世界のホテル業界で戦うには、欧米企業と違う手法で~星野佳路氏
最近の日本の
テレビもニュースも
ひとつも面白くない。
よって
面白きことなき世を
面白くするしかないと
悟った。
今は
アイデア
仮説段階でしかないが
とにかく
ぼくが今考えている
森づくり
生活環境林、経済林の
イメージを示したい。
純粋なる水源涵養や大気浄化の目的
自然環境保全林であれば
その土地の潜在自然植生に準じて
植栽すればよい。
照葉樹林帯ならば
鬱蒼とした神域となるだろう。
ここでは
人の生活に密着した
屋敷林、地域林をどんな感じにするかを
述べたい。
まず
クリ、オニグルミ
コナラ、スダジイなど
美味しいどんぐりがなる木を植える。
ナツハゼ、木イチゴ、梨、ビワ、ミカンなどを混植し
自然樹形の果樹を作る。
蜜蜂が好む
トチノキ、エゴノキを増やす。
ヤマモミジ、カエデを植えて
紅葉を楽しみ
樹液を集めてメープルシロップをつくる(砂糖から蜂蜜、メープル糖へ)。
ヤブツバキやアブラチャンを植えて
油を集め(食用とアロマ)
スギ、ユリ、スイセンのアロマ精油を抽出して
石鹸や香水をつくる。
長芋や里芋
大豆、小豆、落花生などの
芋や豆をつくる(稲など種実は作らない)。畑作特化。
家の周辺には
常緑のマサキ、ツバキ、イヌツゲ
モチノキなどを植える。
地域の公園には
タブノキ、スダジイ、ウラジロガシ、アカガシ、トチノキ、ケヤキ、コブシ、ヤマザクラなどの高木や林縁に生えるウツギ類、アジサイなどの低木、山野草、苔寺のような苔を生やし、ヤブコウジ、ヤブラン、ヒメシャガ、ジャノヒゲなどを
生やす。
河川や海岸には
魚付林、防風林として
タブノキやスダジイなどの
極相林になるように
ハンノキ、ヤナギ類を植える(この辺は当てずっぽう)。
いずれも
自然植生の水平、垂直分布に準拠する。
食料に関しては
魚貝類と木の実(果実)、芋豆を中心とし
野菜(葉)や種実(米、麦)は
薬味、生薬、お茶、神穀と位置付けて
普段は食さない。
といった感じになります。
とりあえず
ブレーンストーミングとして
提案します。
高橋(プランナー)
先般の
洞杉における
聖なる巨木探訪シリーズは
将来的に
魚津市の天然記念物から
富山県のそれに格上げし
国の特別天然記念物に指定して頂きたいという存念からの事業でした。
そして
立山黒部を
自然と文化の
世界遺産にしたいという野望の
一里塚であります。
今回
洞杉の圧倒的な迫力を観て
これは世界遺産だ
と確信しました。
それぐらい
インパクトがありました。
また
立山開山の
佐伯有頼(慈興上人)伝説や
修験道や女人救済の信仰などの
聖なる霊山の要素は
文化遺産に繋がると思います。
何れにしましても
ぼくは
立山の中程までしか登ったことがないので
来年は頂上まで登山してみたいです。
高橋記(好きな山:呉羽山)
最近の日本や世界の現状を見るにつけ
人々の
哀愁や悲嘆
怨嗟の声が聞こえてくるようです。
テレビニュースも
ヤフーニュースも
ろくなニュースがないです。
しかし
生きねばなりません。
メメントモリとは
現世の儚さを肝に命じ
常世から現世を観る視点だと思います。
この世は
酔狂だという達観(曽野綾子先生)や
五感の節欲をするストイック生活も
メメントモリな人生でありましょう。
ぼくが
最近編み出したライフスタイルは
貧乏でも
現世が過酷でも
全てをロマンチックにし
芸術的
音楽的
文学的な世界観に
全てを放擲して惑溺し
そのエッセンスが沈潜するのを
楽しむという
シュールなリアリズムであります。
いつの時代も
現世は困難であり
懊悩の連続です。
だからこそ
美学と
崇高にして聖なるものへの渇望が
生まれるのです。
但し。
鴨長明や西行
竹林の七賢の如き
現実逃避な生き方は
参照できません。
あくまで
この世において
王座と祭壇において
顕現するのが
美であり
永遠の相の下に
有限な世界の矮小を示し
形而上学の智慧と光に依って
自然学の仄かな灯の陰影を露わにする方便が
メメントモリです。
これは
ぼくの
私説です。
アーメン
高橋(美学評論)