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はねもねの独り言

生活の中でなんとなく思った事の記録

妹は結婚できるのか?

2010-10-27 11:42:55 | 男男女女

私の妹は32歳になるのに結婚の気配がありませブランド激安市場ん。いえいえ、キャリアウーマン(死語?)としてバリバリやり倒したいわけではありません。結婚願望はあるようです。しかし妹の性格には重大な問題があり、そのことが障害になっているようなのですが、本人に何度話しても理解されません。



会話は言葉のキャッチボールというのはみなさん納得して頂けると思います。しかし妹の場合、「会話は言葉の銃撃戦」だと思っているのです。隙あらばツッコム。ツッコまれたらツッコミ返す。互いにボケもするが、互いにツッコミむことも容赦しない。こういったツッコミ合戦が妹が最も充実した会話のようです。例えるならば「やすきよ漫才」のようなノリですね。

そのため相手はクタクタになってしまいます。こういう事がありました。妹が風呂場で足を滑らせ、足の指を強打してしまいました。痛みがとれず、腫れも酷いので医者に行ってみると、診断は骨折でした。そこで妹は彼氏に「風呂場で滑って、足の指を折った」とメールしました。すぐに返事がやってきます。「大丈夫?医者には行ったの?」優しい彼氏です。しかし妹はこのようにツッコんでしまいます。

医者に行ったから骨折ってわかったんだろうが、ボケ

この後彼氏とは音信不通になったそうです。妹はこれくらいのことで凹む男は弱すぎると嘆いていますが、あんまりです。妹としては

お前はいつも一人で勘違いして騒ぐから一応聞いてみたんだ、ボケ

ぐらい返して欲しかったようですが、そんなノリを四六時中保てて、かつ優しい男などそうそういません。というか絶望的に少ない気がします。しかしこのツッコミ合戦は私を含む家族にも問題があるようです。たまに実家に帰省すると私は家族の会話に驚愕し、また自分の口の悪さに驚いてしまいます。例えば妹が、「彼氏に会社のことで愚痴ると、彼氏が本気になって怒るから大変」と母親に言ったところ母親は

あんたの彼氏もアホねぇ。あんたの話なんてまともに聞くけんたい。あんたの話なんて聞き流すくらいが調度いいとに

と普通に返しています。妹はそれを聞いてバカ笑いして、その会話は終了です。母親とは思えない仕打ちです。また私も妹にパソコンのことなど質問されると

アホ。お前みたいな下手くそが横着するからだ。お前みたいな下手くそはこうやって確実なやり方を選べ

なんて言ってしまいます。妹はバカ笑いして、「いやいや、下手くそなりに横着したいったい」なんて言い返します。こういう環境がよくなかったのでしょうか?家族総出でタフにしてしまった気もします。

妹は165cmと割と長身で、兄の私が言うのも変ですがわりと綺麗です。口を開くまでは大人しい女性に見えます。国家資格をとり、個人事務所を持ってそれなりに仕事をこなしているようなので、何か勘違いした男性から誘われることも多いようです。しかし口を開いた最後、大抵の男は打ちのめされ、凹み、去っていきます。

私の妹が家族をもてる日は来るのでしょうか?親はあきらめムードありありな
激安ブランドコピー市場のですが、この先どうなるのでしょう?兄は草葉の陰からお祈りしています。


売れなくても辞めなかった理由とは? いとうあさこ自叙伝発売インタビュー

2010-10-15 12:18:28 | 日記

いとうあさこ初の自叙伝「あさこ、40歳。」インタビュー後編は、本作では書ききれなかったという、悩んだ時代を支えてくれた先輩芸人とのエピソード、40代となったこれからの目標を聞いた。

 

――ミュージカルに打ち込んでいた時代、「ネギねこ調査隊」を経てピン芸人になり、“浅倉南”ネタが誕生するまでの間、いとうさんを支えたものは?

コンビ解散後は落ち込んだし焦りもしたけど、辞めるというより「ピンでどんなネタしよう?」っていう悩みが強かったんです。あと、ちょっとずつ「売れるかな?」っていう時期があったから。「R-1ぐらんぷり」の準決勝まで行ったり、「エンタの神様」では、わたしが出た時間の視聴率が上がるから頑張ってって言われたり。「売れるかな?」って思ったらしばらくするとまた駄目で…そんな繰り返しでした。ライブに出たらウケたりしてたので、それが支えだったのかもしれないですね。

 

――そんな時期に事務所の先輩のウッチャンナンチャンさんと接したことや学んだことはありましたか?

