あのかどを曲がって

自分のこと、家族のこと、思いつくままに綴っていきます

パニックを起こせること

2005-09-30 17:07:39 | 発達障害
今日、自閉ちゃんのお母さんと話をしていて、うちの野原の癇癪がひどくて参っている話をしました。
同じ立場のお母さんの話を聞く、ピアカウンセリングも手がけている方なので、とても丁寧に聞いてくださって、「うちも3歳くらいがいちばんひどかったから、本当によくわかるわ。大変よね。」と頷いてくれました。
そして、「パニックを起こせるっていいことなんだよ。私もかつてそう言われた。」と話を続けられました。

パニック起こすのがいいこと?

「パニックも困る形ではあるけれど、本人からの発信。パニック起こせない子、起こさない子の方が、後々大変だったりするのよね。」

う~ん、そうか。

パニックという形ではあれ、発信があるからこそ野原にどう対応するべきか、一日の流れや生活のメリハリを見直そうと思うようになったけれど、これが大人しい子だったら、私は家事や仕事にかまけてほったらかしにしてしまうってこと?

かもしれない・・・いや、きっとそうだ。

実際、空と森は大人しいタイプであんまり苦労しなかったけれど、空は小学校低学年まで笑わない(無表情な)子だったし、森は私が仕事に夢中になりすぎると大きな病気をする子でした。
野原は毎日ぎゃーぎゃーうるさいけれど、昨年、そして今年、保育園を休んだことはほとんどありません。

そうか~、パニックできることって大切なのね。
目から鱗、また肩の荷が軽くなった気分でした。

先生、お願いします

2005-09-29 09:24:54 | 
先日、学校から電話がありました。
留守電にメッセージが残っていたので、こちらから掛けなおして先生と話をしました。
この学校の先生方は熱心です・・・午後7時や8時に電話しても大抵繋がります。

「お電話いただいていたようですが。」と切り出しました。
先生からの用件は「10月までに済ませておかないといけないことがあるので、海に登校して欲しい。」という連絡でした。
海には何度か「学校に行かなくていいの?」と確認していたけれど「いいの~、学校は10月から~♪」とのんきな返事が返ってくるのみでした。
また何か勘違いしてるんじゃない?とかなり心配だったのですが、そこでいくら私が言ったところで海が同じように心配するなんてことには絶対にならないので、諦めて放ってありました。
うう・・・やっぱり、9月も学校に行かなくてはいけなかったのね。
確かに本格的な授業は10月からだけど、9月も登校しなければ10月からの授業に入っていけないってことだったんだよね。
海は「~で、授業開始は10月から」か「授業開始は10月ですが~です。」の「~」の部分をすっかり聞き漏らしているんだわ。
毎日、しっかり登校してホームルームがある普通校とは違って、とても融通の利くカリキュラムが海には災いしてしまっています。
いったい自分がいつ登校して何をしておかなければならないかが、わかっていないんです。

困ったな~。

海と相談して「アスペルガー症候群」という障害名については学校には言わないことにしてあるけれど、やっぱり言った方がいいのだろうか?と迷いました。
でも、もうこういったことも含めて海自身に決めさせるべきだし、私が勝手なことをするのは海の人権侵害だよな~と思い、障害のことには触れず終いでした。

ただ、この際海の障害特性について具体的にお話してお願いしてみようと思いました。
・ 耳で聞くだけでは正確に情報を取り込めていないこと。
・ 目で見る方が確実に理解できること。
・ 一度思い込んだら、けして疑わないこと。
・ 夢中になっていること以外はなかなか注意が向けられないこと。
など、具体例を挙げてお願いしてみました。

先生も思い当たる節があるようで(苦笑)「そうですね。」と聞いてくださいました。
先生、ありがとう~(涙)どうかどうぞよろしくお願いします(拝)
最後に「学校の教師みんな、海ちゃんのいいところもいっぱい知っています。じっくり付き合っていきますので、あまりご心配なさらないでください。」と言っていただきました。
う~、ありがたい、本当にありがたいです。
海、先生方に甘えずにもうちっとだけ頑張っておくれーー!!

