港町十三番地
富山市の呉羽の店や
旧大和跡地のとやまキラリなどを設計した建築家の隈さんの本でした。
ぼくの見立てでは
自然素材派、脱近代派という感じです。
この本は
東日本大震災以降の建築の有り様に
小さい建築を提案しておられました。
以前「自然な建築」を読んで感銘を受けていました(和紙の家、竹の家等)。
今回も
ぼくの非近代社会への憧憬とその具現化の野望と
規を一にするものでした。
ぼくの説は
竹や石やレンガで機能別の小屋をつくり(トイレ小屋・居間・煮炊き小屋・納屋・洗濯小屋等)、
森に配置するというものです。
何れにしましても
東京オリンピックの競技場建設のデザインは
相変わらず
大きな近代建築を志向しており
西洋かぶれな鹿鳴館的建築であり
情けないものです。
おわり
高橋(建築研究家)
現代の行き詰まりに関して
深い示唆を得た。
現代に比して
平家物語の時代、平清盛の時代も
悲惨と混沌を極めていた。
が
昔の日本人の方が
潔いある種の諦観と達観があったようだ。
よって
後白河法皇から民百姓までが
歌や踊りに興じていたのだ。
現代が末法の世であり
戦国時代に突入していることは事実であろう。
だからこそ
好きにするのが良いのだ。
おわり
高橋記
The End of Asia/Public Pressure/Yellow Magic Orchestra
先般の後藤さんたちの中東事件について
改めて考察すると
やはり外務省が中東危険地域への渡航を禁じていた事実を指摘せねばなるまい。
すなわち
今般の集団的自衛権という概念によって
右傾化しつつある日本を
間接的に惹起したのは
まぎれもなくあのIS事件であったのだ。
つまり
後藤さんのお上への不従順は
結果
日本の右傾化・軍国化に繋がったのだ。
理想がどうあれ
吉田松陰の不従順も同様である。
昨今の日本の右傾化は
もし法実証主義が正しければ危惧すべきものである。
しかし
ワイマール憲法や大日本帝国憲法が
統治者の恣意や世界観に左右され
実際にはその文言が遵守されなかったことも事実である。
すなわち
政治的、社会的指導層の学問的な素養を高めることが
結果的に
非武装中立な
虚にして愈々動く日本を作るのである。
高橋(黄老の術)
近代という思想と構造が
人間をだめにしたという
ぼくの説と規を一にするものであった。
それはあたかも
ぼくらアラフォー世代が
80年代への郷愁に耽るさまに似ていた。
江戸末期と明治初めの
日本の風土と日本人は
明るく大らかだったのである。
おわり
高橋(コラムニスト)
Days Of Wine And Roses : Solo Piano [Romantic, Relax, Jazz Music ]