、その「やる気の部分」も踏まえて色々感じたことを書けたらいいかなと思いました。
以前も僕のコラムに少しだけ書いたように、1回生~2回生の間は沢山の同期の学生がそれいゆ及び手話の関連イベントに参加していました。
「小学校で出会ったろうの子と会話がしたい」
「将来的にろう者と教育に関わるような仕事がしたい」
というような明確な理由を持っていた人も多かったように思えます。
しかしながら、それは年度を更新するごとにどんどんと減っていきました。昔会っていた人に会えなくなりました。会ったとしても手話で会話することはなくなりました。手話サークルでは、いくら注意を呼び掛けても声だけで話し合いが進んでいくこともありました。
そんな時、限界のようなものを感じた気がしました。昔は共に頑張っていこうとしていたのにどうしてこうなってしまったのかという……それは純粋なる「諦め」か、「飽き」のような感情なのではないかなと思いました。言葉のオブラートを限界まで剥いでいえばそうなのではないでしょうか。物珍しさに惹かれてサークルに参加していた人たちも、時が流れて日常会話を習得すれば居なくなってしまいます。ろう者と関わる機会がない聴者は、忘れても仕方ないことなのでしょうか。それでは何の為に、人生の内の大切な時期に手話サークルに入ったのでしょうか……。
(食事中も、それいゆにおいては考えごとをしていた…ような…)
しかし、そうやって一歩引いたように考えている自分も、思い返してみれば、自身の目的の為に手話を学んでいるに過ぎないことに気づきました。僕は「大学の手話サークル/神戸学生手話サークルそれいゆを代表として運営する為に手話を学んで」きました。「それ順序が逆じゃない?」と思うかもしれませんが、4回生の3月まで続けた理由はそこにありました。
そう考えると、4年間という長いスパン(見る人が見ればそれも短い)で関わり続けてきた僕もそれいゆという団体を卒業し、手話との関わりを失おうとしています。
手話サークルで手話を学び続けるのは限界があるかもしれない。誰しもが、「手話」に対して重きを置いているわけではありません。それはろう者も聴者も同じだと勝手に思っています。手話に限らずサークルというのは、むしろ一期一会。長く居続けるものではなく、短い瞬間に様々な人と出会い吸収し、そしてまた新しい場所で旅立っていく。言い換えたらそういうことなのかもしれませんね。
この文章の着地点が自分でも良く分かりません。諦念のような、悟りを開いたような……。とりあえずコンパクトにいうと、「手話を学び続ける聴者は非常に少ない」ということです。僕と同世代で手話を始めた人間の内、今後どれだけの人間が手話を続けていくのでしょうか。そして自分自身は……?
人間は変わるものと変わらないものの両方をもって歩んでいくものだと思っています。願わくば自分の中の変わらないものの中に、「手話」が在り続けてくれると良いですね。
(年齢や経験、出会った人たちによって見た目や考え方は変わっていきますよね。そのあたりに焦点を当てたようなコラムについては、私の老師であるスタッフ「かよねぇ」のコラムに記述されていますので、ぜひ、ご覧ください。)
②「手話」って沢山あるんだね
僕は大学の手話サークルに入る前に「手話 覚え方」とインターネットで検索したことがあります。その時に出てきたのが、「日本手話と日本語対応手話」があるという文章でした。(そのときの知恵袋)
その時点で僕は手話を学ぶことを一旦は諦めました。そんな強い思いはありませんでした。そのややこしさに耐えられませんでした。けれど、大学に入って、偶然手話サークルがあったことから、改めて「手話」と向き合うことになりました。
その後、色んな団体と色んなイベントと色んな人達に関わってきて、「手話」とは予想以上に沢山あるんだな、と思えました。それらを箇条書きにしていきたいと思います。
※以下の手話のバリエーションに関しては個人的な意見と個人的な命名があります。この情報をどう受け取るかは自己の判断にお任せします。
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●日本手話
ろう者の手話。ろう者といってもまた色々で、ろうとしてのアイデンティティを持つろう者が表す第一言語としての手話を日本手話という……みたいな説明を聞いてきた。感覚的にいえば「手話っぽい手話」。