今朝も大騒ぎ

2005-09-28 08:49:37 | 野原
今朝も起き抜けから大騒ぎでした。
おかあさんが隣にいない~!!と大泣きから始まりました。
その泣き声に起こされた寝ぼけ眼の風さんには迅速かつ的確な対応ができない・・・。
なす術もなく泣き叫ぶ野原を抱いて二階から降りてきます。
そして居間にすとんと下ろそうとするんです。
さらに大泣きの野原。
「どうしたの?どうしたいの?ジュース飲む?」と話しかけながら、体温計を引き出しから出してくる風さん。

それはまずいでしょう。

まず、今の野原の気持ちを受け止めてやることからしか始まらないと私は思うのだけれど、風さんは泣いている野原を何とかしないといけない、そして「朝は忙しいから次の動作に移りたい」気持ちでいっぱいなんです。

いつもそう。

野原は目が覚めたらお母さんがいなかったことに泣いているのに、その悲しかった気持ちが癒されないうちは次のステップには進めません。
そこのところをクリアせずに自分の持っていきたい状態に無理やり野原を引っ張って行こうとするので、癇癪はさらにヒートアップしていくわけです。

そして最高潮に達する頃、「おとうしゃんなんか嫌い!」と喚き、手のつけられない野原を風さんは見下ろしているだけ(責任放棄状態ですね)になります。
朝は空を送り出すまでにお弁当を用意しないといけなくて、あれよあれよという間にひどい状態になっていくのを台所でただ見聞きするしかありません。

今日もお弁当を詰め上げて、後片付けを後回しにして野原のそばまで行き、「抱っこしよう。」と声をかけさっと抱き上げました。
外は雨なので玄関から雨が降る様子をふたりで眺めました。
この頃にはあんなに泣き叫んで手のつけようのなかった野原が泣き止んで降る雨を眺めています。
しっかり抱っこしてやりながら「今日の朝ごはんは何にしよう?茶色いパンと白いパンがあるよ。見て決める?」と促すと「まだ、雨見てる。」という野原。
しゃーないな~と私もお付き合いです。
でもそうやって野原の意向を尊重してやれば、5分ほどで「おうちに入る。」と言ってくれます。
そしてパンの引き出しに直行。
朝ごはんが食べれる状態になりました。

本当は役割を変更すればいいんだと思います。
野原係を私がして、お弁当は風さんが作ればいいんです。
でも朝早くに起きることが風さんにはできないし、風さんの作るお弁当は家族には不評です。(やっぱり、見栄えが悪いんですよね。)
野原も一緒に起こしてお弁当作りをお手伝いしてもらうには時間が厳しい・・・。
でもこう毎朝毎朝同じことを繰り返すのは大変だし、野原もかわいそう。
何か楽しいことを朝から用意しないといけません。
う~ん、何にしようかな・・・。

しかし、私が玄関先で野原と過ごしている間もぼーっと居間に座っていた風さん・・・腹立たしい限り。
流しの洗い物を片付けて、朝ごはんの用意せんかい!!と怒鳴りたかったです。
お疲れ様~、野原、そして自分。

パニックは何故起こるのか?

2005-09-27 08:49:12 | 野原
日々てこずっている野原の癇癪。
観察してみてどんな時に起こるのかは掴めました。
で、少しだけど昨日書いたように対策も考えて始めることができました。
ここまできて、「何故、野原は癇癪を起こすのか?」について考えています。(ようやくかよ~。)

毎日毎日、野原の起こす癇癪にどう対応するか、そればかりを考えて、何とか癇癪が収まったらぐったりしてしまって、何故かまでは考えられずにいました。
癇癪自体も私が困る(家事ができない、手をとられる、煩わしい)から、起こさないで欲しい、つまり、私自身が困ってるのよという視点からしか見れずにいました。

じゃあ、視点を変えて野原は癇癪を起こしていること、起こしている自分をどう感じているんだろう?と思いました。
泣いてるし、喚いてるし、嬉しいはずはないよな~。
悔しい、悲しい、わかって欲しい、いろんな感情が入り混じっているだろうけれど、癇癪を起こしている自分にはきっと「困っている」に違いない。
う・・・「自閉症の学習会」で「困っているのは誰なのか?いちばん困っているのは子ども本人です。」って習ったんだった・・・。
そうか、やっぱり野原がいちばん困ってるのね。(今更ですが・・・)
これは何とかしてあげないといけない。