ウンナンさんは、レベルが違い過ぎてほとんど会ったことがなかったんです。一度、南原(清隆)さんの舞台をチケットを買って見に行かせてもらったら、その時に会わせていただけて。本当に面白くて勉強になったので切々と伝えたら、南原さんが当時なさっていた“現代狂言”の練習に「よかったら顔出しなよ」って言ってくださって。それがきっかけで南原さんの周りを頻繁にウロチョロしだしたんです。けいこ終わりにみんなでお酒を飲みに行く時も一緒に行かせてもらって。すると、そこでも衝撃がいっぱいあったんです。一番大きかったのは南原さんと狂言師の方との「なんで後輩が自分から来ないんだろう」っていう話。「来たら教えてあげるのに、なんで(こちらから行かないと)来ないんだ」って。確かに自分の周りをウロチョロしてくれる後輩は仲良くなるけど、わたしからは行かないなって。南原さんと自分の関係もそれと同じことなんだって。先輩と触れたら、すぐこんなことが勉強できる。38歳になっても勉強できるなんて、なんて恵まれてるんだろうって思いました。芸人根性みたいなものを教えてくださったカンニングのお2人にもお世話になりました。中島(忠幸)さんはまだ売れてなくて、めっちゃバイトしてるころだったのに、わたしの家で「ギョーザパーティーするぞ」ってギョーザの材料とホットプレート、それに「和牛の特選だぞ」って、全部買ってきてやってくださって…。竹山(隆範)さんも家に呼んでくれて、鍋や酒をごちそうしてくださって。すごい兄さんだなって。そのイズムは引きずっています。だから、なんで(同じ事務所で)こんなにも教えてくれる先輩の南原さんを忘れてたんだろう…大事なのはそこなんだ、行くだけ行ってみればいいんじゃないかと、そう思うようになったんです。

そう考えると辞めなかったのは、“辞める”よりも、魅力的な世界だったからっていうのはあるかもしれない。わたしは常に“人”運がある気がしますね。

 

――40歳になった感想は? また、どんな40代にしたいですか?

誕生日に自分で企画したライブをやったんですが、「40」って書いた大きな紙から(松田)聖子ちゃんの「Precious Heart」に合わせてパリン! って飛び出して、40の壁を越えました! っていうのを最初にやったんですね。破って出たらお客さんが「おめでとう!」って…泣きそうになったんです。突き抜けたというのを、実際に形でやってみたら気持ち良かった。これから40歳になるのが怖い方がいたらお勧めします。わたしが作ったのはサイズが200cm×180cm。障子紙を2枚はがれやすいのりで貼って、2枚の手前の方だけ十字に切っといて、そのセンターに指先から入るとすごくいいですよ。曲は聖子ちゃんの「Precious Heart」で! 40代の目標は健康でいたいというだけ。何にもないところで転ぶ率も増えていってますから、危ないです。あと、40歳の誕生日を華やかにし過ぎたので、41歳の誕生日で30歳を迎えた時のように、泣きながら赤ワインを飲むっていうことがないように。毎年毎年が楽しいといいんですけどね。でもそれも考え方1つですから。わたしはある状況で悩んだときに、自分の中の優先順位をつけるのが上手なんです。恋愛もそうですよね。“楽しい”を優先したら、“1200万円払う”という、人から見たらマイナスでも、自分にとってはどうでもいいというか、そういうことなんです。


いとうあさこがスーツでイメチェン!? 「後輩の芸人に見せつけたい」

2010-10-15 12:15:59 | 日記

通販コピーブランド のイマージュが、インターネットで先行販売している'11年春の新商品「踊れる!ラクティブスーツ」のPRイベントを13日、都内で開催。同商品の宣伝部長に就任したいとうあさこが出席した。

同商品に身を包み、軽快なダンスを披露しながら登場したいとうは、「(ダンスで)こんなにまたを開いたら、いくら何でも大事なところが出てしまうんじゃないかなと不安でしたが、本当に大丈夫なんですね」と同商品の伸縮性に驚き、「わたしはピンク・レディーを模して大きくなってきて、ダンスと一緒に成長してきた(笑)。なので、スーツを着てこれだけ自由に踊れたら幸せですね」と満足げに語った。

また、宣伝部長になった感想を「今まで“長”がつくものはやったことがなかったので、大変誇りに思っております」と笑顔で語り、スーツに対しての印象については「わたしは、19歳で家を出てから21年間、スーツは“ノー着用”でした(笑)。正直、堅苦しいとか、窮屈とかスーツのイメージがよろしくなかったんです」と明かした。だが、「これは着てみると、すごく動きやすい。わたしの大好きなY字バランスのポーズも完ぺきにできますね! こんなスーツはなかなかないと思います」と、同商品の着心地の良さに太鼓判を押した。