単語の並びだけでなく手話の表現や流れでイメージを伝える手話。手話学習者としてはあこがれの対象でもあった。しかしながら、日本手話を話せるろう者、それを教えられるろう者はどんどん少なくなっているという。3回生までは何が何だか良く分からなかった。
自分がこの手話を学び始めたのは3回生の終わり頃からで、この知識を吸収する場所がなかなか見つからずに苦労した。同じく、日本手話を学ぼうとしている学生も苦労しているだろう。
また、日本手話を学ぶ中では「日本手話は必要ない」「日本手話は時代遅れである」という意見とも出会うことになった。肯定的にも、否定的にも捉えられるのだが、それいゆスタッフとして、手話サークルのスタッフとして、いろいろな手話を知っておくという意識は持っておきたかった。
【日本手話を学ぶために用いたサイトなど】
・ 原始人のブログ
顔の文法や、ろう者の文化などについて取り上げられているブログ。文章から理解したい派だった自分はこのブログも読んだ。しかし、実際の映像と結び合わせられないので、ふとした会話の中で知識がつながる、という感じだった。
・砂田アトムの手話コラム
ろう者で豊かな表現をする方のコラム。決して固くはない内容で、かつ、読み取りやすい豊かな表現が魅力的なコラムを月に2本ペースであげていただいている。手話の方言なども紹介してくれており、知識面でも恩恵を受けられる。
・HANAIプロダクションの動画
ろう者で手話講師をする方のコラムなど。手話指導を行っているところの動画なので、非常に「教える」というところに特化しているイメージ。講師の方は特にCLが魅力的で、スタッフや下級生に教える立場にある学生にはぜひぜひ、参考にしてもらいたい動画が多数。ちなみに、講師の方のインスタグラムにも、多数動画が挙げられている。
・手話通訳学科|国立障害者リハビリテーションセンター学院の動画
名の通りのところが発信している動画軍。手話通訳士試験の問題と音声解答も挙げられており、解説はないものの通訳的な練習ができる。
・ぷ~ み~ さんの動画
以前は「みんなの手話」にも出演されていたお二人の動画。日本語独特の表現を手話で解説してくれるものも多く、発想を鍛えられる。
・手話カフェ
梅田にあった手話カフェ。真正面から見るだけの動画とは違い、生のさまざまな手話を体験することができる。それいゆのようにアイスブレイク代わりの企画などはないところや、独自の内輪感ができあがってしまっているところが、たまにあるのはネック。
その他、いろいろ…
●日本語対応手話
日本語に手話単語をあてはめたもの。大学の手話サークルでは主にこちらを学ぶことが多いという……が、日本手話をメインにしているサークルも存在するらしい(関西学院大学?)。正直日本語が出来ればいいわけなので、単語を覚えればすぐに表せる。
手話サークルで教えられる過程で、この手話の表現方法はどういった方法で……というのは教わらなかった。故に、1回生の後半まで知識としても分からなかったし、3回生の後半までも体感して分かることもなかった。
最近のろう学校でも、日本語習得をするという意味を込めて、こちらを使用するという話がある。実態は不明。出会う学生たちは年代が同じでも手話の表現方法にかなりばらつきがあった。また、中途失調した方が習得する手話も、日本語対応手話が多いらしい。
●中間手話
「日本手話」と「日本語対応手話」の間という意味で「中間手話」と呼ばれるものもあるようだ。大概は日本語対応手話を学習した人間が、日本手話から一部の文法や表現方法をピックアップして取り入れたり、日本手話にシフトする途中で、謙遜して呼称したりしている。
「なにが中間手話か」という定義は、「日本手話」「日本語対応手話」同様に非常に難しく、ほとんど感覚的に使われることが多い。言うなれば、自分の手話だって中間手話に当たるのだろう…。
●手話コーラス
なんと歌に合わせて手話を表現するという手話パフォーマンスの一種。大学の手話サークルの学園祭では良く発表されている。「あんなもんは手話じゃねぇ派」「若いもんが頑張ってるのは良いね派」「曲の解釈を手話に翻訳するのは面白い派」「見てて普通に楽しい派」などなど、楽しみ方や見方が多岐にわたる……ことをスタッフとして、いろいろな参加者に聞いて知った。
個人としても16曲ほど発表したことがある。しかし、正直手話で会話が出来ないくらいの人たちが行う手話コーラスをあまり好意的に見ることができない。
