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NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

山本憲明著「会社は『一人』で経営しなさい」明日香出版社 を読んで。

2018-01-29 | 書評
今の日本は
おそらく高岡市さまのように
崖っぷちであります。


高岡市さまは
正直に
財政の現状を告白されたので
良い判断をされたと思います。


これから
この国も
都道府県も市町村も
大企業も中小企業も
民間公益部門も

時間差で
財政が厳しくなるのは
明白です。


生産人口が減り
個人や法人税収が減れば
行政も事業を縮小せねば
成り立ちません。


その意味で
道路、河川、公園、海岸の清掃(トイレ・草刈・植栽管理等)を本会に任せて頂きたいのです。


政府、自治体さまにおかれましては
小さい会社の創業支援
社会保険の低減、廃止
税制優遇をして頂きたく存じます。


法人税を低減し
公益法人への寄付を促すのが良いです。


NPO法人と一般社団法人を
ひとつにし
一般社団法人にして下さい。

最初から
公益な社団法人を認可して下さい。

認定NPO法人や公益社団、公益財団という制度は
難かし過ぎて
意味不明です。


会員10名は
公益を担保するものではないです。

また、総収入の額が
公益の証しでもないです。


公益法人の制度は
ひとつで良く

公益の事業内容を明文化し
公益事業は免税で良いです。


とにかく
政府は
何億とかの売り上げをする
大きな会社が
エクセレントだとしていますが

これからは
個人事業、フリーランス、
小さい会社、小さい公益法人の時代です。


のれん分け、マネジメントバイアウトです。

組織を
小分けにし
7人部隊を
会社、事業部の
基本的な規模にすべきです。


その意味で
この著書は
時代を先取りした傑作であり
普遍的な価値と示唆に富むものであります。


高橋記

小林信彦著「天才伝説 横山やすし」文春文庫 を読んで。

2018-01-20 | 書評
私は
お笑い芸人では

東のビートたけし
西の横山やすし

が一番好きである。


今の若い方は
リアルタイムで
横山やすし氏の豪放なる
生きざまを知らないかもしれぬが
やはり
面白い人であった。


私は
なぜか奇跡的に
横山やすし氏の命日の前に
図書館でこの本に邂逅した。


しかも
文春文庫であることに気付き
驚嘆した次第である。


シンクロニシティという
名辞は
やはり形而上学的な存在を前提にすれば
不思議なことではないのかも知れぬ。

私の記憶では
新右翼の野村秋介氏に関わり
風の会に参画したあたりから
やすし氏の運命が暗転したような気がする。


なぜ
やすし氏が
私にこの本を取らせたのか
深く静かに沈潜し
黙想してみたい。


おわり

高橋記

ボードレール「気前のよい賭け事師 」内田善孝訳、ポプラ社百年文庫 を読んで。

2018-01-19 | 書評
私は
佛大の中国文学科と社会福祉学科を
受けて2つとも受かったが
生来のリアリズムにより
福祉の道を選択した。

よって
基本的に
漢文や中国文学を好み
西洋の近代文学の類いには
全くといっても良いぐらい興味はなかった。

ましてや
ボードレールやリルケなどといった
いかにも芸術家然たる文学は
読むことはないと考えていた。


しかし
自らの人生が
貧困と孤独
事業の成功の不能といった

陰影と闇を基礎として彫刻されていることに
改めて思いを致すことが
多くなった。


私は
江戸川乱歩や
魔太郎が来るシリーズに共感し
手塚治虫の本質が奇子にあると看破した。


すなわち
明るく元気な物語りは
文化の表層に過ぎず
人生と世界の本質は
漆黒とグレーとブルーであることに
気付いた。


ボードレールの私生活はでたらめであるが
この短編は
独特な発想力がある。

悪魔大王と私の交流が
幻想的に語られ

近代のアカデミーと思潮が
悪魔大王の唆かしによって誘導されていることを
私は知るのであった。



やはり
有名な作家には
それなりの慧眼や創造力があると思う。

しかし
基本的に
文学や芸術は
宗教的な倫理へ逢着し

神の十戒や八正道の矩におさまるべきだ。


現実と具象を抽象し
あるいは形而上学を自然に刻印し
愛と希望に繋げる営為が
文学である。


高橋記


塩照夫著「越中の街道と石仏」北国出版社刊 を読んで。

2018-01-04 | 書評
「私は東北にある八甲田山や十和田湖方面に旅行した。行く先々で、いくら探しても路傍には石仏らしいものが一つも目にとまらなかった。・・
しかし、富山県であると、どの道路に入っても石仏はすぐ目にとまる。この時ほど富山県の信仰心の厚さについて認識をあらたにさせられたことはなかった。」