何故にはいくつか答えがあるように思うけれど、最も大きな要因は見通しが付かない混沌とした時間だということでしょうか?
そして、何より野原にとって楽しくない時間(生活)であるということ・・・。
毎日の暮らしは楽しいばかりじゃないよと言われるかもしれませんが、大人だったらやがて来るはずの休日を励み(楽しみ)に楽しくない日常を乗り切っているのかもしれません。
一日の終わりの晩酌を楽しみに日中頑張っている場合もあるでしょう。
この「やがて来る休日」や「一日の終わりの晩酌」をわかっていることが見通しだと思います。
その見通しがあるからこそ、今をがんばって生きていける。
「もう、あなたの人生には楽しいことがひとつもありませんよ。」と言われたら、生きていく意味ってなくなりそうですよね。
ここまでおおげさではないかもしれませんが、野原の毎日は「いつ、どこで楽しいことが待っているのかわからない生活」になってしまっているのかもしれません。
まだ、今日が何月で何日で何曜日なのかわかっていないし、後何日保育園に行けばお休みになるのかもわからない野原。
自分が同じ状態だったら、しんどいだろうな~と思います。
これは野原にも楽しい生活を作ってやらないといけないし、わかってもらえるようにしないとだめってことですね。
まだまだ待つことが難しい年齢です。
毎日の生活の中に楽しいことを散りばめてあげる必要があるのかな?
これから、少しずつ野原の楽しみを一緒に探して増やしていこうと思います。
上手に楽しいことを取り入れて見通しのつく毎日を作らなくては・・・。
そして、こどもはいまひとつ得意でない私ですが、野原との生活を楽しみたいと思います。
子育てはもう最後。
それも必ず終わりが来ます。
後悔しないように無理のない努力をしていきましょう。

お手伝い大作戦

2005-09-26 08:25:08 | 野原
朝や夕方にパニックを起こす野原。
パニックを起こしてから何とかするのではなくて、パニックを未然に防ぐ方法はないかなとずっと考え続けてきました。
野原がパニックを起こすのは、私や風さんが用事をしていたりで、野原の相手をする余裕がない時、そして野原も手持ち無沙汰な時が多いように思います。
私がパソコンをしていて呼べば振り向いてもらえる、風さんが新聞を読んでいてすぐに話し相手になってもらえる、そんな風であれば、必ずしも野原の方を向いていなくても平気なようです。
いちばん手っ取り早くて確実なのは野原の好きな食べ物を与えておくことです。
お菓子やジュース、果物。
でも食事前にそういった物を与えるのは気が進まないし、食べ物で釣るっていうのあんまりいいことじゃないですよね。

そうだ!一緒に家事をしてもらったらどうだろう?と思いつき、やってみることにしました。
食べること大好きな野原ですから、お手伝いはお料理に関することにしようと思いました。
夕食の支度は塾に出かける森のために30分ほどで作ってしまわなければいけないのですが、簡単なお手伝いと台を持ってきて私があれこれ作るのを説明しながら見てもらうことにしました。
「お手伝いをして~♪」という呼びかけも野原の「お姉ちゃん心」をくすぐるようで嬉しそうに踏み台を持ってやってきて、「これは何?」「これは焼かないと食べれない?」と興味津々です。

やった~、成功♪ 

このままおままごとの延長みたいなクッキングに繋げていけないかな~?
一緒にお料理できるようにしたいな~と私も嬉しくなりました。
かわいいエプロンを作ろう♪
ホットプレートクッキングもいいな~♪
私自身が楽しみになってきました。
私も楽しく、野原も楽しく、やっていきます。

後日、餃子を作った時に「皮」を一枚ずつ渡してもらうお手伝いをお願いしてみました。
餃子を包む作業を夢中になって見て、「おねえちゃんになったら私もする!」と宣言していました。
我が家は200個ほど包むので(笑)途中で飽きてしまって「もういいです。お終いにします。」と居間に戻って遊び始めました。
私が遊んでいないということが判ったのか、その後はひとり大人しく私の作業が終わるまで遊んでいてくれました。
お手伝い大作戦、上手に実行しながら野原の成長に繋がる楽しい活動にしたいな~。

パニックの時に話し掛けないで(願)

2005-09-25 00:28:57 | 風さん
最近、野原のパニックが頻発しています。
「魔の2歳児」だしな~。(それにしてもひどいんですが)
で、そのパニックに拍車をかけてくれる風さんです。

