あのかどを曲がって

自分のこと、家族のこと、思いつくままに綴っていきます

今年もおしまいm(_ _)m

2005-12-31 16:40:10 | 日々の出来事
先週末は野原に40度を越す熱を出されてしまい、夜中に病院に駆け込んだり大変でした。
そんなこんなで何もできないまんま、大晦日です。(毎年なんですけれどね(^_^;)
今年は仕事をしながらの年越しになります。
今から夜勤に入ります。

みなさま、良いお年をお迎えくださいね。
来年もよろしくお願いしますm(_ _)m

簡単!スケジュール

2005-12-24 17:28:32 | 野原
お昼ご飯の際中にお菓子を見せてしまった私が悪かったんですが、野原の気持ちが一気にお菓子へと行ってしまいました。
「それ(お菓子)なあに?苦い?辛い?」
「もうご馳走様する!」

そ、それはいかん・・・

で、簡単!そのものスケジュールをしました。
野原の手元に今食べるべきラーメンの丼を置き、その向こうの手が届きそうなところに食後の薬を置き、その向こうの手が届かないところにお菓子を置き、説明しました。
「ラーメンを食べて、お薬を飲んで、おやつを食べます。」

「お菓子はご飯を食べてからよ!」
「お菓子は後で!」
と一生懸命、言葉で説明していた時にはごねごねだった野原が、ラーメン、薬、お菓子が一直線に並んだのを見て、大人しく「ちゅるちゅる食べさせて。」と言いました。
正直、うまく行き過ぎてびっくりです。
こうやって並べて目に見える形にしたことで、今じゃないけれど、いずれ必ず食べられると納得できたのでしょうか?

ちょっと目から鱗の経験でした。

スケジュール

2005-12-19 08:23:19 | 日々の出来事
先日来何度か、自閉症のお子さんと一緒に食事をする機会がありました。
お店はクリスマスの飾りつけがきらきらしていて、私も慣れるのに少し時間がかかったほどのものでした。
落ち着かないし、自分が望んでの食事じゃないし、ずっとそわそわ。
耳から入る音をトーンダウンするイヤーマフを付けていたけれど、それ以上に今日は視覚から飛び込む情報が辛いね。
偏食もきついのでまずお子さんは別のところでゆっくりと好きなものを食べてきたんですって。
そうか、そういう方法もあるのね。
字が読めるお子さんだったから、食事の間は書いて見せて選んでを繰り返していました。
ゲームする?本を読む?
何か飲む?(メニューを見せる)

別の日は予め書いてあったスケジュールをくしゃくしゃと丸めて私のポケットに入れてきました。
きっと今日のスケジュールが気に染まないものだったんだろうな~。

実際に見せてもらって、意外と簡単なことなのねと改めて思いました。
どうしても難しく考えてしまってなかなか取り組めないんだけれど、その間にも時間は確実に過ぎていきます。
ゲームに夢中でオーダーした自分の料理が来ても、見向きもしない食べようとしない子が「ゲームやめる→スパゲティを食べる→ゲームをする」と書いた紙を見たとたん、「うんうん」とうなづいてゲームをしまって食事を始めたのはびっくりでした。
視覚優位と言葉ではわかっているけれど、これだけ鮮やかに違う反応を見ると、我が子にもわかりやすい暮らし作りを心がけてやろうかなと思いました。

まずはスケジュールとカレンダー・・・始めないと・・・


呪文

2005-12-18 15:12:23 | 野原
野原が何か呟いています。
一心不乱という表現がぴったりの表情です。
そーっと注目しているとこんな風に聞こえてきました。

「バンデロバンデロ、インジェロインジェロ・・・」

まるで何かの呪文のよう(笑)
ひとりで楽しそうに繰り返し呟いています。
聞くともなしに聞いていると何だか歌のように聞こえてきました。
ん?
歌?かもしれない・・・。

「バンデロバンデロ、インジェロインジェロ」

何だか気のせいか、馴染みのあるメロディに聞こえてきました。
いったい、何の歌だったろうか?