と始まる塩照夫氏の傑作。

確かに
富山県には
片貝川や立山など至るところに石仏がある。

ぼくは
神仏習合的な寛容な宗教観が
世界平和の鍵を握っていると考えるので
あらゆる信仰心をそのまま生かし
根底にある普遍的な価値を流布して
ポストモダンを実現したい。

この本で
立山の麓
常願寺川のほとりに
三途川の道標がある(芦峅寺)ことなど
初めて知ったことが多い。


奈良時代は
神の山とされた立山は
平安時代には
地獄の山と喧伝されたのは
宗教的な教義の変遷によるそうだ。

また
海上他界と山上他界は
ある種の連関があるようなので
人類学や民俗学知見も
深化せねばならぬと
思いを新たにした好著であった。


立山を舞台にした
坂東眞砂子氏の曼陀羅道という小説を
再読したくなった次第です。


おわり


高橋記(好きな作家:黒岩重吾)

3年の星占い 2018-2020 牡牛座 石井ゆかり著 文響社刊 を読んで。

2017-11-09 | 書評
2015-2017の本は
常に熟読して
人生と事業の指針としておりました。

2018年以降のシリーズを待望しておりましたが
ついに出ました。

なぜかは分かりませんが
冒頭から
自分の状況に合っており
驚嘆しました。

石井ゆかり氏のシリーズは
表面的なものでなく
深い人生論を秘めており
万人にお薦めしたいと思う次第であります。

おわり


高橋記

「禁断の幕末維新史」加治将一著 水王舎刊 を読んで。

2017-10-25 | 書評
富山県の本屋には
東京の書泉グランデ(昔神田にあったのですが今はどうなっているか知りません)のような
マニアックな本屋はないので寂しいものであります。

しかし
富山の中田書店で本作を発見しました。


いわゆる
明治天皇替え玉説(都市伝説とされますが妙にリアリティーがあります)や
坂本龍馬暗殺の真相などが
まとまって述べられており
驚愕の内容でした。

来年は
明治維新150年であり
ちょうどNHKの大河ドラマは西郷隆盛氏が主人公ですので

このような恐るべき著作が
今後
次々に出来(しゅったい)してくるような気がいたします。


出来れば
本郷和人氏のような
正統派な学者の皆様におかれましては

表層的歴史学界を
転覆し

リアルな歴史学を構築してほしいです。


おわり


高橋研究員

司馬遼太郎著「覇王の家」新潮社 を読んで。

2017-10-03 | 書評
この本は
しばしば本屋で立ち読みしていた重要著作であります。

やはり
司馬遼太郎氏の尋常ならざる慧眼が発揮されている傑作である。


武田信玄や上杉謙信の欠点を家康は次のように指摘する。

「信玄がその一族であり家臣である海野頼平や望月幸義をほろぼし、また謙信が長尾義景を討った。これらのことはみな疑心より生じたことで、生かしておけばかならず股肱になるべきだのに、まずいことをしたものである」


家康は

「われ、素知らぬ体をし、能く使ひしかば、みな股肱となり、勇功を顕はしたり」

という茫洋たる大器であったのだ。


そして
やはり三河の気風は質実であり

尾張のきらびやかで派手な感じとは異質である。


結局は
軽佻浮薄で才気ばしった人々は
その鋭角さがあだとなるのであり

はっきりとしない茫漠たる器こそが
安堵と感心の基となるのだ。



才気と華美の人々には
先に行ってもらい

後から
実務と実際を所管するというのが
本会の経営戦略である。



家康公こそが
ベンチマーキングターゲットとして最適であることを
再確認した著作であった。



おわり



高橋記(ベンチマーキングターゲット:司馬懿仲達)