野原は今なんでも自分でやりたい期です。
さらに、自分の中で「これはこうしたい。」「これはこうあって欲しい。」と思う形がきちんとあるようです。
野原の思っている予定が見えない私たち。
当然、野原の予定とは違う関わりをしてしまうことがしばしばです。
そうすると、「これは自分でしたかった~。」「これはおかあさんがするの!!」といった具合にパニックを起こします。
いきなり突然に喚きだし手がつけられなくなります。
一度狂ってしまった予定をもう一度戻そうとしてもそれはすでに間違ってしまった予定なんだからと訂正が受け入れられないようです。

こうなったらお手上げ。
黙ってパニックが収まるのを見守るか、全く違うことを提案して気持ちを切り替えてもらうか、このふたつしか方法を思いつきません。
なので野原のパニックが始まると「さあ、どうやって気持ちを切り替えられるかな?」と様子を見ながら考えるのですが、そうすると風さんが野原に絡んでくるのです。
「なに?なに?どうしたの?どうしたの?どうしたいの?どうしたいの?」
といった具合に意味のない言葉の羅列を大声で矢継ぎ早に野原に投げつけます。
そうすると野原はさらに声高く喚きだし、「おかあしゃんがしないといけなかったの!」だの「自分でしたっかった~!!」だの、切れ切れに叫びます。
そこで何だって字義どおりに受け取る風さん。
「野原、それはだめだよ。自分でできないよ。」「おかあさんは忙しくてしてあげられないよ。」と野原の叫びに答えます。
「いやーー!おかあしゃんが良かったーー!」とさらに叫ぶ野原。
結局、風さんの声かけでパニックになった原因から離れられなくなって、気持ちの切り替えとはどんどん逆方向にはまっていく野原。
ここまでくると他の何かで気持ちの切り替えをすることは不可能になってしまいます。
さらにヒートアップするともう本当に手がつけられなくなるので、私も家事や用事を放り出し、野原を抱きかかえ表に連れ出すしかありません。

野原がパニックを起こすのは朝や夕食前の忙しい時間帯です。
タイムリミットのあるお弁当作りや夕食作りの最中にはとても対応ができません。
結局、最高潮に達した野原をニュートラルに戻してやるという大変な作業になってしまうわけです。
抱っこどころか触られるのも許せない!という野原に「おんもに行こうね。」と優しくでも確実に耳に入れてやって、何とか抱っこに持ち込んで外に連れ出しゆっくり家の周りを歩いて、近くの公園のベンチに座って背中をとんとんしてやるとようやく野原から「お家に帰る。」という言葉が出ます。
ここまでが大変(涙)
パニックが最高潮に達する頃には風さんは匙を投げてしまって、野原を前に白旗を振るふてくされた情けない父親に変身しています。
毎回、必ず同じ経過を辿っているんだから、もう少し自分の何が問題なのか、自分がどうすればいいのかを考えてくれればいいのにな~。
でも、自分は間違っていない、癇癪を起こしている野原が悪いという論理で挑んでいるであろう風さんには気付けないだろうし、指摘しても「じゃあ、俺が悪いって言うのか!?」という返事しか返ってこないんだろうな。
せめてせめて、野原が癇癪を起こした時に「大声」で「矢継ぎ早」に話しかけるのだけは止めてほしいと切実に思うんだけれど・・・。
何と説明したものか、悩んでしまっている私です。