ろう者に伝えたいことがあるなら、コーラスじゃなくてまず、会話を練習すべき……基本さえできていないならば、派生した方法に手を出すのはまずいと思うからだった。それが手話の広まるきっかけになってほしいという想いを持っているならば、まず自分の中に広めるべきではないのかな、と。色んな見方がある手話コーラス。それを発表する理由は、本当にみんなバラバラなのかもしれない。
ちなみに、手話コーラスという呼び方以外にも、「手話歌」「手話音楽」「手話ソング」というものがある。明確に定義されて分けられているものではないが、団体の中では区分しているところもあるそうだ。似たパフォーマンスとして「手話ミュージカル」「手話ダンス」も存在する。いずれも否定・肯定の意見が割れやすい。
(手話コーラス 自分以外加工済み)
●手話劇
手話の会話劇などなど。といっても自然なスピードでしてしまうとだめなので、お客さん側から見やすいように表したり、口話を重視したり、声を出させたり(出させなかったり)、またこちらも様々な発表形態が存在している。自分でもやったこともあるが、結構下手だった。
こちらも「手話落語」など、さまざまなバリエーションが存在する。
●通訳の手話
ニュアンスが伝われば成立する会話とは違い、情報を過不足なく伝えるのが通訳の手話だと聞いたことがある。手話通訳は、これまた複雑な体系があり、奉仕員・通訳者・通訳士、さらに法や行政に関わることができる通訳など、さまざまなようだ。
その実態を学生で学習者の私たちが知ることはあまりない。だが、指導者のばらつきや、進歩のない体制のせいで、こちらも何が最善であるかということが、曖昧になっていると聞く。
●司会の手話
それいゆスタッフのような、手話サークルのスタッフが扱う手話の1つ。特に自分がスタッフに加入した際に葛藤した手話。「司会とは一番後ろの人まで、伝えられるイメージ」。それが最初に教わったことで、「ときに丁寧に、ときに個性を」というのが後で必要だと思ったことだった。
「情報保障が出ている以上、それに対応した表現を使わないといけない」
「文章が毎回同じだったとしても、表し方は1つじゃないと感じてほしい」
どっちかというと、丁寧なのは前者かもしれない。でも、終盤の自分は後者を選択して司会を行っていた。それいゆスタッフは方針やテーマの統一に、非常に時間をかけている。それでも、表す手話はバラバラだ。でも、それでいいんだと思う。自分にはない何かを知れるからこそ、会話、コミュニケーションというのは、楽しいんだと思うから。
●ホームサイン
デフファミリー(聞こえない人だけの家庭)や、聴覚障害者がいる家庭で、会話の中で自然に生まれた手話、または身振り。
大学の手話サークルにはコーダ(親が聴覚障害者の聴者)がいた。彼は最初から手話での会話が流暢にできたが、たまにサークルメンバーが扱う「関西圏で学生がよく使う表現」とは時折ずれたものがあった。
これを「違う」としてしまうのではなく、ホームサインだと認識することは小さなことかもしれないが、とても重要なことだと思われる。その人の家庭ごと否定してしまうことになってしまうから。
●手話の方言
手話が世界で統一されているというイメージも強い。実際、就職活動中にそれを何度訂正したことか。国によって違うし、更に地方によっても、かなり異なるようである。関西圏でずっと手話に関わってきた僕にとっては、そこまで強く方言を意識させられることはなかった。ただ、方言によってろう者同士でも行き違いを起こすことはあるという。
手話という言語が、コミュニティ内で自然に生まれ、広まっていくようなものなのだなぁ、と実感する、特徴のうちの一つかもしれない。
その他、いろいろ…
沢山の「手話」に出会いました。正直混乱することや葛藤することもありました。司会としての手話を意識したり、会議としての手話を意識したりもしました。手話って色々あるんですね。だから学ぼうと思えば沢山あるんですね。そう思った時に、「どうしてもっと早く深く学んでいこうと思わなかったんだろう」と後悔の念に囚われました。
手話を学習している人間にとっては、まず何から始めたらいいんだろう、と分からなくなることもあると思います。でも、結局、自分のしたい「手話」から始めたら良いんじゃないかなぁ、と思います。沢山の意見が飛び交うのが「手話」だとは思いますが、誰にも縛ることが出来なかったのもまた「手話」だと思ったからです。それも魅力なんじゃないでしょうか。
あなたはどんな手話を学びますか?