「差別と日本人」野中広務・辛淑玉著(角川書店)を読んで。

2017-09-13 | 書評
この著作は
いつか読まんなんと思っていたものであります。

魚津市立図書館にあったので
読んでみました。

被差別と在日朝鮮人の
被った差別と苦悩の
現実の一端が
分かりました。

僕は
京都の佛教大学卒ですので
同和教育は必須でした。

したがって
ある程度の知識はあるつもりですが
やはり
差別の実態は重いものです。

野中氏と辛氏は
社会的に実力を発揮して
出世した方々ですが
一般の方々は
なかなか大変であろうことは容易に想像できます。


実際
その社会的差別の桎梏と重圧から
やくざや任侠世界に身を投じる人が多いのであります。

僕は
学生時代には
京都の南方で
土方のアルバイトをしていました。

その際には
現役のやくざさんもいましたし
スカウト現場に立ち会ったこともあります(あくまでも僕は真面目です)。


すなわち
僕のライフワークの原点とは
やくざが出来(しゅったい)してくる
被差別と在日朝鮮人の差別問題であります。


その意味で
本著作は
僕の原点を思い起こさせました。

そして
正義の味方になるために
出世せんなんと思いました。


おわり


高橋記(佛教大学社会福祉学科卒)





白洲次郎著「プリンシプルのない日本」新潮社を読んで。

2017-09-08 | 書評
今日は
サンフランシスコ講和条約の調印が行われた日であり
聖母マリアの誕生日である。

この日は
第二次世界大戦が終結した日であり
日本が独立した日ともいえます。

なぜか
白洲次郎氏の本を読まねばならぬ時期が来たと思い
プリンシプルのない日本を
読むことにしました。


その中で
偶然にも
講和会議に随行して
というのがありました。

吉田茂総理に随行して
サンフランシスコ講和条約の締結を目の当たりにしたルポルタージュであり
リアリティーがありました。


「調印の時も、演説の時も、総理の態度は本当に立派だった。その姿を見ながら、総理はやっぱり昔の人だなという感じが強かった。昔の人はわれわれと違って、出るべきところに出ると、堂々とした風格を出したものだ。総理が、自分のポケットからペンを出してサインしたのも、いかにも一徹な総理らしかった。」


また
新憲法制定の経過も
白洲氏が
最も政策実行者の近くで見聞し
関与していたことが分かる。


「連合国側は、日本側からはとうてい満足できる新憲法案が自主的に出てくるはずがないと予期していたのか、それとも始めからの計画であったか知るよしもないが、日本政府から提出された松本試案などは問題にならないとボツにされ、英文で書かれていた「新憲法」の案文なるものを手渡された。」

「原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である」



何れにしましても
戦前から
日本の開戦と敗戦を予言し
これからの日本の進むべき道を示唆する
白洲次郎氏と

彼が仕えた
吉田茂総理の歩みを振り返る

最適な時期が来ているように思う。



おわり

高橋記(愛読書:五木寛之著:風の王国)

倉橋由美子著「よもつひらさか往還」を読んで。

2017-07-19 | 書評
だんだん
人生の懊悩が深まり
事業の成功の不能が露わになってまいりますと

現実逃避や退行といった
心理的防衛機制に陥ります。


最近は
昔読んだ傑作文学や未開拓な文学作品を渉猟しております。

その際
倉橋由美子氏の「酔郷譚」という傑作に邂逅しました。


それはあたかも
坂東真砂子氏を彷彿とさせる幻想的なものでありました。

坂東さんは
ある種の強烈なリアリズムでありましたが

倉橋さんのは、よりシュールリアリズムで
詩とファンタジーであり
現実逃避に最適であります。


ついに
滑川の図書館で
「よもつひらさか往還」を発見し
慧君の耽美主義を再発見した次第であります。

ときに
筒井康隆氏の「走る取的」を
自選ホラー短編集で発見しました。

かって
「メタフォルフォセス群島」に収められていたと記憶しております。

いずれにしましても
富山県人から
「あんにゃ何しとらんよ」と言われそうですが

私は毎日
天下国家のために祈り
刻苦勉励していることをお伝えしておきます。


おわり


高橋記(好きな文学者:黒岩重吾氏)