片付けないと気がすまない男

2005-09-24 11:28:08 | 風さん
昨日は片付けられない海の話を書きました。
今日は片付けないと気のすまない男、風さんのことを少し・・・。

風さんは片付け魔です。
毎日、帰宅するなり「あ~、またこんなに散らかしている!」と腹立たしげに部屋の片付けを始めるのが毎日のルーティンです。
使いっぱなしの食器類は流しへ、床から拾い上げたコミックは整えて所定の本棚へ、海のものはまとめて部屋へと手際よく片付けていきます。
その間中、ぶつぶつと怒りを口にしながらなので、私はうんざりして「放っておけばいいのに~。」と思います。
でも、風さんはしぶしぶ家事の一環として片づけをしているというより、片付いていないと耐えられないというのがぴったりの様子です。
一緒に帰宅した野原が「おやつ~!」だの「おしっこ~!」だの訴えていても、「それよりまず片付けないとだめなんだよ!」と言わんばかりに動き始めます。
相手の気持ちや今の状況は二の次。
目の前からあれこれが消えてなくなるとようやくほっとするようです。
そしてほっとした瞬間から何を片付けたのか、どこに片付けたのかを忘れていきます。
なので、せっかく片付けたにも関らず、周囲から感謝されることはほとんどありません。
「私の○○をいったいどこに隠したのよ!」と私に詰め寄られたり、「おとうしゃん、おやつちょうだい!」と野原に抗議されたりします。
私は記憶力抜群で「ソースが×本あったはず」とか「以前こういうときに使おうと思って買っておいた○○」といった具合に憶えているのですが、風さんが片付けてくれるのでどこにあるかまでを記憶できなくなってしまって、あるはずなのに見つからない!状態が頻発していらいらします。
私がいらいらと問いただすと風さんはすっかり忘れてしまっているので(悪気はないのでしょうが)「自分は片付けていない。」「そんなものは元々存在しなかった」と断言するのです。
それがさらに私のいらいらを怒りへと変化させます。
「記憶力もないのに、信念を持って断言するな!」と爆発し、「こんなことになるなら、物の山に囲まれて暮らしているほうが便利だ!」と言い返してしまう結果になります。

我が家の構成メンバーを考えれば、構造化が必要だと思います。
どこに何があるのかを誰が見てもわかるようにすることが大切なんだろうなと思います。
その時の思いつきでソースをAの引き出しにしまったり、Bの戸棚にしまったりはだめってことですね。
で、しまった場所がわかるようにラベルを貼ったり、見取り図作ったりも必要なのかな?
家を複数の人間できりもりするなら当然するべきことなのかもしれません。
風さんとふたり、もう一度家の構造化に取組もうかな・・・考えるのは風さんも私も大好き!(爆)
毎日仕事でお互い休みも少ないし、手付かずになっていた部分ですが、今の家に住み始めてそろそろ9年になるし、一度引っ越すつもりで片付けないといけないということでしょうか。
今夜にでも風さんと相談してみよう・・・。

片付けられる女になって欲しい

2005-09-23 08:55:08 | 
海が最後に自宅を出る人になってしまう日が続いています。
そういう日、いちばん最初に帰った人はどっと疲れを覚えることになります。

パソコンのディスプレイの電源が入ったままで壁には野原のベビー布団が立てかけてある。(布団にもたれてパソコンしてたのね。)
机の上に飲み残しのお茶が入ったコップ、お皿とフォークが。(何を食べたんだ?)慌てて、冷蔵庫を覗いてみると梨がひとつなくなっている。
爪切り、鼻をかんだティッシュ。(爪切りを片付けようとしたら引き出しが開いていたわ。手間をはぶいてくれてありがとう。)
居間の床には読みかけのコミック3冊。
台所の床に転々と落ちている服。
流しには蓋の開いたコンタクトケース、眼鏡、歯ブラシ・・・。
ガス台の横に空っぽのかばん!(中身だけ他のカバンに入れ替えたのね。)

風さんがいちばんに帰ってくると「もう!またほったらかし!」とぶつぶつでかい声で独り言を言いながら、全部拾い上げ2階の海の部屋に持って行きます。
私は夕食の支度を秒読みでするために「またかよ~。」と横目で見つつ、ほったらかし。
でも、自分の部屋ならいざ知らず、家族の共用部分でこれをやられると、やっぱりあれこれ片付けないと始まらないので大変困ります。
海に「必ず、出かける前に自分のいた場所を振り返って何か落ちていないか確認しなさい。」と言うのだけれどなかなかできません。
ただ、風さんがするように全部海の部屋に持っていっても、解決にはならないんですよね。
だって、自分が片付けていなかったものたちが把握できていないし、それが部屋に戻ってきていることもわからない。
なので、大き目のかごを1つ用意して海が置き去りにしたものたちを全部この中に突っ込むことに決めました。
少なくとも誰かが尻拭いして、それに海は気付かないってことにはならないから。
でも本人は平気です。
かごに突っ込まれたことを怒りもせず、だからといって片付けもせず、必要なものをごそごそとそのかごから出して暮らしています。
こんなんでいいのかな~?
部屋をきれいにするのはやっぱり構造化が必要だし、本人が望まないのにしてはいけないとサポーターさんに言われているのでもう諦めたけれど、せめて自分があちこちで散らかしたものくらい、自分の陣地に持ち帰って欲しいです。
こうなったら、ごみにして捨てるしかないか・・・でも捨てられても気付かずに「あれ~?どこかいっちゃった。」とまた買い込んでくるかもしれません。
片付けられる女・・・どうやったらなれるでしょうか?
誰か教えて~(涙)