最後に、同商品を着たいシチュエーションについて「わたしは普段、“森ガール”っぽい服を中心に着ているんですけど、男性の方はギャップに弱いと聞くので、後輩のお笑い芸人の楽屋にこれを着て入っていきたい。みんなの前では、森ガールかレオタードしか着ていないわたしですが、『あさこ姉さん、どうだい?』と見せつけたいと思います。(相手は)若ければ誰でもいいです!」と願望を明かした。

なお、同商品は日本テレビの通販バラエティー番組「ウケウリ!!天野QC研究所(ラボ)」とタイアップ。いとうが、10月29日(金)放送分から3週にわたって出演し、同商品をPRする。


「ドバイ・モール」でウォーホルのファッション・イラストレーション展

2010-10-14 11:20:38 | 日記
【10月14日 MODE PRESS】アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ(Dubai)にある世界最大級のショッピングモール「ドバイモール(Dubai Mall)」内で7日から20日まで、ポップアートの巨匠、故アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)のブランドコピーファッション・イラストレーションが展示されている。





 「The Bazaar Years 1951-1964」と題された同展では、ウォーホルがファッション誌「ハーパース・バザー(Harper’s Bazaar)」のために手がけた作品を展示。モール内の広い通路に設けられた展示スペースには、一般買い物客が足を止めて、米国外で初公開となる作品を鑑賞した。

若さよりも成熟した魅力と個性を、11年春夏シーズンのモデル・トレンド

2010-10-14 11:02:30 | 日記
【10月12日 AFP】11年春夏シーズンのランウェイでは、一風変わったモデルのキャスティングが目立った。年齢を重ねた大御所やプラスサイズのモデル、街でスカウトされた無名のモデルなど“若く・美しく・細い”という従来の概念を覆すようなキャスティングだ。


■キッズはもう十分?!

 「シャネルコピー(CHANEL)」では1980年代にミューズとして活躍したモデルのイネス・ド・ラ・フレサンジュ(Ines de la Fressange)を起用。カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は「若いロシア人モデルはもう十分に見てきたからね。キッズはもう十分。ファッションをティーンエイジャーのために取っておく必要はない」と語る。

 「エマニュエル・ウンガロ(Emanuel Ungaro)」のデザイナーに就任したジャイルズ・ディーコン(Giles Deacon)はプロだけでなく一般女性もモデルに起用。「私は子どものためでなく、女性のためにデザインをしています。『女性』とは全ての年代を意味します。彼女たちが強い個性を持ちあわせていることが重要なのです」と解説する。ショーにはディーコンの友人である「ヴォーグ ニッポン(VOGUE NIPPON)」のエディター、アンナ・デッロ・ルッソ(Anna Dello Russo)も登場。モデルを引き受けた理由について「だって、断る理由がないでしょう?」とアンナ。

■求められる個性

 「バレンシアガ(BALENCIAGA)」では街でスカウトした素人モデルや、現在妊娠5か月のミランダ・カー(Miranda Kerr)がトップモデルたちと一緒にランウェイに登場した。デザイナーのニコラ・ゲスキエール(Nicolas Ghesquiere)は「女性の個性を消し、クローンを作るような傾向があります。しかし、私は彼女たちの個性を強調したいと思います。異なるタイプの女性を見せたいのです」とコメント。

 「ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)」でも、一般的な“モデル体型”とはかけ離れたミュージシャンのベス・ディットー(Beth Ditto)とベテランモデルたちがランウェイを飾った。

■自信を持った女性

 パリのモデル事務所「Marilyn Agency」のブッキング担当Patrick Lemireは、ファッション業界は真のターニングポイントに差し掛かっていると語る。「もはやデザイナーたちは、女性として成熟してない少女を求めていません。より成熟し、自信を持った女性が再び必要とされています。何事も恐れず、どんな服を着ても心地よくいられる大人の女性です」とLemire。「実体を持った女性とリアリティへの回帰を嬉しく思います。デザイナーたちは、本当にエレガントな女性になるには『本当の女』でなくてはならない、ということことを分かっているようです」

 『リアリティのある女性』をキャスティングするトレンドは10/11年秋冬シーズンから起こっていた。「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」ではレティシア・カスタ(Laetitia Casta)やエル・マクファーソン(Elle Macpherson)といったグラマラスな体型のモデルを起用した。

■アイデンティティを確認

 ファッションコンサルタントのジャン・ジャック・ピカール(Jean-Jacques Picart)は、「経済危機によって、人々はより厳格になり、服には何かしらの意味が求められるようになりました。すなわち、20~50代のさまざまな 女性が着ることができる服でなくてはいけないのです」と解説する。

 また、ピカールは「メゾンのアイデンティティを確認するために」80年代や90年代に広告塔として活躍したモデルを起用するようブランドに提案 したという。その背景について「当時のメゾンの顔は、ファッションの黄金期と結びついています。ファッションがもっとも盛り上がっていた時代と繋 がっているのです」とピカールは語った。(