スペイン王室と海将・山屋他人(雅子妃曾祖父)のご縁

2017年04月07日 | 雅子妃の系譜

今から100年以上も前、明治天皇の大喪の礼に参列するため、英国、ドイツ、スペインの王族をはじめとする外国要人が来日し、その際、スペイン王族のアルフォンソ公ボルボン殿下の滞在中の接遇を、雅子様の曽祖父で後に海軍大将となる山屋他人少将(当時)が拝命なさっています。


(出典:「日本歴史写真帖 近古の巻」大正3 東光園 秋好善太郎 国立国会図書館デジタルライブラリー)


外務省の「日本外交文書 第45巻 第一冊」に、『事項十九 明治天皇崩御一件』という文書があります。
そこに大正元年(1912年)9月、明治天皇の大喪の礼で来日した、スペイン皇族のドン・アルフォンソ・デ・オルレアン・イ・ボルボン親王殿下への接遇について以下の記載があります(621ページ下段)。


「明治天皇大喪儀へ西國皇帝陛下ノ御名代トシテ参列ノ爲メ御渡来相成候
ドン、アルフォンソ、デ、オルレアン、イ、ボルボン殿下ニハ本月十日午後四時二十分新橋停車場御着 天皇陛下御出迎直ニ御旅館芝離宮ニ入ラセラレ候

是レヨリ先陸軍中将村田惇、宮中顧問官田内三吉、海軍少将山屋他人、式部官伯爵亀井玆常、大使館三等書記官佐藤尚武 同殿下接伴員被仰付候。」  



他に、海軍省の公文書にも西班牙皇族接遇の記録があり、ずっと写真を探していたのですが、ようやく見つけました。
ブログや集合写真等で、山屋氏の若いころの写真をいくつか見たことがあったので、氏についてはすぐにわかりましたが、念のため他の方も全員調べてみました。
みなさん簡単に経歴と顔写真が確認でき、「日本外交文書」の記述と一致しました。



(出典:同上「日本歴史写真帖 近古の巻」”西班牙大喪使節西班牙皇族殿下及随員接伴官諸士” )


着席している前列左から、

山屋他人海軍少将(大将昇進は大正8年、明治41年東宮御用掛[S16年『大将傳』より]、雅子妃の曾祖父)

村田惇 陸軍中将

ドン・アルフォンソ・ボルボン親王殿下(当時のスペイン皇帝アルフォンソ13世のいとこ)

田内三吉 宮中顧問官(陸軍少将、大正天皇侍従)

後列、山屋氏と村田氏の間の大礼服の方が、

亀井玆常伯爵 宮内省式部官(津和野藩主家当主、元国会議員の亀井久興氏の祖父)

そして、一番右端の方が、

佐藤尚武 三等書記官(外交官、階級からみて通訳を務めたと思われる。後に、昭和20年の終戦時の駐ソ大使)



(尚、雅子さまのもう一人の曾祖父である江頭安太郎氏も、海軍省の公文書から「大喪儀海軍事務委員長」をつとめておられたことがわかりますが、残念ながら翌大正2年に若くして中将で亡くなられています。) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C08020021200?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E6%B1%9F%E9%A0%AD%E5%AE%89%E5%A4%AA%E9%83%8E&

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また、「大正名家録」(大正4年 二六社発行)にある「山屋他人」の欄には、プロフィールとともに、政府の命で艦長として海外差遣の途中、寄港したスペインの小港ポロンでの出来事として、

「當時同国皇帝其狭小なる港口に於いて氏の能く艦船を自己の手足の如く自由に操縦するを観覧し其の超越せる手腕に感じ稀世の好艦長なりと称賛之れを久しうせられたりといふ」

と、氏の卓越した操縦術にスペイン皇帝が賛辞を送ったエピソードが記されています。



色々調べてみると、海軍は日露戦争勝利後、日露講和に尽力してくれたアメリカ(バージニア州での「万国陸海軍祝典」への招待があった)を初め、欧州諸国への友好親善のための公式訪問を行っており、筑波、千歳の2艦を連ねて(艦隊のトップは伊集院中将、山屋大佐は千歳艦長)、明治40年2月から11月まで、米国を皮切りに、英国、ドイツなど10カ国を歴訪しています。 上記のエピソードは、その各国歴訪のうちのスペインでの出来事ではないかと推察されます。



この長期に渡る海外歴訪は、海軍が担った外交上の正式訪問でしたから、若かりし山屋氏も、上述のスペイン皇帝をはじめ、20世紀初頭の欧米列強10カ国の皇帝や大統領に、拝謁の機会があったのではないでしょうか。
帰朝直後に、これらの国々から多くの勲章が授与されていることからも(国立公文書館のアーカイブや「大将傳・海軍編」より)、それがうかがえるような気がするのですが・・・・。

スペイン以外でも、様々な興味深い逸話があるのかもしれませんね。


また、山屋氏の子孫のお一人は、後年、スペイン大使夫人として同国に滞在されており(大正末頃のお生まれの方で、雅子さまのお母様とは別のかたです)、御夫君は外交のみならず、文学や芸術方面でも業績を残された方でした。
こちらでもいろいろなご縁があるようですね。

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双方の100年以上も昔の先祖に、思いがけなく共通の歴史や記憶があるというのは、皇室の友好親善にはとても有益でしょうし、国民もこうした知られざるエピソードを聞かせてもらいたいな、と思うのですが、相手国の方も、皇后である美智子さんに気を遣って、なかなか話題にもしづらいでしょうね。
いずれにしても、美智子さんには面白くないどころか、もはやこういう写真があることさえ、耐え難いでしょう。
あらゆる手段を使って、雅子妃に華やかな外国親善の場を絶対に与えないのも、一時期、宮中晩さん会にも実は招待していなかったのではないか、と言われるのも、よくわかるというものです。

この明治天皇の大喪の礼の接遇写真、マスコミが知らないはずないと思うのですが、誰の顔色をうかがって出さないのでしょうか?
ちょうど今、スペイン国王夫妻が国賓として来日していますが、せめてここに書いたことぐらいの話、きちんと報道しなさいよ、と言いたいですね。