ププッ ( ̄m ̄*)

2005-09-22 08:46:56 | 発達障害
昨日の記事、題名と中身が一致していませんね。
今朝読み返して、笑ってしまいました。

海には家にあるものは何でも食べたり飲んだりしてもいいというルールがあるようです。
今晩食べるはずだったおかずと誰が食べてもさほど支障のないインスタントラーメンとが同じ「食べてもいい」ものに見えるというのでしょうか・・・。
仕事から帰って、いざ夕食の支度に取り掛かろうとすると、あるはずの食材がすっかりなくなっていたりして慌てることもしばしばです。
ただ「食べていいものかどうか」を自分で判断しなさいというのはとても難しいみたい。

だったら方法はふたつ。
1.自分の判断だけで家のものを食べない。必ず、食べてもいいものかどうか誰かに許可をもらってからしか食べない。
2.海に食べていいものかどうかの区別が付くようにする。

1は結局、海以外のキーパーソンが必要になってしまうし、結果指示待ちになる可能性も高く、あんまりいい方法とは思えない。
2ができれば海も食べれると判っているものだけを安心して食べることができる。

・・・ということで「名前を書こう!」です(爆笑)
でも、空や森に「自分のジュースとかお菓子には名前書いてね。」と頼んだら「え~、なんでこっちがそこまでしないといけないの?」とブーイングに遭いました。
確かに、一理あるんだけれど、飲もうと思って冷蔵庫にしまってあったジュースがなくなっちゃうのとどっちがいい?
当面は私が代行して名前を書いてみようと思います。
それで効果があったら、きっと家族も書いてくれるようになるでしょう。(甘いか!?)
まずは野原のジュースに名前を書かなくちゃ!

名前を書こう!

2005-09-21 20:50:25 | 
野原のジュースが立て続けに2本も飲まれてしまったのを始め、海は誰かの所有であろう食べ物飲み物を勝手に食べてしまう、飲んでしまうことがよくあります。
先日は森の缶コーラ、その前は空のジュース・・・

海に「どうして野原のジュースを飲んだの?」と怒りモードで尋ねたら「のどが渇いていたから。」というお返事でした。

がくっ・・・(脱力)

私はどうして「飲んだか?」と聞きたかったのではなく、どうして「野原の」を飲んだのかを聞きたかったのだけど・・・。
聞き方がまずかったのね。
でも最近おかあさん疲れてて、言い直す気力がないの。
「新しいのを買って返すように!」と厳重に注意して終わりにしました。
こういう時に「おかあさんは何が聞きたかったのか、どう言って欲しいと思って言ったのか」を教えないといけないんだろうな~。

ううう・・・早く元気を取り戻さねば。

ジュースがない!

2005-09-20 20:41:58 | 風さん
冷蔵庫には野原が飲むはずのジュースがふたつあるはずでした。
でも海が飲んでしまってありませんでした。
(空と森が私に確認も取らずに飲んでしまうことは考えられません。)
私は冷蔵庫を覗いて「あ~あ」(またか・・・)と心の中で呟いて、野原が気付かないうちに新しいのを買わないと・・・と思っていました。

今朝、冷蔵庫を覗いた風さん。
「野原~、りんごのジュース飲んだ?みかんのジュース飲んだ?」
(げ!げげっ!野原に聞くなよ~。)
「飲んでない!野原のジュース、いるの!野原飲むの!」(ぎゃおおおおおーーんとパニックを起こす野原)
そんな野原にとんちゃくなく、「ふ~ん、誰が飲んだんだ?」とまたまた大きな声で呟く風さん。(大声は地声だけど)
その声に反応して野原の叫びも大きくなります。
「野原のジュース!ねえねが盗ったのーー!!」(あてずっぽうとは言え、何と正確な推理!!)
思わずもうこれ以上ジュースの話に触れるなと風さんに目配せを送る私。
「え?何?」とこれまた全く私の言いたいことに気付けずにでかい声で聞き返す風さん。
「もうジュースの話はせんといて!」
小声で野原に聞こえないように、でも怒ってるのよ!という表情をこめて言う私。
「なんで?野原のジュースがないんやで!」(怒)

