節目の年にあたり
三島氏の文学作品を
読んでみました。
海と夕焼という短編は
本人も傑作と自賛するもので
美麗な文体は
やはり
天才文学者という趣であります。
ただ
結論から申しますと
やはり
キリスト教や
奇跡という超自然に対する認識が歪んでおります
作中の
フランス人寺男は
昔
子供十字軍に参加しようとして
聖地に向かいますが
途中で
奴隷商人に騙されて
売り飛ばされます。
そして
高徳な僧侶に出会い
日本に渡来して
寺男となり
美しい海を見るために
聾唖の少年と山に登る
といった話です。
しかし
フランス人アンリに出現するキリスト様、十字軍への従軍を促すそれは
ルルドやファチマの聖母出現譚のようなリアリティに欠けます。
少なくとも
私は
十字軍への従軍を促す
キリスト様や聖母の話は
聖人伝でも読んだことは
ありません。
つまり
一般的なクリスチャンが
海と夕焼を読んで
感動するとは
思えないのです(あまりに荒唐無稽なので魂に響かない)。
私は
戦争経験世代の
本当の哀しみや挫折は
解りません。
しかし
崇高な理想は
現実の厳しさのなかで打ち砕かれることは
解ります。
とはいえ
それは
キリスト教を棄て
寺男になれば充たされるような類いのテーマではなく(その手の欧米人がいますが、あまり信用出来ません)、
宗教全般や人生に
何を期待しているのか
という根本義の問題です。
人々は
奇異な出来事や超人的な業に関心を寄せ
奇跡やしるしを求め
劇的な成功を待望します。
しかし
本物の宗教は
そのような
世俗的な成功を
約束しないです。
三島氏におかれましては
バタイユやサドといった
おかしな近代知識人の謬説を透過することなく
純粋に聖人伝を読了して頂きたかったです。
そうすれば
海と夕焼は
もっと感動的な
深いテーマに至り
ノーベル文学賞が取れたはずです。
おわり
高橋記