「のーちゃん、それは何ですか?」
「おうた~。」
「誰が歌ってるの?」
「アンリさん。」

アンリさんというのは野原の保育園に定期的に英語を教えに来てくれているイギリスの方のお名前だったような・・・。

「バンデロバンデロ、インジェロインジェロ」

何度も聞いているうちに頭の中の聞き覚えのあるメロディと重なりました。

ふふふ・・・・そうか、野原にはそう聞こえるのね。
「のーちゃん、こんなおうた?」
「ワンリトル、ツーリトル、スリーリトル、インディアン・・・」
「それ~、バンデロバンデロ、インジェロインジェロよ~。」

インディアンの歌(って言うんですか?)だそうです。
黒魔術の呪文みたいだったよ(爆

出会い

2005-12-17 22:38:34 | 
お金にならない(自分たちでお金を稼ぎ出さない)仕事に就いていて良く思うのは「人が財産」だということ。
障害者、共に働く職員、関わってくださったボランティアの方、学生さん、同業者・・・。
たくさんの方と出会い、たくさんの力をもらって日々を過ごしていると実感します。

そして、一期一会と呼ぶにふさわしい束の間の出会いも。

今日、また素敵な方と出会うことができました。
飾らない笑顔がまぶしいきれいな方でした。
もう二度と会えないのは淋しい、これからお付き合いさせていただいて、たくさんの元気をいただきたいと思った方でした。
これきりのご縁にならないように、まずはお礼のメールをしました。
後は折々お便りさせていただこうと思います。
一生の宝物になりそうな予感がしています。

泣く

2005-12-16 23:20:52 | 
最近、よく涙が出ます。
人前でも堪えきれずに泣くことがあります。
年を取ったのかなと思うし、疲れているのかなとも思います。

子どもの頃から思春期にかけて、泣くことは恥ずかしいことでした。
人前ではもちろん、一人きりでも泣くことが恥ずかしかったです。
ドラマを見たり、悲しいお話を聞いたりすると涙がこぼれそうになるのもいつも必死で堪えていました。
泣いている自分が恥ずかしくて認められませんでした。
例えばみんなが泣いていても「泣くことそのもの」を許せない私でしたので、ひとりで歯を食いしばっていました。
きっとかわいげのない子に思われていただろうな~と思います。(今でもかわいげのないおばさんですが)

涙がこぼれても恥ずかしい、耐えられないと思わなくなったのはこどもを生んで母親になってからだと思います。
あかちゃんという飾らない他者と向き合うようになって、本当の自分が出せるようになったのかもしれません。

最近はさらに涙もろくなって、悲しい時、悔しい時、つい涙を流してしまいます。
先日も障害者とタクシーに乗る際、手際の悪さを運転手さんに詰られて、「いつになったら障害者は当たり前に暮らせるのだろう。」と泣けて泣けて、車を降りてからわんわん泣いてしまいました。
恥ずかしい・・・
でも泣いてすっきりして、また前を向いて歩いていくというのも、悪いことではないですよね。
できれば嬉しい涙をたくさん流したいものです。

制服フェチ?

2005-12-14 20:14:53 | 
「カチッとした制服を着る仕事がしたい。」
何をしたいのか、どんな仕事に就きたいのかを聞いた時の海の答えを聞いて、制服にまつわるあれこれを思い出しました。
彼女がいちばん最初に制服に出会ったのは、3歳を迎える年、おにいちゃんの空が幼稚園に入園した春に制服と出会いました。
自分のものではなかったけれど、興味津々で帽子を被ったり、上着に袖を通したり、カバンを斜めに提げて悦に入っていたことを思い出します。
翌春、3年保育で空と同じ幼稚園に入園。大好きな制服を着てカバンを提げて家をでるところまでは良かったけれど、園バスに乗りたくなくて毎日わーわー泣き続けました。
海の幼稚園生活は私と父親の別居を機にたったの2ヶ月で保育園へと転園させられてしまい、終わりを告げました。