③バランスが大切だということ
そして、最後に思ったのはバランスが大切だという事でした。声なし、声あり、表現、パフォーマンス、沢山あります。でも、どれも比率が偏ると過剰な影響を及ぼしたり、情報の過不足が起こったり、退屈になったりします。
4年間の最後にそう思い至り、色んな表現や活動の仕方を織り交ぜる事を意識しました。それいゆは「声なし」で活動しています。手話サークルは沢山ありますよね。ろう者に感謝する手話サークルや、手話コーラス専門のサークル、聴者の運営するサークル、聴者とろう者が一緒に運営するサークル、色々見てきました。活動のすべてを意識的に声なしにしているのはそれいゆだけだった気がします。
それいゆは「声なし」という環境を担う大切な場所かもしれません。それもまた他の団体やサークルとのバランスあってのこと。皆さんも、それいゆだけでなく、色んな団体に参加してみて欲しいな、と思います。変化が、刺激が、そこには待っていると思います。
そこからまた、帰ってきてください。
それいゆスタッフ達は、きっと皆さんの参加を待っていると思います。
(それいゆスタッフは、心から考えて頂いた意見を貰えると喜びます)
おまけ 手話は1人では出来ないこと
インターネットで検索してネットや辞書で勉強しようとしていた僕ですが、手話は1人では出来ません。相手がやはり必要です。手話はコミュニケーション方法なのです。1回生の時代、サークルに所属していたとはいえ、やはり家で勉強することが多かった僕がどうなったかといえば……。
●自分で表現は出来るのに、相手の表現を読み取ることは出来ない。
●単語を覚えていても、動き方に癖がありすぎて、伝わりづらい
こんな弊害がありました。これから手話を学ぼうとしている皆さん、お気を付けください。学ぶ場所がない? はい、それいゆへ行ってみましょう。
☀最後に
代表として。サイゼリア・ガストなどのファミリーレストランに行った時、スタッフみんなに水を汲めるような、そんな代表でありたかった。
(自分が「せんぱい」として活動していた4年間を忘れないようにします)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、僕は東京に行ってきます。
またいつか、会う機会があればお会いしましょう。
声なしの、様々な学生がスタッフを務める、このサークルで。
2018年4月1日 せんぱい
せんぱいから学んだことは数えきれません。
私が一方的に学んだと捉えているだけに過ぎないかもしれませんが、こうしてブログを通してまた学ぶことができました。
本当に有難うございます。
私はまだまだ未熟で至らない点ばかりではありますが、僭越ながら私が最近気づき始めたことや後悔していることに共感できる部分があり、私だけじゃないんだと思え、なんだか少し心が楽になったような気もします。
私の1番の後悔はスタートが遅れたこと。周りに流され、1歩を踏み出す勇気を持てなかったこと。今でもそしてこれからも後悔し続けると思います。ですが、それも一つの経験として後輩に伝えていきたいと思っています。せんぱいがたくさん教えてくださったように。
学生として残り1年、短いですが、できること、やりたいことをして、少しでも後輩に還元できるように精進していきます。
またそれいゆでお会いできることを心より楽しみにしています。
グッ!!
>西島さん
学生時代はたくさん勉強させていただきました。
ありがとうございました。
くめさんにもたまにお世話になっています。
私の知っているときよりはずいぶん、活動の幅は質も変わっていっているとは思いますが、インターネットにあげてくださることで、主体的に活動する学生がどれほど恩恵を受けているか、分かりません。
これからの活動も陰ながら応援させていただきます。