「昭和の皇太子妃出現から生前退位に続く不思議な血脈①」から続き
◆三者は縁戚関係◆
さて「人事興信録」によれば、この小泉、田中、竹山の三者の関係は、以下のように示すことができます。
後年の、生前退位表明に伴う有識者会議のヒアリングメンバーもいます 。
(なお、彼らの関係を示すのに最低限の人物しか表示していません)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/10/d80cb78b963ab00d72afbc26b7b7bfb4.jpg)
田中耕太郎夫人が小泉信三の姪(松本烝治の娘)であることはわりと有名ですが、竹山氏も縁戚とは知りませんでした。
(田中夫人の父、松本烝治は高名な商法学者で、敗戦直後、占領下の幣原内閣で新憲法制定担当大臣。昭和21年公職追放。)
この3人が縁談に関わる立場となったのも、戦前の昭和天皇の側近で信任厚かった一木喜徳郎大臣の親戚というところも大きいのでしょう。
一応男爵ではあるが昭和以降と遅く、公家や大名と言った封建的家系ではなく、新たな世代の宮中グループと言えるかもしれません。
さて、東宮参与の小泉氏から見て美智子さんは、姪夫婦と長年のクリスチャン仲間の家の娘で、甥の妻の親戚が主宰する「お見合いの会」の会員であったわけです。
「東宮妃」という公人を探すというのに、また随分とせまいプライベートな範囲で「見繕った」ものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/25/269c350f828dca97e242f15934ab9875.jpg)
(「近代日本人の肖像」 一木喜徳郎)
しかも彼らの親族は、親の代から天皇と直接的な人間関係もあり、戦前と占領期の重要な大臣もいて、当時の普通の感覚に照らせば、この人たちの縁続きのお嬢さんを探すほうが余程、順当だと思われるのに(実際、書き入れてはいないが上記系図内に複数のお嬢さんがおり、うち一人は聖心で美智子さんと中等科以来の同級生で、取材も受けている。のちの著名財界人夫人もいる。)、なぜか自分たちより歴然と『格落ち』の家の娘を東宮妃に推しています。
※美智子さんの不思議※
そもそも美智子さんというのは、予め知り合いででもなければ、昭和33年当時、客観的に「東宮妃」を探したとして(民間から探すとしても)、彼女に行き着く要素が見当たりません。
側近たちでさえ天皇との関わりがこれだけあるのに、そうした要素が無い人物が入内するなど、縁故主義の皇室で、この時代、ちょっと考えられない人選だろう。
また館林の実家本家も、明治から昭和一ケタまで群馬県の多額納税者でさえなく100位内にすら入っていないのだ。
実家の会社も、堅実ではあるが国家を背負うほどのものではない。
紳士録等を見れば、正田美智子さん程度の娘さんはいくらでもいる。
また、当人の経歴もあまりに凡庸で(成績表はどう見ても首席ではない)、長い慣習を打ち破って平民から選ぶほどの「特別さ」をどこにも見出すことができません。
実際、婚約発表後、よほど批判があったのか、竹山氏も「売り込んだという事や、仕組まれたなんていうことは絶対にない」とわざわざ釈明している。(週刊新潮 昭和33年 12/15)
にもかかわらず、小泉氏が彼女を縁談の対象に推したということは、当時、誰もが当たり前に想定するのとは違う、彼ら(つまりは昭和天皇)がこの当時、必要とする「何か別の条件」に合致したからなのでしょう。
その合致する人を探すために、昭和26年(皇太子18歳)に「竹山パーティ」が始まったのでしょうか?
(岸信介に田中耕太郎(に昭和帝)とくれば・・・・と皆言いますが、確かに独立からまだ数年、当時は日米安保をめぐる「政治の季節」であり、某氏が言うように、彼女は日本の悲しい戦後体制そのものなのかもしれません。)
そもそも美智子さんというのは、予め知り合いででもなければ、昭和33年当時、客観的に「東宮妃」を探したとして(民間から探すとしても)、彼女に行き着く要素が見当たりません。
側近たちでさえ天皇との関わりがこれだけあるのに、そうした要素が無い人物が入内するなど、縁故主義の皇室で、この時代、ちょっと考えられない人選だろう。
また館林の実家本家も、明治から昭和一ケタまで群馬県の多額納税者でさえなく100位内にすら入っていないのだ。
実家の会社も、堅実ではあるが国家を背負うほどのものではない。
紳士録等を見れば、正田美智子さん程度の娘さんはいくらでもいる。
また、当人の経歴もあまりに凡庸で(成績表はどう見ても首席ではない)、長い慣習を打ち破って平民から選ぶほどの「特別さ」をどこにも見出すことができません。
実際、婚約発表後、よほど批判があったのか、竹山氏も「売り込んだという事や、仕組まれたなんていうことは絶対にない」とわざわざ釈明している。(週刊新潮 昭和33年 12/15)
にもかかわらず、小泉氏が彼女を縁談の対象に推したということは、当時、誰もが当たり前に想定するのとは違う、彼ら(つまりは昭和天皇)がこの当時、必要とする「何か別の条件」に合致したからなのでしょう。
その合致する人を探すために、昭和26年(皇太子18歳)に「竹山パーティ」が始まったのでしょうか?