次は小学校に入学した時、海の通う小学校には制服(標準服)がありました。
まだまだ若く(?)頭でっかちだった私は、標準服を押し着せることに非常に反発を感じていました。
標準服の着用は強制できないということを盾に海や空には私服で登校させていました。
何だか標準服に身を包んだだけで我が子が個性を持てない、個性的に伸びていかない子になってしまうような気がしていたんですよね。
今思うと本当にばかげた感覚だったと思います。
「みんなが同じ格好をしているのがお母さんには我慢できないのよ。」という私の言葉を理解してかどうかは判りませんが、マイペースの空は飄々と私服の小学生をやっていました。
2年後、海が入学した時も空と同じように私服で登校させました。
ところが海は空と違ってみんなが着ている制服で学校に通いたくてたまらないのです。
担任が標準服の着用を善しとする人だったのも、その気持ちに拍車をかけました。
「みんな着てるのにどうして海だけ着ちゃいけないの?」「海もみんなと同じスカートが穿きたい。」と何度も何度もせがまれました。
なのにへそ曲がりだった私は海の気持ちを汲んでやれないまま、標準服に見える私服で式典に参加させるほど依怙地になっていました。
このバトルも2年生の3学期に私服登校の学校に転校することになり、終了しました。

そして中学進学です。
さすがの私も中学に私服で通わせる勇気を持ち合わせておらず(中途半端な志ですんません)標準服でこどもたちを送り出しました。
私服となると何を着ていいのかわからなくなる海でしたが、その点標準服は楽チンです。
衣替えの時期まで指定してくれる親切さ。
海は標準服を着ていると安心なのでしょうか?
学校へ行く以外にも一日中着ているのです。
一度帰宅したにも関わらず、標準服を着たまま友達と出かけていきます。
おいおい・・・制服着たまま校区外へ出るのはまずいでしょと何度か注意しましたが、ちょっと目を放した隙に制服のまま出かけている海でした。
さすがに休みの日までは着用しませんでしたが、本当はそうしたかったのかもしれません。

高校ももちろん制服のある学校でした。
高校を選ぶ時に制服がかわいくないことにけっこう本気で腹を立てていました。
毎日、できればずっと着ていたい制服だったからでしょうか?

高校を辞めて、今の通信制高校に転校し、サポート校に通い始めました。
サポート校は途中から入学してくる子も多いですし、通学スタイルもそれぞれ様々です。
なので、決められた制服はありません。
学校を辞めてしまったことを知られたくない、高校に通っていると思われたい人のために制服に見える服も用意されていますが、どんな格好で登校してもOKですし、強制ではありませんでした。
元々、制服というものが好きではなかった私はこれで海は制服とおさらばよ~と勝手に喜んでいたのです。
が・・・海はこのサポート校に前校の制服を着て通い始めました。
「なじぇ~!?」と私の頭の中は疑問符だらけですが、今も学校に行く時は辞めてしまった学校の制服を着て出かけます。
友人と遊ぶ時も相手の服装を聞き、「学校帰りで制服だよ~。」と言われたら何故か自分も自宅から出て行くにも関わらず制服を着て出かけます。
急いで支度をしてバイトに行かねばならない時も迷わず制服を着ます。
制服好きなんやね~。
決まったスタイルだから安心なのかな?

先日、車に連れ込まれそうになった時にお巡りさんから「もう学校辞めたのに制服なんか着てるから目をつけられるんやで。」と注意されたそうな・・・ごもっとも。
制服アレルギーで制服を着たくない!と私服で通える高校を受けた私の娘とは思えません。

バイト先でも制服に身を包んで働く海。
来週からは平のバイトから少し昇進して、制服も今までのものとは違う、海曰くかっこいいものになるそうです。
是非、見に来てね♪と今から招待されています(笑)
制服が好きでずっと着ていたいなんて、私には理解できない感性ですが、海がそれで落ち着くならそういう仕事を探すっていうのもいいかなと今は思います。
お守り代わりの制服なのかもしれませんね。

