クロロホルムの祈り

創作活動をとおして春秋を綴ります。

つぐなうと言ったら

2012年02月06日 02時33分22秒 | 日常生活
 降雪、そして積雪があり、各種公共交通手段の乱れにより行きも帰りも気が抜けぬ週末でした。取り巻く空気は刺すように冷たく、身体の芯を凍らせようとつまさきから何かがじわりじわりと足を伝ってくるようであります。要は寒いのさ。半端でなく寒い。もう雪が降っても楽しくない、そんな年頃になってしまいました無精な十代であります。

 なんだか妙な気を起こしてしまい、課題そっちのけでピアノに夢中になってしまいました。よく飽きずにやれたもんだと思います。実はまだ終わらせていませんが、もう限界なので明朝、電車で片付けるとします。参考書思いからあんまりやりたくないけど致し方ありませんな、自業自得です。

 綺麗になりたいなあと切実に願ってしまう最近。ちょっと無関心過ぎた時期があり、猫背になってしまったようなので、まあ意識的に直すしかないですね。ついでにお腹がぽこんと出てきている。なんとか引っ込めなければ……。困ったモノダ。今流行りの骨盤矯正というのをやったら少しは治るかしら。というかもうなんだか悲しくなるくらい自分って不摂生で不健康で制御不能。満足に食べられない人がいるのにどうして自分は余計なエネルギーまで摂ってしまうんだろう。克己できぬ。だからって他力本願でなんとかっていう技術使って脂肪取り出して痩せたとしても、それで終わりじゃないんだよね。そこからも努力しないとしょうがないよね。無理なくっていうけどさ、誰でもできるんだろうけどさ、やっぱり違うじゃない。禁欲的になることにどうしても窮屈さを感じてしまい永遠に続くトンネルにいるような――しかもそのトンネルには終わりがないということをわかっている状態で――閉塞感がたまらなく悲しく思えるのです。だけど鏡の中の自分の醜さも心がしめつけられるような罪悪感がある。綺麗じゃないものは出しちゃいけないなって思う。顔が大きいから友だち
といてもなんか素直に笑えないし、わたし太いなあって思っちゃう。これを、母が慰めるような、お年頃だから、っていう言葉で片付けたら、わたしはこの先ずっと時代や年齢やそういうものに流されたり妥協したりしかできない人間になっちゃう気がする。自分を制限するのは法律や世間体じゃなくて、いつも自分でありたいと思う。勉強にしたって身体の管理にしたって何だって。ショーウィンドウに映る自分に惚れ惚れしながら街を歩いてみたい、です。皆に振り向かれるほど美人にはなれっこないし、なれるとも思ってないけど、自分のことちゃんとお世話しきれてる人間になりたいです。そのひとつが身体の管理だと思うから。肥満は健康と違う気がする。太りやすいとか他人には関係ないから、視覚がすべてだから、だからこそちゃんとしなきゃいけない、んだよね。きっと。

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