(岸信介に田中耕太郎(に昭和帝)とくれば・・・・と皆言いますが、確かに独立からまだ数年、当時は日米安保をめぐる「政治の季節」であり、某氏が言うように、彼女は日本の悲しい戦後体制そのものなのかもしれません。)
今後、小泉信三氏への評価は随分と違ったものになるのではないでしょうか。
さて、当初この3人の関係を示すだけで終わる予定でしたが、こうした美智子妃をめぐる人々の血脈はその後も続くようで・・・・・
◆生前退位の有識者会議と憲法改正◆--------------------------
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/9b/1c98a5d054913c119dddd3f7a8d3047b.jpg)
さらに、竹山謙三郎氏の姪は平川祐弘氏(東大名誉教授)の夫人です。
平川氏は、今上天皇の突然の「生前退位」表明に伴う有識者会議のヒアリングメンバーでした。
また、桜井よし子氏(彼女もヒアリングメンバー)が理事長の保守系団体「国家基本問題研究所」の理事でもあり(同所のHPより)、この研究所の掲げる憲法改正推進の広告にも名を連ねています。
今上夫妻の婚約、ご成婚は岸首相のもとで行われ、そして突然の生前退位表明は、その孫の安倍首相のもとでなされました。
美智子さん入内後のきょうだいたちの大企業との閨閥結婚は有名で、特に妹の結婚で昭和電工(言うまでもなく新潟水俣病の原因企業)の創業一族(安西家)の閨閥(東京ガスなども同族)に入ったことで、そこを通じて安倍首相の祖父の岸(佐藤)首相ほか歴代首相や住友財閥などとも繋がりました(まだまだ果てしなく広がる)。
この段階ですでに、血縁の重なりがいくつか見られるのですが、その血脈は御成婚から生前退位を経て、なぜか安倍首相が強く推進する憲法改正を審議する人物にも見られるような・・・・・。
以下は、現在進行形なので何とも言えませんが・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ff/0a38f72b84dd3fb9d6ef5daa9f888838.jpg)
さらに、その美智子皇后の義弟(妹の夫)のいとこが現在、衆議院の憲法審査会会長の森英介議員(やはり昭和電工創業家出身)であり、自民党の憲法改正推進本部長も歴任しています。
また、竹山謙三郎氏の親戚筋にあたる船田元議員も、同じく憲法改正推進本部長の経験者です(ただし、船田氏は改憲には慎重あるいは反対のようです)。
こうした血縁関係は、全て単なる偶然なのだろうか?
一見、公的な手続き・人選にみえますが、(それぞれに考え方の違いはあるものの)非常に狭い縁戚関係に属する「身内」の人達がたびたび目に入るような気がするのですが・・・・。
日本の社会とはそういうもの、と言われればそうなのかもしれませんし、
おそらく気が付かない縁戚関係はもっとたくさんあるのでしょう。
(こうした世代を超えたいくつもの血縁を見ると、天皇皇后や首相など、そこに属する人物のお互いへの発言も、単純に額面通り受け取ってよいのか、ちょっと考えさせられます。)
さらに、こうした人脈の流れを「日本会議」などが強力に押し上げることで政治(改憲)勢力ができ、それは同時に、長らく東宮家を執拗に排斥しようとする勢力と重なります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/5d/a73a54afd38c396b52ddf1f83219935d.jpg)
以前から感じていましたが、今上夫妻がしつこくアピールする姿勢(憲法や沖縄問題などについて)と、実際の皇后の親族や、結婚当時からの関係者や伴走者たち(田中耕太郎や曽野綾子など)の顔ぶれとはどうもかなりの齟齬があります。
(この数年来、砂川事件判決おいて、田中最高裁長官と米国との「内通」が判明したことは、沖縄に心寄せるはずの平成の天皇皇后(特に皇后)にとって非常にまずいことだったと思います。この判決こそが「米軍基地の特権性」を支えているのだから。)
突然の生前退位の表明(そもそもこのこと自体、憲法に抵触すると思われるが)が、天皇による「改憲阻止」との見方もあったようだが、今となってはむしろ、選挙大勝直後で政権が長く続くと踏んでの表明だったような気もします。
更にこのイレギュラーな退位は、首相の任期延長に影響はなかったのだろうか?
そして憲法改正(現実には相当難しいと思われるが)の真の目的は、本当に大きく報道されていることだけなのだろうか?
肩書きと血縁が混然一体となって公私の別が無くなり、国の法治が崩壊していくというのは、顔ぶれが少しずつ移動しているとはいえ、戦前の皇室周辺と非常によく似ています。
「法治の外にあって予め免責された空間」というものがどんどん肥大化して、御濠の外側にまで浸食して来ているような・・・・。
まあ、いくらなんでも私の思いすごしだろうとは思いますが・・・・。
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少々蛇足ですが、この画像を見て・・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/5d/a73a54afd38c396b52ddf1f83219935d.jpg)
新憲法制定の担当が松本烝治大臣(松本試案はGHQに拒絶されたが)。
そしてその娘婿の田中耕太郎が吉田内閣の文部大臣として憲法公布。
さらにその吉田首相によって田中氏は最高裁長官に就任。
松本・田中ファミリーと吉田首相は、新憲法に関わるとともに、明仁皇太子のお妃選びのメンバーでもあったわけです。
ところが現在、それぞれの子孫・縁戚である麻生大臣と平川氏が強く改憲を推しているようです。
それにしてもよく言われることですが、戦後ずっと、いかに特定の血脈の範囲内で国家の重要事項が決定されていることか・・・・・。
「生前退位」と「憲法改正」機運が同時期に起こったのは、偶然ではないのかもしれないな・・・・。