何になりたいのか?イメージしよう♪【2】

2005-12-13 19:09:10 | 
『接客業』ってどんな仕事があるんだろう?
お客さんと直接やり取りする仕事って思いのほかたくさんあります。
海はその中でもどんな仕事がしたい?
今のバイトのようなファーストフード店の店員さん、レストランなど食べ物を出すお店のウェイトレス、それ以外の物を売るお店の店員さん・・・他にもたくさんあるよね~。
接客業から物を売る『販売員』を思い浮かべていた私。
「あのな~、かちっとした制服を着てする仕事がいいねん。」
ふえ~っ!?あんた、制服フェチやったんかい?
でも、毎日着るものが決まるまでけっこう悩んでる海を思えば、着るものが決まっているのはいいかもしれません。
制服だったら着こなしだってきちんとわかりやすく指導してもらえるよね。
うんうん、納得。
では「かちっとした制服に身を包んで、お客さんと接する仕事」を探しましょう!
警察官、電車の運転手、車掌さん、このあたりはかちっとした制服を着ているけれど、お客さんと接するというところではちょっとイメージが違うかな?
デパートの販売員?
航空会社の職員?
ホテルの従業員?
海のイメージ的にはこの辺りが良さそうかも。

「どう?」と聞いたら「空港のお姉さんがいいな~。」ですって。
スチュワーデス(アテンダントって言うの?)も興味あり。
なかなか、就職が厳しそうなお仕事ですが、やってみたいと言うのなら色々調べてみましょう。
確か、そういう仕事に就くための専門学校があるはずだ~!
私の知人の娘さんが確か今通っているはず。
一度メールで聞いてみようということになりました。
海は他の専門学校も調べて、資料を請求してみるそうです。
資料が出揃ったら実際に学校を見学してどんな勉強をするのか、空港のお姉さんがどんな仕事をするのかを知って、もっと具体的なイメージ作りに入りましょうと話し合いました。

ここまで話をしたら、あれほど「やりたいことがない。」「なりたいものがわからない。」とぽろぽろ泣いていた海はすっかり落ち着いてルンルンと楽しそうですらあります。
具体的なイメージをつけにくいということがここまでこの子を不安にさせるのかと改めてびっくりでした。
だって、「こんなに先のことが考えられないなんて、死んでしまいたい。」なんて言っていたのですよ。
やっぱり過保護でもこうやって先に進んでいくための手伝いをしてやる必要があるのかな?
私はこういうことを自分ひとりでやってきたし、必要に応じて部分部分を友達や先生や親に相談して自分のイメージの補強をしていたような気がします。
わからなかったら朝得ることないやって思える自分もいたし、焦ってもどうやってイメージするかわからないってことはなかったもんね。

手伝ってやるなら、何となく頭で考えて進めていくのではなく、具体的にマニュアルみたいに紙に書いてする方が海自身のスキルになりやすいかもしれません。
面倒だけど(そして面倒なことは大嫌いだけれど)整理して書き出していこうかな~。
なかなか世話の焼ける娘ですが、意外と自分がどうやって生きてきたかを再考しなおす機会になっているかもしれないな~と思ったりします。

何になりたいのか?イメージしよう♪【1】

2005-12-12 15:03:16 | 
海の高校生活(ほとんど学校へは行ってないので、正確にはフリーター生活)も後残すところ一年とちょっと。
このところ、その先のことが気になって仕方ない海。
やりたいことをすればいい、なりたいものになればいいと言ってもイメージできずにグズグズ言い続けておりました。(その前に高校卒業することを真剣に考えてくれよ~。)
以前の高校を辞める時には「保育士を目指す!」と宣言していた海ですが、小さい子どもたちの声が苦手だということを改めて思い知る出来事があったらしく、「保育士にはなれない~(涙)」と言い出しました。
別に保育士以外にもこの世の中にはたっくさん仕事があるじゃないか・・・それに、これはあんまり大きな声では言えないけれど、なりたいものになる人なんて、そしてなりたいものになって満足している人なんて、この世にはそうそういないんじゃないだろうか?
こんなに日々の生活が不真面目(少なくとも母にはそう見える)なのに、近い将来とはいえ、こんなに毎日生真面目に先を思い煩う海のアンバランスさには、表立っては言えないが笑えるものがあります。
しかし、本人は至って真剣なのですから、こちらもお腹をよじって笑ってばかりもいられません。
こうなったら海の将来への不安を解消するべく、「イメージ大作戦」の展開です。

