〜1960年代から1970年代のできごと〜
生家では 仏壇に水とご飯が毎日供えられました
祖父の月命日には それらに加えて玉子焼きが
供えられるのでした
玉子焼きは時々 私が失敬して祖父の代わりに
いただきました
〜1960年代から1970年代のできごと〜
生家では 仏壇に水とご飯が毎日供えられました
祖父の月命日には それらに加えて玉子焼きが
供えられるのでした
玉子焼きは時々 私が失敬して祖父の代わりに
いただきました
〜1971年(小3)のできごと〜
代々木のオリンピックプールで溺れた私を
助けたのは監視員ではなく、次兄でした
泳ぎが得意なわけでもない次兄ですが
息は長く続きました
彼は水中を歩いて私を救助したのでした
〜1981年(19才)のできごと〜
大きな流れ星を見ました
咄嗟に願い事が口から出ました
しかも間に合った
あれは本当は人工衛星だったのだと思います
しかし流れ星だと信じることにしました
願い事は叶いました
〜1981年(19才)夏のできごと〜
都心の予備校に通った夏
当時はまだ 冷房車が数本に1本しかないのでした
ある朝私は 車内の暑さにもう我慢が切れ、
途中下車をして冷房車を待つことにしました
5本、冷房無しの電車を見送りついに6本目、
冷房車がやってきたのでした
〜1980年(髙3)のできごと〜
数百円で売っていた卓上そうじ機を自腹で
買いました
「消しゴムのカスもこれでばっちりさ!」
ところがそうは問屋がおろさないのでした
卓上そうじ機は欠陥品だったのです
吸ったカスがそのまま外に噴き出てくるのでした
母がお腹を抱えて笑うので 私もつられて笑って
しまいました
これくらいのことは面白がるのがいいのです
(今思いついた浅い格言です)