はあぁ~(脱力)

風さんが気が付いたとたんに口に出さなければ、野原のパニックは起こらなかったわけで、今ジュースがあったとしても野原には飲ませるわけにはいかなかったわけで、ないとわかってもジュースがどこかから湧いて出てくるわけでもないし・・・だから、口に出さないで、黙ってひとりで推理して納得するか、野原に聞こえないように私に尋ねて欲しかったのよおぉぉぉぉーーー!!
何だか朝からぐったりで気持ちを切り替えないと仕事に向かえなくて、結局野原のジュースをもう一回買っておいてやろうと思ったことをすっかり忘れてしまいましたとさっ。

続きを読了

2005-09-19 17:29:12 | book
昨日紹介した「ありのままの子育て」の続編である「自立への子育て」そして「お仕事がんばります」を読み終えました。

「自立への子育て」はどの専門書よりもすばらしい専門書です。
できるようになることを目指すのではなく、こどもが「幸せになる」ことを子育ての方針にするという明石さんの言葉は障害を持つ持たないを超えた、人を育てる親としてのあるべき姿勢を感じます。
そのためにはこどもの「思い」を育てることが大切だとも書いてありました。
4人の子の母として我が子の「思い」(自発)を育ててきただろうかと恥ずかしく感じました。

「お仕事がんばります」は今でも困難な高校進学、就職への道が描かれています。
正直、どうやって公務員にまでなられたのかと信じられない思いで読み進めていきました。
全部読み終えて謎が解けたような爽やかな気持ちになりました。
「ありのままの子育て」、「自立への子育て」の結果がそこにあるということです。
周囲のお仕着せや思惑ではなく、徹之さん自身の言葉で語られる思いが周りを動かしていった結果が進学であり、就労なのだと納得しました。
でも、この徹之さんの「思い」を育てたのは明石さんなんですよね。
改めて親として子を育てるということを考えさせられる本でした。
私って、ちゃんと親してるのかな~?
できてないな・・・。

ありのままの子育て

2005-09-18 18:04:40 | book
「どんな子育てをしたの?」という質問に「『私が私らしく生き、徹之が徹之らしく生きたから』にほかなりません。」と書いておられる明石さん。
「はじめに」のそのくだりを読んだ時、そんなに簡単なことではないだろうと反発まで覚えた天邪鬼な私。
でも「簡単にはいかない」ことを明るさや聡明さでひとつひとつ乗り越えていく姿にぐいぐい引き込まれて、徹之さんの成長する姿に一喜一憂している自分がいました。
最近、海のこれから、野原のこだわり、風さんとこどもたちとの関係があれこれしんどくて、すっかり動けなくなっていた私でしたが、明石さんの明るい姿にいっぱいいっぱい元気をもらいました。
疲れている人に是非お勧めしたい1冊です。
「ありのままの子育て」

実家にて

2005-09-17 14:40:16 | 風さん
月に1~2度、私の実家へ出向きます。
末孫の野原を見せにいって、晩御飯をご馳走になって帰ってきます。

先日も旅行のおみやげを持って訪ねました。
この日は妹夫婦もやってきてにぎやかな食卓になり、野原の話題になりました。
「もう多動だし、こだわりもきついし、おしゃべりで言い訳ばっかり達者で大変なのよ。」と私が訴えると「誰に似たのかね~。」と母がつぶやきました。
それを聞いた風さんは、にやにや笑いながら「雫にそっくりですよ。」と言ったのです。
母の言葉は誰かを責めるような口調でもなかったし、本当なら「誰かしらね~。」という相槌と共に消えていってしまう話題だったと思います。
でも風さんのこの言葉に「雫は気が強いけれど、お行儀のいい子でしたよ。」と母が反論、何となく気まずい雰囲気になってしまいました。
父が「我が子が娘だけで良かったと思う。娘のこどもだから、誰に似たのかね~なんて言える。これが息子の子だったら、お嫁さんの非難とも取れて嫁姑のこじれる素になったりするからな~。」とちゃかしてくれて、みんなで「そうだね~。」と笑っておしまいにすることができました。
正直ほっとしました。