『まずはいったい何になりたいのか?』
私:「今、やっていて面白いな~と感じることって何?」
海:「バイト!」
私:「バイトのどこが面白い?」
海:「お客さんと接すること。」
私:「お客さんと接していてどんなところが楽しいの?」
海:「マニュアルがあるから、基本的にはやることがわかっていて楽なんやけど、そこに自分なりの何かを+して工夫するのが面白い。その工夫がうまくいってお客さんに『ありがとう。』って言われたり、お客さんが笑顔になってくれるのが嬉しいねん。」
私:「それやったら、『接客業』がいいのかな?誰か人と接する仕事。」
海:「うん!そう。電話は苦手やし、直接お客さんと接する仕事がいいわ。」

バイトを始めた頃は緊張していてしょっちゅうミスをやらかして始末書をたくさん書いていた海。
アスペルガーという障害からいうと本来予測の付きにくい対人関係は苦手だから、きっとそのうち嫌になって辞めるんじゃないかと思っていました。
でも泣きながらもがんばって努力して、いよいよ平のバイトから脱却というところまで来ました。
もちろん、周囲の人が海の特性を何となくではあるけれど解ってくださって、声をかけただけでは気付かないので同時に肩を叩くといった工夫をしてくださり、暖かく辛抱強く関わって育ててくださったお陰です。
バイトを通じて目標に向かってがんばることも経験したし、お客さんが喜んでくれると自分も嬉しいってことも実感できたんだね~。
実際もっと思い責任を持って仕事をしていくことになったら、しんどさの方が勝って嫌になってしまうかもしれないけれど、その時はそのときだよね、まずは海が楽しいと思えることを仕事にしよう♪

ということで「目指せ!接客業!」を合言葉にどんな仕事があるのかを考えていくことにしました。

わかるようにはなすこと、わかるように聞き取ること

2005-12-11 17:41:38 | 風さん
昨日、仕事帰りに買い物をして帰りました。
冷凍食品を覗きながら、冷凍庫にあるものを思い浮かべていた私に風さんが話しかけてきました。
「水曜日、休みやねんな。」
雫:「ここは年中無休じゃない?」
風:「いや、皮膚科が。」
雫:「ん?皮膚科の休みがどうしたの?」
風:「俺、水曜が休みやから。」
雫:「?いったい、何の話?皮膚科は今日行ったんでしょ?」
風:「いや、もう一度見せてくださいって言われたからや!!」

怒りたいのはこっちの方だ!
話の順序がまるでなっていない!
まったく逆から話しているし、まったく場にそぐわない話しだし、いつだってこんな風で私はいらいらさせられ、いろいろ尋ねかえしていくと風さんの機嫌が悪くなり、どうしてこんなことでこうも決裂しなければならないのかと嫌になってしまいます。
最近は最初の一言で「いったい、何の話?今聞かないといけないことなの?」と言ってしまうことも多々あります。
風さんは自分の話を聞かない奴だと私に怒ってるでしょうね。
でもあなたの話聞けば聞くほどわからなくなっていく仕組みになってるんですよ。
こういうのはどうやって理解してもらったらいいのでしょうか?
私が努力して推測を交えつつ聞き取らないといけないことなのでしょうか?
海も同じような会話をするけれど、聞き返してやれば素直に答えてくれるので、誤解を重ねずに話が進むようになったんですが、風さんとはうまくいきません。
いつも人の話を理解しないまんま、口を突っ込んだり、会話を引っ掻き回してみんなの顰蹙を買います。
で、それを説明しても自分が仲間はずれにされたとしか思えないようで、何度言っても憮然とするだけでわかってもらえません。
困ってます。

明石さんが来られます♪

2005-12-10 14:42:43 | 発達障害
明石洋子さん、徹之さんがやってきてくださいます。
私も行く予定です。
お近くの方!参加してください。


NPO法人ぴーす主催講演会

一緒に生きる、楽しく生きる~支えあう地域をめざして
   ~ありのままに、あたりまえに、地域で生きて
   ・・・そしてひょうきんな公務員になった

【講師】  明石 洋子 氏  明石 徹之 氏

【開催日】 12月17日(土)13:30~15:30

【場所】  栂文化会館 ホール

【参加費】 一名500円

お申込は下記のいずれかの方法でお願いします。

 ぴーすHP http://p-s-sakai.net/

 メール  p-office@p-s-sakai.net

 FAX   072-250-9061

 電話   072-250-9060(9:00~17:30)

 ※件名「明石洋子さん講演会」とし
  名前・人数・連絡先をお知らせください。

サンタはいるの?

