1月20日の読売新聞に、文科省がいじめの定義を見直すと言う記事がありました。
検討は、適時してゆくのは良い事で、修正も改善の方向ならば良い事だと思います。
“いじめの定義” これは、難しい事だと思います。
いじめを、定義の枠の中に入れようと言うのですから、困難な作業でしょうね。
組織の中で、教育の場という組織の中で、いじめに均一的に対処しようという時には、一定の“定義づけ”という事は必須な作業だと思います。
困難な作業だと思いますが、しっかり関係機関にはやっていただきたいと思います。 さらに、定義づけをした後も、定期的なしっかりとした、再検討もしていっていただきたいと思います。
私は、“いじめ”を定義付けるのは、完全には不可能だと思います。
でも、先に書いたように、組織として行動するには、しなければならない事でも
あると思っています。
私達、私達というと語弊があるかもしれませんが、私が、“いじめの諸問題”で
望んでいること、切望している事は、
どの子ども達も、のびのびと、たのしい子供時代を過ごして、
安全に健康に、こころも身体も大人へと成長していってくれることです。
もし完璧ないじめ定義ができたとしても、この定義というのは、
発生したいじめ的問題を、組織が「裁く」ときの「ものさし」が
できたということに過ぎないと思います。
そして、いじめをしようともし考える子供がいたとすると(仮定です)
このものさしに当てはまるかどうかを考えて、抜け穴を探そうとするかも
しれません。(良くない方向へ賢い子ですね)
また、学校などの組織は、その問題が“ものさし”内の事かどうかを
考えます。 その問題の悲惨さ酷さではなく、“ものさし”で考えます。
女子学生の自殺問題の時、そうでしたね。
学校側は、「いじめには当てはまらない。いじめではない」という見解が
最初でした。
また、全国の学校のいじめ件数が 0ゼロ。 というのも、以前の“も
のさし”が学校の対応を安易にさせてしまっていたのでは。
是非、学校関係諸組織へは、これからの“定義”に安穏(あんのん)と
することなく、人と状況をしっかり見ていって欲しいです。
そして、先生、教師の皆さんへは、話ができる人になっていって欲しいと
思っています。
子ども達へ、良き教育と“話”ができる教師になっていって欲しいと思い
ます。
先生も忙しいです。
だから、現場の先生方が能力を発揮できる環境作り、必要だと思います。
でも、実際、教師の中には、自覚の無い教師もいるのが厄介です。
良い環境に甘んじてしまう先生もいて、それがまた教師への教育プログラム
などの教師の身動きの自由を無くす方向へと動く事もあるんですよね。
子供についても言えるのですが、その周りのいろいろな立場の人。
総合的な“人作り”が、いじめ問題改善の一つの方向になっていくと
良いのではないかなって思っています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
検討は、適時してゆくのは良い事で、修正も改善の方向ならば良い事だと思います。
“いじめの定義” これは、難しい事だと思います。
いじめを、定義の枠の中に入れようと言うのですから、困難な作業でしょうね。
組織の中で、教育の場という組織の中で、いじめに均一的に対処しようという時には、一定の“定義づけ”という事は必須な作業だと思います。
困難な作業だと思いますが、しっかり関係機関にはやっていただきたいと思います。 さらに、定義づけをした後も、定期的なしっかりとした、再検討もしていっていただきたいと思います。
私は、“いじめ”を定義付けるのは、完全には不可能だと思います。
でも、先に書いたように、組織として行動するには、しなければならない事でも
あると思っています。
私達、私達というと語弊があるかもしれませんが、私が、“いじめの諸問題”で
望んでいること、切望している事は、
どの子ども達も、のびのびと、たのしい子供時代を過ごして、
安全に健康に、こころも身体も大人へと成長していってくれることです。
もし完璧ないじめ定義ができたとしても、この定義というのは、
発生したいじめ的問題を、組織が「裁く」ときの「ものさし」が
できたということに過ぎないと思います。
そして、いじめをしようともし考える子供がいたとすると(仮定です)
このものさしに当てはまるかどうかを考えて、抜け穴を探そうとするかも
しれません。(良くない方向へ賢い子ですね)
また、学校などの組織は、その問題が“ものさし”内の事かどうかを
考えます。 その問題の悲惨さ酷さではなく、“ものさし”で考えます。
女子学生の自殺問題の時、そうでしたね。
学校側は、「いじめには当てはまらない。いじめではない」という見解が
最初でした。
また、全国の学校のいじめ件数が 0ゼロ。 というのも、以前の“も
のさし”が学校の対応を安易にさせてしまっていたのでは。
是非、学校関係諸組織へは、これからの“定義”に安穏(あんのん)と
することなく、人と状況をしっかり見ていって欲しいです。
そして、先生、教師の皆さんへは、話ができる人になっていって欲しいと
思っています。
子ども達へ、良き教育と“話”ができる教師になっていって欲しいと思い
ます。
先生も忙しいです。
だから、現場の先生方が能力を発揮できる環境作り、必要だと思います。
でも、実際、教師の中には、自覚の無い教師もいるのが厄介です。
良い環境に甘んじてしまう先生もいて、それがまた教師への教育プログラム
などの教師の身動きの自由を無くす方向へと動く事もあるんですよね。
子供についても言えるのですが、その周りのいろいろな立場の人。
総合的な“人作り”が、いじめ問題改善の一つの方向になっていくと
良いのではないかなって思っています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。