風さんは悪気なく思った通りに口に出しただけなんでしょうね。
でも、いくら縁あって身内になったとはいえ、自分の娘を悪く言われていい気持ちのする親なんていませんよね。
私だって、こうやっていろいろ風さんのことを書いてはいますが、風さんの親に対してここに書いてあるようなことを具体的に話したりは絶対にしません。
そういうことって誰に教えられたわけでもなく、自然に身に着けていくものなんでしょうね。
実家の両親、妹夫婦には海がアスペの診断をもらっていることや野原もちょっと怪しいと思って見守っていること、そして風さんも未診断だけどどうみてもアスペのようだということを伝えてあります。
なので、こういうおかしなことがあっても何とか収まりがつくんですけれど、本当に冷や汗をかきました。

周囲に障害を告げますか?

2005-09-16 17:48:30 | 発達障害
海が診断をもらったのは、つい先日、今年の始めです。
なので、今まで周囲に海の障害名をお伝えして配慮をもらうということはしてきませんでした。
辞めた前高校には「障害があると思う。」と言って引き止められたのをとっとと振り切ったという経緯はありますが、その後、どんな診断が出たかの報告はしていません。(不義理な親子でごめんなさーーい。)
今の学校にも「障害があるかもしれない。」と入学の際に触りだけ話はしましたが、その後確定診断をもらったことについては報告していません。
これは、全て海に決めさせたことで、私からはよほど大きなトラブルが起きでもしない限りは言う必要もないだろうと考えてきました。
診断してくださったお医者さまにも「海ちゃんに決めさせて、好きにさせなさい。」と言われています。
でも最近、トラブルというほどではないけれど、お話して配慮をもらったほうがいいのかなと思うことが目に付きます。
学校が緩やかでアバウトな分、登校した際に時間割やテストの予定を忘れずにもらってこないと困ったことになったりします。
ちょっと一声かけてもらったり、「これもらった?」と見せていただいたり、メモにして渡してもらえたら防げる行き違いやミスもたくさんあるな~と思うのです。
小学生時代の忘れ物はすごかったですが、中学は「忘れ物」「提出物未提出」が内申に祟るよー!と厳しく言い続けて別人のようだった海、いったい中学3年間どうやって忘れ物せずに過ごしていたんだろう?と不思議でした。
聞いてみたらお友達が助けてくれていたんですって。
「これ、聞いてる?」「これ、~までに出さないといけないんだよ。」と忘れ物大王だった海をさりげなくフォローしてくれる友達に3年間支えてもらってきたというわけです。
ところが、今のサポート校は生徒の数も少ないですし、それぞれが自分に合わせて授業を組み、クラス単位の動きがほぼないため、海には仲の良い友達がいません。
基本、担任の先生とメールや電話でやりとりしていますが、先生となるとなかなか連絡を取るのが億劫なようです。(でも、気さくな先生方ばかりで、まめにメールをくれたり、電話をかけてきたりもしてくださいます。)
なので、もう追試の時期が来ているはず(定かではない・・・)なのに、試験に合格したかどうかを知らない、来週から授業のはず(定かではない・・・)なのに、時間割がわからないということが何度も起きています。
そうなると私の方が落ち着かなくなってしまい、「早く、担任に電話しなさーい!」と海をせかし、なかなか動き出さない海に業を煮やして、私が学校に電話をしてしまうんです。
これって、やはりいいことじゃないですよね?
先日は先生に電話で「もう時間割は配られましたよね?海は『まだだ。』と言い張るんですが・・・。」と尋ねたら「先日のテストの時に『持って帰ってね。』とみんなに声をかけたんですが。」というお返事でした。
「すみません。海はもらってないみたいです。」と言うと「あ~、そうかもしれませんね。」と先生は納得したように言われました。
海の性質を理解してくださっているんだな~と嬉しかったです。
障害名をはっきり伝えるかどうかは別として、海の特徴「聞いても理解できていないことがある」「目で見た方が理解しやすいことがある。」などをお伝えして、配慮して欲しいことをお願いした方がいいのだろうか?と思いました。
もちろん、海がどう言うかがいちばん大切だけど、こうやって誰かにできる範囲で助けてくださいとお願いしていくことも海の大切な生きる力になるんじゃないかと考えます。
海はどう言うかな~?
人に「お願いします。」と言うのは嫌かな~?
一度、ゆっくり話し合ってみようと思います。