2005-12-09 14:37:02 | 
クリスマスが近づいてきました。
野原に「クリスマスにサンタさんから何をもらうの?」と聞いたら「プリキュアのハンカチ!」という答えが返ってきました。
うっうっうっ・・・なんて親孝行ないい子なんでしょ。
ハンカチ、10枚買ってあげる。

私の両親はとても現実主義者(?)で、私に夢やロマンを与えようとはあまり思わなかったようです。(はっきり聞いたことはないんですけれど)
それとお金がなかったというのもあるのでしょうが、しなくていいことはしないという人たちでした。
具体的に言うと、私は妹とふたりだけの姉妹ですが、お雛様がありませんでしたし、雛祭りをしてもらったことがありません。
お宮参りも七五三も成人式もしませんでした。
見事、着物には縁のない生活ですよね。
別に恨みに思っているわけではないです。
そういうことで、クリスマスも「サンタさんがプレゼントを持ってくる。」のではなくて、親がプレゼントを買ってくれる日でした。
デパートに連れて行かれて欲しい物を選ばされ、買ってもらってありがとうって感じでした。
ケーキは食べさせてもらえたし、クリスマスブーツのお菓子ももらえたけれど、ツリーはありませんでした。

長々と幼い日のことを書きましたが。
なので、我が子にはサンタの存在を信じるロマンを与えよう~と毎年奮闘してきました。
サンタさんにプレゼントのリクエストを書いた手紙を書かせて、それに合わせてプレゼントを買いに走り、こっそりしまっておいてクリスマスの朝に枕元に置かれているようにセッティングをしました。
空にマウンテンバイクをリクエストされた年は夜中に玄関の戸をはずして大きな箱に入ったマウンテンバイクを運び込みました。
枕元に置いたら朝大喜びする前に圧死してしまいそうだったので、居間に置きましたが。
その甲斐あってこどもたちは長い間、サンタの存在を疑いつつも信じ続けてくれました。

ただ、森に限って言えば努力の甲斐があったと言えばそうなのですが、小学校の5年になるまで本当に信じていたんですよね。
クリスマスを前に「今年はサンタさんに何を頼もうかな~?」と嬉しそうに考える森、そして「そうやな~、今年はサンタさんに何を頼もうか?」と相談する空と海。
さすがに心配になって空と海を呼んで聞きました。
「あんたたち、サンタクロースっていると思ってる?」
空と海は「んなはずないでしょーー。お母さん、私たちをばかにしてるの~?」と即答しました。
「森が信じているようなので、自分たちも合わせているだけ」なんだそうな・・・。
麗しい兄弟姉妹愛。
ありがとうよ~(涙)
でももういくらなんでも森にも現実を悟ってもらおうということになって「実はサンタさんはいないんだけれど。」と話して聞かせてました。
前年も「お母さん、今年のサンタさんは予算いくらまで?」(我が家に来るサンタは超現実派でセコイのでプレゼントの予算に上限がありました。)「それって、消費税込み~?」なんて現実的な話をしていたので、もう信じていないんだな~と思っていたんですよね。
まだ、信じていたなんて・・・。
森は「やっぱり~、やっぱりいないの?」と照れくさそうに笑いました。
「お友達の間でいないっていう話してなかった?」と聞いたら「友達はいないって言うけれど、お母さんがいるって言うし、プレゼントもらえたからうちにはいると思ってた。」んだって~(涙)
なんかずれてるところはこの子もASっぽいな~と思うんだけれど、「みんなにはいなくても僕にはサンタがいる」なんて私が与えたかったロマンそのものじゃない~!!とおばかな親の私は感動してしまいました。
そして、子どもたちに夢を与える仕事が済んでしまったのをちょいとさびしく思いました。

その翌年、クリスマスのプレゼント代わりに我が家にやってきた野原。
またまたロマンを与えるこどもができました♪
もちろん、いちばん張り切っているのは森です。
「みんなサンタさんはいるって野原に言うんやで!」と真剣にみんなに言い聞かせています。
さあ、野原はいくつになるまでサンタを信じてくれるでしょうか?

