名古屋は都会と田舎の中間と言うか、都会の田舎というか
いやいやこの地域は都会というのもおこがましく、振興田舎とでもう言うべきか。
コンクリートに固められ、セキュリティに守られてはいるけれど
マンションなど長屋である。
エレベーター一基にいろいろな人生がある。
ねたきりの病人を抱えているお宅もあればシングルマザーあり、痴呆老人あり。
浮気問題あり、鬱患者さんもあり。車椅子利用の障害者もいて、その車椅子の進化っぷりに感動したりもした。
おむつの頃から知っている女の子が集団アイドルの一員となった事も驚きである。
それぞれの家の人との挨拶がわりの会話の向こうに、抱えた問題が見え隠れする。
ほどよい距離間の中で、だが全くの無関心でもない。
犬もいる。
ひと昔前から急に増えた。ブームなのか、世代的に子育てを終えたり寂しくなる時期だったのか、
その犬たちが代替わりをしていく。
自分の家では味わえない家庭を、垣間見る。
傍目には近代的な(もう古いが)マンションだが、
子育ての最中にはノックと同時に玄関が開けられるような、
子どもたちが集団であちこちの家に移動するような
まさしく長屋のような環境だった。醤油の貸し借りもあった。
今ではそんな泥臭いおつきあいはとても出来ないが、当時はその只中にいた。
古き良き時代の一幕ともいえる。
厳しいばかりの私に対して、他の長屋二軒はだれだれで、
一緒に外出する事もあったけれど、私が行かない方が子どもたちがのびのびするという事で
(この場合のびのびするのは我が家の子どもで、他家の子どもではない)
特にネットに頭を突っ込んでからは、子どもだけ連れ出して貰う事が増えた。
彼女らの放任は子どもには清涼剤だった。
当時イラつくこともあったけれど、今となってはよかったとしみじみと思う。
複数の大人から異なった子育てを見せられる事は、多様な社会への第一歩ともなる。
それは親にとっても同じだろう。
地域で子育てをする、本来の意義はこういう事だと思う。
与えられるものも多いが、働きかけなければならない事も多い。
醤油のやりとりと同じで、貰った分だけ何らかの形で返す事になる。返す事が前提だから借りられる。
行政や、既存の社会に一方的に要求するのとは違う。
子育てに税金を使う前に長屋子育てを推進すべきである。
いまだに電車内のベビーカーを容認できない。
母親ひとりが荷物と乳児を抱えているのなら、仕方がないと思うが
夫婦連れで旦那が手ぶらでいるのを見ると、畳めよ抱けよと苛立ってしまう。
祖父母と連れ立っているのを見ると、なら預けて来いよと考えてしまう。
どうして他人である他の乗客が我慢しなければならないのか。
最近のベビーカーは「乗り心地優先」とやらで大きいらしい。まさしく「おこさま」様である。
他の乗客の快適より、我が子ひとりの快適かよ。
見知らぬ同乗の客に理解を押しつけるよりも、預けられる近所を開拓しろと思う。
いやいやこの地域は都会というのもおこがましく、振興田舎とでもう言うべきか。
コンクリートに固められ、セキュリティに守られてはいるけれど
マンションなど長屋である。
エレベーター一基にいろいろな人生がある。
ねたきりの病人を抱えているお宅もあればシングルマザーあり、痴呆老人あり。
浮気問題あり、鬱患者さんもあり。車椅子利用の障害者もいて、その車椅子の進化っぷりに感動したりもした。
おむつの頃から知っている女の子が集団アイドルの一員となった事も驚きである。
それぞれの家の人との挨拶がわりの会話の向こうに、抱えた問題が見え隠れする。
ほどよい距離間の中で、だが全くの無関心でもない。
犬もいる。
ひと昔前から急に増えた。ブームなのか、世代的に子育てを終えたり寂しくなる時期だったのか、
その犬たちが代替わりをしていく。
自分の家では味わえない家庭を、垣間見る。
傍目には近代的な(もう古いが)マンションだが、
子育ての最中にはノックと同時に玄関が開けられるような、
子どもたちが集団であちこちの家に移動するような
まさしく長屋のような環境だった。醤油の貸し借りもあった。
今ではそんな泥臭いおつきあいはとても出来ないが、当時はその只中にいた。
古き良き時代の一幕ともいえる。
厳しいばかりの私に対して、他の長屋二軒はだれだれで、
一緒に外出する事もあったけれど、私が行かない方が子どもたちがのびのびするという事で
(この場合のびのびするのは我が家の子どもで、他家の子どもではない)
特にネットに頭を突っ込んでからは、子どもだけ連れ出して貰う事が増えた。
彼女らの放任は子どもには清涼剤だった。
当時イラつくこともあったけれど、今となってはよかったとしみじみと思う。
複数の大人から異なった子育てを見せられる事は、多様な社会への第一歩ともなる。
それは親にとっても同じだろう。
地域で子育てをする、本来の意義はこういう事だと思う。
与えられるものも多いが、働きかけなければならない事も多い。
醤油のやりとりと同じで、貰った分だけ何らかの形で返す事になる。返す事が前提だから借りられる。
行政や、既存の社会に一方的に要求するのとは違う。
子育てに税金を使う前に長屋子育てを推進すべきである。
いまだに電車内のベビーカーを容認できない。
母親ひとりが荷物と乳児を抱えているのなら、仕方がないと思うが
夫婦連れで旦那が手ぶらでいるのを見ると、畳めよ抱けよと苛立ってしまう。
祖父母と連れ立っているのを見ると、なら預けて来いよと考えてしまう。
どうして他人である他の乗客が我慢しなければならないのか。
最近のベビーカーは「乗り心地優先」とやらで大きいらしい。まさしく「おこさま」様である。
他の乗客の快適より、我が子ひとりの快適かよ。
見知らぬ同乗の客に理解を押しつけるよりも、預けられる近所を開拓しろと思う。
こっちは梅雨明け宣言の次の次の日くらいだったかな?
私らの頃は「車内ではベビーカーはたたむ」んでした。
B型は乗り心地より軽量である事を重視して選びました。
夫婦ふたりいるのなら一人が抱っこ一人がベビーカー。
広げたまま平然としているのを見ると蹴りたくなります。
一族で座席と通路を占領している家族もいましたっけ。
泣き声は意外と耳にしない。しても気にならないから忘れるのかも知れません。
子どもの横で携帯を弄っている母親は忘れられませんけどね!
私は実母と同居なので、買い物などに子どもを連れて行く必要もなかったし、
田舎は車社会なので、ベビーカーなど、あまり必要ありません。
子育てが一段落した頃、久しぶりに東京に行き、
電車やバスの中でベビーカーを見たときは、驚きと感動でした。
若夫婦は微笑ましく、
お母さんだけだととても健気で、
子ども嫌いな私でも、ああ…頑張れー!っていう気持ちになりました。
東京では毎日電車で通勤していた私ですが、
赤ちゃんの泣き声など聞いた覚えがないのです。
疲れ果て、きっと周りで何が起こっていようが無関心であったのでしょう。