みんながいる家

2005-12-08 16:46:08 | こどもたち
最近、海が落ち着いています。
毎日割りと早い時間に家に戻ってきます(笑)
毎晩、うちでご飯を食べます(爆)

空は帰宅が遅い日もあるけれど、基本的には家でご飯を食べます。

なので、最近また、こどもたちが勢ぞろいするようになりました。
もう大きくなったこどもたちが居間に揃うとぎゅうぎゅうで押し合いへし合いになるけれど、話もはずむし暖かいし、とてもほっとするものですね。

自分を子離れのできる人間だと思っていましたが、毎日一緒に暮らしてきた家族が成長したとはいえ、離れていくということは、思っていた以上に淋しさを呼ぶものなのかもしれないな~と感じました。

野原も滅多に揃わない兄姉がみんないるとその間を飛び回り、異様にはしゃいでしまい、寝かしつけるのに一苦労します。

でも、こうやってこども4人が揃う日はそう何年も続かないでしょうね。
どの子もこうやって過ごした日々を暖かい懐かしい気持ちで思い出してくれるようだといいな~。
そして小さい野原の記憶に年の離れた兄弟姉妹と過ごした日々が刻まれるといいな~。
いちばん大切な思い出としていつまでも思い出すのは私かもしれませんけれどね。

誰の大切な人であるべきか?

2005-12-07 17:49:44 | こどもたちの父親(前夫)
妊娠出産の話を書いてまたまた悲しかった出来事を思い出してしまいました。
私、異常に記憶力がいいんです。
おまけに悲しかったことや悔しかったことばかり鮮明に覚えています(悲)

空を妊娠中の冬も海を妊娠中の冬もこどもたちの父親はスキーに出かけました。
それも一度ならず二度三度・・・。
まだ若くてえらそーーに意見の言えなかったかわいい私はじっと我慢をして、それでも「どうしても行かなきゃいけないの?」と聞きました。
「みんな行ってるから。」というのが彼の答えでした。
まだかわいい妻だった私はさらに遠慮がちに聞きました。
「みんなって誰?」
「AくんやBくんやCくんやDくん。」
AくんもBくんもCくんもDくんも、みんな独身の自由な若者でした。
あんた、立場が違うでしょ?
お腹の大きな奥さんがいるのよ。
喉仏を通過して舌の上まで言葉が出てきたけれど、かろうじて前歯で押しとどめ、もう一度ごっくんと飲み込みました。

しかし、海を出産する直前に職場の同僚と海に行くと言われた時は、かわいいかわいい(もういいって?)妻だった私もさすがに切れました。
「もう予定日も近いのに、もしもあなたが留守の間に産気づいたら私はどうすればいいの?行かないでください!」と怒りました。
でもその時の彼の答えはこうでした。
「でも、僕が行かへんかったら職場のみんなが困るから・・・」

おいおい・・・臨月で2歳児抱えたあんたの妻と元気ぴんぴん自分でどこへでも行ける職場の同僚とどっちが大切なんだい?

その時は口が利けないほど腹が立ってしまい、そのまま反論できずにいたら、承諾してもらったと思ったのか、彼は涼しい顔して海へ出かけていきました。
意地でその日に生んでやりたい!と悔し涙に暮れた出来事でした。

でも今思えば(いつもこう・・・後からしか気がつけない)彼は私の腹立ちが理解できていなかったのでしょうね。
絶対にだめ!と念押ししなかったから、行ってもいいと判断したんでしょうね。
すごくひどいことばかりされたという印象しか持てない前夫ですが、アスペだったのかな?と思えば腑に落ちることが多いです。
ただ、当時障害に気が付いていたとしてもうまくやっていけたとはとても思えない私です。